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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私と彼女と誘拐犯

作者: 藤崎

誘拐、監禁等が生理的に問題ない方のみ、お読みください。

現実と「小説」の区別のつく方のみ、お読みください。

以下、本文開始位置調整のための空白が続きます。













*  目覚めた部屋で

 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


登場人物紹介

二木雛

誕生日:三月三日

年齢:十七歳

この物語の主人公。高校三年生。

不幸なことに後述される、高島怜に誘拐、監禁されてしまう。

斎賀結愛

誕生日:五月五日

年齢:十八歳

雛を唯一の親友と慕い、よく遊んでいる。高校三年生。

誘拐されてしまった親友のことを誰よりも心配している。

高島怜

誕生日:不明

年齢:不明

死んだように生きている日々(本人談)の中、通勤中に見かけた雛に目を奪われ、その日中に誘拐することを決意。鮮やかな手段で誘拐を成功させ、雛を地下に監禁することに成功する。




 天蓋付きのベッドで静かに眠っていた少女がゆっくりと目を覚ました。まず彼女が目にしたのは、真っ白な天蓋だった。そして、自室では有り得ないその光景によるものだろう、彼女の寝ぼけた顔は即座に驚きに変わった。続いて跳ねるように体を起こした彼女の目に入ってきたのは、全面をコンクリートに囲われた部屋だった。慌てた調子で自らの頬を抓り、その痛みに顔を顰める。間も無く彼女は、全く知らない部屋で目を覚ましたという疑いようもない不気味な現実を受け入れざるを得ないということに気づき、絶望した。

 その部屋は、初めて見たばかりの彼女に強い違和感を抱かせた。生活感といったものが全く感じられない。部屋というものは、その主が最も心を安らげる場所故に、本人の様々な個性が出るものである。だが、この部屋にはそういったものが全くない。二十五メートル四方の部屋は、全面をコンクリートに囲まれており、窓はなく、調度品は白色で統一されている。一際目を引いたのが、場違いにも天蓋付きのベッドだった。

 他には冷蔵庫に洗濯機などの家電も一通り揃っており、キッチンにバスルームもあり、この部屋だけで生活を送ることが可能であることは疑うべきもなかった。

 そして彼女以外に人の姿はなく、エアコンの駆動音と、柱時計が時を刻む音だけがこの部屋を満たしていた。

やがて、部屋をベッドの上から見回していた彼女は、外へ続いていると思われる一枚の扉を見つけた。

 ベッドからおり、その扉へと近づくと、すぐにそれが彼女にはどうしようもないものであることが見て取れた。カードリーダーらしき装置がドアノブの上の部分についている。カードキーがなければこの扉を開けることは叶わないだろう。以前混乱の解けない頭のまま、扉の前に留まっていると、突然扉が向こう側に開けた。

 そこで、彼女は初めて相対することになる。

 自身を誘拐した、その犯人に。



**  少女との邂逅

 そう、始まりは本当に何でもない日だった。二木雛という女子高生を見かけたのは通勤途中のことだった。もしかすると十以上も年齢の違う少女に、おっさんの俺は目を奪われた。その日中、その少女の事だけを考えていた。名前はなんというのだろう? 高校はどこだろうか? どんな制服を着ていただろうか? 交友関係は? スリーサイズは? 趣味はなんだろうか? 部活は何をやっているのだろう? 一度気になりだすと止まらなかった。連鎖するように湧き上がる疑問の全てを解消したいと思ってしまった。そんなことは無理な筈なのに、それを可能にする方法をその時の俺はただ一つ思いついていた。それはひどく単純明快で、短絡そのものと言っていい解決方法だった。それは少女を手中に収めればいいということだ。そこからは、俺の頭は今までにない速度で回転を始めていた。少女との出会いは通勤途中だった。つまりそれは偶然ではないはずだ。俺が今まで、その存在を見落としていただけで、少女はきっと明日以降も同じぐらいの時間に、このホームにやってくるだろう。

