少女の頼み
先程から口を開かない俺におろおろとした表情を向けている彼女に向かって、俺は決別の言葉を繰り出した。
「すいません、やっぱり僕そういうの興味ないんで。」
「え!?ちょっ、ちょっと待ってください・・・っ!興味とかそういうんじゃなくてっ、たっ、助けて欲しいんです・・!お願い、お願いですから・・・っ!!」
彼女に背を向けて走り去ろうとした俺の制服の裾を思いっきりぎゅっと掴んで。
彼女はありったけの声であろう大声で、叫ぶ。
おとなしそうに見えたのに、案外物凄くバイタリティー溢れる人間のようだ。
・・・というかこの状況を通りすがりの人間が見たら一体どう思われることやら。
たまたま通りかかった噂好きの主婦が偶然にもクラスの誰かの母親で、明日朝俺が学校に登校してみると、優等生である俺が外国人、いやあるいはハーフの少女と道端で激しい痴話げんかを繰り広げていた、だなんて訳の分からない噂話でクラス中が持ちきりだったという変な想像が頭の中で容易に展開することが出来て、まだ実際そうなった訳でもないのに、どっと疲れが押し寄せてくるようなそんなおかしな感覚に襲われた。
「わたし、どじで落ちこぼれってみんなに言われますけど、私の出来る事ならなんでも・・・なんでもしますからっ・・・・!だから・・・お願い、します・・・。」
雨の中で濡れてくしゃくしゃになったダンボール箱に座る、どこにも行くあてのない捨てられた子犬のような眼で、彼女は必死に俺に縋り続けようとする。
いくら冷たいといわれる俺であっても、木や岩のように心がないわけではない。
流石にこうまで頼み込まれると、揺れる心もあるわけで・・・。
大きなため息を一つついて、俺はどうしようもないこの自称天使の頼みを受け入れることに決めた。
「・・・・わかったよ、そこまで言うんなら協力してあげてもいい。だけど一体僕に何をしろと?」
「私、住むところがないので・・・お家に泊めて頂きたいんです。だめ、でしょうか・・?」
いや、普通に考えて駄目に決まってんだろ。
思わずそんな言葉が口から飛び出そうになってしまったが、間一髪のところで何とかそれを飲み込む。
不幸に巻き込まれないためには優等生の仮面を被り続けている事が何よりも大事だ。
ここはまず、落ち着いて・・・冷静に。
「失礼ですが、家や家族はどちらに?」
「天界、です。」
どこかの地名かと疑ったが、彼女が高らかに伸ばした腕で指差したのは、まぎれもなくはるか上空の今は薄闇に包まれた空。
・・・・冗談にしては先程から手がこみすぎている気がする。
ドッキリならドッキリと、早く陽気なプラカードでも掲げて何処かから飛び出してきて欲しい。
やっぱりここは早く適切な処置をしてくれる施設に行くのが得策なのだろうか・・・。
「あの、すいません。私・・・何か変な事言っちゃいましたか・・?」
また口をつぐんでしまった俺に、この少女もようやく失言をしてしまった事に気付いたらしい。
・・・しかし、それを俺が黙るまで失言だと思わなかったという事が何よりも一番怖いところなんだが。
「ええ。それはまぁ、とても。変わっていますね、貴女は・・・。」
「あっ、はい。よく言われます。」
俺の、優等生としての仮面を被ったままで言える精一杯の嫌味にも、それが嫌味だと気付いてさえいないのか、よく分かりましたねとでも言いたげに、にこにこと笑う彼女の姿は少し嬉しそうでもあった。
・・・・駄目だ、これは。とても俺の手に負える奴ではなさそうだ。
天然などと称される人間は、自覚してあたかもそうであるかのように振舞っているだけだと思っていたが・・・この少女の場合はとてもではないが演技に見えない。
むしろ嘘をつけば一瞬でバレるタイプで、演技なんて出来やしない人間だろう。
いっそ彼女が口達者なとんでもないペテン師で、今までのはぜぇーんぶ嘘でした☆なんて可愛らしくバラしてくれる方がかなりイラつくものの、どれだけマシな事か。
素で狂言をやってのける人間ほど怖いものはないと、つくづく俺はそう思い続けてきた。
そして、それを体現するかのような少女がぽやーっとした笑顔を浮かべて俺のすぐ目の前に立っている。
今日最大の不幸だと思っていた模試の点数なんてこの少女の突然の出現ですっかり頭の隅に押し込められてしまっていた。
今俺が無意識に何度も何度も考えてしまっているのは、いきなり空から降ってきた(としか思えない)が、頭を除いていたって健康的に見える少女のこと、ただそれだけだった。
とにかく、彼女を助けようと一度は決心してみたものの、身元不明の、俺とたいして年は変わらないように見える女を家に連れて帰るのはいろいろと大きな問題がある。
変に希望を持たせたことは悪かったとは思うが、ここは潔く断らなければ知らず知らずの内に家まで俺の背後からついてこられそうだ。
・・・ああ、それは非常にまずい。
今だって奇跡的に人は通りかからないものの、ずっとここで押し問答をしている場面を目撃されれば誰だって怪しいと思わずにはいられないだろう。
さらにその少女の話している内容を耳に入れられてしまえば、きっと彼女ともども可哀想な目で見つめられるに違いない。
何よりも自分のイメージを大切にしたい俺にとってそれは由々しき問題だった。
先程からずっとおどおどしている少女の、少し潤んだ瞳を見つめないようにして、俺は慎重に言葉を選びながら、きっぱりと断りを入れようと決意する。
「すいません。やっぱり家に泊めるのはいろいろと問題があると思うので・・・。親にも相談しなければいけないですし・・。」
「あっ、じゃあ・・!私からもご両親に頼みこんでみます・・・!」
「へ?」
「やっぱり私天使とはいえ、お家の方にいろいろとご迷惑をかけてしまうと思うんです。ですから・・・私からもご両親とお話をして、少しでも貴方の手助けになったら、いいんじゃないかって・・・。」
おいおいおいおい・・・!?どんどん話が飛躍していってるんじゃないか!?
確か、俺は一言もこの女を泊めるだなんて言った覚えはないはずだ。
それなのに・・・それなのにこの少女は、俺が家に泊めることを了承してると勘違いをしている!?
こんな場合はどうすればいいんだ・・・!?考えろ、考えろっ!冷静に、冷静に・・・。
・・・・・・・・。
・・・そう、か。考えてみれば簡単な事だ。
外見は置いといて、言動が不審なこの子を家に居候として迎え入れるとは思えない。
いきなり母さんを前にして「はじめまして、天使です!」なんて言ってくれればさすがの母さんだって怪しいと思うだろう。
そうなれば、親を説得出来なかったという名目でなんとかこの子を追い返すことが出来るかもしれない。
・・とりあえず、家まで連れて帰る価値はあるかもな。
「わかりました。それじゃあとりあえず僕の家まで行きましょうか?」
「っ・・・・はいっ!」
ようやく少し肌寒くなってきたこの道に佇む事から解放されるのがよっぽど嬉しかったのか、彼女は今までよりも一層明るい笑顔を俺に見せてくれた。
そんな彼女をこのまま無下に帰すことになることに少しの良心の呵責を感じたが、俺はあえてそれに気付かなかったことにする。