労働と生業と自分の仕事
晴れた空の下、青々と繁る畑を見る。元気に大きく育ってくれた。これまで世話をしてきた苦労を思い出す。
「自分、がんばったなあ……、やってみればそれなりのもんになるんだ……」
慣れない畑仕事。ネットで調べながらほとんど一人でやってきた。上手くいかなかったらどうしようと不安に思いながら。
自分が手をかけた畑、すくすくと育つ作物。風にそよぐ緑の葉が、なんだか手を振っているようにも見えてくる。植物相手に不思議な愛着が湧いてくる。小さなかわいい蕾をつけている。
しゃがんで畑の雑草を抜く。畑は毎日の細やかな手入れが大切。作るのでは無く育てるというのは手間がかかる。思い通りになってはくれない。
天気もまたこっちの思い通りにはなってくれない。雨なんて降ったり降らなかったり気まぐれで、温度だって暑くなってきたと思ったら次の日には急に冷え込んだり。
思い通りにならない自然の中で、自分の育てたい植物だけ元気に育て、というのはひどいワガママなのかもしれない。そのワガママを通すためには、ひどく手間がかかるものだ。
「お、やってるな田倉」
「三間坂さん」
三間坂さんはいつもの黒いスーツでビシッと決めている。車から下りてこちらに歩いてやって来る。
辺りが豊かすぎる自然の中で、黒いスーツは浮いて見える。三間坂さんにとってはいつもの服なのだろう。
人里離れた山の中。ポツンとあるこの一軒家とその畑。
ここから店のある町に行くには車で三時間はかかる。碌な舗装のされて無い車一台通るのがやっとの道を、崖に落ちないように気をつけて運転しなきゃいけない。
ここに住み始めたときは不便と感じたが、慣れてしまえば一人で気楽なものだ。
鋭い目付きの三間坂さんはいつものように薄く笑っている。この笑みが消えたときの三間坂さんは怖い。三間坂さんが笑っていない顔を見せる場面には、二度と居あわせたく無い。
だけど自分にこの仕事を見つけてくれた恩人だ。そして三間坂さんは役に立つ身内となれば優しい人だ。
「ここに来るまでの道が、前より通りやすくなった気がするが?」
「ショベルカーがあるんで、この前、雨で崩れたとこを直しただけですよ」
「田倉はそういうとこ細かく気づいてやってくれるからな。畑を任せて正解だ。いい感じに育って来てるじゃねえか」
三間坂さんはスーツの懐から電子タバコを出して、くわえて美味そうに目を細める。
「田倉はいい仕事をしてくれる。安心して任せられるってのはいい」
「自分の方こそ、ありがたいです」
仕事を無くして、次の仕事が見つからず困っていたとき、自分を拾ってこの仕事を紹介してくれたのが、この三間坂さんだ。人と話すのが苦手な自分にでもできる仕事。
どれだけ仕事ができたとしても、話下手で間が悪いと使えない奴と扱われる。それでクビになったりもした。
仕事ができるってどういうことなのか。前に働いていて潰れた工場では、補助金目当てで精神障害者を雇って、イビリながら酷い働かせ方をしていたものだった。
これまで働いてきた職場でイジメの無い会社なんてひとつも無かった。
仕事ってなんなのか。
「お? どうした田倉? なんか困ったことでもあったか?」
「いえ、その、困ったことは今のとこ無いんですが。仕事って、なんだろう? と、考えてしまって」
「仕事とは何か、か? 哲学的な問いか?」
「三間坂さんは、仕事は楽しいですか?」
「俺は楽しめるように仕事をしてるんだが……」
三間坂さんは電子タバコの煙をぷうと口から吹く。
「労働ってのは、労働懲罰説と労働神事説の二つがある。古いキリスト教カトリックでは、アダムとイブが禁じられた知恵の実を口にして、その罰としてエデンから追放された。このときに神は、苦しんで働かなければ食べ物を得られない、という罰をアダムに与えた。それ以来、人が食べ物を得るためには働かなければならなくなった。これが労働懲罰説」
「労働は、神様の与えた、罰だったんですか?」
「ちなみに、アダムもイブも知恵の実を口にする前は、働いていないワケじゃあない。神に言われてエデンの管理っていう仕事をしている。ただ、知恵の実以外の木の実は好きに食っていい、となってたんで食い物に困ることは無かった。罪を犯した罰として、エデンを追放されて食い物に困るようになり、嫌な仕事をしなきゃ食っていけなくなったわけだ」
