学校では目立たないようにしよう。
「いってきます。」
返事のない部屋に向かい、形式だけの挨拶をしドアを閉める。団地の重いドアがガッシャンと音を立てて閉まり、更に鍵をかけた音が狭い階段に響いた。
私はこの音が凄く嫌いだ。
団地に住めばわかる。
誰か帰ってきて、誰が出て行ったのか。
古い団地だからか防音は皆無。階段の足音さえ部屋にいて聞こえるのだ。
私がいつ何をしているのか、ご近所にバレバレなのが凄く嫌なのだ。きっと周りは気にしていないだろうが、私は気にする。だから、余計、外に出たくない。
「今日、帰りにパンケーキの材料を1ヶ月分買って帰ろう。」
横着な正確なのは分かっている。
父が8歳の時に交通事故で亡くなってから母は看護師の仕事に復帰し、女手一つで私を育ててくれた。それは凄く感謝している。
しかし、父を失った寂しさから人が変わったように夜勤仕事をする母は、幼い私を託児室に預ける毎日。
日中は学校、夜は仕事場の託児室。
それは私が小学校を卒業するまで続いた。
疲れきっている母との会話はほぼほぼなく、小学校にいけば父が亡くなったからと周りからは一線を引かれ、特殊な生活リズムに疲労困憊な私は笑顔も会話もなくなり、中学、高校と周りとどう接したらいいのか分からなくなり今に至る。
悪く言えば育児放棄みたいなものだ。
けれど私からしてみたら育児放棄されてるとは思わない。
母だって辛いはずだから。
ご飯は簡単な物だけど作ってくれたし、足りない物があると伝えればコンビニで買ってくれた。家から託児室までも必ず手を繋いでくれたし、行ってきます、ただいま。と抱きしめてくれた。
母の温もりはしっかりと伝わっていた。
ただ、私と母の間に会話が足りなかっただけだ。
予鈴のチャイムが鳴り響き、気持ち急ぎ気味で廊下を歩く。
「うわっ!ビビった!え、誰あれ?手洗い?しらね。」
惜しいな、御手洗です。
同級生、クラスメイトに名前や顔を覚えてもらえないのは当たり前の日常だから何を言われても気にならない。
だから一応、驚かせてしまったことに対しての謝罪として頭だけ下げておいて、自分の席へ寄り道することなく着座する。
教室に着いたらまずする事は、ただただ無になる事。
誰からも話しかけられないことを祈りながら静かに時間が過ぎるのを待つことだ。
今日が終われば土日が待っている。
母のためにパンケーキを焼いて、ベッドの下に潜り込んでもう一人の自分を解放してあげる日。
俯いたまま、ボブカットで隠れた口元がニヤける。
早く、終われ。つまらない現実世界なんて。