次の日から、周りを気にかけるようになった。朝の時間の人混みの中から、少女を見つけ出すのは容易ではなかった。見つけ出すだけで二週間を費やした。少女が利用する電車の時間帯を把握し、一本早い電車に乗り、トイレの中で次の電車を待っていた。次の電車のホーム到着と同時に外に出て、人混みに紛れる。それをただひたすら繰り返していた。だから、念願叶い少女を人混みの中に見つけた俺は目と頭の正気を疑った。人の溢れるホームの中では服装を確認する余裕がなく、突然立ち止まった俺に人々が怪訝の目を向けていた。俺はその視線により、自らのやろうとしている事の重大さを思い知った。ただガムシャラに少女の行動を突き詰めようとしていたが、それはストーカーというれっきとした犯罪行為だった。だが、それがなんだというのだろう? そんなことは冷静になるまでもなく自明な事実だった。冷静になって、再確認しただけに過ぎない。俺は全く冷静なまま、犯罪計画を思索していた。そこからは慎重に立ち回ることにした。

 少女がどの改札から抜けて行くのかを目で追って行った。少しの時間を開けて、その改札を抜け、あたりを見回す。少女は既に人混みの中に消えていた。

 だが、焦ることはなかった。焦ってはいけなかった。

 この辺りの高校をリストアップしたところ、高校は二校あったが、幸運なことに高校の制服はどちらも似ても似つかないようなものだった。

 さらに二週間をかけ、俺は少女の着ている制服を特定したのだった。



*  監禁の始まり

 突然開いたドアに、そしてその向こうから現れた男に少女は怯み、呆然と立ち尽くしていた。周回遅れの思考が、警鐘を鳴らし始めたが、身体はそれに付いてこない。

 男の方も、まさかドアのすぐ正面にいるとは予想しておらず、しばらく停止していた。

やがて、沈黙を破ったのは男の方だった。

「おはよう、よく眠れたかな?」

 話しつつも高島は、後ろ手で入ってきた扉を閉めた。ガチャン、という硬質な音の後に、ピーという軽快な電子音がなり、この部屋が再び密室に戻ったことを告げる。彼は一瞬で混乱から立ち直り、少女から逃げ場を奪った。

 話しかけられたことで身体の硬直が溶けた少女はベッドの向こう側に逃げ込んだ。

「ごめんっ、驚かせちゃったよね。俺は高島怜って言うんだ」

 それを見た男が慌てた調子で名乗った。

 少女は、高島がいる場所の対角線上に位置するベッドの柱に縋り付いていた。震える膝も、怯えた表情も、天蓋のおかげで高島からは見えていない。少女は徐々に思い出し始めていた。目を覚ます前の、最後の記憶を。そして、諸々の状況から、自身が何らかの犯罪に巻き込まれたことに気づいた。それが彼女の恐怖を加速させる。彼女の口は恐怖で完全にくっついてしまっていた。

「怖くて、まだ話せない?落ち着くまで待つよ、時間ならいくらでもあるからね」

「そ、そん、なっこ、とない!」

 言葉とは裏腹に、みっともなく恐怖に震える声が部屋に響いた。

 少女の表情が高島から見えないように、逆もまた然り。天蓋越しに浮かぶシルエットが、今どんな表情なのか、彼女には想像すらできなかった。想像もしたくなかった。

「……あの、ここは一体どこ、何ですか」

 無理矢理にでも声を張り上げたことで、彼女の緊張は幾分かマシになっていたが、それでも声に滲む恐怖の色は隠し切ることはできなかった。

「それは答えられない」

「あなたは、何なんですか」

 喋らないといけない、彼女はそんな強迫観念に襲われているようだった。話すことを止めれば、高島はきっとこちら側へ来てしまう。何よりも、相手が会話を求めているということを察していた。

「俺は、誘拐犯だ。君を誘拐して、ここに閉じ込めているのが、俺なんだ」

 高島は、力関係をわからせるかのように、或いは少女を落ち着かせるために、一言一言を区切って話しかけた。

「……そうですか」

 身体の震えも、だいぶ収まり、彼女は徐々に現実を受け入れ始めていた。

「えっ、それだけ……? もっと驚いてくれるかと思っていたんだけど」

「なんとなく、予想はできていたんです」

 そう言う彼女の声にはまだ震えが残っていたが、それでも本来の自分を取り戻しつつあるようだった。

 十二時を知らせる時鐘が部屋に鳴り響いた。

「私、お腹がすきました」

「君は大物だね。ちょうどいいし食事にしようか」

 高島には見えない、天蓋の向こうの少女のその瞳には、絶対にここから逃げてやると言う強い石がみなぎっていた。



**  解放の日々

 高校を突き止めたが、そこで有給が尽きたため、それ以上の行動を起こすことは出来なかった。それからというものの、仕事への取り組み方が変わった。人間変なもので、善悪はともかくただ、目標があれば勤勉になれるものらしい。その時には、その少女を誘拐し、監禁することまで考えていた。そして、それは法治国家日本においてはただ人を殺すことより難しいことも想像できた。金がいくらかかるのか、当然だが見積もれるわけもなかった。業績は上がり、上司からの受けも良くなった。

