第2話 ソフィア
「ソフィアだと......」
「日本人とロシア人の混血なんて......嫌い」
この母は、自分が放心状態である事をいい事に、どこまでも滑らかな舌を披露するつもりのようだ。
「日本人との混血だって?! ははーん、なるほどな......そう言う事か。よしっ!」
リーダー格の男は実に満足気な表情を浮かべる。『日露混血』......どうやらそれがキーワードだったようだ。
「ありがとよ。感謝の気持ちを込めて、お前には残りの弾全部を撃ち込んでやる。ありがたく思え」
バンッ......
バンッ......
バンッ......
バンッ......
バンッ......
「ぐえっ......」
縁日にやって来た少年のような笑顔で射的を楽しむ残虐男。命を奪う事など何とも思っていない人の心を忘れた『悪魔』がそこに居た。彼からしてみれば、そんな行為はただのお遊びに過ぎないのであろう。このような『ならず者』は必ずいつか報いを受けるに違いない。
やがて男達はそんなゲームを終えると、我先に1階のリビングを飛び出していった。向かった先は言うまで無い。
バタバタバタ......
バタバタバタ......
地下室だった。
【再び地下室】
一方その頃、
「私......どうしよう」
戦慄の表情を浮かべたソフィアは、背中に流れ込んで来る冷たい恐怖と必死に戦っていた。無意識のうちに、左手にしっかりと巻かれた緑のミサンガを右手で握り締めている。彼女にとっては、それがきっと大事なお守りなのであろう。
ところが......そんな怯えるソフィアの顔は、青ざめるどころかむしろ紅潮を始めていた。彼女の頭の中で、何か化学反応でも起きているのだろうか?
そんな様子に気付いた青年は、なぜか突然オドオドし始める。それまでの恐怖に、また別の恐怖が加わったような更なる焦りを見せ始めていた。
「ソ、ソフィア、興奮しちゃダメだ。気を落ち着かせて」
努めて静かに語ると、ソフィアの手を優しく握る。しかし、青年のそんな焦りを他所に、
「ハァ、ハァ、ハァ......」
ソフィアの呼吸は時間と共に荒くなっていくばかりだった。やがて、
ヒタヒタヒタ......
ヒタヒタヒタ......
ハンター達の足音は二人の元へといよいよ近付いてくる。
今更言っても仕方の無い事ではあるのだが......
1階のリビングでそんな惨劇が起こっている隙に、二人が廊下へ抜け出していたならば、『ヴァローナ』に気付かれる事無く、外へ脱出出来ていた事だろう。
しかし幼き無力な二人に、そんな知恵も勇気も持ち合わせていなかったのである。残念ながらそれが現実だ。
ユジノサハリンスクから800Kmも離れたここサハリン最北の街『オハ』。1発や2発、銃声が鳴り響いたところで近くに気付いてくれる者などいやしない。
故にこの状況は、二人の命も風前の灯火......そう言わざるを得なかった。
ヒタヒタヒタ......
ヒタヒタヒタ......
そして、ピタッ。遂にその時は訪れた。ガチャ。ギー......扉が開かれる。どうやら、最期の時が訪れたようだ。
やがて『悪魔』は蔑むような視線を二人に向けながら、一言、
「かくれんぼは、終わりだ」
ニヤリと笑う。
すると、ソフィアの身体にドンッ! 突如激しい衝撃が走った。一体ソフィアの身に何が起こったと言うのだ?!
そして次の瞬間には、
「イヤーッ......!」
天にも昇る雄叫びを上げ、勢いよく立ち上がる!
全身の血管が浮き上がり、髪の毛は逆立ち、真っ赤に変色したその顔は、ソフィアであってソフィアでは無かった。
「ダメだ......ソフィア......や、止めるんだ......」
青年はそんなソフィアの変化を目の当たりにし、思わず、2歩3歩とたじろいていく。
「なっ、なんだ?! こいつは!」
一方、慌てふためく3人のハンターは、咄嗟に銃口をソフィアに集中させる。しかし、彼らが引き金を引く前に、なんと!......勝負はついていた。
バキッ。
「うわぁ!」
グチッ。
「あああ......」
ベチャベチャ。
「......」
ボコッ。
「ソフィア......」
............
............
............
気付けば、3人のハンターは五体を留めていなかった。手、足、首、頭、眼球......ジクゾーパズルと化した3人の生首は、自らの血液に流され、階段を転げ落ちていく。
コトン
コトン
コトン
それは正に、瞬き程の出来事。呆気ない勝負としか言い様が無い。
「いじめる人......マーラ嫌い」
「マーラ......行っちゃ......ダメだ」
青年は去り行く少女の背中を目で追いながら、やがて意識を失った。見れば、その青年もまた全身を血に染めている。
ギー、バタンッ。
ヒュルルルル......サハリン最北の街で発生したブリザードは、今、呪縛から解き放たれたばかりの『呪い』をまるで祝福しているかのように、更なる激しさを増していった。
「マーラは独り......マーラは清い......マーラは光......マーラは神の救世主......マーラは独り......」
ブリザードが吹き荒れる中、少女は不気味な唄を歌いながら闇夜へと消えていく。そして、響き渡った少女の歌声は、風に乗り、雪山に跳ね返り......やがて、そこから800km以上離れたユジノサハリンスクへ到着したばかりの日本人女性の耳へと届いていったのである。
「んっ、なんだ?」
「どうかシタノ?」
「お前今、何か変な歌、歌ってなかったか?」
「歌? 空耳ダロウ」
「そっか......空耳か」
イケメンロシア人通訳と、そんな呑気な会話を嗜む女性......見れば、さぞかし着ぶくれしている。ヒートテックを5枚も重ね着すればふくよかに見えるのも当たり前。折角のプロポーションが台無しだ。
くっきりとした二重に、鼻筋の通ったその顔立ち。ライトブラウンのショートヘアが、その端正な顔立ちにマッチしている。更にバランスの取れたその体躯が加われば、正に鬼に金棒。性別を問わず、誰からも好感を得る存在となり得ていた。