少女の生い立ち
そういえば今日はエリアのことでばたばたとしていた事もあって、一度も部屋には戻っていないな。
自分の部屋に戻れば、少しは落ち着く事が出来るのだろうか・・・。
そう思い、部屋のドアノブを回して、部屋に踏み込んだその時。
目の前に白い大きな六枚の翼を生やした・・・エリアが立っていた。
「えり・・・あ・・・?なんで、お前・・お風呂に行ったはずじゃ・・?」
「はじめまして、野元真崎。」
初対面の者に向ける挨拶をして、目の前のエリアは綺麗に微笑む。
「はじめまして・・・?って、え・・?なんでだよ・・。」
今、俺は自分でもよく分かるほど動揺していた。
目の前にいるのは、羽を生やすお手伝いをして欲しいと言ったはずなのに、すでに右に三枚、左に三枚の純白の翼を生やしているエリアの姿。
・・・これは、騙されていたってことなのか・・・?
あいつは大人しそうに見えて案外行動力がある奴だけど、人を騙すようなことが出来る奴には見えなかった。
だけど、何度瞬きをしてみたって目の前に立っているのはやっぱりエリアだ。
でも、エリアは母さんと一緒にお風呂に行ったはずだろ?
だって、確かにリビングでお風呂場からのシャワーの音が聞こえていた。
お風呂に行ったのは母さん一人・・・?でも、エリアと一緒にお風呂に入りたがっていた母さんが諦めて一人で入るわけがないし、エリアも母さんの誘いを断るはずがない・・・現に、エリアは誘いを断ってなかった。
なら、ここにいられるはずがない・・・・?
じゃあ・・・っ、こいつは誰なんだ・・・!?
「驚かせてしまいましたね。私はエルア。エリアの姉妹だと認識して下さればそれで結構です。」
エリアと似た、いやまったく同じ姿をした彼女はエリアの姉だと名乗った。
・・確かに、エリアには姉がいるという話をさっき聞いたことは聞いた。
この子が・・いや、この人が姉・・・?でも、これじゃまるで・・・・。
「双子、ですか?」
どくんっ、心臓が大きく高鳴る。
エリアと違って冷たい目つきをした彼女は、今、俺の心を読んだ・・・っ?
そう、確かに双子だと思った。だってこの二人は驚くほど酷似していた。・・・よくよく観察してみれば、服装と髪型が違ったということを除いて。
彼女の服装は、やはり白という事ではエリアと共通していたが、かっちりとした襟詰めの、まるで修道服のような厳かなもので、エリアとおそろいなのかなんなのか、十字架がついたエリアと似た髪留めで、やはりツインテールに髪を束ねていた。
エリアが可愛い系などと称されるならば、この彼女・・エルアは明らかに綺麗と言われる部類だろう。
近寄りがたい美貌・・・クールビューティとでも言うのか?を持ったエルアは、作り物のような笑みを浮かべて、俺に近づく。
「貴方の心を読んだこと、驚かれているようですね。貴方たち人間からすればそれは当然のことかもしれませんが・・・。まぁ、これも天使の力の一つと言っておきましょうか。」
「てん・・し?嘘・・・だろ、天使なんて・・・っ」
「いるわけない、ですか?」
「・・・・っ。」
ああ、こいつまた俺の心を読みやがった。今の俺のこの苛立ちでさえ、全部エルアには分かってしまっているのだろうか・・・。
「人間には大まかに分けて二つの種類があると言えるでしょう。すなわち、我ら天使を妄信し、救いを求め続ける人間と、そんなものは存在しないと最初から高をくくっている人間と。・・・そう、貴方のように。」
俺の目をまっすぐに射抜いて、エルアはそう指摘する。
「そうですね・・結論から言ってしまえば我ら天使は実在する。しかし、それを人間が知るのは本来あってはならないこと。それを、今回は妹のせいで貴方達にご迷惑をかけたこと、それはお詫びします。そして、貴方のご両親には失礼ながら少し手を施させてもらいました。」
