表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

黒鹿毛、金糸に新緑色

作者: 無事之名人

初投稿です。

馬が引き合わせた2人の両片思いが終わる日の話。


しんと冷えた初春の朝。アストリア王立騎士学園の馬房から、馬たちが続々と放牧に出されていく。


馬達は気持ち良さそうに駆け出し草を食むが、一年生には辛い重労働の時間だ。




藁を掻き出し入れ替える馬房掃除は当番制で、日の出前から働いても、その後には通常の授業が待っている。


皆が嫌厭する作業だが、夜明け前の澄んだ空気のなか無心になれるこの仕事が、キールは嫌いではなかった。





全ての馬を馬房から出し終えた頃、森の方角から現れる人馬が1組。



「おはよう、キール。今日もお疲れ様。」

「…アシュリー先輩、おはようございます。」




この静かな時間を共有する友人のお出ましだ。




2年に在学中のアシュリー・ウォルター嬢は、容姿端麗成績優秀な辺境伯の一人娘だ。恙無く爵位が継承されれば50数年ぶりの女辺境伯、ということで学園中の、主に男子生徒からの視線が熱い。

対するキールはといえば、しがない伯爵家の三男坊。胸に抱いた大志があるわけでもなく、身を立てるためにこの学園へとやってきた。そんな2人の接点はといえば…



「今朝はオデットに付き合ってもらったの。」

「よかったな、オデット。さ、水を飲ませてやりましょう。」



馬であった。





初めての厩舎当番の日。

遅れるよりはと誰よりも早く馬房に来たキールが、嬉しそうに馬の世話を焼くアシュリーを見てしまったところから始まった奇縁である。



アシュリー・ウォルターといえば、文武両道才色兼備、おいそれとは話しかけられない高嶺の花。金髪に青玉の瞳、薔薇のような唇にいつも穏やかな微笑みを浮かべ、感情の起伏をあまり表に出さないと評判であったはずなのだが…



「冬毛がもっふもふ…」と呟きながら嬉しそうに馬をブラッシングしているのが、キールが入学早々遭遇したアシュリーの姿だった。





婚約者を持たない次期辺境伯として注目を浴びている彼女にとって、唯一の息抜きが秘密の朝駆け。

それを知って以来、キールは当番の日にほんの少し早く来て、馬装を解くことを手伝うようになった。



キールが鞍を背から下ろしてやり、アシュリーがオデットを洗い場まで連れて行く。

その間に水を汲んできて、身軽になったオデットの口元に置いてやれば…黒鹿毛のお嬢さんはゴクゴクとすごい勢いで飲み出した。



「よしよし、たくさんお飲み。」



きちんとした手入れは夕方に行われるので、あとは濡れタオルで体を拭いて、ブラシをかけてやればいいだろう。


ブラッシングはアシュリーが1番好きな作業。その間は邪魔をしない。

彼女が冬毛を堪能している間に、キールは簡単に鞍の手入れをしたり、寒い日には馬着を持ってきたりと、ちょっとした手伝いをする。




これはただの親切心。




自分がこまごました作業を引き受ければ、他の1年生が来るまでの間、アシュリーは大好きなブラッシングに時間を割ける。


日頃重圧に晒されている、一つしか年が違わない女の子。

その唯一の息抜きにちょっと手を貸したって、バチは当たらないだろう。

それぞれ手を動かしながらぽつぽつと言葉を交わす。週一回のこの時間をキールは気に入っていた。






「もうすぐ進級ね。絆を結ぶお相手はいるのかしら?」



三年制の学園では、1年目が見習い期間と位置付けられている。無事に進級が叶えば、2年目は3年生の生徒に従騎士として仕えることになる。


「私のような平凡三男坊には、特にお話はありませんよ。」


ほとんどの学生は学園の選定に身を委ねるが、希望者は事前に申請を出せば、決めたお相手の従騎士となることができる。これを特に「絆を結ぶ」と呼んだりする。



親類が在籍している場合や、政局に配慮が必要な高位貴族の場合。そして既に気心が知れた先輩がいる場合がこれにあたる。

あるいは優秀な生徒の囲い込みに使われる制度でもあるが、残念ながらキールにはどれも当てはまらない。学園のマッチングに従うことになるだろう。


アシュリーの場合は高位貴族なので、従騎士として仕える相手即ち結婚相手であると邪推されてもおかしくない。要らぬ噂をさけるため、後腐れがない遠縁の男子生徒と絆を交わしたという噂だ。




