俺、冒険者になる。
前回までのあらすじ、というか略歴。
舎弟ができた。
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──一方その頃、アレウスの店の社員寮、食堂。
「ただいま戻りました〜」
木の柱で枠組みされた、特に扉もない出入り口から、一人の少女の声が食堂に響き渡り、声の主に視線が集まる。
茶色の短いポニテ、天真爛漫な丸い瞳に、大玉のスイカやメロンを思わせる胸部装甲。
仕事用の制服ではない、ワイシャツとベージュの丈の長いシフォンスカート姿は、その場にいた彼ら彼女らにとって見慣れたものだ。
しかしその凶器とも言える装甲とワイシャツの織りなすシワと胸の膨らみや、シフォンスカートの薄い生地から僅かに透けて覗く少女の細い脚が、その場にいた男性陣の息子を刺激させるには十分な威力を発揮させていた。
「お帰りなさい、ドロテア。
予定より帰りが早いようですが、お嬢様の方はどうなりましたか?」
みんなが見惚れる中、唯一冷静だったセバスがパン生地を伸ばす手を止めて、ゆったりと話しかけた。
「えーっと……それは……」
聞かれて、ドロテアの目が泳ぐ。
傍目にはきっとわからないだろうが、しかしその影で彼女の背中は冷や汗でびっしょりと濡れていた。
(……どう言うべきだろう)
正直に『急に気絶しちゃって、今ちょっとギルドの医務室で休ませてもらってます』と言うべきか。
しかしそうなると社長のアレウスに何を言われるかわかったものではない。
初めて彼女を見たとき、セバスから言われたのだ。
──彼女はアレウス様のお客人です。丁重に扱うように。
セバスはかなり優秀な執事でもある。
例えそう報告したとして、社長を悲しませるような報告の仕方はしないだろう。
……しないと願いたい、と強く思う。
しかしそれには、『急に気絶した』では些か情報不足に過ぎる。
けれどもドロテアにはその情報が全く無かった。
なぜならば文字通り、急に彼女の目の前で目を回したからだ。
(たぶん……)
しかし推測ではあるものの、彼女には思い当たる節が一つだけあった。
今朝の事だ。
彼女は、何かとても焦った様子で店を出て行っていた。
何に慌てていたのかはよくわからないが、横を通り抜ける時、僅かに顔が青ざめているように見えたのを覚えている。
きっと今日は少し体調が悪かったのだろう。
そんな体で日中歩き回ったのだから、きっとあの気絶は疲れから来たものだと考えられた。
今日はいつもより少し気温も高い。
熱中症の可能性だって考えられた。
……いや、熱中症とは違うかもしれない。
医務室に運んだときに軽く診て貰っていたが、しかし熱中症で気絶する熱失神とは少し症状が違っていた。
やっぱり、ただ疲れて倒れただけなのだろう。
一気にそこまで報告内容を纏めると、ビクビクと怯えながらもその通りに伝えた。
「そうですか。
体調不良だったとは、私も監督が不充分だったということでしょう。
こうなっては仕方ありません。アレウス様に事情を説明し本日の歓迎会は中止、お嬢様の体調が回復するまで延期と致しましょう」
ドロテアの話を聞いて、即座に対応する執事然とした老人、セバス。
確かに、この状況ではやむを得まい。
その場でパーティの準備を進めていたメンバーは納得したように頷くと、彼の『なので、それまで準備を終わらせておきましょう』という言葉と共に作業を再開した。
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医務室の開いた窓から、乾いた風が吹き込んでくる。
昼間はあんなに暑かったのに、日が暮れるとこんなにも涼しい風が部屋を満たしてくれるのは、あの店で貸し与えられた部屋も同じだった。
「……」
薄いブランケットの下で寝返りを打ちながら、枕をお腹に抱え込んだ。
それはまるで胎児のようで、心の奥底で怯えている何かから身を守っているように思えた。
(……眠れない)
心の中で、ポツリと呟く。
虫の声が風に乗って窓から流れ込んでくるのをBGMに、明るい月夜へと目を向ける。
その明かりが街頭のように彼女の銀髪を照らして、蒼い瞳が僅かに揺れた。
気になっていたのは、自分が記憶を失う以前のこと。
一体自分が何者で、どこからどうやってこの世界にやってきたのか。
なぜあの森で、服も身につけず倒れていたのか。
考えても考えても、回る思考は正解を導き出せずにショートしそうになる。
(……疲れた、なぁ)
今日はあまりにも色々ありすぎた。
いや、今日だけじゃない。
昨日だってそうだ。
考えてみれば、自分が覚えているのはこの二日間の記憶と、前世の最期の瞬間だけ。
あの友達らしい黒髪の少女のことも、彼女を庇った自分のことも、詳しいことは何も思い出せない。