 それは月に一度の飲み会の帰りだった。上司に酌を注ぎ、話を合わせる。ただ苦痛に過ぎなかったそれも、給料、果てはそれが少女に繋がることを考えれば苦痛ではなくなっていた。そして、天は俺に味方したのだ。

 飲み会からの帰り道、少女が夜道を一人帰る姿を見つけたとき、酔いは一瞬で醒めていた。塾かなにかの帰りだろうか、通学とは違う鞄を提げ、歩いていく彼女を追っていく。時間帯と、経路から駅へ向かっていることを確信した俺は歩調を早め、少女を追い越し駅へと先回りする。こういう時に電子マネーは便利だと心底思ったことを覚えている。どこで降りるかわからないが、電車に乗らないといけない状況、というのは尾行中以外にどうにも思いつかないが、電子マネーならその心配をする必要がない。

 やがて駅に現れた少女は、階段を登って見えなくなった。そのうち、ホームに現れたことを確認して、俺もそのホームへと向かった。初めて出会ったあのホームの向かい側のホームだ。少女が並んでいる車両の別の入り口の列に並ぶ。

 アナウンスが流れ、電車がゆっくりと停止する。同じ車両の、別の入口から乗り込み、駅が近づく度に横目で確認をしていた。彼女が降りた駅を確認し、その日はそのまま自宅へ帰った。

 彼女の住むおおよその生活圏がわかった、それだけだがそれまでの人生で感じたこともないような高揚感が俺を包んでいた。翌日以降の仕事は、それまで以上に身が入った。最も、上司は俺のやる気を飲み会によるものだと勘違いしたようで、ひと月に一回だったものが二週間に一回になったので部下が全員辟易していたが。彼女の生活圏を把握したことで、一気に誘拐という手段が現実味を帯びてきた。そして、次に行ったのはそれを実行するために必要なあらゆるものを考えることだった。

 そのうちの一つが筋トレだった。休みには筋トレをして、体を鍛えた。誘拐を実行するために、強靭な肉体が必要だと思ったからだ。錆び付くほどの筋肉もなかった俺の体は、その度にひどい筋肉痛に悩まされていたが、それも段々と落ち着くようになっていった。そして肝心の彼女の身辺調査は大体隔週ぐらいで行っていた。俺の家最寄り駅である三葉駅から、彼女の降りた駅である一瀬駅までは二駅分だった。その二駅分の距離を俺はランニングで移動することに決めていた。定期の適用外なので、交通費も馬鹿にならないからだ。

 次第に俺はその距離をランニングで苦もなく移動できるようになっていた。そして、町を気の赴くままに走る。少女を見かければラッキーだし、見かけずとも、体力をつけ地理を叩き込むという目的を一度に達成できる。ただ、走り込みの途中で彼女を見かけても不自然に視線をやらないように意識するようにはしていた。意識しすぎて逆に不自然になっていたかもしれないが、それは俺にはわからないことだ。だが、一度として不審者扱いされなかったということは、俺に大きな自信を与えた。

 時間に余裕はあった。自宅の改築には当分かかるし、改築が終わった途端に彼女を誘拐するのは余りに短絡だ。元から十分な冷却期間を開けるつもりだった。そして、この余裕はおそらく重要なものだったと思う。一度で彼女の家を特定しようとしていたら、どこかでボロを出していたに違いない。隔週の走り込みで少しずつ彼女の家を絞り込んでいった。

 そして、特定に至った時には俺の身体は見違えるようになっていたと思う。少しずつ、やるべき事を片付けていくその達成感。久しく忘れていたその感覚はとても懐かしいものだった。俺も小学生の低学年ぐらいまでは真面目だったように思う。計画は次段階へと進んだ。



