84.救助の代償4
経営が上手くいかず腐っていたシロイに、カリアが喝をいれるようです。
カウンター越しに掴まれて引き寄せられた胸倉。
浮いた足の代わりに両手を伸ばしてもカウンターには届かず、腰元と胸倉で支えられた身体は不自然に歪む。
だがそんな状態など気にならないほど、頭が疼いている。
そのトロイの拳骨よりも激しい痛みに、シロイは涙目になっていた。
目の前にある顔を見つめ返し、その笑みの奥にある怒りを感じて困惑する。
「シロイ。貴方が一人で生きることを、私は認めません」
涙目で困惑しているシロイに、ゆっくりと優しく語りかける言葉。
それは、力強い言葉だった。
「そのために犠牲が必要なら、どんな非道なことでもします」
家族の幸せのため。
冒険者を含めた多くの債権者たちを相手に、それを実践してきた彼女の言葉に、迷いはない。
優しい笑みを崩すことなく、彼女は言葉を続ける。
「貴方の過去も、こだわりも。貴方が幸せになることを妨げるのなら、私は容赦なく踏みつけ、壊します。もし魔道具師であることが妨げになるなら、貴方の両腕を切り落とすことさえ厭いません」
シロイの背筋が、ぞくり、と粟立つ。
かけられた言葉に一切の嘘がなく、本当に切り落とされる気がして、シロイは震える手を強く握りしめた。
「だから、貴方はもっと頼ってください。私を利用してください。幸せにならないなら、私が無理矢理にでも幸せにしますよ?」
両腕を失くして魔道具を作れなくして、幸せにするもない。
そうツッコミを入れたくても口が渇いて開かず、身体の震えが止まらない。
向けられた本気に、シロイは初めてカリアを恐ろしいと感じた。
そして、その本気に引きずられて思考する。
トロイとの思い出や魔道具店のためではない、シロイ自身が幸せだと思えることは何か。
それはシロイが初めて自分の幸せだけを本気で考えた瞬間だった。
顔を青く染めて涙目になって震えている様子は、命乞いを考えているようにしか見えないが。
「……魔道具師は、辞められません」
震える声でシロイが答えるのを、カリアは笑顔で見つめていた。
振り切れた怒りで浮かべられた笑顔を顔に張り付けたまま。
シロイの胸倉を掴み持ち上げたままの腕も、揺らぎもしない。
そのせいで大分シロイの首が絞まりつつあるようで、カリアの手首を掴んだ彼の両手は弱々しく震えていた。
それでも、シロイは目を逸らさずに言葉を続ける。
「対面販売をすることも、僕はやめたくない。僕の作ったもので、その人が笑顔になるのを見ることが、僕の幸せです」
思い出したのは、毎日のように見ていた笑顔。
『光る足跡』を借りた冒険者たちの野心に満ちた笑み。
『掃粘剤』を買っていく娼婦たちの蠱惑的な笑み。
その中でも、毎日のように見ていた笑顔をシロイは思い出す。
捕食者のような笑みでも、張り付いた笑顔でもない。
髪に『光る花』を留めた時に見せる、うっすらと頬を染めた、はにかむような笑み。
無垢な少女のように喜びを溢れさせた笑顔は、見るたびに幸せを感じさせた。
「……だから、その笑顔のために…………僕はなんだって……します………だから、手伝って…………」
自分の作るものが人の幸せになるのだと、実感することの喜び。
それを自覚したシロイは、職人らしい幸せの形に笑みを浮かべた。
しかし、絞まっていく首のせいで笑顔が引きつり、だんだんと力が抜けていく。
「あら? シロイ? え、ちょっと待って! シロイ? しっかりしてください! シロイ!?」
遠くなっていく意識とカリアの声を感じながら、シロイはゆっくりと目を閉じる。
慌てているカリアの背後に、苦笑して背を向けたトロイの姿が見えた気がした。
「…………さよなら」
「待って!? ごめんなさい!?」
狼狽えるカリアの声も遠くなる中。
シロイは、別れを告げて意識を手放した。
……さよなら、トロイ。
…………さよなら、シロイ。
(死んでません)