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1 ふたり暮らし



 それから僕らは、その狭いアパートでふたりで暮らすようになった。

 そうは言っても僕は相変わらず大学とアルバイトで多忙の身で、帰宅して彼と顔を合わせても最近の仕事の話なんかをちょっと聞くのが精一杯。大体は、食事と入浴が終わったらすぐに布団にもぐりこむような日々だった。

 省吾は住む場所が定まったことによって前よりはるかに仕事を探しやすい環境になったらしく、コンビニや日雇い、工事現場の警備の仕事などを組み合わせて少しずつ生活も安定し始めたようだった。


 相変わらず、もともとどこに住んでいたのかとか家族の話なんかはしてくれなかったけれど、次第に心を許してくれるようになったのは、その家事のやり方を見ていれば如実にわかることだった。

 僕は近くの大学の院生で、今はそこの機械工学科に在籍している。今までは昼食は学内のカフェテリアを使ったりコンビニ弁当で済ますことが多かったのだけれど、このところは省吾の手作りのお弁当を持って大学へ行くことが増えてきている。

 彼は、ほかの家事もそうだったけれども、とりわけ料理が好きだったのだ。

 そしてただ好きなだけでなく、それがとても上手かった。


 普通、男の手料理っていうと量ばかり多くってそんなに見た目には凝らないものを連想するけれど、彼のは全然そうじゃなかった。

 蓋を開けたとたんに「わあっ」て思うようなきれいな彩りの弁当は、たぶん幼稚園以来ではないかと思う。そのころにはまだ、父が生きていて母にも余裕があったからだ。

 小学校は基本的に給食だったし、そうこうするうち父が亡くなり、母は仕事で忙しくなった。そういう事情のために中学からあとの弁当といったら基本、「とにかく量があって栄養が偏ってさえいなければオーケー」っていう、全体に茶色く見えるラインナップがほとんどだったのだ。


 ともかくも。

 彼と暮らすようになってからの僕の細長い弁当箱の中は、栄養面でも味の点でも、そして見た目においてもほぼパーフェクトといってよかった。

 理系の院生である僕には、昼どきだからといってわざわざ一緒に食事をする女子学生などいない。みんなそれぞれ、自分の研究や勉強やバイトのことで忙しかったりするし、てんでに学内のベンチなんかを探して資料に目を走らせつつ、ひとりでゆっくり食べることが多いからだ。だから僕も、彼お手製のその素敵な弁当を人に覗かれるような心配は要らなかった。


 実は最初に一度、僕は省吾から聞きにくそうに訊ねられた。つまり、弁当を作ってもいいかどうかということを。

 その理由はごくシンプルだ。

 つまり、「俊介さんに彼女さんとかいるんだったら、悪いから」という一点。

 だけど実際、そんな心配、する必要なんてまったくなかった。


 こんなことをわざわざ暴露したくもないけれど、僕は生まれてこのかた女の子にもてたためしがない。

 ひょろっと背ばかり高くて別に目立つ容姿でもなんでもなく、スポーツなんかめちゃくちゃ苦手。本を読むのは好きだけど、物語よりは図鑑だとかノンフィクションを好んで読む。そんな僕になんて、女の子たちは見向きもしないのが普通だったのだ。

 彼女たちの関心の的はいつだって、明るくてスポーツの得意な爽やかな男子たち。または楽しくて話が上手で、いつも周囲を笑わせているようなタイプ。

 中には優等生的でいつも本を読んでいて、図書館と教室を往復するだけみたいな静かな男子が好き、っていう変わった子もいたけれど、僕にはそういう人がもつ優秀で怜悧な雰囲気もありはしない。どちらかといえば野暮ったくて、いてもいなくても誰にも気にされないようなタイプ。

 要は、中途半端なのだ。


 でも、笑いながらそう言ったら省吾はひどく意外そうな顔になった。

「そうなんですか? 信じられない……」

「いや、ほんとだって。自分で言うのもなんだけど、僕にモテ要素なんて微塵もないでしょ? 高校になって眼鏡をかけだした頃にちょっとだけ、バレンタインデーのチョコが回ってきたことはあるけど、それだって別に『本命』っていうのでもなかったし」