*  コンクリートの鳥籠

 高島は冷蔵庫にあらかじめ入れてあった食材から、簡単な食事を少女に振る舞った。

起床以来の食事は、彼女の気分を幾分落ち着かせた。

 二人は今、端に寄せてあった机と椅子をベッドの脇まで持ち出し、その上に食器を並べ、向かい合って座っていた。

「君の名前を聞いていいかな」

 皿の中身をさらうようにスプーンを底で往復させながら、高島が少女に名前を聞いた。

「二つの木に雛祭りの雛、で二木雛です」

「なんて呼べばいい?」

「……お好きにどうぞ」

 一瞬の思案ののち、少女−二木雛はそう返した。

「あなたのことは何て呼べばいいんですか?」

 そこで二木は初めてまともに高島を正面から見据えることになる。

 背は、彼女より一回りは高く、百八十はあるように見える。服の上から見て取れるほどの筋肉はついていないが、捲られた袖から覗く細腕には、しなやかな筋肉が見て取れた。実際、高島はそれなりに大きな机を苦もなく持ち上げ、一人で運んで見せた。一介の女子高生では、不意打ちでもしない限り高島に反抗しようものなら一瞬で抑えられてしまうだろう。

「俺のことは高島、って呼んでくれればいいかな。俺は君のことを雛と呼ぶことにさせてもらう」

「わかりました、高島さん」

 二人分の食器を食洗機に入れ終わった高島は、机の天板を見つめていた二木に声をかける。

「さて、食事も終わったし軽くこの部屋について説明をしておこうか」

「お願いします」

「うん、いい返事だ」

 二木は椅子を引き立ち上がった。

「見ればわかるだろうけど、これは冷蔵庫。この中に食材が入っているから、俺がいない時はここから適当に選んで料理してくれ。何か欲しいものがあれば言ってくれれば買ってこよう」

 冷蔵庫はちょうど、扉から見て左手の角に設置されている。その上には監視カメラが天井に設置されている。四隅の天井に設置された監視カメラたちは、ベッドを中心に捉えているようだ。高島は時計回りに部屋の設備と家具を紹介していくことにしたようだ。

「ここがキッチンかな。火はさすがに怖いから、IHなんだけど、使い方はわかる?」

「私の家もIHだから大丈夫です」

「そ、ならいいんだ。食洗機は、食器を入れて、洗剤を一つ入れて、スタートボタン押すだけでいいよ。調理用具も一通り揃えているけど、やっぱり足りないものがあれば遠慮なく言って欲しい」

「うん」

「次はタンス。今は俺が適当に見繕った服しかないから、雛からすれば、こっちの方が死活問題かな? いちいち注釈づけるのも面倒だな。足りないもの、欲しいものはいくらでも言ってくれ、次までには用意しよう」

 このタンスは扉から見て左奥の角に当たる。二木が促されるままに、タンスの中を覗くと、下着からトップスまで、一通り揃っているように見えた。それでも、まだ満杯となるには半分ほどの余裕がある。その半分の衣服たちは、ブランド物ばかりで、その相性といったものは一切考慮されているのか怪しいものばかりだったが。

「いい感じだと思います」

「そう? それは良かった。女の子がどんな服が好きか、なんてこと今まで知らなかったからさ」

「意外ですね」

「意外だって? どうしてそんなことを思ったんだ?」

 その返しは本当に予想外だったのか、高島は疑問そうに二木に質問を返した。

「話し方に余裕があるようだったので、女性の扱いには慣れているのかと」

 二木は畳み掛けるようにノータイムで答える。

「そんなことはないけど。うん、そんなことはないよ」

「そうでしたか」

 高島が満足そうにタンスの引き出しをしまい、次の家具の説明に向かう。

 扉から見て、ベッドの向こう側にはテレビが置いてある。四十二型の最新機種のそれは、しかし本来の役割を果たすことはない。

「テレビはここにあるんだけど、この部屋には線を繋いでいないから、何も映らないんだ。退屈だろうから、最新のゲームをとりあえず揃えてある」

 その言葉を受けて、二木は自分のポケットの中に携帯がないことに気づいた。もっとも携帯があったところで、助けを呼べるわけがないことぐらいは彼女にもわかっていたのだが。