「労働懲罰説、はあ、労働が罰なら、仕事が辛いのは当然、ですか」
「労働、が誕生したのは15世紀か? イギリスの第一次囲い込みからだ。羊毛を輸出したら儲かるって風潮になったときに、羊を育てる牧草地を増やす為に、農民を追い出した。村を潰して人を追放して羊の為の土地にしたワケだ。
このとき農地を無くした農民というのが、その身の労働力以外、なにも売れる資産が無い。労働力しか無い、他に何も持たない根なし草。この住む土地を追われた難民が労働者と労働市場の始まりだ」
「労働者は、難民ですか?」
「その通り。農地さえあれば自給自足できたんだがな。このとき、イギリスの拝金主義社会を、羊が人を食い潰す、と批判したのがトマス=モアの『ユートピア』だ。
そして、囲い込みにから土地に根差した共同体が崩壊し、村が消える。行き場を失った労働者が都市に流れ、失業者が増加。治安は悪化し社会問題に。
1601年には救貧法という、弱者救済の措置がとられて、これが現代の社会保障の理念の原点ともなっている。つまり労働者という難民が大量に現れたことで、浮浪者を助けなきゃとなり、社会保障が広まったことになるワケだ」
三間坂さんは電子タバコをくわえてニヤニヤと笑う。
「農地を無くした農民は自給自足できない。生きる為に金を稼ぐ労働者にならなきゃならない。ところがカソリックじゃあ金儲けはいい評価されねえときた。
しかしそれでは労働者がおもしろく無い。そこで出てきたのがキリスト教プロテスタント。プロテスタンティズムのカルヴァン派は、労働の結果に、世の為人の為になり、神の御心にかなう人の社会ができるのであれば、労働を行うことに自分が神に救われているという確信を得られる、とした。
禁欲的労働こそが神に救われる手段、ここから労働神事説になる。
これまで懲罰とされた労働の解釈を変えて、利益の追求を、金儲けの正当性をキリスト教プロテスタント、カルヴァン派が支えた。神が金儲けして良し、ってな」
「金儲け、が、神事、ですか」
「ちなみに、カルヴァン派の影響の強いイギリス、アメリカは近大資本主義がグンと発達して、イタリアやスペインのようにカトリックの影響の強い国は出遅れた。
これまで悪徳とされた借金の利子なんてのも許されるようになっていく。
神への信仰が、結果として近代資本主義を誕生させ発展させたのさ。労働は信仰と同じ。昔は宗教的情熱で働いていたのさ。
やがて時代は変わり、労働の目的も中身も信仰から利益追求のみとなると、資本主義は隣人愛という当初の理念を失い行き詰まっていく。貧富の格差が増大するってのは、労働と神事が解離していったからだろうよ」
「労働は神事で、神への祈り、ですか。初めて聞きました」
「俺も田倉も無宗教の日本人で、キリスト教に縁は無いか」
「三間坂さんはクリスチャンじゃ無いんですか?」
「俺の産みの父親はそうだったかもしれねえが、俺は違うしオヤジも違う。さて半分は無宗教っていう日本人には労働懲罰説は刑務所の話で、労働神事説なんてのはピンと来ない。じゃ、日本の神話って話からするとアマテラスオオミカミも機織りって仕事をしている。神の衣を作る為の機織りの仕事場ももってる」
「神様も働いているんですか?」
「多神教の場合、神の仕事は神の役割とも繋がっている。アステカじゃあトラソルテオトルというトイレの女神がいる。多神教背景の文化があるところじゃあ、その民族は勤勉となったりもする。神が役割を果たすために働いているってのが教えに入るからかもな」
「じゃあ、日本人は働き者、というのは?」
「多神教とアニミズムの影響があったんだろうよ。と言ってもグローバル化から日本人が勤勉だってのは過去の話になりつつあるがな。ただ、この役割を果たす為の仕事というのは生業と言うべきだろう」
三間坂さんは電子タバコの煙を吹く。一息ついて。
「仕事っていうのは二種類に別れると俺は考えている。サラリーマンとは読んでそのまま給料人間。金を稼ぐ為に働くことを、労働、と言う。
方や社会の一員として役割を果たし、コミュニティを支える仕事を、生業、と言う。なりわいってのはもとは農業とも言うが、家業とか、先祖代々の仕事ってのが生業だ。最近じゃ、あんまり生業って言われねえか」
「生業、ですか」
