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4 大晦日



 そんなわけで、僕らは次の日の朝、中古のホットカーペットを引き取りに、大学の友達の住む隣町まで出かけることになった。

 その友達は親からの仕送りのある人で、僕らのアパートとは比べ物にならないぐらい綺麗なワンルームマンションを借りている。古ぼけたセーターやジャケット姿の僕らはなんだか、そこにはひどく場違いだった。事実、エントランスホールやエレベーターですれ違う小奇麗な身なりの人たちが、少し胡散臭い視線をこちらに投げていた。

 僕らは少し気後れしながらぴかぴかに磨かれた廊下を進み、くだんの友達の部屋にたどりついた。


「買ったときの箱なんかは処分しちゃったんだ、ごめん」


 そう言って、友達はビニール袋の上から養生テープだのビニール紐だのでぐるぐるに巻いたホットカーペット一式を僕らに渡し、「気をつけてな」と手を振った。彼はこれから、新幹線で二時間ほどの家に帰省するということだった。

 僕らはありがたくその荷物を受け取り、またもと来た道を電車で戻った。二畳敷きのごく小さなホットカーペットだったけれど、本体と上にかけるカーペットとなると結構な荷物だ。それでも上背があって普段から力仕事もしている省吾がいてくれたので、とても助かった。

 アパートに戻って早速広げてみると、それはポップな明るいデザインのカーペットだった。黄色や明るいグリーンの丸や三角の大きな模様が、ぱっと部屋そのものを明るく変えてくれたように見えた。


「あは、可愛い」


 省吾も思わずといった感じで頬をゆるめて微笑んだ。ふたりで早速スイッチを入れ、膝に毛布を掛けて座ってみれば、じわじわと尻の下から温かさがやってきて僕もすっかり嬉しくなった。

 部屋そのものが小さいうえに、省吾が普段からこまめに掃除してくれているので、僕らはこの年末になっても大掃除らしい大掃除などほとんどする必要がなかった。その代わりと言ってはなんだけれど、特に省吾は澄子さんに駆り出されてアパートそのものの大掃除に忙しかった。とはいえそれも、昨日までの話だった。

 だから今日は僕らはこのまま、やっぱり貰いものの小さな液晶テレビで夕方から始まる毎年恒例の歌番組を見て、省吾の心づくしのお蕎麦をいただき、一緒にゆっくりと年を越そうと思っていた。

 同じアパートの住人はと言えば、大家の澄子さんを除けばあとは一人ぐらいしか残っていない。大体は田舎に帰省し、中には彼女と年末年始の温泉旅行だなんて羨ましい奴もいるという話だった。

 するともなしにそんな話をしていたら、その温泉旅行のところで省吾はあからさまに羨ましそうな顔になった。


「年末年始、温泉旅館で過ごすなんてすてきですね」

「そうだね。旅館も書き入れどきだし、普段よりお高いんだろうけど。彼女のために奮発したんだろうな。いいよねえ」

 ふふ、と省吾が笑う。

「温泉、いいなあ。きっと景色もいいんでしょうね」

「多分ね。内湯のある部屋にしたとか言っていたから、ゆっくりできるし。最高だよね」

「わあ、すごい。頑張ったんだ中山さん」

 そう、その人は中山というちょっともっさりした男なのだ。僕も思わず、彼につられて笑ってしまった。

「そりゃそうだよ。中山さん、二十数年生きてきて、やっとできた彼女だもの。今年は絶対頑張るんだって息巻いていたもんね」

「でしたね! 彼女さん、嬉しいだろうな。ああ、羨ましい……」


 そのときだった。

 一息いれようと省吾が淹れてくれた緑茶を飲みながら、僕はふと、とあることに気づいてなんの気なしに言ってしまったのだ。


「でも、省吾くん、お風呂が嫌いってわけじゃなかったんだ」

「えっ……」

「え? いや、だって今、『いいなあ』って――」

「あ、……はい。それは」


 さらにまずいことに、そのとき省吾がやや戸惑った声になったのを、僕はつい聞き逃した。ぽかぽかあたたかい足元のホットカーペットが、僕からいつもの慎重さをはぎとっていたのかもしれなかった。


「ずっとシャワーばかり使っているから、お湯に入るのが苦手なのかと思ってた。それじゃ、無理してこんなアパートにいるのは大変だったかも知れないよね。こんな不便な所に誘っちゃって、かえって悪かったかな……」

「え、そ、そんな――」

「あの、無理しなくていいからね? 澄子さんはああ言ったけど、ちゃんと収入が入るようになったら遠慮せずに、もっといいアパートに移ったらいいんだよ。自分の部屋にお風呂もあるところに住んだほうが、君だってゆっくり休めるだろうし」

「え――」


 言ってしまって彼の顔を見たとたん、僕は自分のやらかしたことを悟った。省吾は先ほどまでの楽しそうで柔らかだった表情を一変させて、一瞬で頬を強張らせてしまっていた。


「ご、ごめん。余計なこと――」

 慌てて謝ると、省吾はぱっと申し訳なさそうな顔になって俯いた。

「あ、いえ。……ごめんなさい、自分のほうこそ。なんだかなし崩しに、ずるずると居座るみたいなことになってしまって。俊介さんにはご迷惑に決まっているのに……」

「い、いや! そういう意味じゃないんだよ……! ごめんね、省吾くん――」

「いいえ」


 そう言えば省吾は、同じ部屋に住んでいるにも関わらず僕の前では滅多に着替えることもない。シャワーも大抵は僕が大学やバイトで出ている間に済ませてしまって、目の前でまともに服を脱ぐところなんて、多分一度も見たことがなかった。Tシャツとジャージ姿になったところまでは何度も見ているけれど、それ以上となったら皆無だった。

 まさかとは思うんだけれど、もしかして体に大きな刺青だとか、何かの傷でもあるのだろうか。いや、その若さと雰囲気でそういうことはなさそうに思うのだけれど。それに、少なくともマサ叔父さんの店で彼の傷の手当てを手伝ったときには、そんな不自然なものは目にしなかったはずだった。


 だとしたら、彼には何か、人に肌を見せられないよくよくの事情があるということなのだろうか。

 だけど。


(……うん。詮索はよくないな)


 僕はそう思い直して、不自然にできた会話のを埋めるように、ぎこちなく湯のみをすすった。

 いずれにしてもこんなこと、本人が望んでいるわけでもないのにずけずけと訊くべきじゃない。どう考えても、これは彼のプライベートに立ち入りすぎだ。彼には彼の抱えた難しい事情が間違いなくあるはずなのだから。


「……あの。お茶、冷めちゃいましたね。淹れなおしてきますから」


 省吾は省吾で、困ったような顔を無理に笑顔に戻してそう言うと、僕と自分の湯のみを持ってそそくさと共同の台所へ出て行った。

 静かに閉められた部屋のドアを見やりながら、僕はしばらくぼうっとしていた。


(なんだろう)


 自分でそう言っておきながら。

 彼に、「無理してこのアパートにいる必要はない」なんて言いながら、僕は自分が少しもそんなことを望んでいないのに気づいていた。

 いや、できるものならそんなこと、このままずっと起こらなければいいとすら考えていた。

 それが一体なぜなのかは、やっぱり鈍くてどうしようもない男である僕には、どうしても分からなかったのだけれど。



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