「普段ゲームとかやる?」

「携帯でなら。あっ、私の携帯が見当たらないんですが、高島さんが預かってるんですか?」

「ああ、攫う時に電源を落としたっきり、俺が預かったままかな。この部屋ではインターネットにも繋がらないけど、後で持ってくるよ」

「お願いします」

「次は風呂とトイレだな。ユニットバスだけど勘弁してくれよ」

 扉から見て、右奥の隅、構造上個室を作らざるを得ないため厳密には右奥の隅とは言い難いが便宜上右奥ということにする、にはユニットバス用の個室がある。

「ああ、そうだ。部屋の四隅に監視カメラがあるが、トイレと風呂には天地神明にかけて何も仕掛けていないことを保証しよう」

「そうなんですか?」

「ああ、君が嫌がるだろうと思って」

「だったら四隅の監視カメラもどこかへやってくれないですかね?」

「それは無理な相談だね」

 高島は愉快そうに笑った。彼は些細なことでも少女が言葉を返してくれるのが嬉しいようで、終始笑顔を浮かべている。

「まぁ後は勉強したければここかな」

 扉から見て右手の隅にはあまり大きくない本棚が置いてある。中に入っているのは、参考書の類で、娯楽小説や漫画の類は一切入っていなかった。

「参考書しかなくて驚いた? 読みたい本があるなら買ってくるけど、暇つぶしならゲームで十分なんじゃないかって。人間さ、ずっと遊んでると腐るんだよ。経験談なんだけどな。だから勉強もできるように、って」

「それは、ありがとうございます。私は三年生なので、勉強はしないといけないので助かります」

「あー、それは気の毒なことしちゃったなぁ」

「本当にそう思っているのなら、私をここから出してくれませんか?」

「それは無理だね。これは俺の人生を賭けた誘拐劇なのだから」

「警察が来るまではここにいますよ」

 と、とびっきりの笑顔で雛は男に向かって笑いかけた。

 男は何がおかしいのか、少女の方を見て笑い始める。それはこの密室で初めて響き渡る二人の笑い声だった。



**  誘拐まで秒読み

 実際に誘拐をするにあたって、彼女が出来るだけ一人になるような時間を選ばなければならない。そしてそれは恐らく塾の時間帯が該当しているだろう。定時で仕事を上がり、駅前で待機していた。何をするにしても、車というのは便利なものだった。もっとも、遠出をする趣味をなかったので、足としての便利さの方は想像に過ぎないのだが。車内というのは、ある種の個室だ。人を待っているふうにして、あるいは睡眠をとっているように見せかけることで不審さというものをある程度は拭えたのではないだろうか。少なくとも駅の中で立ち続け、人を探すよりかはましであることだけは事実だった。

 そうして、一週間張り込み続けた。水曜日あたりで車にしても不審なのではないかと思い至り、駅前のスタバなどから駅を観察することにしていた。その結果、週に二回塾へ通っているようで、どちらも帰宅の時間は十時過ぎだった。塾の特定は、今までの中で一番簡単だったように思う。ストーカー行為に慣れてきたのもあるだろうが、数週間かけることに何の躊躇もなくなってきたのが大きい。こうして、彼女の殆どの行動パターンを把握することに成功した訳だが、家の改築が終わっていなかった。もうそろそろで終わるとは聞いているが、しばらく冷却期間を設けることを考えると実行はもう少し先になる。高校三年生の彼女の生活習慣が大きく変わるとは思えないが、残りの半年程度は慎重に見極めていかなければならないだろう。

 改築の際には、衣食住がその部屋の中だけで完結するように設計した。防音にも気を使っている。その部屋に監禁する以上は、外部との接点は少なければ少ないほどいい。相当な費用がかかったが、無趣味に生きてきた四年間の貯蓄と、死ぬ気で働いたこの一年半の給料とで大体賄うことが出来た。監禁とは、言い換えるならば人間ひとりをペットのように飼い慣らすことに他ならない。全てを掌握する代わりに、全てを与えてやらねばならない。生殺与奪、よく聞くその言葉をこんなにも身近に感じたのは初めてだった。部屋を改装している業者には、友人を呼んでバンドの練習をするのだと言い聞かせていた。そう言わなければ完全防音の理由が立たなかった。監視カメラを四隅に取り付け、家具を用意した。家具は組立式でなければ扉を通らなかったので簡素なものしかないが、それでも困ることはないだろう。あらかた部屋の内装のセットをしたところで予算が大きく余っていることに気づいた。当初の予定にはなかったが、天蓋付きのベッドを真ん中に置くことにした。なんとなくの思いつきだった。確か、たまたまドラマで見かけたからだったとは思うのだが。全方位を無機質なコンクリートに囲われている中に鎮座するそれはひどく場違いなものに思えた。そのアンバランスさは、この部屋において唯一予定調和から外れた存在であるからだ。部屋の成り立ちから、その調度に至るまで俺の計画の内だが、ベッドだけはそうではない。完璧な世界の中の、唯一の欠陥と見てもいい。それは俺を指し示しているもののように思えて仕方がなかった。何をもなさず、見つけた目標が少女の誘拐という犯罪行為。たしかに俺は社会に適合することがなかった人間だ。そして彼女がそのベッドの上で眠りにつく日を想像した。その日を境に彼女もこちら側へ来ることになる、ただそのことが俺に表現しようのない喜びを与えていた。