「労働は金になる。生業は金に直結しないが、社会に必要なもの。
高度経済成長から生業よりも労働の方が、金が稼げていい暮らしができると、生業者が減り労働者が増えた。グローバル化から流通が問題無くスムーズに行っていればなんとかなっていたんだがな。
輸出入に頼る世界分業体制ってのは、ひとつの伝染病に弱い、という脆弱性が顕になった現代。もはや以前の経済に戻ることはできないだろうよ」
ひとつのウィルスのパンデミックが世界を襲った。そのウィルスのせいで世界経済は酷いことになった。
自分の勤めていた会社が潰れたのもその影響だった。
「これからはグローバルからローカルへ、輸出入を減らして国内生産へ、労働から生業へと変わるんじゃねえかなって俺は考えている。ロシアも小麦に輸出制限をかけたしな。俺の近所の川でも、外出自粛から川で魚を釣る奴も増えた」
「暇な時間で魚を釣って、釣った魚で食費を浮かそう、と?」
「生業は金を稼ぎ難い。社会に必要な仕事ほど金にならないってもんだ。だが労働から生業へと変わり、金はあんまり稼げ無いが自給自足で飢えることは無い、ってのがこれからウケるんじゃねえか?」
「お金があっても、開いている店が少なくなりましたからね」
「昔は税も米で納めていた。米を軸にして社会ができた。金を軸にした社会は資本主義が行き詰まり、貧富の差が拡大し、わずか62人の大富豪が世界の富の半分を抱えるようになっちまった。これから金を稼ごうとすれば、金持ちを騙して奪うか襲って奪うかしないとならねえ。これからの労働は空き巣と強盗になるかもな」
「なんというか、酷い話ですね」
「金というのは総数を国が管理している。数が決まってるなら壮大なイス取りゲームと同じだ。そのイスに座り続ける奴を殺して奪うぐらいしなきゃあ金持ちにはなれない。金を稼ぐには人を殺す覚悟も必要だ」
「はあ、」
「それが嫌なら既存の金に頼らない新しいコミュニティを作ればいい。そのコミュニティの中だけで通用する新しい貨幣を作ってもいい。ひとつのウィルスで世の中大きく変わった。パラダイムシフトが起きるぞ。俺が生きてる間にこんな祭りが見れるとは、実におもしろい。くくく」
「このウィルスのパンデミックは、いつ終息するんでしょうね?」
「最悪のケースを想定すれば、終息はしないんじゃないか? ウィルスが変質し、インフルエンザのように毎年、型を変えたウィルスが現れて流行する可能性もある。終息してからV字回復だ、とか言ってる奴等もいるが、ぬるい希望をうたってるだけにしか聞こえねえな。バブル景気よもう一度、なんて言うのと似たりよったりだ」
「それじゃ、景気はもう良くはならないんですか?」
「経済を回せば景気が良くなる、なんていつから勘違いしていたんだろうな? 逆なのにな。豊かに暮らせる奴が増えて景気が良くなったから経済が回るようになった。それを経済を回せばいいからその為に貧しくなれ、というのが増税だ。だがどんな状況でも需要が増えたものは人が欲しがるものだ。これから景気のよくなる業界はなんだと思う?」
「ちょっとわからないですね。えぇと、ウィルスにかからないようにマスク含めた医療品とか? ワクチンとか?」
「効果の確かなワクチンができたら売れるか。効果は不確かなインチキでも不安につけこめば売れそうだ。と言ってもワクチンなんぞ開発するのは専門家に任せとけ。昔から景気が悪くなったら盛り上がるのは、賭博、売春、麻薬だ」
「……、」
「ところが、賭博も売春もウィルスの感染を怖れて流行らねえ。麻薬は海外からの仕入れが難しくなりつつある。これからは麻薬も国内生産の時代だろうよ」
それが、この畑か。自分が丹精込めて育てた、大麻の畑。
「不安と不景気を解消するには酒と麻薬だ。この国産大麻を国内に売る。ウィルスのワクチンはどんなに頑張ったところで開発と普及に18ヵ月はかかる。それも順調に行ったとして、だ。ウィルス禍が終わるとしても二年はかかると俺は考えている。その期間、不安に悩む人達をこの大麻でハッピーにしてやろうじゃないか」
生きていくには金を稼がなければならない。金を稼ぐには、したくも無いことをしなければならない。
自分に他の選択肢なんてあったんだろうか? 生活保護の申請が通れば、大麻を育てることも無かったんだろうか?