「ほんとですか?」

 まだまだ疑っていそうな省吾の目を前にして、僕はちょっとため息をつきたくなった。こんな情けない話、何度もさせられるのは正直つらい。

「本当だよ。もちろん、ちゃんとした彼女がいたこともない。彼女いない暦が生きて来た時間と同じっていうあれだよ。恥ずかしいから訊かないで、もう」

「あ、ご……ごめんなさい」


 本当にほんとうのことを言えば、付き合ったことがないというのは正確な言葉じゃない。

 それこそ眼鏡をかけだしたころ、告白されてクラスメイトの女の子とお付き合いをしたことはある。でも、三日後にはあっさりとその関係は向こうから解消された。

 彼女いわく、理由はこうだ。


「東くんって、一緒にいてもつまんない。こんな人だと思ってなかった」


 ろくに話をしたこともないのに勝手に好きになって告白してきて、「こんな人だと思わなかった」もないもんだ。

 幼い恋愛の中には、そうやって勝手に膨らませまくった「妄想」とでもいった要素が多分に含まれているというのは分かるけれど、それにしたってひどい話だ。今ではそんな風に離れた場所から分析もできるけれど、僕だって当時はけっこう傷ついたのだ。


 ともかくも、それから省吾は毎日僕に弁当を作ってくれている。

 帰宅すると、「いいよ」って言うのに僕の手から弁当箱を奪い取るようにして洗ってくれるんだけれど、蓋をあけて空っぽになったそれを見ると、彼はなんだかひどく嬉しそうな顔になるのだった。ちょっと鼻歌なんか出そうになりながら、そのままにこにこととても丁寧に洗ってくれる。

 なんだかやっぱり、この子、可愛い。

 僕とどっこいどっこいの背丈で、胸板なんてずっと厚くていかつく見えるのに、省吾の心は僕なんかよりずっと繊細な絹糸で織られているような気がする。僕なんて、せいぜいが綿とか麻ぐらいなものだ。そもそもが、あまり細かいことに気がつかないし。

 言葉遣いにしてもそうだ。見た目からだともっと野卑なものの言い方をしそうに思うのに、彼はいつも品のある丁寧な話しかたをする。こういうの、「ギャップ萌え」っていうんだろうな。


 省吾がすっきりと片付けてくれたおかげで、こんな小さな部屋だけど、この珍妙なふたり暮らしもなんとかうまくいっていた。彼は寝相が悪かったりイビキをかいたりすることもなかったし、体のサイズだけは仕方なかったけれどもいつも部屋の隅で小さくなって眠るようにしてくれていた。なんだか本当にマサ叔父さんの言ったみたいに、ごくおとなしい猫でも飼ったような感じだった。

 いや、猫だなんて失礼だね。だって彼が来てくれてからは僕の部屋の中はいつもきれいな状態になったし、僕も「家事は折半」なんて大口をたたいておきながら、結局ほとんどそれをしたのは彼だったんだから。食事も限られた予算の中でいろいろに工夫して、安くて栄養バランスのとれた美味しいものを作ってくれている。

 ほんと、「いい奥さん」っていう形容がぴったりくるような、省吾はそんな人だったのだ。


 ただ、ひとつだけ気になることはあった。

 夜、たまにだけれど、彼は眠りながらひどくうなされることがあった。そんなとき僕は、はっきりと聞こえたわけではないけれど、「いやだ」とか「やめて」という言葉を聞いた気がしたのだ。

 苦しそうに、すすり泣くようにして丸まっている彼を見ていられず、僕は「大丈夫?」と言いながらその都度彼を揺すり起こした。

 目を覚まし、「何か言っていましたか、自分……」と不安そうにする彼には、僕は決まって「ううん、何も」と答えていた。そう言うと、彼はあからさまに安堵の表情を浮かべるのだった。


 それは、かつて彼の身に起こった出来事と密接に関係があるようだった。そして、恐らく非常に良くないことに決まっていた。それによって僕の中に湧きおこった不安な妄想の渦が、なんだかわかりもしないのに僕の胸にも棘を刺すように思われた。

 もちろん、やっと「袖を振りあった」程度の仲にすぎない関係では、彼に一体なにがあったのかと訊ねる勇気なんて、僕にはなかったのだけれど。




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