90.城2
囚われの身のシロイは、状況も分からず混乱しているようです。
手を触れるたびに棒部分を変形させ、ガンガンと音を立てる格子戸。
それの挙動に夢中になって触れ続けているシロイは、シーツが落ちるのに合わせて座り込んでいた。
無造作に身体に巻きなおしたシーツは立ち上がったら簡単に落ちてしまうだろうが、そんなことは全く意識にない。
それどころか先ほどから格子戸の棒部分が起こす騒音が、隣接する執務室にも螺旋階段の先にも響き渡っていることさえ、全く気に留めるていなかった。
「触るのをやめろっ! おいっ!」
格子戸の向こうで怒鳴り散らしている人物さえ、意識の外にある。
シロイの指先は無意識に動き、同様の現象を起こすために必要な魔術陣を描く。
口は小さく動き思考が言葉になって漏れ出ていたが、それは騒音のせいで聞き取ることができない。
やっていることは見たことも無い魔道具の解析である。
「魔術陣がどこにもない……どうなっているんだろう、これ。全体に均一な魔力が満ちているけど……?」
「な、なんだ貴様っ! 何を企んでいるっ!?」
シロイが描いた魔術陣に魔力が流れて光を浮かべると、執務室からは怒鳴り声が悲鳴へと変わる。
その主は三十代で肉体労働者のような体躯をした、癖のある黒髪と割れたアゴの持ち主だ。仕立ての良い貫頭衣に垂れ下がったゴテゴテした宝石飾りが、その悲鳴に合わせて揺れてシロイが描く魔術陣の光を返す。
しかし、その姿も視界にあるはずのシロイは、彼を認識していない。耳に響く騒音でさえ、意識に上がらないほど集中しているのだ。
トロイの作品でも、他の魔道具工房でも、迷宮でさえ見たことのない代物。
構造も均一で流した魔力にも差異が現れない。それでなぜ『変形して打ち鳴らす』という魔道具として機能しているのかを調べようと、シロイの意識は完全に没入していた。
「あー! もー! ……邪魔っ!」
「な!? ま、待てっ!? おい待っ、うわぁぁぁっ!」
シロイが上げた大声に慄いて四つん這いになって逃げ出し、執務室の入り口に添えられた伝声管へとすがりついて兵士を呼び寄せる割れたアゴの男。
当然シロイはそんなことは見ておらず、左目を覆っている包帯を剥ぎ取って目を瞬いて視界を確認する。
少しぼやけただけで問題はなく、すぐに再び格子戸へと向き直った。
眉の端からこめかみまで残る裂傷の痕や、その周辺の髪が切れていることなど気づいてもいない。
「うーん。やっぱり魔力だけで無理矢理作ったようにしか思えない……でも、魔力がかかりすぎるし…………」
魔術陣を一切用いない場合、魔術を発現させるための必要魔力は激増する。
もしこの格子戸の効果を魔力だけで行おうとするなら、空間魔術陣を再現する際に奮闘した魔術師たち全員の全力でも足りないだろう。
「格子戸自体じゃなく、外枠に秘密があるのかなぁ?」
そう考えて立ち上がろうとしたシロイの眼前に、滑らかに周囲を写した金属が突き出された。
それでようやく格子戸から意識が離れたシロイは、武装した兵士たちが格子戸の向こうで構えているのに気づく。
目の前にあるのが、その一人が手にした剣の切っ先だと気づいて血の気が引いた。
兵士たちの影で絨毯に腰を落とした割れたアゴの男が、何やら怒鳴っているらしい姿が見えて。
「……ごめんなさい。何を言っているのか、全然わかりません」
しかし騒音が詰まった耳に、全く声は入ってこなかった。
ホールドアップして身体に巻いたシーツが落ちる、というサービスシーンは皆様の脳内でご自由にご覧ください。