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「おろせって言われた。本当にクズだった。何でいつも気付けないんだろう。この人とならと思って何も心配することなく生でやった。そしたら出来たの。報告したら、おろせって。会うたび会うたび、おろしたのか? なんでおろさないんだ? 早くおろせって。私って何だったの。全てを否定されたような気がした。私を認めてほしい。私に優しくてほしい。彼の連絡を無視して、ふらふらしているうちに私は何人かの男に抱かれてた。今思えばバカな事をしたと思う。一時の承認欲求で手ごろな安心が欲しいだけに身体をゆるした。子供をおろす気もなかった。それがあいつへの最大限の抵抗だと思ったから。それをしてしまったら、私が私でいる意味がなくなると思ったから」


 杉下の口から出る話は、ネットや映画やらでみるような無残な愛憎劇だった。嘘みたいな話で信じられないような内容で、耳を塞ぎたくなるものだったが、僕はただただ彼女の吐露を耳に流し込まれるままだった。


「私、産むからって。それだけ連絡した。でもそれからしばらくして、赤ちゃんが死んだ。なんで、どうして産まれてきてくれなかったの。絶望しましたよ。あいつからの連絡はしつこく続いてた。引っ越したりして何とか避けてたけど、死んだよってだけ伝えた。それから何の連絡もなくなりました。一言もなしですよ。凄いですよね」

「……ひどい、話だな」

「更に追い打ちのようにSBの根も葉もないような噂が拡散され始めた。その時に私のした行為を思い返した。まさか、私のこれも浮気になるの? じゃあ私のせいで赤ちゃんが死んだって言うの? 冗談じゃない。確かに愚かな行為だったとは思う。でも元はと言えばあのクズのせいじゃない。私の、私のせいなんかじゃない!」


 杉下は呼吸を荒げた。杉下に感じていた危うさの根源を、僕は今まざまざと見せつけられていた。


「本気で死のうとも思いました。全てがどうでもよくなった。でも、結局死ぬ勇気まではなかった。こんなにどん底を経験したんだから、もうこれ以上はないだろうと思ってなんとか立ち直りました。今の会社に入って、瀬下さんと一緒に働けて、なんとか生きれるようになりました。そして、私があの時欲しいと思っていた優しさを向けてくれる瀬下さんに、自然と惹かれている自分がいました」


 優しさと言われてもそれはあくまで同じ職場の人間としてだ。一体今まで彼女はどれほど優しさに触れてこれなかったんだろうか。そう思うと少しだけ悲しい気持ちになった。


「でも、自分には入る余地がない事も分かっていました。だから、今までの距離で私は幸せだって思えてたんです。それで十分だって思えてたんです。でも、瀬下さんがSBの説を信じているのを見て、私がまた否定されているように思えて、だからそんなの関係ないって証明したくて、瀬下さんにもっと近づいたんです」

「お前、この前の休日の時も……」

「だいたい住んでいる場所は知ってましたから。会えたのはたまたまに近かったですけど」

「じゃあ、やっぱりわざと……」


 狂ってる。やっぱりこの女はおかしい。

 確かに彼女の過去は悲惨だ。同情する部分もある。けどだからって、自分の過去を否定したいが為に、僕と尚子を利用するようなやり方は、絶対に間違っている。


「証明して欲しいんです。そんな事じゃ、赤ちゃんは死なないって」

「……ふざけるなよ」


 杉下への恐怖は完全に怒りへと塗り替えられていた。

 僕の選択は正しかった。絶対にこの不安要素は排除しなければならない。彼女という存在を、僕達の人生に絶対に介入させてはならない。


「お前、もう明日から来るな。僕達にも関わるな」

「どうしてですか? 赤ちゃんが死んじゃうかもって、やっぱり思ってるんですか?」


 話にならない。仕事での真っ当な姿が嘘のようだ。ただでさえ少し面倒だと思っていたが、今の姿とは比べ物にならない。完全にスイッチが切れてしまった、いや、入ってしまったのか。


「違いますよね? SBなんて嘘ですよね?」


 まるで人の皮を被った化け物を見ているような気分だ。彼女はもうとっくに壊れている。SBが存在している世界を受け入れられない哀れな被害者だ。

 そもそも被害者なのか。もともとの出来事だって、彼女に全く非がない話ではない。彼女自身にも問題はある。それを差し置いて被害者面している事にもだんだん腹が立ってきた。


「いいから帰れ。会社には僕から説明する」

「逃げるんですか? 認めちゃうんですか? がっかりです。失望です」

「君の期待に答える為に僕は生きていない」

「勝手な事言わないでください。瀬下さんは私の人生の役割をちゃんと果たして下さい」


 無茶苦茶だ。もう人間の理屈が通じる相手ではない。僕は黙って彼女に背を向けて歩き始めた。


「絶対に産んでくださいね! ちゃんと産んでくださいね!」


 お前に言われる筋合いはない。

 尚子も、僕らの子供も、絶対に守る。


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