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意地悪な人間と美しい竜

作者: 調彩雨
掲載日:2024/04/29

 

 

 

「わたしは、意地悪だからさ」


 人間は生意気にも嗤って言った。


「きみはわたしとは一緒にいない方が良いよ」


 この僕が、そばにいてやると言ったのに、無礼にも。


「なぜ。なぜだ」


 人間は嗤って、答えなかった。

 答えならもう教えてあげただろう?とでも言いたげに。


「っ、お前は、」


 そして言う。こともなげに。


「もちろん、もう、きみの大事な主人にも近付かないよ。彼のそばにはきみがいるからね。それが願いだっただろう?良かったじゃないか」


 そんなことを、笑って。他人事のように。


 そうだ。僕は人間の分際で竜王に気安く近付くこの人間が疎ましく。だから始めのうちは、ずっと邪険にして。追い払おうとして。

 けれどこいつはのらりくらりと、僕の声などちっとも聞き入れずに。


 だと言うのに。今さら。


「意地の悪い」

「そうだよ」


 吐き捨てても、僕の言葉なぞ、人間の心を揺らしはしない。


「人間は意地が悪く、狡賢く、強欲で、穢い。きみの言う通りだ。だから、ね、きみはもうここに来てはいけない。綺麗な翼が、汚れてしまうから」


 まるで僕を想っているかのような言葉を、薄っぺらな笑みで口にする。


 ああそうだ。そうだ!

 最初から、わかりきっていたではないか!僕には!!


