65.営業再開5
店舗前で暴徒と巡視隊が乱闘しているので、一時避難中です。
カリアの説得? によってシロイは仮契約書にサインをするようです。
※本話にて若干災害的な表現があります。気分を害される可能性のある方は飛ばしてください。
不満そうな顔のカリアは仮契約書類にサインするためにペンを持つシロイを見ながら、内心で喝采をあげていた。
魔道具工房を構築することも、融資でシロイを縛ることも本筋ではない。
同棲することを許可する契約であることが、何よりも重要だった。
営業時間に少し話す程度とは全く違う。
四六時中、共に生活をする状況へと持ち込めば、うっかりあやまちが起こったとしても不自然なことはないのだ。
そしてそれが事実でなくても、同棲という事実があればシロイが『資金屋』の庇護下にあると公言することに等しい。
後ろ盾として危険な相手からシロイや彼の魔道具を守る。なによりも自身の慕情と劣情を満たすということが、カリアにとって最も重要なことなのである。
しかし、シロイはそれを理解していない。
トロイと同居するまでは孤児院で集団生活をしており、そこに至るまでは孤児として徘徊していた。
更に記憶を遡ってみても、移民としての集団移動で家族と呼べる相手や生活環境の記憶は無い。
今となっては店舗での一人暮らしだ。
祖父のように慕ってこそいるトロイとの生活でさえ、弟子としての住み込み。最後を看取ったことが唯一家族らしい出来事だ。
そのため魔道具工房化した後にカリアが他の職人たちと共に住み、魔道具工房の運営監督をするのだろうと思っている。
生命や作品の危険が減る代わりに、自分の貞操が危機に瀕しているなどとは全く理解していないのだ。
当然、カリアが今日にでも彼の家に乗り込もうとヤル気を出しているのにも気づいていない。
ましてやそれは妙齢の女性が自分と同棲する、ということだとは全く理解していなかった。
それは自分の成長にシロイが気を取られていたせいもある。もちろん、身体的な意味ではない。
仮契約とはいえ、彼にとっては初めての業務融資契約である。
パトロンが付くほどの魔道具師だと認められたことは感慨深く、その頬はわずかに赤い。
緊張して手が少し震えているのをトロイが見ていたら笑うだろうかと、彼は師匠の皮肉気な笑みを思い出そうとした。
しかし、思い出浮かんだのは皮肉めいた笑みではなく嬉しそうな笑顔。それは孫の成長を喜ぶ祖父の笑顔のようで、彼の胸を締め付ける。
ゆっくり、丁寧に自らの名を書き記そうとして。
激しい揺れに襲われた。
建物さえも揺るがすような激しい揺れ。
木造の家は軋む音を、奥にある台所からは食器類が転がり落ちる音を発する。
それを聞く彼ら自身をも揺らし、立っていられなくなったカリアがシロイへとすがりつく。
テーブルの上に置かれた紅茶はカップから飛び出して、置かれていた書類を濡らしていく。
シロイはカリアを抱き支えながらテーブルの足に自分の足を絡ませて耐えるが、揺れはまだ続いた。
台所から顔を出すようにしてへたり込んでいる隣人を確認し、ムライは中腰で立ち上がり外へと目を向けた。
騒乱状態だった群衆はその場でしゃがみこみ、慣れない揺れに狼狽えて先ほどまでの興奮はない。
周囲にある家から剥落した外壁や屋根を巡視隊の魔術が逸らして道に落ちる。その土煙が落ち着いてきた頃になって、ようやく揺れが収まった。
「地震というやつか……? すまないが、俺は被害確認に出る」
振り返ることなく飛び出していくムライを、隣人の震えた声が送り出す。
それを見ることさえできないほど、シロイは混乱していた。
この地域では滅多に起こったことのない地震という現象と、彼の体を束縛している柔らかさと、鼻腔をくすぐる甘い香り。
店舗の状況をすぐにでも確認したい焦りで立ち上がろうにも、足は身体を支えるためにテーブルから離せない。支えを不要にするためには柔らかさを退ける必要があるが、その方法がわからず空いた右手は彷徨っている。
シロイの焦燥と混乱にカリアも気づいたのだろう。
しかし抱きついたまま、テーブルの上から紅茶に濡れた仮契約書類をつまみ上げた。途中で途切れて歪んだサインが少し滲んでいる。
耳元にある彼女が、嬉しそうにささやく。
「これは書き直しが必要になってしまいましたね。ちょうど本契約書類があるので、こちらにサインしませんか?」
その顔を見るまでもなく、シロイには捕食者の笑みが浮かんでいるのが分かったが、必死で首を横に振ることしかできなかった。
正常な判断を失っているときに結んだ契約は無効。
シロイのいる国にはそんな真っ当なルールは無いので、一方に益が偏る契約も有効です。
ただし仮契約はあくまで本契約のつなぎで、ちゃんと本契約を結ぶまでの口約束を書面にしているような扱いですが、本契約を結ぶ気があるという証明でもあります。
当然、仮契約書だけ乱発している詐欺っぽい団体とかもいます。(たぶん作中には出てこない)