 もう、計画の実行はすぐそこまで迫っている。全ての準備は完了し、後は少女を誘拐し、この部屋に監禁するだけだった。



*  絶望と親友

 部屋の紹介が終わり、柱時計が二時の鐘を鳴らしたあたりで高島は監禁部屋を後にした。会社勤めの高島には、ずっとこの部屋にとどまり二木と共に過ごすといったことは許されず、四六時中をこの部屋で過ごすということはできないのだった。そして、それは彼女にとって脱出の機会を探る重要なチャンスだった。一挙手一投足が監視されているとはいえ、それでも調べなければ始まらないのも確かである。

 二木は、高島自身の口から明かされたベッドの天蓋の中が死角であるという情報から、とりあえず天蓋の中で考察を進めることにした。

 まず一つ。唯一外部へと繋がる手段である、扉のカードキーは当たり前ではあるが高島が所持していること。そしてそれは彼の胸の内ポケットに入っていた。カードキーをスキャンする以外の機能がついているようには見えなかったので、おそらく暗証番号等による保険はないだろう。つまり、二木はどうにかして高島の持つカードキーを奪う以外に扉を開ける方法を持たないことになる。

 次に、二木はしばらく思案するそぶりを見せたあと、天蓋の元から監視カメラの下へ姿を晒した。彼女は壁を叩きながら壁沿いに歩き始め、やがて一周すると、再び天蓋の元へ戻った。しかし、なんの心得もない彼女にはこれといった収穫もなかった。壁をいくら叩いてとして、大声で叫んだとして、これだけ念入りに準備をしている高島のことだ、防音面も完璧に対策してあることは想像に難くなかった。

 三つ目に、彼女が気になったのは、この部屋には窓がないことだった。窓がないということは、意図的に窓をつけなかった、ということだろう。全面コンクリートというのにも、彼女は引っかかりを覚えていた。この部屋は新しく誘拐のために増設された部屋か、あるいは山の中なりに隔離された小屋であるかだ、と彼女は結論づけた。今日が何日であるかも知らず、どれだけの期間眠っていたのかさえ定かではない少女には、どちらであるのか判断することはできなかった。もし、後者であればこの部屋を脱出した後に、山中をわが身ひとつで走破しなければならないという場面に直面することになる。だが、そこまで考えたところで彼女は周りを見渡し、疑問に思う。一体これだけの電力、水道を山奥に引っ張ってくることができるのだろうか? それは素人目に見ても難しいことのように思えた。

 そして、できることといえば、携帯の電源を常にフル充電しておき、脱出と同時に警察に通報することだ。おそらく外では、彼女が誘拐されたことが警察にも知れ渡り、捜査が始まっているはずだ。電波の通じるところへ出ればGPSから居場所を見つけてくれるだろう。

 唐突に彼女は涙を流し始める。高島の前では平気そうに振舞っていたが、暗闇の中で一人ぼっちになり、現状を正しく把握したことで、彼女はこらえきれなくなってしまったようだった。

「結愛ちゃん、心配してくれてるといいなぁ……」

 雑賀結愛。それはここにいない、彼女の親友の名前であった。つい先日までは他愛もないことで笑いあっていたはずの友人。食堂に、帰り道に、休日にいつだってそばにいた友人の姿はここにはない。どんなに願ったとしても、彼女は二木を助けることはできず、二木はここで一人、過ごさなければならない。

「……心配かけてるよね」

 溢れ出る涙を拭うことはせず、ただ彼女は独り言を呟く。

「早くここから脱出しないとね」

 そう言って涙を拭った彼女の瞳には再び強い決心の色が復活していた。




**  日常の残滓

 全力は尽くした、その上で失敗した。それは心地よい敗北だった。それはいつ以来のことだっただろうか?