「そうだな。貴様の言う通りだ、人間」


 だから僕は、心優しい竜王に、人間を近付けるのが嫌だったのだ。


「二度と僕の前に顔を出すな。竜王の前にもだ。もし、先の言葉を破り貴様が竜王の前に現れることがあれば、容赦はせん。首を落とす」

「うん」


 人間は頷き、手にしていた棒で雪に線を引いた。


 ただの、その辺で拾っただけであろう木の棒。意味もない、横一本の線。

 だが、稀代の魔法士が己の魔力を込めれば、それは強力な結界となる。


「それならここで、お別れだ。願わくば、我が国で竜に脅かされるものが、再び生まれることのないように。不可侵に戻ろう。竜とヒトが、相容れることはない」


 礼を言うよ。美しい竜。


 人間は、僕の目を見て告げた。


 人間の目は他のどんな生き物より、どこを見ているのかがわかりやすい。竜を畏れて目を逸らす人間が多いなか、こいつは恐れも遠慮もなく、竜とはっきりと目を合わせる。

 そんな人間は滅多にいなくて。


「竜を知れたお陰で、こうして竜を通さない結界が張れる」


 それはこいつにとって竜が、観察対象であったからなのであろう。


「ヒトは竜より弱く愚鈍だ。けれどその狡猾さは、竜を凌ぐ」


 己が魔力で髪を揺らめかせて、人間は嗤う。


「この結界は、竜王ですら破れない」

「驕慢な!竜王を愚弄するか!!」

「まさか」


 人間は首を振る。頑是ない子供を諭すかのように。


「単なる事実だ。わたしが生きている限り、この結界が破られることはない。決して」

「竜を馬鹿に、」

「やめよ」


 静かな声は、こんな場所にいてはいけない、


「竜王、なぜ」

「ヒトの子の言う通りだ。僕に、この結界は破れぬ」

「そんな、はずが、」


 竜王は、黙って首を振った。


「戻るぞ、凌賢りょうけん。さらばだ、ヒトの子よ」

「うん」


 本来、人間など相見えるだけでも畏れ多い相手だと言うのに、この人間は相も変わらず。


「さよならだ。美しき竜の王と、その美しい忠臣」


 僕に口を挟む隙を与えず人間は告げ、あっさりと踵を返した。


 背後から襲われることはないと、確信しているように。

 それだけ己の結界に自信があるのか、それとも。


「凌賢、もういい、戻るぞ」

「ですが、」

「僕の決めたことに、従えないと?」


 あの人間の力は、確かに強い。悔しいが、僕ではおそらくこの結界は破れない。けれどいくら強かろうと、竜王の力に比べれば足元にも及ばないはず。


 だと言うのになぜ、竜王は。


 ぐ、と唇を噛み締めた僕を、竜王は頑是ない子供でも眺めるかのように見下ろした。苦笑して、口を開く。


「ヒトの子が生きている限り、僕でもこの結界は破れぬ」


 反論しようとした僕を片手を挙げることで止め、竜王は続けた。


「なぜなら、ヒトの子はこの結界と、自分の命を繋げたからだ」

「ぇ……」


 結界と、命を繋げた?そんなことをすれば、


「この結界を破れば同時にヒトの子が死ぬ。僕では、ヒトの子の命を守ったまま結界を破ることは出来ぬ。ゆえに、僕にはこの結界を破ることが出来ぬのだ」

「あんな、人間の、命など、」

「どうでも良いと切り捨てられぬことなど、ヒトの子にはお見通しだったと言うこと。己が言葉の通り、狡猾なこと」


 わかっているのだ。あれには。


 誇り高き竜が、敵であろうと背後から切り付けはしないこと。慈悲深く愛情深い竜王が、友と認めた人間の命を、奪うことなど出来ないことも。


