64.営業再開4
店舗前で暴徒と巡視隊が乱闘しているので、一時避難中です。
なぜかシロイは契約の怖さについて実感しているようです。
拒絶の回答に対する反応を待って沈黙しながら、シロイは外から聞こえる音に耳を奪われていた。
未だに外の乱闘騒ぎは続いており、時折大声で罵詈雑言や悲鳴が聞こえてくる。
ムライは眉間に皺を寄せ、仮契約書を丁重に片付けた。
断った胸を報告することで、よりシロイは国家認定魔道具師から迫られることになるだろう。
「……どこでもいい。身に危険が迫る前に、早急に専属契約を結んでおくことを勧める」
「あはは、まぁ、そんなに評価して貰える先があればいいんですけど」
せめて対応策を伝えておこうと口にしたムライの胃が、シロイの苦笑で引きつった。
無言で睨まれてシロイは、冗談ではなく本気で言われたのだと察するが現実感が持てない。
しかし、一つずつ自分を取り巻く状況を省みていくうちに冗談ではすまなくなっているのだと血の気が引いていくのを感じた。
連休中に店舗に火をつけられたと言われ、巡視隊が集まっている。
営業再開を求めた群衆が押し寄せ、今は暴徒と化して巡視隊相手に大騒ぎをしている。
連休前にあった強請りなどの嫌がらせはグヌル絡みだと思っていたが、それだけではないのかもしれない。
それらが過去に見てきたマッチポンプに似ていると初めて認識して、先ほどの仮契約書を思い出す。
しかし国家認定魔道具師が自分に対してそれをするとは信じられない。
他の工房の人がいるのではないかと、シロイは外の様子へと目を向けた。
窓の外で暴れ続ける群衆に、抑えようとする巡視隊が【水撒き】を放って通りが土砂降りになったように煙る。
そのせいでできた泥濘みに、群衆と巡視隊が足を取られて縺れ合う。その瞬間を狙っていたようにケトリをはじめとする『オルビィ』の嬢たちが、身入りの良さそうな相手の首を極めて攫っていくのが見えた。
その手際の良さに見入ってしまい、何を考えていたのか見失ったシロイの鼻に、甘い花の香りがする。
「シロイさんはもう少しご自分の評価を正しく認識するべきだと思いますよ」
置かれたハーブティーを辿ると、何故かカリアが笑顔で立っていた。
ますますシロイは頭が混乱する。
鼻歌の主である隣人は、奥に見える厨房から少し顔を覗かせて観察していた。
「え? あれ? なんでカリアさんがここに?」
「彼女は私の友人なんですよ。それよりも」
テーブルに新たな仮契約書類を置いて、カリアは緩く微笑む。
その笑みに促されたシロイは書類を確認して、眉を寄せた。
「……これは、ダメでしょう。僕の利益しかないじゃないですか」
それもまた、仮契約書類である。
そこ記載されているのは、シロイ魔道具工房の設立と工房長の任に就くことを目的にした契約。
対して提示される条件は、『資金屋』から融資を受けることと、返済終了まで管理を行うカリアの同居を認めること。
魔道具工房が運営される間、シロイ個人が別の契約を結ぶことを禁じる項目もある。
専従契約であれば納品先の指定や経営権の譲渡があるが、この書類にはそれがない。
断られるとわかっていたのだろう、カリアの顔に浮かぶ笑顔は変わらず、懐から新たな仮契約書が出てくる。
その捕食者の笑みに見つめられたシロイの経験からくる条件反射だろう。みるみるうちに眉が下がり、逆らう気も逃げる気も萎えていくのが目に見えてわかる。
「あら、これでも足りませんか? もっと好条件の書類も用意してありますから、そちらの方が良いかしら?」
そう言って掲げ持った書類では、融資が資金援助に変わり返済義務の記載が消えている。そのためカリアの同居の記載が随分と浮いて見えた。
「……シロイ、諦めてサインしておけ。そうでないと、どんどんお前に与えられることが増えるだけだ」
ムライが頭を押さえて呟く。
台所から覗く隣人が嬉しそうに何かの書類を持っているのが見えて、彼も同じようにして契約を結ばされたのだろうと予想ができた。
さらにもう一枚、豪華な装飾のついた契約書を取り出したカリアが、笑顔で語りかけた。
「なお、こちらの本契約書類では支店の運営権と店舗所有権に加えて店舗収入の2%が歩合手当としてついてきます」
「やめて!? わかりました。わかりましたから、仮契約書類で勘弁してください!」
自己評価を遥かに超えた本契約よりも、自己評価より高い程度の仮契約の方が安心できる。
不自由な選択を強いられていることに気づいていながらも、シロイはそれを選ぶしかできなかった。
契約って怖いですよねー。
(怖さの方向が間違ってるし、怖さの対象もたぶん違う)