「鞍の状態も良さそうですね。でもここから気温が暖かくなるから、不調を感じたら教えてください。」


鞍を乾拭きし、少量の油を塗り込みながら話す。




気がかりはこの、真面目な先輩のことだ。

2年生になれば朝の馬房掃除は卒業だ。もうこの、秘密を守るちょっとした手伝いはできない。

昨年、当番初日のキールに見つかったくらいだ。

静かに馬と戯れたいだけのこの有名人が、新入生に見つかって囲まれたりやしないだろうか…なんて心配をしてしまう。



「ありがとう。キールが油をいれてくれると鞍の調子がよいのよ。」



背中合わせで顔は見えないが、声色から笑みが読み取れる。


会話は途切れ途切れだが、優しくブラシを走らせる音がその合間を埋めていく。

お互い饒舌なタチではないが、沈黙は苦ではなかった。



だいぶ日の出が早くなって、初春の日差しがうっすらと差し込み始めている。冬が長いこの国で極寒の作業に耐えた1年生にとっては、ありがたい春の到来。


待ち遠しかったはずの進級。この朝の時間を惜しく思う気持ちにはそっと蓋をして。相手にも惜しんで欲しいなんて思ってはいけない。本来関わることもなかったはずの人なのだから。











表面上は涼しい顔でオデットの体にブラシを当てながらアシュリーは、今日こそ、と息巻いていた。



運動着の袂には、3年生が従騎士へと贈る飾緒が忍ばせてある。

制服の肩に垂らす飾り紐をお揃いで仕立てて渡すことが、この学園の創設時から伝わる伝統だった。





辺境伯の一人娘として生まれ、国土防衛の砦を担うべく厳しく育てられてきたアシュリー。親の目を離れて学園にきても、その勤勉な性質は変わらなかった。

しかしそこはやはりまだ10代の若者。学園という閉ざされた環境下で常に好奇の目線に晒されていれば、精神的に疲弊もする。



朝一番の馬房掃除の前ならば、見咎められることもないだろう。と週に一度、一人きりの朝駆けで心の平穏を保つようになったのは夏のこと。


半年間誰にも見つからなかったため、進級しても…と思った矢先。

誰もいないと思って馬の冬毛を堪能していたところを、新入生、キールに見られてしまったのだった。





第一印象は、緑の瞳が綺麗だな、だった。


この北国では広く慕われる若葉の色。

早朝に馬を愛でる女生徒を見て驚いたのだろう。その瞳がまんまるに見開かれていた。



「…失礼しました!新入生のキール・ウェーバーであります!」



アシュリーが先輩であると見てとると、すぐさま姿勢を正して名乗りの敬礼。


自分が馬房掃除の当番であること。

初日なので早めに来てしまったこと。

先に他の馬を放牧に出してやるので、こちらのことは気にせずその子をゆっくり面倒見てやって欲しいこと。



必要なことを端的に述べて、くるっと背を向けて去って行ってしまった。



気を遣わせてしまったわ…。



普通の生徒は夜も明けきらないこんな時間に出歩いたりしない。ましてや馬を連れ出して、というのはあまり褒められた状況ではないだろう。

しかしどうやらこの後輩は、そう言ったことには目を瞑ってくれるようである。



アシュリーがブラッシングを終えた馬を放牧場へと連れて行けば、この後輩は律儀に頭を下げた後、来週からはもう少し遅く来ると伝えてきた。





「気にしないわ。」



だから貴方も気にせずにいて。




「来て欲しい」未満の本音がぽろっと口をついた。




毎週会う度に交わす言葉が増えていき、キールも少しずつ来る時間を早めてくれるようになった。今では朝駆けから帰ると迎えてくれて、アシュリー気に入りのブラッシングに時間を割けるよう、心を配ってくれている。




