俺、姉御になる。
前回までの略歴、というかあらすじ。
ある時目を覚ますと見知らぬ森の中にいた主人公コノミは、服飾商人アレウス・テイラーを名乗る人物の操る竜車で拉致(コノミ視点)されてしまう。
拉致された理由を『奴隷として売り飛ばす為』だと勘違いしてしまったコノミは、なんとか逃げ出そうと奮闘する。
しかしその間に矢鱈とウザいナンパを仕掛けてくる金髪の青年チャラ男(コノミ命名)や、本当に拉致して奴隷として売り飛ばそうと襲ってきた獣人の不良グループ三人に遭遇するなどの被害を受ける。
それからなんとかそれらをあしらい、職を得る為冒険者ギルドへと辿り着くことに成功したコノミだったが、しかしそこに待ち受けていたのは彼のアレウス・テイラーが僕、世話焼き団長ドロテアだった。
一方その頃、コノミによってかるーくあしらわれてしまった不良グループは仲間割れを起こしていた。
上等な銀髪に整った容姿のコノミをどうしても諦めることのできなかった白い虎の獣人シラは、舎弟の黒猫の獣人ミャオを連れて、今度こそコノミを攫う計画を練る。
また、そんな彼に見捨てられた現在元舎弟の狼の獣人ロウは、そんなシラに復讐してやろうと彼を倒す算段を練る。
そんな時、見覚えのある青いフードの少女が冒険者ギルドへと入っていくのを見て、ロウはとある作戦を思いつくのだった。
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嗅覚疲労、という言葉がある。
人は長時間強い臭いに当てられ続けると、脳がその強い情報から精神を守ろうとして、一時的に嗅覚を低下させる現象だ。
簡単にわかりやすく言えば、鼻が強い臭いに慣れて感じなくなってしまうということ。
コノミ・イトーは、気にならなくなった消毒液の臭いにそんなことを思いながら、今の自分の環境やこれからの出来事に照らし合わせていた。
なぜだか理由もわからないが、ある日突然、目を覚ませばあの森にいたこと。
それから今に至るまでの記憶の全て。
経験したことや、もう慣れてしまったこの環境について。
初めのうちは獣人やエルフなんかを見るとドキドキしてしまうコノミだったが、この街を練り歩くうちに見慣れた彼らの容姿には、特別嫌悪も興味も示さなくなってきた。
これはこういうものだと、元の記憶が無いせいか、とてもすんなりと受け入れられてしまったのかもしれない。
(……する事がないと、色んなこと考えちゃうなぁ)
目が覚めてしばらくして運ばれてきた昼食。
生まれて初めてではないが、記憶の中にある上で新しい情報の更新の連続。
おそらくだが、さっきの気絶は所謂知恵熱というものだったのではないだろうか。
慣れない情報量の多さに目を回したのだから、きっと違いない。
これもまた経験として自分の中に蓄えられて、この鼻のように慣れてしまうのだろう。
……ふと、そんな時だった。
窓から流れ込む風に乗って、嗅ぎ慣れない臭いが鼻腔を突いた。
「よぉ、さっきぶりだな、魔女」
白いカーテンの裏。
開いた窓枠に足をかけて、その白いベールの裾の間から真下のベッドの上に寝転ぶ少女を見下ろすようにして、灰色がかった黒い毛並みの狼が顔を覗かせていた。
「……!」
突然のことに、少女の蒼い瞳が見開かれる。
そして直感的に、彼がたった数時間前に魔法で対抗したあの狼の獣人である事に気がついた。
「っ!」
ほぼ反射的に、転がるようにしてベッドを降りると、大きく後ろに一歩跳んで距離を取る。
真後ろの薬品棚に踵が当たって、中のガラスの薬瓶がカチャカチャと音を立てる。
「そんな警戒するなよ……つっても、こんなところから入って来たんじゃあ無理もねぇか」
自分の非常識さに今更気がついたのか、後頭部に手を当てながら申し訳なさそうな態度をとる。
コノミには獣人の表情の違いなんて区別できなかったが、彼がオーバーアクション故なのか、なんとなくその心情を理解する事ができた。
「何の用?」
念のため、体内に渦巻く魔力を掴みながら、いつでも魔法を放てるように準備して尋ねる。
コノミには彼の事情など理解できなかった。
思い当たるところがあるとすれば、先刻の復讐といったところだろうが、しかし彼にそんな気配はない。
まぁ尤も、コノミ自身にはそういった気配を読み取る力がないので、憶測でしか判断できないのが現状な訳であるが。
狼の獣人──ロウは、正に少しでも近づけば撃つと言わんばかりの警戒ぶりに苦笑いを浮かべながら、口を開いた。
「あー、俺ぁロウっつうんだが、お嬢さん名前は?」
右手を差し出しながら名前を尋ねてくる。
それに一体どう言う意味があるのかコノミには理解できなかったが、しかし断る理由も特にないので、正直に名前を明かした。
「コノミ。コノミ・イトー」
「……おっと、マジでお貴族様だったか。
あー、でも俺敬語とか苦手なんだよなぁ。タメ口でいいか?」
「別にいいけど……」
飄々とした口調で承諾を求めてくる彼に、訝しげに眉をひそめる。
コノミもコノミで、自分が貴族であるという自覚もないし、そもそも貴族でもなんでもないので承諾したはいいものの、このやり取りになんの意味があるのか、困惑した表情を浮かべていた。
そんな彼女の返答に少し安心したのか、何やら胸をなでおろすような所作を見せる。