その一幕だけが、切って貼り付けたかのように──いや、寧ろ元々あった記憶の写真から、それ以外のシーンが焼け落ちて残ってしまったかのように──脳裏にこびりついている。
何が起きてこうなっているのかはさっぱりわからない。
きっといつかわかる時が来るだろうとは思うが、しかしその確信もないと、怖くて眠れない。
(まぁ、昨日は疲れて直ぐに寝ちゃったけど)
色々考える時間ができてしまったせいか、今日はよく過去を振り返る。考えてしまう。
余計なことも、必要なことも、全部、全部。
(でも、これだけは絶対に言える)
ぎゅっ、と、拳を握りしめて眼前の闇を見据える。
その顔は、決意か不安か。
少女は軽く息を整えると、自分に言い聞かせるように、その桜色の唇を開いた。
「絶対に冒険者になってみせる。そして、まずはあの店の人たちから逃げるんだ……!」
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朝の鐘が町中に鳴り響く。カラッと乾いた暑さがじわじわと部屋の中に忍び込んでくる最中で、コノミはむくりと上体を起こした。
鼻に付く獣の臭い。昨日窓からやって来た彼の独特な臭いが、医務室にやって来る。
「迎えに来たぜ、姉御」
「いやいやどうしてだよ?あと臭いんだけど」
起き抜けの異臭に鼻をつまみながら、眉を顰めて尋ねる。昨日はそんなに気になる程の臭気では無かったため気にはしなかったが、しかし今日は昨日のそれとは違っていた。
「なぜって、そりゃあ舎弟が姉御を迎えに来るのは、その……当たり前だろ?」
口下手に返答する少年。対してコノミの方はと言えば、『そもそも舎弟って何だろう?』という疑問が浮かんでいた。
前世の知識にはうっすらと残っている言葉ではあったが、しかしあまり意味が理解できていなかった。昨日はちょっとノリで(おそらく上下関係のある友達か何かそういうものだろうと推測しつつ)許諾していたが、果たしてその理解で正解だったのかどうか。
(まぁ、当たり前なら仕方ないか)
取り敢えず迎えに来たという話は別に置いて、そんなことよりもと口を開く。
「取り敢えず臭いから、体洗って来てくれない?」
「俺、風呂苦手なんだよ」
今度はロウの方こそ顔を顰める番だった。狼の表情はよくわからないが、目頭に柔らかく皺が寄っていたので辛うじて理解できたのだ。
少年の言葉を聞いて、コノミはそう言えばと前世の知識にある中世の風呂事情について思い出す。しかしあれは確か十字軍がペスト菌を持ち帰ったせいで、浴場が感染源になってしまったことに起因するものだったはずだ。あとは宗教観。
……しかし、アレウスの店で風呂に入れられた通り、別に風呂に入ること自体に忌避感を抱くような文化はなかったと思うのだが。
──と、そこまで考えた頃、ロウが衝撃の事実を明らかにした。
「だって、濡れたら乾かすの大変だろ?
俺の体毛を見てみろよ?」
「……あー、なるほど」
その後、問答無用で風呂(は無いのでギルドの井戸)へ向かわせたのは、語るまでも無いだろう。
閑話休題。
面白がって井戸で水浴びをするロウを眺めつからかったり、実験的に魔法で温風を出して体毛を乾かしたりして遊んだ後。二人は冒険者の集るギルドの内部へと足を踏み出していた。
「冒険者登録がしたいんですけど」
昨日気絶したせいで後回しになっていた冒険者登録である。はやる鼓動に緊張を感じながら、高いカウンターの上に身を乗り出して受付嬢に話しかける。
「あぁ、昨日の気絶してた娘ね。調子はもう大丈夫なの?」
おそらく青いフードのてっぺんしか見えていないだろう彼女が、にこやかに笑いかける。
「はい、もう大丈夫です」
負けじとこちらも笑顔で対応してみせる。
(……にしてもこの体勢、ちょっとやり難いな)
カウンターが大人用に作られているためか、背の低いコノミにはやりとりが難しかった。それを見かねたのか、ロウが背後から近づいて来て言った。
「姉御、肩車してやろうか?」
「……はぇ?」
突然の申し出に、思わずキョトンとする。
「だってその高さじゃ見えねぇだろ、カウンターも受付の人も」
たしかにその通りだ、と、一瞬頷きかける。しかしそれと同時に、いやいや、この歳になって肩車は恥ずかしいし、と羞恥の念が耳を赤らめさせた。
「……もしかして、それも舎弟(?)の仕事?」
恐る恐る尋ねる。もしこれもそうだと言うのであれば、次回からは遠慮してもらおうか。
「姉御が困ってんなら、助けるのは俺の役目だし」
何とでもない、と言う風を装って答える。どうやら予想した通りだったらしい。
古来より、悪い勘ほど当たりやすいと言うものは無いと聞きはするが、まさか本当に当たってしまうとは。
肩を竦めて小さくため息を吐くと、カウンターの下から受付嬢に一言案を申し出ることにした。
「あの、台か何か借りても?」
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