 全部、わかっていて、だから結界と、自分の命を繋げたのだ。


 なんて手酷く、狡猾なことか。こんな裏切りをしておきながら、竜王の慈悲にすがるとは。


「っ、────、くっ」


 僕には言えない。言えるわけがない。竜王がどれほど、あの愚かで無礼な人間を愛しているか、知っているのだ、僕は。


「かまわぬ。凌賢。ヒトの子が死ねば自然と結界は破れる。瞬きのような短い時間のことだ、人間の、一生なんて」


 結界と命を繋げれば、自分から結界を解いても死ぬことになる。

 決別したのだ、人間は、言葉通り、竜と。


「行こう、凌賢。もうここに用はないだろう」


 竜王の言葉に、今度は反論せず、僕は素直にその背を追った。




 それからは、穏やかな時を過ごした。

 元々、人間と関わる必要なんてなかったのだ。人間の国との行き来が途絶えようと、困ることはない。

 穏やかで、静かで、変わることのない生活。


 人間がいなければ、こんなにも、世界は平穏なのか。


 そんな生活を、どれほど続けたあとだろうか。

 結界のそばに、人影が近付いたのは。


 厳密に言えば、結界に近付く人間がいなかったわけではない。大人数で来る人間もしばしばいて、けれど、ある一定距離以上は近付かなかった。

 人影はそれまでの人間とは異なり、結界に触れる近さまで来た。それも、忘れもしない場所、人間が結界を張るために、線を引いたその場所まで。


 思わず結界まで飛んだのは、仕方のないことだろう。

 そして、そこにいたのは、


「よくも顔を見せられたものだな、人間!」


 久方振りに会ったとは言え忘れることなどない。憎たらしい顔に怒鳴り付ければ、人間は驚いたように目を見開いた。


「うわ、ほんとに、竜だ」

「二度はないと言った。その首、落として、」

「待って待って待って。違う。それ、ぼくじゃない」


 人間が片手を挙げ、ブンブンと首を振る。


「なにを戯れ言を」

「いや本当に。と言うか、父さんの顔を知ってるってことは、あなたが父さんの言っていた竜王の忠臣だね。聞いた通り、綺麗なひと、じゃない、綺麗な竜だなぁ」

「……父、さん?」


 いぶかしく眉を寄せれば、人間はコクコクと頷いて見せた。


「あなたと約束したのは、ぼくの父。ぼくは息子ではあるけど、父さん本人ではないから、約束は破っていないよ、いや、破ったことになるのかな?」


 首を傾げて人間は、背負っていた荷物から箱を取り出す。一抱えほどもある、重たげな少し縦長の木箱だ。


「遺骨でも、顔を見せたことになる?」

「遺骨、だと?」

「うん。死んだから、父さん」


 死んだ?そんなはず、


「結界が、破れていないではないか!」

「そりゃ、その為に一生費やしたからね、あのひと」


 肩をすくめて言いながら、木箱を適当に地面へ置いた人間は、やにわに地面を掘り始めた。話に集中しない。ほんとうに、人間ではないのだろうか。こんなにそっくりなくせに。


「なにをしている」

「ここに埋めるんだ。触媒になるように」

「触媒」

「術者が死んだからね。触媒がないと早晩綻び出してしまう」


 こちらも見ずに人間は語る。


「死んだ、のか?本当に?」

「死んだよ。と言うか、生きていると思っていたの?もう、三百年も経ったのに?」


 ひょいと顔を上げた人間と目が合う。こちらを見ているとよくわかる、人間の目。見たのは、何年振りだった?