 電話のコール音、キーボードのタイピング音、話し声。俺の職場には、耳をすませば様々な音が響いていた。俺は外へ向かう意識を内側に誘導して、目の前の『俺』に集中する。

 これはどうやら夢であるようだ。

 『俺』はそう定義づけられた機械のように表情一つ崩さずに、画面に向かい続けていた。手元を見ずに画面に打ち出される文字は留まるところを知らない。これがいつの記憶かは、定かではない。真面目に働いていた頃も、そうではない頃も、やることはいつも決まっていたから、この場面だけを見せられても全くわからない。

 やがて、『俺』が席を立つ。

「川崎、このグラフ間違っているみたいなんだが、修正頼むわ」

「どこだ?」

「ここと、ここの値だな」

 指をさし、『俺』が川崎に見せていた。添付するグラフのミスを、川崎に指摘したことも、それなりにある。けれど、この後に続く会話は不思議と頭に浮かんできた。

『あー、本当だ。なんでこんなミスを……』

「あー、本当だ。なんでこんなミスを……」

「作成日時が深夜だったし、疲れてる?」

「俺も高島みたいに定時で直帰したいなぁ」

 川崎は俺より一つ上の同期だ。本人は確か必修科目を落としたせいで留年せざるを得なくなった、と言っていた。

「仕事に集中して、定時に帰れるようにすればいいんだよ」

 俺が川崎について思い出している間にも、『俺』と川崎の会話は進む。時間は記憶の中でさえ、不可逆だ。

「お前最近変わったよな、最近つってももうだいぶ経つけど。女?」

「……。違う」

 一瞬だけ、脳裏に少女の姿がよぎる。

「ほー、なんだろうな。今の間」

「なんでもない。定時で帰るんだろ、お互い頑張ろうな」

「はいはい、治したら届けるよ」

 早々に翻って自分のせきに向かった俺には、このときの川崎の表情を知らない。そしてこれが過去の記憶である以上は、今だって川崎の表情は推し量るしかない。あいつは、このとき一体どんな表情をしていたのだろうか?



「かーんぱーい!」

 号令とともに大机を囲むように座ったみんなの手に渡ったビールジョッキが一斉に突き出される。その後、めいめいに隣や、後ろの人とジョッキをぶつけていた。

 これも、いつかの記憶だった。目の前には俺がいる。俺はそれを幽霊のように見ている。声は出ないし、歩き回ることはできない。これはどこまでいったって記憶なのだ。俺の記憶にないことは起こりようがない。

「高島ー! お前こっち来いよ!」

 隣の話に適当に相槌を打ちながら酒を飲んでいた『俺』が好機、とばかりに詫びを入れて川崎の元へ向かう。いや、確かにこのとき俺は隣の上司の話に辟易していたはずだ。

「助かったよ、川崎」

「ん? なんの話だ?」

「課長の話を退屈そうに聞いている俺に助け舟を出してくれたのかと思ってたんだが」

「あー、そうだったのか。まぁ違う」

「ま、何の用でも構わないさ」

 『俺』が飲み干したジョッキにビールを注ごうと、テーブルの上のビール瓶に手を伸ばしたとき、それを横からさらっていく手があった。『俺』がそちらを見るよりも先に俺はその相手を知っている。

「お酌は私がしまーす!」

 佐々木さんはお酒がもうだいぶ入っているのか、呂律も少し怪しく、顔も赤くなっていた。一言で表現するのなら、完全に出来上がっていた。

「はい! どーぞ!」

「……ありがとう」

「いえいえー」

 言いながら、佐々木さんは自身のジョッキにも並々とビールを注ぎ、一息に半分を開けて見せた。記憶というものは、不思議なもので、この時の『俺』は佐々木さんの登場と、その飲みっぷりに目を奪われていたはずだが、後景として目に入っていた川崎にフォーカスを当てることができる。間抜けな顔だ。俺と川崎よりもいい飲みっぷりなので仕方ないことではあるが。

「いい飲みっぷりですね」

「高島さんもほらほら」

 隣に座った川崎が空になったジョッキに瓶をあてがった。

「川崎、キモい声を当てるんじゃない」

 川崎もだいぶ酔っている。

「お前は生贄だ、高島」

「何を物騒な」

「私の注いだ酒が飲めないっていうのかー!」

「注いだのは川崎ですよ」

 『俺』は目の前でテンション高めに叫ぶ佐々木さんに怯えながらそこでようやくジョッキのビールに口をつけていた。

 机に突っ伏した川崎の後ろから覗く課長はこちらに不服そうな顔を向けていたが、それも一瞬のことだった。

 先輩にお酒を注ぐ、後輩。落ちた化粧を気にすることもなく飲み続ける女子社員、一向に顔色を変える気配すらさせないまま、酒をどんどん煽っていく酒豪など、少し目を向けてみればいろんな人たちがいた。大半は、課が同じにもかかわらず仕事に打ち込むあまり、接点のなかった人ばかりだ。

