第1話 訪問者
「うっ......」
寝返りうつ度に、全身に堪え難い痛みが走る。
「ソフィア......無事なのか......」
あの忌々しい惨劇からちょうど1日が経過したその頃......州立病院の個室で漸く落ち着きを取り戻したニコライ少年は、一人ソフィアの身を案じて涙を流していた。奇跡的に命は取り止めたとは言え、カマイタチに切り裂かれたような無数の傷跡は、そう簡単に癒えるものでも無い。
時刻は夜の8時。
コン、コン。個室の扉を叩く音が。多分、部屋の前の廊下で自分を警護してくれている警察官なのだろう。さっきから、1時間に1回は必ず顔を出してくる。
「はい」
そのように返事を返すと、ギー。扉が開く。
「何も変わりはないか?」
「特には何も......」
朝方、ICUからこの個室に引っ越して来てからと言うものの、既にこの問答は10回を数えていた。昨晩の惨劇で自分が生き残った事は、まだ誰にも公表されていないらしい。相手はあの『ヴァローナ』だ。それが知れれば、まず真っ先にここへ刺客を送ってくる事だろう。
正直、1時間に1回、この扉を開けられるのは苦痛この上も無い事ではあったが、枕元に四六時中居られるよりははるかにマシだ。我慢するしか無い。
パタン。ニコライに問題が無いことを確認すると、警官は再び扉を閉じた。次はまた1時間後だ。
ソフィア......寒い思いしていないか? 誰かに絡まれたりしていないか? 目を瞑ると、血の繋がっていない『妹』の美しい笑顔だけが脳裏に浮かんでは消え......浮かんでは消え......慕う心を抑え切る事は出来なかった。
ニコライが頬を伝う涙を袖で拭ったその時だった。
コン、コン。
えっ? また? 今顔を出したばかりじゃ......
「はい」
「......」
いつもならここで、キーという音を立てながら扉が開くのだが、そんな様子は一向に見られない。
すると、コン、コン。再びノックする音が個室に響き渡る。その音は明らかに、扉を叩いている音では無かった。
まさか天井? 上を見る。
コン、コン。
違う! まさか床? 今度は下を見てみる。
コン、コン。
違う! ならば壁? 壁を見る。
コン、コン。
違う! 扉でもなく、天井でもなく、床でもなく、壁でもない......残す所と言えば、あそこしか無かった。
因みにこのフロアーは、最上階の5階。ベランダなど気の利いたものは無い。
コン、コン。
まさか......ニコライは戦慄の表情を浮かべながら、ゆっくりと腰高窓へと視線を移した。すると、
コン、コン。
なんと! 見れば、窓の外で1人の女性が、鼻水を垂らしながらブルブルと震えているではないか!
まさか宙に浮いてる? いや、屋上からロープにぶら下がってるみたいだ。目を凝らして見ると、どうやらプラカードのような物を片手に掲げている。
『寒い......中に入れてくれ。凍え死ぬよぉー!』
だそうだ。
ニコライは慌てて立ち上がると、迷う事無く腰高窓を開け、その者を個室内に招き入れた。
いつ誰が襲って来るかも分からないのに......
その者が誰かも分からないのに......
なぜかニコライは何の警戒心も持たずにその者を招き入れたのである。その理由はニコライ本人にも分からなかった。
ただ、この女性は決して自分を傷つける為にやって来た訳じゃない......それだけは直感的に感じ取っていた事だ。
「◎☆?□$!(あり得ん寒さだ!お前よく生きてるな)」
その女性は何やら不思議な言語を飛ばしながら、颯爽と個室内に飛び込んで来た。
「あっ、あなたは、誰なんですか?!」
つい勢いでこの者を招き入れてしまったはいいものの、いざ本当に入って来ると途端に後悔の念に駆られるニコライだった。でも入れてしまったものは仕方が無い。
今更、やっぱ窓の外へ出てくれ! などと言える空気でも無かった。
すると女は、思い出したかのように片手に持っていたプラカードのページを1枚めくる。
『私は探偵です。マーラを救う為に日本からやって来ました。分かったら親指を上に立てて下さい』
そのように書かれている。
日本からやって来た? まさか......ニコライは疑念を抱きながらも言われた通り、右手の親指を上に立てる。
すると女は、更にページをめくった。
『マーラはヴァローナに連れ去られたのですか?』
ニコライは、一瞬親指を立てる事に戸惑いを見せた。
『ヴァローナ』に連れ去られたのか? そんな事を聞いて来るくらいだから、多分この女は『ヴァローナ』では無いのだろう......




