移動空間で
「手はしっかりつかまっていてくださいね」
と彼は言った。彼女は恐れを抱きはしなかったが、この手を放せば、どうなるかわからないことは予想できた。
「私もこの空間に落ちたことはないから、どうなるかわからないのだけど、世界は通路は定まるものの各々の世界は広大に無数にあるのだろうから、行き当たりばったりの世界にたどり着くか、或いは粉々になってしまうかそんなことだろうね」
「あとどのくらいで着くのかしら」
「そんなに私のスピードは速くないからね」
彼は話を続けた。
「旅行中、どこか寄り道をしていきますか?」
「既にこの旅は寄り道でないの?」
「これは失礼。疑問が上手くなったものだ」
しばらくそのまま二人で浮遊していた。四方八方紫や藍色に光が輝き更にその先を進んでいる。
「いつまでもマネキンでは表情が一つでつまらないだろう、そろそろかな」
彼女の目から涙がこぼれてきた。これはと彼女は右手で顔を拭いた。目を閉じることができた。
「何が起きたの?」
「私の住む王国にはインバイトという名前のストーリーテラーまたはもの書きがいてね、彼は元魔法使いの能力を生かして、ストーリーを現象化させるんだ、私が来たのも、産まれたのも、あなたが特殊なマネキンなのも全て彼の仕業さ、彼は人間だから、生き物であることの面白さを君にも与えたかったのだろう、君はマネキンのままだけど、涙も流せるし、微笑むこともできるそんな表情を作ることができるように彼が変えたのさ」
彼女は自分の口もとがゆるくなり、口が開くのも感じた。
「アーアー」
「だから、私も心に語らなくてもこれで話せるわけだよ」
「お互いの言っていることがわかるのかしら」
「インバイトはなかなか狡いから、私達の言葉は理解できるだろうけど、私の国に住む全ての生き物が共通の言葉を持っているかというと、それは、違うかもしれないな」
これが私の声。浮いているのに自分の声が聞こえたことが彼女に強い嬉しさをもたらした。それは彼女が望んでいたところとは超越した彼女独自の声だった。
「アーアー!この声、変じゃないかしら」
「変なものか。とても素敵な声だよ。さあ、そろそろ着きますよ」
輝きが強くなり、二人は一瞬何も見えなくなった。
そして、次に目を開けると、二人は木々に囲まれた森の小屋の前にいた。
「やあ、来たね」
机と椅子に男が腰掛けていた。