第1話 真夜中の侵入者
この素晴らしき表紙はまかろんKさんに描いて頂きました。
【地下室】
不要となった絵画、主人に見捨てられた人形、誰にも見て貰えなくなった写真、そして地上に出る事を許されない美しき1人の少女......
地下室にはそんな物(者)達が埃を被って投げ捨てられていた。
カシャ。
「えっ......誰?」
「しっ、静かに! 奴らがやって来た。おいで」
足音を忍ばせ、息を切らせ、そんな地下室の階段をおぼつかない足取りで駆け降りてきた青年は、施錠された鉄格子の鍵を開けると、そこに眠る汚れない美しき少女に声を掛けた。
暑くも無いのに額からは油汗が垂れ落ち、唇を紫に変色させてワナワナと震えるその姿は、今、二人に降り掛かろうとしている残酷な運命を象徴しているかのようにも思える。額から溢れ出た汗が青年の髪の毛を伝い、手の甲へと垂れ落ちていった。
ポタッ......
ポタッ......
「奴らって......まさか」
震える声でそう聞き返した少女の顔は、青年の心に抱かれた恐怖がまるで伝染したかのように血の気を失っている。
そんな慟哭の表情を浮かべ薄汚い毛布から這い出た少女は、まだあどけなさが存分に残っていた。綺麗にウェーブが掛かったその金髪は西洋人の典型とも言える。しかしその少女の顔には、どことなく和のテイストが。純血なるロシアの民で無い事は明らかだ。
見れば、薄っぺらい毛布を数枚掛けただけ。冷たくて固いコンクリートの上に、そのまま寝ていたらしい。耐え難いカビ臭が鼻を刺激し、埃にまみれた虫、蛾などの死骸が散見されるようなこの空間......まさか、ここが彼女の寝室だとでも言うのだろうか?
やがて、そんな牢獄とも言える地下室で、青年は苦り切った表情でポツリと呟く。
「『ヴァローナ』の連中だ。奴らがやって来た」
「ヴァ、ヴァローナ?!」
その名を耳にした途端、裂けんばかりに見開かれた2つの目からは、汚れぬ大粒の涙が溢れ出し頬を伝っていく。
『ヴァローナがこの家にやって来た』その事実は少女にとっても、そしてこの家にとっても、『死刑宣告』に等しい最悪のシナリオである事をこの少女は既に理解しているようだ。
「あわわわわ......」
「大丈夫だから......興奮しちゃダメだ。落ち着いて......さぁ、逃げるよ」
「......」
青年は少女の色白でか細い手を取ると、震える膝にムチを打ちゆっくりと階段を上っていく。
コツコツコツ......
コツコツコツ......
静まり切った地下室の階段に、響き渡る二人の小さな足音。それ以外に聞こえる音と言えば、外から僅かに入って来るサハリン特有の湿った重い雪の音だけだった。
「ちょっと待って」
青年は長い金髪を掻き分けながら、恐る恐る扉に耳を当ててみる。すると......
「娘はどこだっ?!」
突如、1階のリビングで男の太い怒鳴り声が!
人の心を持たない鬼がもしこの世に存在するとしたら、きっとそんな声をしているのであろう。冷淡、横暴、威嚇、服従、強制、無情、汚れ......あらゆるネガティブな感情が刃となって幼き少女の心をズタズタに切り刻んでいく。
「私、恐い......」
「大丈夫だから......落ち着いて。まずは心を静めよう......ほら、深呼吸」
ふぅ......
ふぅ......
怯える少女を必死に力付ける青年。泣き顔を無理矢理笑顔に変えてしまう心意義だけは立派だ。しかしそんな強い気持ちとは裏腹に、扉の向こう側の状況は悪化を辿るばかり。30畳は優に超える1階のリビングは、最早、完全なる修羅場と化していたのである。
【リビング】
「マーラはどこだっ?!」
「マーラって誰なのよ! そんな子ここには居ないわ。あんた達、なんか勘違いしてるんじゃない?!」
シックなナイトウェアを纏った高貴漂う中年女性は、気狂いピエロの如く涙混じりの声を上げる。多分......顔のつくりからして青年の母なのだろう。正に半狂乱。落ち武者の如く髪は乱れ涙と鼻水で顔はグシャグシャになっていた。
「早く出ていけ! けっ、警察を呼ぶぞ!」
立て続けに今度は、父が怒鳴り声を上げる。焦げ茶色のガウンを纏ったその父もまた、高貴なオーラが内面から滲み出ていた。しかし、勇ましきそんな言葉とは裏腹に彼の膝は情けない程にガクガクと震えている。無理もない......普段から温和なこの父に、怒鳴り声は似合わなかった。
「お前......ちょっと気になってたんだが......何さっきからテレビの下ばかりチラチラ見てるんだ? 引き出しに何か入ってるのか?」
「テ、テレビを見てただけだ。下なんか......見て......無い」
思わず目を逸らす父。そんな素振りが一番怪しく映ってしまう事など、尋問された事の無い者が分かる訳も無かった。『この引き出しの中に、見られたく無い物が入ってますよ』......残念ながら父の視線と態度は、図らずもそんな言葉を語ってしまっていたようだ。
「一体、何が入ってるのかなぁ?」
侵入者はニタニタと卑しい笑顔を振りまきながら、まるで磁石に引き寄せられるかのように、その場所へと吸い込まれていく。すると、
「何も無いって言ってるだろう!」
突如、父の闘魂に火が灯る。ドンッ! ソファーから立ち上がるや否や、なんとその者に体当たりを食らわせたのである。
「うわぁ!」
よしっ、今だ!
父は素早くテレビの下の引き出しから紙切れを取り出すと、それを暖炉の中へと投げ入れるべく、横っ飛びに手を伸ばした。
すると、バンッ!
突如、1発の銃声が......
「うっ......」
気付けば......
父は胸から大量の血を流しながら暖炉の前で崩れ落ちていた。放たれた銃弾は、見事父の心臓を貫通していたのである。残念ながら即死だ。
そして父が命に変えてまでも消し去ろうとした1枚の紙切れは、無情にも暖炉の手前で未だ父の手の中に。
「ふんっ!」
リーダー格の男は自分を突き飛ばしたその者の死体に唾を吐き掛けると、その紙切れを忌々しく摘み上げる。
「なんだ、こりゃ?」
見れば『診断書』......そのように書かれていた。どうやらソフィアのものらしい。難しい医学専門用語がふんだんに押し込められているようだが、ソフィアの持つ病の事など、侵入者からしてみればどうでもいい話だった。
「バカらしい! 慌てて損したわ」
イラついた表情を浮かべるリーダー格の男は、即座にその『診断書』を暖炉に、ポイッと投げ捨てた。父からしてみれば、それがせめてもの救いだったと言えよう。
やがてリーダー格の男は、真っ赤な顔をして後ろを振り返る。どうやらイライラが頂点に達したようだ。
「マーラはどこだ?! 言わねぇと、お前もこうなるぞ!」
すると、
「マーラなんて子......知らない。でも......ソフィアなら居る。今、地下室で寝てる......」
もしソフィアが自身の腹を痛めた子だったならば、脳はそんな事実を無意識のうちに記憶から消し去っていたに違いない。また自身の娘ならば、そもそも地下室などに監禁する訳も無かろう。