呼び名
男は木彫りのコップで何かをすーっと飲んでいた。
「到着しました」
彼は男に向かって話した。
「ご苦労さんでした。さて」
男の顔は彼女を向いた。
「ようこそ、ミス・・ええと、呼び名がなかったね。私は国の皆からインバイトと呼ばれている。君に使いを送ったのは私なのだよ」
「はじめまして」
と彼女は答えた。
「銀座で通りかかる色々な人間を見たことだろう。そのように皆が思い思いの衣装を着て、通りを行き来しているのに羨ましく思ったりしないかね」
「気を取られることはあったけど、よくわからないわ」
彼女は俯いた。
「・・・でも、移動できる足があるのは素敵かもって思うわ」
「私達、インバイトも含めて動物という生き物は空間を行き来する手段を持ち合わせているからね、それに君ももう歩けたろう」
彼女は自分の足が動けていることを不自然には感じなかった。
「普通に歩けるのね」
その場をくるっと一回転して回ってみた。
「これも私の筋書きの力といったらそうかもな。ぎこちなく歩いてこの国を見渡すのはきっと大変だろうから」
「楽しいわ」
ふっと彼女の口元に笑みが浮かんだ。
「私も今は笑えるけど、微笑むのは人間型の能力みたいなものだな。猫のままじゃそんな意思表示はできないよ」
「なに、きっと笑えなくても猫の意思表示はほかに伝わるものさ」
そうインバイトは黒猫、いまは猫の紳士を慰めた。
「しかし、不思議なものだよ、微笑みというのは。いっそうあなたが素敵に見えるのだから」
彼女はなにやらむずがゆくその場から逃げたくなった。とはいえ、見知らぬことに来たのだから、その場から離れることは困難なことであった。
「やあ、恥ずかしい思いが出たみたいね」
猫の紳士は彼女の表情を覗き込むように顔を近づけた。
「そのくらいにしようか、あなたに呼び名を与えないといけないね」
インバイトはコップを持ち上げて、また一口飲んだ。
「私の呼び名」
「その言葉はあなた自身を捕まえるのだよ」
「じゃあ、むしろいらないんじゃないのかしら」
彼女は猫の紳士に思わず反論した。折角、動ける足を持てたのに、自分に呼び名が与えられることが別の鎖を自分に着けられるような気がしたからだ。
「ごめん、そんなに重苦しいものじゃないよ」
猫の紳士が彼女に誤り、インバイトはくすっと笑った。
「いやいや、中々面白い意見だよ。だから名前は真剣でないといけない。鎖は時に立ち位置を示す目印にもなるだろう」
インバイトは椅子から立ち上がった。
「パスがすまなかったね」
彼女は猫の紳士を見た。彼は少し不機嫌そうだった。
「呼び名ってのは自分で決められるものじゃないんだ。幾ら私が通路を行き来するからってそのままはないだろうって思うのだが」
「あなたはパスって言うのね」
彼女はパスからインバイトに体を向けた。
「じゃあ、私の呼び名を作ってくれるかしら」
「勿論さ、もう考えてはいたのだよ、でも君を直に見ないとはっきりしなかった。そしてわかったよ」
彼は少し考え込んだ。
「なんだよ、わかっていないじゃないかよ」
「本当ね」
二人してインバイトを責めたが彼はその言葉を聞き流し、考えていた。
「そんな待たせることか」
「やっぱり名前って大事なのね」
ようやくインバイトは目を開けて口を開いた。
「あなたの呼び名はリバティ。ようこそ、私たちの王国へ」
「リバティ・・・」
「うん、自由、解放って意味さ、それにどことなく可愛らしいね」
パスはリバティに意味を教えた。
「ありがとうインバイト、宜しくね」
実際に名前を貰うと怖さよりも二人に自分の名前を伝えることができたので、彼女には嬉しさがふとこみ上げて来たのだった。
「さあ、立ち話もあれだ。私の小屋に来なさい」
インバイトは二人を小屋に案内した。