「なっ・・・・なんだよ、それ・・・っ!!父さんと母さんに何をしたっていうんだ・・・!?」
「結論から言えば、何も。ただ、あの子が話した我ら天使に関する事柄を示す人間界の単語を、貴方のご両親が知りうる語句の中から置き換えてもらっているだけですよ。」
・・・・ああ、そうだったのか。これでようやく俺の頭の中の歯車が上手く噛み合い始めたような気がする。
先程父さんが発した辻褄の合わない言葉・・俺の知らない人名と、天気予報士。
それは父さんがとち狂ったからでもなんでもなくて、全てはこの、エリアの姉だと名乗る女の仕業だったわけだ。
「貴女・・・一体なんなんですか。勝手に挨拶もなしに人の家にあがりこんで・・・っ!」
「挨拶なら先程済ませたつもりですが?それに、何度も言っている通り私は天使と呼ばれる存在です。貴方が信じられないのはわかりますが。」
冷ややかな視線を俺に向けて、エルアは少しめんどくさそうに、突然背中にある白くて大きな翼を広げる。
「・・・なら、こうしましょう。私が貴方に私の力を見せ付ければ、信じてくださいますね?私達の存在を。貴方には少し協力して頂きたい事があるのです。」
何を勝手なことを・・・っ。だいたい何なんだ!?俺がこいつらに協力しなきゃいけないことって・・・!?
「勝手なことはこちらも重々承知の上です。全てはエリアが起こした不手際のせい・・・。いわゆる私は彼女の尻拭いをしにきたとでも申しましょうか。」
六枚翼を大きく広げたエルアはそう語りながら、試しに俺のベッドの脇に置いてあった目覚まし時計をおもむろに手に取る。
エルアの手がその時計を包み込んだ、と思った次の瞬間には、エルアはすでに時計から手を離していた。
このままでは時計は盛大な音を立てて床に激突するに違いない。
床に落ちた衝撃で、ジリリリリリリリリと朝でもないのにうるさく騒ぎ立てる目覚まし時計の騒音を思って、俺は思わず耳を塞ぎたくなる心境に陥ってしまった。
だけど、それなのに。
時計は、落ちない。
重力の法則に逆らって、とでもいうようにぷかぷかと、どういうわけかひとりでに宙を漂っている。
気がつけば、時計だけじゃない。
参考書、枕、布団、テレビ、ノートパソコン、さらには俺の・・・勉強机まで。
それら一つ一つに意思があるかのように、気ままに空中を闊歩している。
「なんだよ・・・っ、これ・・。」
「簡単な浮遊術です。準天使レベルでも使えるような、ね。」
そう言って、エルアはまたあの作り笑いとしか思えないような冷ややかな笑みを浮かべる。
「・・・・っ、こんなもの全てはったりだ・・・・!何か仕掛けがあるに決まってる!この世に科学で説明できないことなんか・・・・っな」
俺がこれ以上言葉を続けるのは許さない、とでも言うように俺の言葉は突然遮られてしまった。・・・・・鋭い、刃のようなもので。
よくよく俺の頬をかすって背後の壁に突き刺さったそれを確認してみれば、そいつはいつも俺が愛用していたシャープペンシルで。
目にも見えない速さとでも言ったらいいのか、俺の動体視力では認識出来ないスピードで俺に放たれたそれは、悠悠と壁にめり込んでいた。
たらり、俺の額を冷や汗が伝う。
・・・こいつは、目の前に立っている女は・・人畜無害に見える居候の自称天使とは違って、躊躇なく人を傷つけることが出来る人間らしい。
・・・っ、どういうわけだか知らないが・・・っここはこいつの意見に耳を傾けざるをえないかもしれない。
悔しいが、俺に飛んでくるシャーペンをつかみ取りできる素晴らしい反射神経なんてないわけで。
そして、今この状況をエルアの話を鵜呑みにする以外に打破できそうないい策も思いつきそうにはない。
・・・だったら、俺がこれ以上厄介事に巻きこまれない為に取る方法は一つだ。
