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5 おでん



 翌日。

 朝から講義のある日だった僕は、早くから家を出て大学に行ったあと、いつものようにバイトをして、日付が変わってから家に戻った。

 ここではみんな、靴はアパートの入り口で脱いで、中ではスリッパを履くことになっている。僕は入り口脇の管理人室にひと声かけてから、ぺたぺたと安物のスリッパの音をたてながら自分の部屋まで行った。


「あれっ……」


 薄いドアを開いた途端、僕はびっくりした。部屋の中のあまりの変わりように、帰る場所を間違えたのじゃないかと思ったのだ。

 今朝までは散らかり放題だった本や紙束なんかがきれいに整理されて本棚に片付けられ、埃を払われ拭われたらしく、見違えるようになっている。小さなちゃぶ台もきちんと拭かれ、表面が磨かれており、同じ蛍光灯に照らされているとは思えないぐらいに光っていた。

 いや、その蛍光灯そのものも、きれいに埃を払われていつもの何割増しかで明るくなっているようだ。


「おかえり、なさい……」


 低い声がして目をやると、部屋の隅に敷いた布団の上で省吾が身を起こしてこちらを見ていた。その布団一式はマサ叔父さんが彼のためにと譲ってくれたものである。

 今まで眠っていたらしいのだが、僕が帰ってくると思って省吾がわざわざ電気をつけたままにしていたらしい。


「あ、うん……。ただいま。えっと……片付けてくれたの? 君が?」


 まだちょっと信じられない思いできょろきょろと周りを見回しながらそう訊くと、省吾は恥ずかしそうな顔をして俯いて、首を縦に振った。


「あの、勝手に動かしちゃダメなものだったですか? 一応、中は見ていませんし、書類はほとんど触っていないんですけど。すみません……」

「あ、そんなことないよ。ちょっとびっくりしちゃっただけで。すごく綺麗にしてくれたんだね。どうもありがとう……」

「そうですか。よかった」


 言いながら、寝巻き代わりのジャージ姿で起き上がると、省吾は僕が脱ぎかけた薄手のコートを受け取って手早く壁のハンガーに掛けてくれた。そのまま慣れた手つきで軽く埃を払ったりしている。

 なんだか、奥さんがいるみたいだ。


「どこに何があるか分からなくなったら言ってください。ちゃんと自分、覚えてるので」

「あ、うん……」


 そういえば、省吾は自分のことを「自分」と言う。

 なんとなく、自衛官さんとか武士だとか、そういう体育会系のたぐいの人を連想する一人称だ。彼の見た目からすると「オレ」とか言うのが似合いそうにも思うんだけど、ちゃんと話をしてみるとなんとなく、僕も今ではそれがあんまり似合うようには思えなくなっている。

 マサさんも言っていたけれど、彼はとても品のいい人だ。細かいことによく気がつくし、とても繊細な感じがする。むしろ、アーミー風のカーゴパンツだとかが中心の今の風体のほうが、かなり無理をしているように思えるぐらいだ。


「僕のために、電気をつけたまま寝ていたの? いいんだよ、気にしないで」

「あ……はい」

「あ、それとも省吾くん、真っ暗だと寝られない人?」

「え? い、いいえ……」

「なら良かった。僕は『真っ暗派』なもんだから。目を閉じてても、周囲が明るいとどうも眠りにくくって。えっと、それに……電気代もバカにならないしね?」


 苦笑してそう言ったら、省吾ははっとしたようだった。

「す、すみません……!」

 なるほど、そこには思い至らなかったらしい。必死で頭を下げられて、僕のほうが恐縮した。

「あ、いやいや。いいんだよ、一晩ぐらい。ごめんね? ほんと貧乏な奴で。気を遣わせちゃって、お掃除までしてもらって――」

 頭を掻いてそう言ったら、彼は頭を下げたまんまで必死に首を横に振った。


「迷惑を掛けてるの、こっちだから。本当にすみません。なるべく早く、出て行くようにしますから――」

「そんなのは気にしなくっていいけど。とにかく、今までよりも安定した収入の仕事が見つかるといいよね。まだ怪我もちゃんと治ってないから、無理はしなくていいよ。ゆっくりじっくり腰を落ち着けて、しっかりした仕事を探すといい。君の将来のためだもの」

 そう言ったら、省吾は一瞬、なんだか泣きそうな顔になったみたいに見えた。でも、気を取り直したように僕を見上げた。


「あの。おなか、すいてませんか? おでん、作ってみたんですけど」

「えっ、おでん?」


 それは正直、嬉しかった。まだ秋と呼べる季節だけれど、このところ朝晩はかなり寒くなってきている。コンビニではそろそろおでんも販売を始めているけれど、そこで働く身ではそうそう口に入るものでもない。


「温めてきますね。ちょっと待っていてください」


 そう言うなり省吾は立ち上がって、ガウン代わりに僕の貸してあげたカーディガンを羽織ると、冷蔵庫からラップのかかった器を取り出して共同の台所へと出て行った。電子レンジなんかはそっちにあるのだ。


「うわ! おいしいよ、これ……。省吾くん、すっごいよ君、天才!」


 彼のお手製のおでんは、店のものに負けないくらいに味がしみていて美味しかった。ごろっとしたじゃが芋や大根がほくほくしていて、もう最高。

 僕が夢中ではふはふ言いながらそれらを口に運んでいるあいだ、ちゃぶ台の向こうに座った省吾がなぜかひどく嬉しそうな目でじっと僕を見つめていた。



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