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とても長生きなクルミの木

 今から遠い遠い昔、ある国のある村のお話です。

 村にはひとり、若い女がおりました。いえいえ、もちろん村の中には他にもたくさん女の人がいましたが、その女だけは特別でした。何十年も前からずっと見た目が変わらないのです。

 ですから本当のことを言うと、「若い女」ではありません。見た目がとても若く見える、お年を召した人なのでした。

 もちろんそんな人ですから、当然のこと村内のうけは良くありません。「あいつは魔女だ」とか「異界からやって来た化け物だ」なんて言われて、遠巻きにされていたのです。

 けれどもそんな村の中で、たった一人彼女を好いている者がおりました。

 それは二十歳になったばかりの、見目麗しい青年でした。彼は幼いころに二親をはやり病で亡くし、村の人たちみんなに育てられました。今では村内の木彫り職人のもとに弟子入りし、修行を始めて二年になります。

 彼は名を「アレフ」と言いました。村の方言で「誰のでもない」という意味です。誰のでもない青年は、十の歳から「化け物」の女性を好いていました。

 どうしてかって? アレフは十の歳、転んでケガをした時に彼女に優しくしてもらい、それ以来もうぞっこんなのです。穏やかな声で名を呼ばれ、ハンカチで傷の手当てをしてもらい、その時のハンカチは「あなたにあげる」と言われて以来、今の今までタンスにしまっているくらい。

 だからアレフは彼女が好きでたまらなくって、職人修業のあいまにずっと彫り物をしていました。何度も何度も繰りかえし、同じものを彫っていました。それはクルミの材を使った、薔薇の彫りのある指輪でした。

 修行を始めて二年が経ち、やっと「これなら」と思えるものを彫れたので、アレフはクルミの指輪を持って彼女のもとを訪ねました。そうしてそれこそ決死の覚悟で言いました。

「ノワさん、十年前のことを覚えていらっしゃいますか? あなたは転んでケガをしたぼくに優しく手当てをしてくれたんです。それ以来ぼくはあなた以外を女とは思えないようになりました。もしあなたもぼくのことを憎からず思っていてくださるならば、ぼくが彫った指輪をその左手の薬指へとはめてください!」

 いったい何度練習したのか、このひとくさりをアレフは一気に吐き出しました。そうして顔を真っ赤にして、大きく息を吐き出しました。

 そんな青年を静かに見つめて、ノワと名を呼ばれた女は穏やかな笑みを浮かべました。黙って指輪を受けとって、それをはめないで指にはさんで、アレフの顔を見つめて話し出しました。

「アレフさん、わたしは村の人たちから『化け物』と呼ばれているでしょう? それは噂ではないの。化け物かどうかはともかく、わたしは人間ではないの」

 ほおに朱をのぼせたまま、青年は目を見張ります。そんなアレフに微笑みかけて、ノワ婦人は語ります。

「わたしは他の世界から迷いこんできた木の精なの。わたしは百年人間のような姿でいて、それからクルミのような木へと変わるの。木になったら半世紀を木の姿のままで生きて、それから金色の実を一つつけるの。その実が芽生えて実をつければ、その実から人間の姿のわたしがまた生まれる。そうして永遠に生きてゆくのよ」

 アレフは何と言ったらいいのか分からず、泣くような笑うような顔をしました。ノワは柔らかな笑みを浮かべて、美しい声で続けました。

「わたしももうじきクルミの木のような姿になるわ。でもそうしたら、がんばって二つの金の実をつけるわ。そうしたらアレフ、金のクルミを一つ食べてね。そうすればあなたもわたしのような生き物になる。木になっている間はうまくおしゃべりできないけれど、百年後には同じ種族としてずっと一緒にいられるわ」

 アレフは今はもう目から涙を流しながら、声も出せずにうなずきました。嬉しいのか苦しいのか、それとももっと別の感情なのか、彼にはもう分かりません。ただ感極まって涙しながら、愛するひとの手に指輪をはめてあげました。

 それから一夜明けた時には、ノワはもう小さな苗木の姿になっていました。その小さなからだに取り込んでしまったのか、指輪はもうどこにも見当たりませんでした。

 ノエルはその木を――ひどい渇水のときにもなるべく水に困らぬように――大きな川のほとりに植えてあげました。

 そのあと五十年が経ち、クルミのような木は大樹になり、二つの金の実をつけました。そのころにはアレフはもうおじいさんでしたが、喜んで金のクルミを一つ食べました。それから大きな川のほとり、大樹が実をつけて枯れたあたりに座りこみ、日がな一日過ごしていました。

 おじいさんはほどなく天に召されました。なきがらはすぐに溶けてなくなり、その後から小さな木が芽生えました。おじいさんが握っていたもう一つの金の実も、そのそばに芽を出しました。

 ひとつがいの木は互いに少しずつ生長し、半世紀も経つころには立派な大樹になりました。そうしてそれぞれ一つずつ、金色の実をつけました。

 実が熟し、もうじき地に落ちるという時に、ひどい嵐がやって来ました。嵐は雨を降らせ、風を吹かせ、川を氾濫させました。そうして嵐が去ったあと、川の様子を見に来た人々は言いました。

「やあ、なんてことだ! あんなに大きかったクルミの木たちが、そっくり無くなっちまってるぞ!」

 そうです。ノワとアレフのクルミの木は、氾濫した川の水に押し流されてしまったのです!

 流されたクルミの木と金の実は、海まで流れていきました。それからはどうなったか詳しいことは知れません。

 おそらくは海を流れ流れて、別々にどこかの島にでもたどり着いたことでしょう。そうして人の姿の時は旅を続け、百年経てばそれぞれに木の姿になって、それを繰りかえし繰りかえしては、互いに互いを探し続けることでしょう。

 ――まるで、甘く歪んだ呪いのように。




 話をそこで切り上げて、美しい女性は子どもたちへと微笑みかけた。車座になってお話を聞いていた子どもたちは、口々にお礼を言って家路へついた。

 一人残った少年に、女性は優雅に語りかけた。

「あらあら、あなたは帰らないの?」

「帰んなくてもかまわないんだ。ぼくには親がいないから、遅くなっても怒られないし」

 少年は当然のようにそう答えて、にっと歯を見せて笑ってみせた。女性は緩やかにうなずいて、少年へ手をさしのべた。

「そう、それじゃあ家に遊びに来る? 島特産のクルミを使ったパイをごちそうしてあげるわ」

「うわあ、ありがとう! ごちそうになるよ!」

 少年はぴょんぴょん飛び上がってはしゃいでいる。島に流れて島で生きる女性は少し首をかしげて、心のうちでつぶやいた。

(この子、覚えてやしないのかしら)

 女性は少し淋しく考えながら、でも、と思い直してはにかんだ。

(いえ、でもきっと大丈夫。この子は今でもわたしを好いてくれているから)

 覚えているのか、いないのか。

 数世紀を経て巡り逢った恋人は、今あどけなくはしゃいでいる。つるりなめらかなその肌は、よく磨かれたクルミの木肌のようだった。(了)


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