第3話 ミハイル(擬き)
『エマさん、重要な報告です。自分が手配していた通訳のミハイルが、死体で発見されました。ユジノサハリンスクの空港で、何者かに射殺されたようです。
民族解放同盟『ヴァローナ』は、今、ちまなこになって、マーラを探しています。理由は解りません。つまり、マーラを保護しにロシアへ向かったエマさんは、連中とは敵対関係と言う事になります。
すでにエマさんの入国が知られているやも知れません。通訳が殺されていると言う事は、今エマさんは一人って事ですよね? 大丈夫なんですか?
もしかしたらこの仕事......手遅れになる前に、手を引いた方がいいのかも......そんな風にも思っています。今まで我々が戦ってきた日本の敵とは桁違いです。
一度請けた任務は、遂行する義務がありますが、死んでしまったら何の意味も有りません。冷静な判断が求められます。もう手遅れになってなければいいのですが......
我々もこっちの仕事が片付き次第、すぐそちらに向かいます。それまでは決して無茶をなされないように。また新たな情報が入れば、直ぐに報告します。それではご健勝を! ポール」
なんだって......通訳のミハイルが殺されただと?! ならば......今座席で眠っているあの男は一体、誰なんだ?!
エマが思わず、生唾を飲み込んだその時だった。
ギッ、ギギッ。
!!!
なんと、僅かではあるが、外から鍵をこじ開けるような異音が!
来たな......エマは左右の壁に素早く手足を当て、スパイダーマンの如く頭上に登る。
タッ、タッ、タッ。
鮮やかな身のこなしだ。僅かな音も立ち上がらず、便器の水は1重の波紋すら起きはしなかった。その間、僅か1秒足らず。忍者顔負けだ。
すると、頭上にそんなトラップが仕掛けられている事も知らず、
カシャ。ギー......
扉はゆっくりと開放を見せる。そして、その者は現れた。
すると、
バサッ。
「ウググググッ......」
なんと......侵入者は自慢の金髪を振り乱し、真っ赤な顔をして突然悶え苦しみ始めたではないか! 見れば、その者の身体は宙に浮いている。
足をバタつかせ必死の抵抗を見せるが、その足は中々地に降り立ってはくれない。
一方、鏡に映るエマの姿は正にスパイダーマン。2本の細くて長い足は限界にまで広げられ、左右の壁に完全固定。そして両の腕は、侵入者の首をこれでもかと言わんばかりに絞り上げているではないか!
エマの細い2本の足はなんと、2人分の体重を見事、宙に浮かせていた。
「死ぬ......」
やがてその者はピスタチオの如く白目をむき、口からは泡が流れ始める。
こいつには色々、聞かなきゃならない事がある。それと......さっき、1回助けられたしな。
エマは音を立てないよう静かに侵入者の身体を下に下ろす。
侵入者......それは言うまでも無くミハイル(擬き)だった。
ゼェ、ゼェ、ゼェ......地面にひれ伏し、
死にそうな表情で苦しい呼吸を繰り返すその者。やがてエマは、
「お前はあたしの敵か?」
清々しい顔で問い掛ける。呼吸一つ乱れていない。
「チ、チ......チガウ......」
「本当か?」
「殺すつもりナラ......もうとっくに殺しテル」
言われてみれば......座席で眠りに就いていた時間は凡そ4時間。もし自分が、日本からやって来た探偵一人を殺そうと思ったなら、寝ている間に殺し何喰わぬ顔でとうの昔に下車しているだろう。
少なくとも寝ている間に、3駅は停車している。
絞殺、毒殺、刺殺、薬剤注射......寝静まった車両内だ。それをやろうと思ったなら、幾多の方法があったに違いない。しかし、この男はそれを行っていない。一応、話の筋は通っている。