××××、×××××。
まずは、私の目的から説明することにしよう。
私には、生き返らせたい人物がいる。
もう何百年、下手をすれば千年は遡らないといけない頃に、共に生き、そして共に死んだ、私の大切な友人であり、想い人だ。
──私の目的は、つまり彼を生き返らせることである。
薄暗い実験室。
淡い鉱石灯の青い光にわずかに照らされた部屋の中で、機械仕掛けの大きな椅子に寝かされている黒髪の少女を見下ろした。
烏貝よりも黒く、絹のように細く、そして夜空を編み込んだかのように美しいそれは、まるで人間というよりも人形のようだ。
──否、人形に見えるのもそれはそのはずである。
なぜならこの体は、この私が数百の歳月をかけて造りあげた、彼の魂を吹き込むための器──人造人間なのだから。
「もうすぐだ。
私はもうすぐ、お前と再会を果たす」
やけに冷えた注射器を握りながら、女の人造人間の背後へと回る。
元の性別と同じ姿にしてやれなかったのは悔しいが、彼の三千世界よりも広い心なら受け入れてくれるに違いない。
機械仕掛けの椅子についた把手をカラカラと回し、彼女のうなじをさらけ出させる。
白く、そして細く、今にも壊れてしまいそうなそれは、しかし確かな生命の熱を持って脈動していた。
「……」
脳裏に、彼と戯れた夏の思い出が蘇る。
豊かな緑の風景。
懐かしい蜩の鳴き声。
あの畦道を追いかけた夏の感触。
初めて二人で都会に出て感じた、息を呑むような人と晝の圧迫感と、低い空の青い色。
……そして、宙を舞う鈍色の車と、まるで墓石のように立ち並ぶ晝の群れをなぎ倒していく、黒い触手を吐く巨大な球体。
最後の、血の臭い……。
「……」
一度だけ深呼吸をして、心を落ち着かせる。
注射器の針を数回ほど指で弾き、吸鍔桿を押して汽筩内の気泡を外に押し出した。
吸鍔桿の圧に押された汽筩内の薬液が、注射針を伝って針を濡らし滴り落ちる。
そして、私は吸い込まれるように空いた左手を人造人間へと這わせると、その白いうなじに向けて、細く長い注射針を突き刺した。
──グニュリ、と針が肉をかき分け、頭蓋骨との隙間を通って脳幹へと侵入する感触が、注射器越しに伝わってくる。
狙う先は第三脳室。
そこに魂を肉体と繋ぎとめておく“部屋”がある。
この汽筩内の薬液は、彼の魂を一時的に物質化させたものなのだが、それがその“部屋”にたどり着くと、忽ちに昇華して、この人造人間に魂を与えるのだ。
僅かな抵抗感。
通常の注射針よりも長い針をさらに押し込んで、親指を吸鍔桿に添える。
「戻ってこい、ギンコ……!」
静かに押し込まれる吸鍔桿。
注射器の中を満たす黄色く半透明な魂の情報が、汽筩内を圧迫する吸鍔桿に促されて、静かに静かに彼女の脳を満たしていった。
──死者蘇生に於いて、昔からこんな問いがある。
たとえば死ぬ間際の患者の脳の情報を全て完璧に電脳に複製して、新しい機械の体にその情報を移行したとする。
するとその機械は、生前の患者と全く同じ思考回路で本人そのものの行動を行うようになる。
客観的にはその人物がそこにいるように見えるだろう。
延命しているように感じるだろう。
だが、それは本当にその患者本人なのだろうか?
答えは否だ。
なぜならそいつはただの複製で、本人そのものではない、言ってみれば複製体だからだ。
つまり何の話がしたいのかというと、哲学的殭屍というものだ。
人間はその人物の心情を理解するとき、その表情や仕草を見て判断する。
たとえば人工知能に表情を作る傀儡の顔を与えたとして、漫才を見ながらその傀儡が笑顔を作りながら笑い声をあげたならば、人間はそれを見て「人工知能がこの漫才を面白いと思っている」という風に感じるだろう。
しかし、実際の人工知能の本心はといえば、「そのように番組されていたから、それに従っただけ」で、人工知能は別に面白いとも何とも感じてはいない。
先に挙げた死者の脳を複製して、まるで延命しているように見せかけるという話も似たようなものだ。
生きている我々観測者が見ているのはあくまで複製であり、実際の本人ではない。
その本人を真似た番組に過ぎない。
つまり、人はどうやっても寿命以上に生きることはできないのである。
──それが、科学の限界だからだ。
故に私は、邪神によって生まれ変わったこの世界で死霊術を学び、直接本人の魂を降霊させることで人物の復活を行う魔術を完成させたのだ。
私は注射針を引き抜くと、その傷口に指輪のはめられた手を向け、それに魔力を通した。
人造人間のうなじに開いた注射痕から流れ出る血液や脳漿が、傷口に覆いかぶさるように現れた緑色の魔法陣から光が降り注ぎ、それを癒し始めた。
注射痕から垂れていた脳漿が、巻き戻されるように傷口に戻っていく。
同時に、濡羽色だった髪は色が抜け落ち光沢を纏いはじめ、その睫毛も眉毛も、同じく銀色へと変色していった。
人造人間の魔力が活性化した証である。
生物の体は魂を包むようにして、幾層もの位相の異なる殻のように展開している。
魔力はそれらを魂と結びつけ、それぞれの殻を循環し、世界と自分をつなぎとめる。
魔力の活性化はすなわち、現世への復活を意味するのだ。
「……ぁぁ」
不意に、それを証明するかのように、か細く嗄れた声が僅かに鼓膜を震わせた。
「!」
ふるふると瞼が震え、わずかに開いたそれの下から、夏の晴天のような蒼い瞳が顕になる。
「嗚呼、美しい……」
思わず、口をついてそんな言葉が弾き出される。
彼女の瞳はまだ像を結んでいないのか、少し虚ろな形ではあるが、それがまたこの美しさ──否、ふつくしさを際立たせている。
それが普通ではあり得ない、銀色という神々しい色彩の髪と合わさっているのだから、より一層であった。
私は思わず、彼女の頭を、その硬い胸に抱きしめた。
「やっと……やっと会えた……」
その声は嬉しさのあまり震え、嗚咽すら滲ませたような鼻声だった。
そんな私をどう思ったのか、彼女はその細い腕をぎこちなく動かすと、私を慰めるように背中へと手を伸ばし、ゆっくりとさすっていた。