何に緊張する必要があるのかコノミには分からなかったが、ロウからしてみれば貴族の娘に銃口を突きつけられた状態で、不躾にも敬語を使いたくないという旨を伝えていたのだ。
普通の子供の胆力なら、きっと耐えられる筈のないプレッシャーだったに違いなかった。
「そんじゃお言葉に甘えて。
……んで単刀直入に言うけどよ、コノミ。
お前、舎弟が欲しくはねぇか?」
「……は?」
怪訝にひそめられた眉が、さらに深い皺を刻む。
そんな様子を見て、焦ったように手を振りながら、ロウは詳しい事情を捲くし立てた。
「いや、俺ら狼族には誇りってのがあってだな──まぁ、わかりやすいように言えば誇りっつうよりも掟みたいなもんなんだが──喧嘩に負けたら、そいつの弟分になるっつう決まりがあるんだよ。
掟じゃなくて誇りって言ったのは……えーっと、なんて言えばいいんだっけな……。あぁ、そうだ、一族全員の本能に基づいた決まりだから、だな、うん」
口下手なのか、ところどころはっきりしない物言いになりつつも、なんとか機嫌を元に戻そうと必死に理由を述べている。
その様があまりにも滑稽に映ったのか、手を突き出してロウを牽制していた彼女の手は、いつの間にか下がっており、警戒は解けてただ少しポカンとするばかりだった。
「えーっと、つまり……あの時お──じゃない──私に勝負で負けたから、その誇り?に則って私の舎弟になりたいと。
もしかしてそういうこと?」
「話が早くて助かるぜ……」
コノミの要約に、ふぅ、とどっと押し寄せてきた疲れに身を委ねるように、ずっと蹲踞の姿勢で窓枠に座っていた態勢を楽にして腰を落ち着ける。
「まぁ、とにかくそういうわけでさ。
俺をお前の舎弟にして欲しいんだ」
請われて、どうするべきかと悩むコノミ。
彼女の今の目的は、冒険者になって自立できるようになることだ。
その自立のためには自分でお金を稼ぎ、衣食住を安定させる必要が出てくる。
冒険者は厳しい仕事になるだろう。
誰でもなることができるとは言え、内容は薬草採取から魔物の退治まで幅が広い。
とりわけ魔物の被害が大きいこの世の中、冒険者の仕事といえば魔物退治が一番割合を占めるだろう。
つまり、自立しようとすれば冒険者になって魔物と戦う未来はほぼ決定、避けては通れない道なのだ。
となると、やはり戦力は多い方が好ましい。
それに何より、自分には体力がない。
あるのは魔力と、前世で得たのだろうと思われる膨大な知識の数々。
これらを活かすなら、魔法職として活動するのがいいだろう。
そしてメイジは魔力がなければ一般人と変わらないレベルだ。
となると自分を守ってくれる盾がいる。
その盾は魔力ではなく体力で勝負できる人物が好ましいわけで、パーティを組むなら絶対にそういう人物が適当だろうということはすぐにわかる。
「……」
チラリ、とロウと名乗っていた狼の獣人の方へと視線を向ける。
発達した筋肉。
自分より頭二つ分くらいは大きな背丈。
その威圧感ある出で立ちはボディガードにすればどれほどたくましいだろう。
(……うん。無いな)
ここまであつらえられたかのようなパーティメンバー、しかも自分を舎弟にしてくれとまでさえ言ってくれるような物件。
こんないいもの、逃すという手は無いに決まっているだろう。
「……はぁ、やっぱそうだよなぁ。
自分を攫って金に換えようなんてした奴を、誰が舎弟になんか──」
「──わかった、舎弟にしてあげる」
「──え、今なんて……?
は、舎弟にしてくれるって言ったのか?」
困惑気味に聞き返してくる少年に、コクリと頷いて応える。
しかしそんな反応が信じられないとでもいうのか、彼は狼狽えた様子を隠さなかった。
「だって、俺お前を攫おうとしてたんだぜ?
売って金にしようとかしてたんだぜ?
そんな俺を、お前は側に置こうって言うのか?」
言われて、そういえばと思い出す。
よくよく考えてみれば、彼の言葉が──誇りだの掟だのの話が──真実であるという保証もない。
もしかすると、自分を騙しているのかもしれない。
しかし今のコノミには、それはもうどうでもよかった。
彼女にとってはとりあえず、今後しばらく自分のことを護ってくれるガーディアンさえいてくれれば──あわよくば、自分の魔法に魅了されでもして、こちらに寝返ってくれれば採算が取れそうなリスクだと思ったからだ。
(あと、ついでにチャラ男避けにもなってくれれば言うことなしなんだけどな)
そういうわけで、彼女にとっては彼を迎え入れたところでどうということもないという結論に達したのである。
「そうだよ。
にしても変なこと聞くんだね、自分から頼んだくせに。
最初に襲ってきた時とは随分と態度が違うじゃないか」
「や、あれは……悪かったと思ってるぜ、一応。
だがそれとこれとは話が別だろう」
呆れたように、しかしどこか嬉しそうな声音が耳朶を叩く。
(まったく、舎弟の何が嬉しいんだか)
よくわからない彼の感情に、しかしそんな嬉しそうな声を聞くとなぜかこちらまで嬉しくなって、気がつけば少女は笑顔を浮かべていた。
こうして、異世界に転生(?)して初めて、コノミは頼もしいパートナーを仲間にしたのだった。
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