「・・・わかりました、貴女が天使だと言うのは信じましょう。それで、僕は何をすればいいんですか?」
「そうですね、とりあえずは貴方が信じるふりさえしてくれればそれで良かったんです。そうしなければ話が進みませんから。・・・そう考えると貴方はやはり賢い人間のようです、野元真崎。実際に私達は い る。そして、それを前提として話を始めようというのだから、貴方がそんなものは存在しないと喚かれては話しようもないでしょう?・・・くす、それにしても貴方は随分と自分のイメージを気になさっていらっしゃるようですね。でも、私の前ではそんなことをしても全くの無意味です。どうぞ貴方自身の言葉でお話ください。」
エルアがふっと、俺の前で初めて優しげな笑みを浮かべる。
・・・確かに、先程からエルアはずっと俺の心を読んでいることに違いないことを考えれば、今更ここで自分を偽ってみても仕方ないのかもしれない。
優等生としての仮面をかなぐり捨てて、俺は語気も荒くエルアに詰め寄る。
「まぁ、あんたの言いたいことはわかった。それで、俺に何を望んでいるんだ?俺は何の変哲もない一介の高校生として今まで生きてきたから何も出来ないだろうことはあんたなら容易に想像がつくと思うが?」
「私は何も貴方だから頼んだわけではありません。エリアがたまたま、そう本当に偶然に貴方の前に落ちてきてしまった・・・初めてエリアが会った人間が貴方だから頼んでいるのですよ。」
・・・・俺が何か出来るだとか、他人とは違う不思議な力があるだとかなんてさらさら思ってはいなかったが、こうまでばっさりと否定されるとそれはそれで哀しい気がする。
「もう少しお世辞でも交えた方が他人に承諾されやすくなるんじゃないか?」
「お世辞なんて陳腐なものは我らには必要ありません。私は貴方より明らかに優位に立っています。貴方に私の頼みを断る余地はどこにもないと思いますが?」
「・・・妹とはずいぶんと違った性格なんだな。」
「ええ、姿こそ似ていますが私とエリアははっきりと言って似ていないでしょうね。・・・よく言われることです。」
「それで、たまたま選ばれた俺は何をしなきゃいけないんだ?面倒事に巻きこまれるのは正直御免だ。」
「単刀直入に言わせてもらうと、エリアを助けて欲しいのです。」
「なんだって・・!?俺にあいつを助けろぉ!?そんなのあんたが助けてやったらいいだろう?」
そうだ、実際にエリアの姉だというエルアが目の前にいるのだから、彼女が妹を助けてやればいい。
たまたま降って来られただけの、俺が助けてやる義理なんてどこにもない。
それだというのに、エルアはまた重々しく口を開く。
「エリアは天使見習いとして、準天使以上の存在となるためにこの世界に送りこまれました。貴方も見たでしょう?エリアの背中に私のような翼が無いことを。」
「ああ。」
確かにエリアの背中にはエルアのような純白の翼は生えていなかった。
そして、彼女は言った。
翼を生やす為のお手伝いをしてほしい、と。
「見ての通り、といってはなんですがあの子は落ちこぼれです。一般的に七年で卒業出来るスクールを十年経っても卒業できなかった・・・。」
「ちょっと待て、頼むから俺にもわかるように説明してくれないか?」
「・・・いいでしょう。私達天使とて、初めから貴方達人間が思うような完璧な存在ではありません。少しずつ物事を学習して、完全な存在にへと成長していくのです。スクールといわれるものは、貴方達の世界の学校と同義のものです。大抵のものはそこを七年で卒業し、晴れて準天使となり、二枚の翼を獲得することとなります。」
「それを、エリアは十年経っても卒業できないままなのか・・・?」
「ええ、そうです。そして、十年以上経っても天使見習いには救済策が与えられる。それが、地上へ行き、困っている人間達を陰ながら助けること。」