彼のどこが、と言われて真っ先に思い浮かぶのがその所作だ。



馬具の手入れは騎士の甲斐性だけれど、実家に戻れば馬丁の仕事。そのため熱心にやらない学生が多い。

しかし彼は使うたびに乾拭きをし、革の細い部分の強度を確かめ、時間があれば油を薄く塗りこんでいく。


馬に対しても、水をやれば一撫で。声もきちんとかけてやり、汚れ仕事の馬房掃除もきちんと手を抜かずにやっている。


一時が万事そんな調子のようで、出自こそ目立つ家柄ではないが、堅実で気立てが良いと上級生や教師陣からの覚えがめでたいようだ。




持ち物にはその人の顔が出る。



そう言ったのは父だった。



服でも身の回りの小物でも。物持ちがいい人というのは、得てして人も丁寧に扱えるものだ。




アシュリーは北の辺境伯を継ぐ者。王国最北端の領地は一年の半分を雪に閉ざされる。岩山も多く肥沃な大地とは言い難いが、それでも人々は実直で、日々の糧に感謝する謙虚さを忘れない。


アシュリーが望むのは、そんな愛する領地を、民を、一緒に愛してくれる人。

1年かけて、理想の男性像はすっかりキールとして脳内再生されるようになってしまっていた。




従騎士と絆を交わすには、学園が決めた期限がある。残った新2年生を、学校側が残る上級生とマッチングするためだ。



来年からも、キールとこの時間を共有したい、と思い立った勢いで、黒をベースに金と緑の飾緒を仕立てたのが冬の始め。



黒は出会うきっかけをくれたオデットの色。

そして自分の髪と、彼の瞳。



王都でも評判の店で仕立てたそれは見事な出来上がりで…でも何度も眺める内に気づいてしまったのだ。


これは、好意があからさますぎるのでは…!!!



以降、渡せないまま季節は春を迎えようとしていた。








鞍の手入れを終え、馬具置き場に置いてしまば、手伝いは終了だ。


先輩には一声かけて掃除道具でも用意するか…とキールが一歩踏み出したところで、普段は大人しいオデットが何やら足を踏み鳴らしている。


「オデット?どうしたの?」


困惑の声を上げるアシュリーを尻目に、今度は首をブンブン振り始めたオデット。



馬が首を振る時、虫や痒みが原因のことがある。

首を振って…気にしているのは、アシュリーと反対側の腹か?



キールも洗い場に入り、両側から2人がかりで宥めにかかる。



「どうしたオデット、どこか痒いのか?」

「お尻をブラシがけしたのが嫌だったのかしら…いつもは嫌がらないのに…ってこら、オデット!!!」




アシュリーの静止はなんのその。

オデットはキールがいる方の壁に向かって胴体をむにゅっと押し付け、キールを壁と自分で挟み込んでしまった。




「おーでーっとー!!」




思わずキールが叫ぶも、この年嵩の馬はどこ吹く風。

重くはないように加減してくれているようで痛みも怪我もないが…いやしかし狭い。

そして馬の巨体は押してもびくともしない。




「オデットさん?出してくださーい?」




ぽんぽんと体を叩きながらお願いしてみるも、このお馬様はどこ吹く風。そもそもさっきの不機嫌さはどこはやら、今はすっかりいつもの落ち着きを取り戻し、黒いまんまるな瞳でアシュリーにちらりと視線を寄越した。



「オデット…?」



察しが悪い子ね、と言いたげに鼻を鳴らしたオデットは、もう知らんといわんばかりに目線を逸らすと、再び水を飲み出してしまった。もちろんキールは温かい胴体と壁にに挟まれたまま。




「これは…参りましたねぇ。先輩は先に戻ってください。もう少しすれば1年の誰かが来るでしょうから、そうしたら救出してもらいますよ。」



いや、見捨てるわけには…ではなくて…




胸元に手を当て、一呼吸。



「キール、話があるの。」




将来辺境伯領を担おうという私が、ここまでお膳立てされて日和るわけにはいかない。



従騎士、そして将来の伴侶を手に入れるため、アシュリーは口を開いた。







美貌の辺境伯令嬢から愛の告白を受けた三男坊がどれだけ頰を赤くしたかは、賢く穏やかな黒鹿毛の馬だけが知っている。




読んでくださりありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