「田倉、暗い顔をしても変わることは何も無いぞ。それに気にすることは何も無い。自己責任論で言えば、銃も麻薬も買って使う奴が悪い。俺達は人が欲しがるものを作って売ってるだけだから」
「ただでさえ世の中混乱しているのに、余計に酷くなりそうですね」
「既存のコミュニティが信用を無くして崩壊してこそ、新しいコミュニティが生まれるというものだろうよ」
三間坂さんは電子タバコを懐にしまい、自分の肩をポンと叩く。
「昔はサラリーマンをクビにするとき、田舎に帰って畑でも耕してろ、とか言ったらしい。だが生業を蔑ろにしてきたせいで、耕す農地が減って増えたのは引きこもりだけだ。だが、都市の一極集中の時代はこれで終わりだ。第二次世界大戦でも田舎で農地を持ってる奴がなんとかなった、ということをこの国の奴らは忘れたらしい」
「はあ」
「田倉は大麻を育てつつ、ここを俺達の避難所にも使えるようにしてくれ。家の改装はどうだ?」
「太陽光パネルの自家発電は順調です。湧き水から家に繋げるパイプと濾過装置は材料が少し足りません」
「水の方はどうだ?」
「自分がその水を飲んで暮らしてますが、体調不良はありません。逆に調子はいいくらいで」
「飲み水も風呂も天然の湧き水ってのはいいのかもな。下水の設備ってのは田倉のDIYでなんとかなりそうか?」
「ホームステッダーのサイトを見ながら研究中です。自給自足支援活動の人達がネットで親切に、相談に乗ってもらえるので、なんとか」
「資金はけっこうある。必要なものは買ってくれ。そしてシェルター管理に大麻畑をよろしくな。頼りにしてるぜ田倉」
「はい、頑張ります」
言って三間坂さんは車に乗って行ってしまった。三間坂さんはインテリだ。インテリヤクザの鏡とでもいう人だ。あの人が何をしているのか、自分はよく知らない。あまり知りたく無い。
人を使うのは上手い人なんだろう。様子を身に来たにしても、自分がやる気を出せるようにしてくれた。
自分は昔は工場で部品を作っていた。世界がグローバル化して、自分の仕事は次々と他の国へと流れていった。
ウィルスが広まって仕事を無くし、ホームレスになりかけて、今は大麻を育てている。
金を稼ぐのは大変だ。
だが、人はいつから金が無ければ生きていけなくなったのだろう? 大昔は貨幣は無かったのではないか?
生きていく為に金を稼ぐ。そうなると金を稼ぐためには何をしてもいいことになる。できなければ生きていけないから。
働くということを、神への祈りと信じられたなら、遣り甲斐も生き甲斐もあるのだろうか。
それともこれは神の罰だろうか。
悩んでもすることは変わらない。自分にできることをしっかりとする。それだけだ。
今の自分は大麻を育てている。他に自分にできる仕事を見つけられなかったから。
青々と伸びる大麻は蕾をつけている。
やがて美しい花を咲かせることだろう。
それを人がどんな使い方をするかも知らずに。
自分の仕事は、労働なのか、生業なのか、その両方なのか、バランスなのか。
雑草を抜きながら考えてみる。一人で考える時間はいくらでもある。
大麻の他に、食べられる作物の畑を作ってみよう。