少女の涙
翼が生える瞬間が、一番辛く大変だったらしく、それからのエリアは元通りのようにピンピンとしていた。
俺はともかく、他の奴らにその翼を見せる事は色んな意味で危険だろ、と俺が指摘してやれば、どうやら翼は自分の意思で翼だけ見えなくされるというなんとも便利な術もあるようで、なんとか見た目は人間にしか見えない外国人少女として平然と町の中を歩き回る事が出来た。
そうして、二人して家に帰りついた俺達を待っていたのは、静かな怒りを感じさせる笑顔を浮かべた母さんの姿だ。
少々二人ともどもお小言を言われて、遅くなる時は連絡をしなさいと、母さんは最後にそう締めくくった。
そして、いつものように帰ってきた父さんと和やかな夕食を取り、もう習慣のように母さんと一緒にお風呂に入ることになっているエリアが上がってくるのを待つ間、俺はぼんやりとこれからの事を考えていた。
初めは、無茶苦茶な奴に迷惑な事を押し付けられたもんだと思ったものだが、今となって考えてみるとこれまでの生活はそれはそれなりに楽しかったような気がする。
とにかく、毎日毎日飽きない事は確かだったな。
最後の最後になると、全ての事が何もかも懐かしく思える。
綾人や秋桜のことも、おはぎをご馳走になった老婆のことも、一風変わった笹川ななみのことも、全てがもう、懐かしい。
たった数ヶ月程度の出来事なのに、今までの人生の中でもかなりの密度を持った期間だった気がする。
らしくもない感慨に浸っていると、トントンという控え目なノックの音が俺の部屋に響く。
「失礼します、真崎さんいますか?」
「ああ、いる。勝手に入っていいぞ。」
「それじゃあ入りますね。」
かちゃり、というドアが開く音に続き、母さんのパジャマを借りたエリアが姿を現す。
そのサイズはエリアの身体からすると少しブカブカだなんて言ったらまた母さんに怒られるのだろう。
「隣、いいですか?」
「ああ。」
俺の了承を得てから、エリアはすとんっと俺の隣に腰を下ろす。
「で、お前はどうするんだ?これから・・・。」
「多分、お姉ちゃんが私を迎えにくる事になっているはずです。今日の日付が変わる頃には私はもう・・。」
「そう、か。じゃあお前とは今日限りって事だな。」
「そう・・ですね。」
いつになく辛気くさい雰囲気が流れ、俺達はしばらく無音の時を過ごす。
そして、その沈黙を打ち破ったのはエリアの方だった。
「真崎さん、今までありがとうございました。」
確かに会話が途切れると訪れれる沈黙は嫌いだが、俺がエリアの口から聞きたかったのは決してそんな言葉じゃない。
そう、言われると嫌でも避けられない別れを意識してしまう。
「本当にこれが最後なんだな。」
「はい・・・。」
最後なんだ、何を言ってもいいだろう。そんなどこかヤケクソな思いが俺の心の中に芽生え、口から滑りしたのは普段の俺からは考えもつかない言葉だった。
「お前さ、確かに落ちこぼれだのなんだの言われてるようだけど、実際は凄く天使らしい性格をしているような気がするよ。」
「真崎さん、天使だとかそういったものは信じられないって言ってたのに…とうとう信じてくれるようになったんですね!」
まあ、確かに俺はリアリストを気取っていたわけだが、実際にこの目でどういう原理かエリアの背中に翼が生えるのを目撃してしまったわけだし、現代科学で証明出来ない事ばかり周りで起これば、俺も少しくらいそういった不可思議なものの存在を認めてしまったとしても何の不思議もないだろう。
「まあな。というかこれだけ色々あって信じない方がおかしいだろ。」
「そうかもしれませんね・・私、色々と真崎さんに迷惑をかけてしまいましたから。」
「確かにいい迷惑だったさ。でも、退屈はしなかった。」
「私も・・とても楽しかったです。」
静かにエリアの頬を伝う一筋の涙。
隣で聞こえてくる微かな嗚咽が、どうしようもないやりきれなさを掻き立てる。
この別れを止める事は俺にも、またエリアにだって出来やしない。
偶然によって引き起こされた出会いは、必然によって離別の時を迎えられる。
俺に出来る事は、ただ、彼女を慰める事だけ。
エリアを、今度を自分の意思で抱き寄せると、エリアは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにそっと目を伏せた。
あの時と同じだ。
泣いているエリアをどうする事も出来ず、ただ抱きしめる事しか出来ない。
「エリア・・ありがとう。」
俺の精一杯の言葉を贈れば、エリアはきらきら光る涙をこぼしながら、いつもの優しい笑みを精一杯、作ってみせた。
その笑顔が、俺にはどうしようもなく哀しいものに思われた。