「それで、困っている奴を助けたらどうなるんだ?」
「準天使と同等の二枚の翼が生えてきます。そうなることで、その者はようやく準天使として認められることになるのです。」
・・・困っている奴を助けたら翼が生えてくるだって?エリアから聞かされた時も思ったが、何と言うファンタジックな・・・。
大体一体どういう原理でそうなってるんだよ・・・非現実的な。
まぁそんな事を言ってしまえば、そもそも目の前に現れたエルアや空から降ってきたエリアの存在自体が非現実的なものに他ならないのだけど。
わざわざ人を助けることで生えてくるというのなら、天から天使見習いとやらの善行を見守っていた神様のご好意で翼が与えられるとでもいうのか?・・・・ああ、考えただけで頭痛がする。
「どういう原理なのかということは実際我らにも詳しくは分かっていません。貴方の考えた通り、神のお力添えがあっての事だと囁く者もおりますが・・。」
だから、勝手に人の心を読むな・・・・っ!
エルアが絶えず俺の心を監視しているのかと思うと、どうしようもなくうんざりする。
実際、他人に知らず知らずの内に心を覗かれていることは想像以上に気持ちの悪いものだ。
それしても、こいつら自身にもわからないって、それはいったいどうなんだよ・・・。
「あんた達それで気味悪くないのか・・・?勝手に翼が生えてくるならまだしも、人の世話をしないと翼が生えてこないなんてどう考えてもありえないだろ。・・・なるほど、天使見習いとやらには人助けをしないと翼が生えてこないとか言っておいて、実はある程度の期限が来れば勝手に生えてくるってわけだろ?」
天使の翼が生えてくるって事自体がそもそもありえないことは、とりあえずこの場では無視しておく。
「天使の翼は時が過ぎれば生えてくるなどというものではありませんよ。だいたいそれならばスクール卒業時の七年の時点で、皆に翼が与えられているはずです。天使の翼というものは天使としての格を象徴するもので、その格に相応しくない者には決して生えることなどありえません。それに、準天使を象徴する二枚の翼は、時と共に生えてくるものではないと証明されているのです。」
「証明?どんな。」
「ある天使見習いが一人いたとしましょう。その者は一人の窮乏している人間を助けました。そして、彼はめでたく二枚の翼を手にし、準天使として天界に帰っていくこととなります。」
「・・・・それでいいじゃないか。なんだ、ずいぶんと簡単な話なんだな。」
それは、拍子抜けするほどのあっけなさで。
困ってる奴一人を助けただけで翼が生えてくるなら、俺だって簡単に天使様になれそうだ。
天使の格とやらがどうたらこうたらとエルアは言ったが、その格は案外たいした事の無い代物らしい。
「話はちゃんと最後まで聞くように。ここからが重要な話です。それと、我ら天使を侮辱する事は何よりも許されませんよ。」
強い、静かな怒りを込めた鋭い瞳で睨まれたものだから、俺の口からは勝手に謝罪の言葉がこぼれ出てしまう。
「・・・すまなかった。」
「・・・・これが最初という事で、とりあえず今は許しておきましょう。不用意な言葉を口にするのも、馬鹿なことを考えるのも少し慎んでください。」
・・・言葉を口に出さないことはまだしも、頭の中でいろいろと考えてしまうタイプの俺には馬鹿なこと=つまりエルアを不愉快にさせるようなことを考えないでおくことはかなり至難の業だった。
大体、考えなんて無意識にしてしまうものだろうし、考えるなという方がある意味で無理な注文だ。
・・そんな事をまたぼんやりと考えていると、エルアに厳しい目つきで見つめられたので、仕方なしにあまり考えを働かさないように努力することを試みてみることにする。