① 先進国が少子化になる社会学的背景
筆者:今回は少子化について話していきます。トピックスとしては次のようになります。
①少子化になる社会学的背景
②貧困対策のための減税を!
③10代婚活支援のメリット
④10代婚活支援の課題
⑤自助と共助で支えるしかない現状
と言った感じです。
質問者:そもそもどうして少子化になっちゃったんでしょうか?
筆者:日本だけではなく先進国全般が少子高齢化と人口減少の危機に瀕しています。
構造的に分析してみます。
まず、一つ目の要因としては産業構造が変わったことが大きいです。
第一次産業が主流だったかつては「子供が働き手」として生産力・経済力に直結するメリットが明確でした。大規模な農地を耕作していくのには人手が必要ですからね。
発展途上国の出生率が高いのは第一次産業や鉱山を掘るのに人手が必要なので単純に人口が増えれば増えるほど家庭内の経済状況が改善するのです。
それに対して先進国の出生率が低いのは単純に子供の数が経済的合理性に直結しないからです。
実際に先進国の移民の出生率も2代目になるとその先進国の出生率と変わらないというデータもあるようです。
勿論こうした子供が増えると、家庭内の経済状況が改善しませんが、将来世代の国全体の経済力の合計値は上がっていきます。こうした、お互いの最善の状況が違うために歪んだ状況になっているのです。
しかし、日本だけが先んじて人口が減少しているのは移民を具体的に国民として組み込んでいないからです(ただし、日本国政府が認めていないだけで“事実上の移民”は存在しています)。
ですが、僕は移民については推奨しません。移民についての問題はまた別個の項目で取り上げるのでここではあまり触れませんが、“人口数”という面以外のメリットはあまり無いように感じます。文化的な破壊が特に顕著ですからね。
質問者:そうなると、先進国で主要な産業である第三次産業が少子化の原因なのでしょうか?
筆者:そうですね。第三次産業のサービス産業は、
子供が増えれば増えるほどサービスが向上するということは、余程特別な業種でもない限り特に無いですからね。
逆に江戸時代までの日本が、出生数が高く、避妊の技術も乏しかったにもかかわらず人口爆発していませんでした。
その原因としてはお子さんが小さい時に亡くなるケースがあったのと、増え過ぎたら自発的に“口減らし”などがあったり、飢饉などによって食糧難に陥ったことなどが挙げられます。
質問者:しかし、日本も90年代に「1.57ショック」という「丙午」の年を下回るまでは人口増加する2.07には遠いもののそれなりには高かったわけじゃないですか?
ここ20年ぐらいが特に減少が顕著です。どうしてこんなにも子供を産まなくなってしまったんでしょうか?
筆者:これを良いと取るか悪いと取るか意見が分かれるとは思いますが、日本では特に「昭和の価値観」が無くなったのが2つ目の要因として大きいと思います。
昭和時代では「結婚・子育てして一人前」と言う考え方がありました。実際に採用、転職の際の面接で「結婚しているかどうか?」が採用に大きく影響したという話もあります。
当時は結婚をしていると「責任感があり容易には退職しないだろう」という考えが会社の中にもあったようです。
しかし今では、価値観の多様性からそういった圧力が減り、未婚や子無しでもマイナス評価がされなくなりつつあります。
質問者:今の時代でそう言うことを評価項目として加えると“差別”と言われてしまいますからね……。
筆者:そうですよね。見えない評価点としてはあるかもしれませんが、外部で言われない以上、社員側は重視しないでしょう。
また、昭和までの文化としての「お見合いによる結婚」「近所のおばちゃんの紹介による結婚」と言うこともほとんど無くなりました。
今も近所のお見合いや紹介も全く無いとは思わないのですが、昭和の価値観では結婚しないことによるデメリットもあったので「みんな凄く嫌じゃない相手となら結婚した」のです。
しかし、 “理想の相手”はSNSなどでかなり高まってしまい、“年齢による危機感“を抱くようになるまで具体的な婚活すら行わないのです。
理想が高まったことによる妥協点が非常に高くなってしまったことも要因の一つでしょう。
更にSNSなどで結婚や子育てに苦しそうにしている子育て世代を見ていると、
「結婚や子育てをパスして自分らしく1人で気楽に生きていきたい」と思われる方がどんどん増えていっているのです。
こういった流れはある意味、束縛から解放されて自由になって良い事でもあるのですが、「少子化」と言う観点で見ると大きくマイナスになったと考えていいでしょう。
ということでSNSが3つ目の少子化の大きな要因だと思われます。
質問者:なるほど、これまで知らなかったことを知ってしまうと尻込みしてしまうことはありますよね……。
筆者:さらに夫婦が一体となって暮らすことのメリットも減りました。これが4つ目の要因です。
男女共同参画の推進によって経済的に自立する女性が増え、男性の経済力をあてにする必要が無くなりました。
一方男性側も便利な家電や安く売られている惣菜等で、女性の家事力をあてにする必要があまり無くなったんです。
そして結婚しても(可処分所得の低下などから)共働きが当たり前になり、配偶者控除が結婚のメリットにならなくなったのも大きいです。
質問者:なるほど、結婚においてもプラスの面がどんどん減ってきているのですね……。
筆者:5つ目の要因としては世帯平均の可処分所得の中央値がこの30年で80万円も下がりました。
勿論、核家族化が進み1世帯当たりの人数も減っているのですが、基礎的な経済状況が良くなければそもそも結婚しようという発想にならないわけです。
質問者:何だかんだで先立つものが無いと厳しいですよね……。
筆者:こういった結婚や子供による経済的メリットの各方面からの大幅減少は小手先の補助金政策ごときでは解決するとは思えません。こうして、「子供は贅沢品」とまで表現される世の中になってしまったのです。
ですが、僕は家族や子供そのものに関して、重要性は依然高いままだと思うんですよ。
僕はお金のことばかり書いているから“金の亡者”だと思われていそうですが、実を言うと“お金は絶対必要だけど支配されてはいけない”と言うのが基本的な考えです。
また、幸せそのものはお金では中々買うことができないと僕は思います。
何せSNSなど“自慢大会”“罵り合い大会”の様相を呈していますから、本当の心の安らぎを得られるとは思えないんです。
相手を見下して叩き落す快感なんてその瞬間だけ気持ちが良いだけですからね。際限がないんです。
そんな中、気心の知れたパートナーや純粋な心を持っている子供の姿を見ることで、精神的安寧を得ることができます。
お金だけで見てしまうと結婚や子供を持つことはマイナスかもしれませんが、
より良く人生を生きていくためには必要な存在であり続けると僕は信じていますね(勿論、パートナー次第ではありますが)。
質問者:確かに孤独は、喫煙、過度の飲酒、肥満を上回る死亡リスクだと聞いたこともあります。
1人で暮らすことで気楽かもしれませんが、“大事な何か”を失ってしまうこともあり得ますよね……。
筆者:そうなんですよ。でも、経済的な問題が解決しなければ、そういったスタートラインに立つことも出来ない。それが悲しい現実なんです。
そう言った悲しい経済的な貧困がスタートラインに立てない。そしてそれを改善できない岸田政権の「異次元の少子化対策(笑)」を次の項目から見ていこうと思います。