もう一つの夜
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ヴァリーの靴が仕上がるまでの前夜、リバティや黒猫のパスたち一行は宿で一夜を過ごしていた。泊まる部屋は個別に用意されていたが、リバティはベッドの上に横になって宿の天井を見つめてはいたが中々寝つけなかった。元々はマネキンの彼女ではあったが、魔法使いの魔法により人間らしい生命活動を持てるようになった。それは眠りという安息は得られるかわりに、動き続けると疲れをもたらし休みを必要とすることも意味していた。
リバティは仰向けになっては、この先のことを考えていた。
「私は確かにあの店にずっといるのは退屈で抜け出したかったけど、だからといってこの王国で舞踏会に参加して踊りたいとか王国の貴族に会いたいとか、全く興味がないのよね。私は何をしたいのだろう」
そうやって考えていたのだが、何やら隣の部屋で寝ている客がパスではないのか、何やら知らぬ男の声が壁越しにリバティには聞こえてきた。
「ぶつぶつぶつ...teleとは遠隔のという意味である。synというのは同じとか類似という意味である。共感はsynpathyというが、そのpathyの元々の語源は痛みから来ている。即ちtelepathyとは遠くから痛みを知ることであり、synpathyとは痛みを等しく抱くことである。傍観者は体験者にならないが、痛みを抱けば体験者と同等となりえるのだろうか。何かの事故により受ける痛み、あるいは意図が現象として表出され受ける痛み。意図がなくならないのは悪が意志に基づくからであり、意志がなくならないのはそうしないと絶えず不確定な場の只中に放り出されるからである。現にコミュニケーションはその痛みを理解し合える感情によって成り立ってもいる。ぶつぶつぶつ...」
いったい何をこの男は考えているのかリバティは思った。いまいちリバティにはこの男が話した痛みというものを理解できなかった。彼女の記憶にあったほとんどは店のなかから外を見ていただけの退屈でしかなかった。それがこの王国に連れてこられたことで色々な思いを持つものが集まり交差していくことを初めて知ったのだった。店のなかで見ていた女性店員たちも、もしかすると色々な思いを抱えていながら、或いは通り過ぎながら働いていたのかもしれない。ただリバティには自分が退屈過ぎて、目の前の店員達の表情を汲み取る気にはなれなかったのであった。
「生き生きと生きているというのはそういった複雑な体系の体験の集まりから生まれるのかもしれないわ」
リバティは男の話が聞こえてきても、その話の内容を自分なりの考えが持てなかったことから、自分にはその考えの元となる体験が不足していると思えてきた。
「だったら、私はここで体験を積むことでやっと自分なりに考えを持つことができるのかもしれないわ」
そうリバティは思えてくると、少しこの先を待ち受けているものがつまらないだけのこととは思えなくなってきたのだった。その安心感からか、やっとリバティ人間のように深い眠りにつくことができるのだった。
朝を迎えると、リバティは宿の食堂で朝食を取った。
「やあ、リバティおはよう」
「おはよう、パス」
「眠りはどうだった?」
「よく眠れたわ」
「それはよかった」
パスはリバティの隣の席に座ると、リバティはパスに用意したお膳のプレートをテーブルから下ろしてパスの座る椅子の上に置いた。
「ありがとう」
「パスはよく眠れたの?」
「うん、まあ君よりはよく眠れたよ」
そうパスはプレートの上のパンを齧りながら答えた。
「それが人間と他の動物の違いかしら?」
「んぐんぐんぐんぐ」
「え?」
「んぐんぐんぐ」
「もうわからないわ」
パスは口の中の食べ物を全て飲み込んでから話した。
「食べて眠るくらいだから。毎日ずっと食っては寝てどこかで巣を作ったらまたふらふら。どっちが楽でどっちが楽しいかは僕にもわからないな」
「じゃあパスも私と一緒に旅したら何かわかるんじゃない?」
「そうかもしれないね」
パスはがつがつとプレートのお皿を空にたいらげた。
「そのためには死んじゃあならないね」
「怖いのね、死というのは」
「リバティ、君はずっと死んでたけどね」
「死んだままでは死の怖さはわからないのだわきっと」
「死してながら死を知らないというのは面白いね」
「だってそうだもの」
リバティはむすっとして立ち上がっては空のお膳を厨房に続く棚まで運んだ。
「ごはんの味はどうだった?」
「美味しかったわ、この卵はなんの卵かしら?」
「ルンチョウという鳥の卵さ」
「知らないわ」
「行けば会えるさ」
「そうね」
「じゃあ靴屋に行こうか」
「そうしましょう」
そうしてリバティと黒猫のパスは宿を出て再びヴァリーの工房へ向った。




