第1話 テロリスト
窓外に見える景色は、真っ黒な闇に降り掛かる真っ白な雪のみ。
ガガガガガ......吹き付ける雪の大軍が車両の窓を揺らし続けている。
全く、こんな煩い所でよく眠れるもんだ......
すぐ近くの座席で口を開けて熟睡しているサラリーマンが羨ましく思えて仕方がない。乗車率は30%前後と言うとこだろうか。決して混んでると言う印象は無いが、かと言って、ガラガラと言う訳でも無い。
「ミハイル......『ヴァローナ』に深い恨みでも有るのか?」
乗車して1時間......そろそろ頃合いよしと、エマが唐突に切り出した。この異国の地に降り立った今、とにかく必要なものは情報だ。危険を回避し、且つマーラを救出する為には、まだまだそれが不十分だった。
すると......ウトウトし掛けていたミハイルは、一瞬驚きの表情を浮かべるが、直ぐに眠気を打ち払い背筋を伸ばした。
「奴らの横暴振りは見ての通りダ。極東ロシアで恨みヲ持っていない人間などは居ナイ。俺が別に特別って訳じゃナイサ。ソレヨリ......あんたハ日本じゃ凄いテロリストなんダロ。コレマデ何人も殺して来たって聞いたゾ」
ブハッ! それを聞いたエマは、口に含んでいたペットボトルの緑茶を思いっきり吐き出した。放物線を描いた緑茶は、すぐ近くで眠るサラリーマンの顔に直撃。
「ヤバッ!」
ところが、寝返り打っただけで目を覚ます事は無かった。冷や汗ものだ。
「あたしがテロリストだって?! いい加減にしろ! どこからそんなデマが流れてんだ?」
開いた口が塞がらない......正にそんな表情を浮かべている。
「ソノ筋じゃ、もっぱらの噂ダ。どっかの島で200人以上殺したっテ」
目覚めのウォッカを嗜みながら、澄ました顔でいきなり暴言を吐くミハイルだった。
「その筋がどの筋だかは知らんが、はっきり言っておく。まずあたしはテロリストじゃ無い。探偵だ。それと去年、確かに『極神島』で大勢の人が死んだけど、あたしが虐殺した訳じゃ無い。
少しやり過ぎた感は否めんが、たった4人と犬1匹で300人の軍隊と戦ったんだ。正当防衛ってやつだ。ああ......もう止めてくれ。あの時の事は思い出したくも無い......」
思わずエマは頭を抱えてしまう。よっぽど思い出したくないのだろう。しかし、時間は無限にある訳じゃ無い。エマは気を取り直し、再び尋問を始めた。
「ところでさっきの『ヴァローナ』だけど......極東ロシアで、やりたい放題だってとこまでは知ってるが、実際のところはどうなんだ?」
ここでエマの目が突然鋭さを増す。話はいよいよ核心へと触れていった。
「知ってのトオリ......この国は日本と違って多民族国家ダ。国の考え方と違う考えを持つ種族は、この広大な敷地内にわんさと居る。その最たるものが、極東ロシアの中でも最北の『チュクチ自治管区』に住み着く『ヴァローナ』だ。マフィアが軍隊になっちマッタ......そう思っとけば間違い無い。トニカク手が付けらレン」
エマはミハイルの解説を必死にメモっている。聞き込みは探偵の基本とも言えた。
「今回の仕事の依頼は、『ヴァローナ』から少女を守るって事なんだが、奴らがそこまでとは知らなかった......」
「マイナス30度以下の山岳豪雪地帯から生まれた組織ダ。 シッカリ情報をコントロールしてるしナ。日本人のあんたが知ってたら逆にオカシイワ。
ソンデ、劣悪な環境で生き長らえて来た訳ダカラ、身体能力は半端じゃナイ。おまけにヤタラと頭が切れる。そんな奴らが山を降りてキテ、悪さを始めたってのが事の始まりダ。
今じゃ、最北の『チュクチ自治管区』ダケじゃ飽き足らず、すぐ南の『マガダン州』や『カムチャッカ』まで勢力を伸ばしてきてイル。
正直......今日、こんな南のサハリンで奴らを見掛けたのは驚きダッタ。一体、奴らはどこまで大きくなってイクンダ? これがロシア国民とシテ、嘆かずにいられヨウカ...... 」
足元を見詰め、吐き捨てるように呟くミハイル。そんな嘆きの様子に一切、演技は含まれていなかった。多分......本気で嘆いているのだろう。
「でもさ......どんなに連中が優れてても、急にそんな勢力を広げる事は出来んだろう。資金はどこから集めてんだ?」
「もっぱらの噂じゃ、モスクワの政治団体から資金が流れてるって話ダ。アト、海外から資金提供してる奴もいるみたいダゾ。日本だったりしてナ......モスクワじゃ、隙有らば政権を狙ってる奴らも多いんじゃナイカ? 情報通の俺デモ、はっきりした事は解らんケドナ。トコロデ......人を救出しに来たって言ってたケド。どんな奴ナンダ?」
そのように問い掛けたミハイルの顔は幾分、赤味がさしている。ウォッカが回って来たのだろう。舌が滑らかな理由も分かる。