「三百年」

「父さんの例があるからアレだけど、普通は人間って百年経たずに死ぬからね。三百年経ったらもうまず間違いなく死んでるよ。父さんは三百年生きたけどさ」


 僕からまた目を離して、人間が笑う。穴を掘りながら。


「意地だよね。周り中から死ねって思われてたのに、誰よりも長生きして、しかも、やりたかったことをやり遂げたんだからさ!尊敬するよ、我が父ながら」

「なぜ、死を望まれる。人間は、人間から見れば英雄ではないのか」

「まさか!大罪人だよ利益を不意にしたんだから。ほんと、よく殺されなかっ、わ、待って待って、まだ触んないで!破れる!!」


 飄々と受け答えていた人間が初めて出した慌てた声に、びくっと飛び退る。


「ありがとう。いきなり怒鳴ってごめんね。いやー、受け継いだとは言っても、ぼくじゃ張り直しは無理だからさ、焦った」

「受け継いだ」

「うん。父さんから結界をね。だから破れていないわけ。でも、まだ不安定だからこうして触媒を埋めて、安定化をね」


 つまり。


「この結界を破ればお前が死ぬのか、今度は」

「いや、命は父さんでおしまいだよ。結界が破れてもぼくは死なない」

「それでは、意味がないではないか」

「そう?」


 人間は穴を掘り続けながら、首を傾げて見せた。


「三百年破らなかったんだ。もう、破る必要がないことはよくわかったでしょう?」

「それは、」

「ここに結界があって、なにか困ることがあった?」

「ない、が」

「なら、わざわざ破らなくても良いんじゃない?」


 破ってももう死んだ父さんはこれ以上に死にはしないけど、と人間は呟く。


「だから破っても良いけど、できれば破らないで欲しいな。ほら、昔の友人の、遺志とでも思って?」

「友人など、おこがましい」

「そうだね、あなたたちから見ても、父さんは裏切り者だった」

「違うとでも」

「そうだね」


 満足行くまで掘れたのか、手を止めた人間が僕を見据える。


「父さんからは、口止めされてるんだけど」


 生意気に、嗤う。


「ぼくは意地悪だからさ」


 いつかの人間と同じように。


「父さんを裏切って教えるよ。父さんがなにをしたのか。これが、なんなのか」


 これ、と人間は結界を指さす。


「信じる信じないは委ねるから、聞くと良い」


 人間が木箱の蓋を開け、よ、と中身を取り出す。包まれていた布を取り去れば、それは骨壷だった。


 ほんとうに、死んだのか。


「お別れする?」


 僕の視線に気付いたか、振り向いた人間が言う。


 お別れなど。


「いらん」


 とうの昔に済ませた。


「そう?」


 軽く頷き、人間は深い穴の底に骨壷を入れた。


「じゃあね、父さん」


 呟いて、土をかけていく。


「三百年前、人間と竜の融和政策が取られていたでしょう?」


 そしてまた、こちらを見ぬまま唐突に、人間は話を始める。


「人間が台無しにしたがな」

「そうだね。竜と違って、人間って狡いから。お題目は立派だけど、結局のところいろいろ利権が絡んでたんだよね、あれ」


 人間は僕が挟んだ嫌味をあっさり流した。かつての人間と同じように。


「利権?」

「竜って売れるんだよ。生死老若男女問わず、角の先から尻尾の先まで、余すところなく、高額で」

「なっ」


 言葉を失くす僕にかまわず、人間は語り続ける。


「もちろん純粋に竜と仲良くしたかった人間もいたよ。一部はね。でも、他方では融和する振りで金のなる木と思っていた人間もいたわけで」


 すっかり土に覆われた穴を、ぽんぽんと叩いてならしながら、人間は嗤った。


「あのまま融和政策なんて進めていたら、どうなっていたか」

「我らが、人間ごときに負けたと?」

「事実あなたたちは父にしてやられ、三百年前結界を破れなかった」


 それは、


「竜は賢く、強い。人間なんて遠く及ばない。けれど、あなたたちは高潔で、優し過ぎる」


 人間は、竜と目を合わせる。それは、人間にとって竜が、畏るるに足る相手ではないから。


「無垢なる竜では、狡猾な人間に、勝てない。良いように喰いものにされるだけだ。だから父さんは、結界を張った。人間から、竜を守るために」


 当然、得られるはずだった利益を不意にされた輩共やからどもは怒ったよ。もう大批判の殺意マシマシフルコース。ほんとよく生き延びたねって感じ。


 人間は笑う。こともなげに。


「もちろん力尽くで結界を破ろうともした。でも、父さんは天才魔法士だったからさ、人間じゃ、結界を破ることはおろか、結界に近付くことすら出来なかった」


 ああ、度々来ていた人間の集団は、そう言うことだったのか。


「で、殺すのも結界破りも無理だから、それなら寿命でおっぬのを待とうってなったけど」


 念入りに地ならしして、人間が立ち上がる。


「根性と執念と意地で父さんは三百年も生きた挙げ句、こうして死んだあとも結界を維持することに成功したのでした!ちゃんちゃん」


 ぱたぱたと手や服の土をはたき、顔を上げた人間は僕を見上げて笑った。


「綺麗だね、あなたの目は」


 しっかりと、僕の目を見て。


「父さんはさ、美しいものが好きだから、あなたが好きだったんだよ、竜の王の美しい忠臣」


 人間の小さな手が、結界に触れる。


「だから踏み荒らされたくなかったんだ。いっとう大事な、美しいものを。それで、誰に恨まれることになってもね」


 告げるだけ告げて、人間は僕から目を離す。


「よし。これで安定したはず。もう触っても大丈夫だよ。竜王なら破れるだろうけど、破らないで貰えると嬉しいな」


 空になった木箱を背負い、それからまた、僕に目を戻した。


「ごめんね。聞いたら、あなたが苦しむだろうとは思っていたけど、ぼくは人間だから。意地が悪く、狡賢く、強欲で、穢いんだ」


 父さんは、結界を存続させるために、ぼくをつくったから。


 人間が笑う。表面上は、申し訳なさそうに。


「結界を守るためなら、どんな手でも使うよ」


 父さんと違って、ぼくは保守もせず何年も結界を保てないから。


「時々結界維持のためにここに来るよ。怒らないでね」


 僕の言葉など待たずに、人間は告げる。


「じゃあね」


 言うだけ言って、手を振ると、あとは振り返りもせず。

 その姿が見えなくなってから、ようやく僕の喉は声を紡いだ。


「なぜ。なぜだ」


 問いに答えてくれるものは、もういない。

 もう、いなくなってしまった。


「意地の、悪い……っ」


 落とした声は、友だったものを飲み込んだ土にこぼれて、消えた。

 

 

 

物語の終わりもしくは始まり


つたないお話をお読み頂きありがとうございました

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に人間は意地悪ですね。 2人の人間の、この言葉に込めた想いが穢くて美しかったです。 竜はずっと綺麗なままですね。 [一言] 竜王はもしかしたら清濁併せ呑めたタイプでしょうか?
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