「ふふ、いい飲みっぷりだナ」

 佐々木さんは隣の机に置かれたビール瓶をシュポン、と開けて『俺』と自分のジョッキに注いだ。

 確か、結局佐々木さんが飲み比べに勝ったはずだ。記憶は上演を終え、暗闇に呑まれていく。



「はい!」

 それは周りを見るに授業参観の日だった。教室の後ろだけではなく、横にも父兄が溢れている。記憶として残っている授業参観といえば、おそらく両親のどちらもたまたま都合のつかなかった時のものだろう。

「はい、じゃあ高島くん」

 この時の俺は、拗ねていたように思う。

「答えは……」

 世界が少しずつ、黒に染まり、形をなさなくなっていく。

 親の前でいいところを見せたい皆の邪魔をしたい一心で、普段はあげない手を挙げたように思う。




**  平穏な日々

 二木は、日数の経過を、日記をつけることで記録していた。代わり映えのしない日々の中、彼女はそれでも希望を捨てず、日記をつけ続けていた。高島の会話の内容、ゲームの内容、勉強の内容、脱出に役立ちそうな情報。彼女はそれらをただ書き付けていた。

 部屋に、解錠の音が鳴り響く。彼女は慌てて机に山積みにされた参考書の中に読み返していた日記帳を忍ばせた。

「こんばんは、勉強してたの?」

「はい。今は勉強の時間なので」

「大学時代、真面目に勉強していたら今君に勉強を教えることもできたんだけどね。今となっては微分も積分もベクトルも、何も覚えてないんだ」

 彼女がとっさに忍ばせたノートについて、高島は気づいていないようだった。彼女が眠り続けていた時期を除いけば、日記帳の記録はすでに三十日に届いていた。彼と彼女の歪な同棲生活は、すでに一ヶ月の時を経たことになる。高島は、いつも決まった時間にこの部屋にやってくる。それは、一日の例外もないため、二木には曜日の把握すらままならないのであった、彼らの間では高島の帰還が夕飯の時間というのが暗黙の了解としてあった。それまで、一切の自炊をしたことのない二木のレパートリーが早々に尽きるにあたって、彼女は高島にレシピ本の購入を依頼していた。そして、一日一ページ、その本の内容を消化していくというのが彼女のやり方だった。

「今日はオムライスです」

 二木は包丁で、鶏肉と玉ねぎを手慣れた様で切り、調味料とそれらを炊飯器に入れ、スイッチを入れた。

「お、いいね。うまくできそう?」

「それは善処します」

 炊飯器が炊き上がるまでの間、二人は他愛のない会話をした。

 誘拐当初のような緊張感が声からなくなり、敬語を使っていることを除けば、ほとんど普段の彼女と変わらなくなっていた。

「俺も自炊はしたことあるけど、いっつも適当に作ってたから、一向に料理は上手くならなかったんだよね」

「野菜炒めですか」

 二木は、目覚めた日に振る舞われた野菜炒めを思い出したのか、彼にそう聞いた。

「あってる。調味料が違えば、別の料理、なんてね。人と食べる食事がこんなにも温かいものだなんて、久々に思い出したよ」

「それは、良かったです」

 炊飯器が、炊き上がり、二木は席を立ちキッチンへ向かう。

 やがて、二木は少し形が崩れているものの、それ以外に特に問題の見つからないオムライスを二人ぶん完成させた。

「「いただきます」」

 重なった二人の声が、柔らかな反響を伴って部屋の中に染み渡っていく。

「卵料理というのは、どうにも難しくて苦手ですね」

「そうかな、上手くできてるけど」

「破けないように包むのは、まだ私には難しいみたいです」

 そう言って、彼女は自身のオムライスをスプーンで指して見せた。スプーンを刺したぐらいの大きさの亀裂だったが、それでも彼女はお気に召さないらいしい。

「結構完璧主義?」

「そんなつもりはないです。形もほら、崩れてますし」

「お腹に入れば全部栄養、みたいな食生活だったから、人の手作り、というだけでものすごくありがたいよ。美味しいしね」

「見た目というのは重要だと思いませんか?」

「あー、うん……」

 両者は、レシピ本を買ってくる前に、二木が作ったひどい色をした野菜炒めのことを思い出していた。いや、それは野菜炒め等にはあまりにも汁気が多く、野菜炒めと呼んでいいのかがまず疑問だったが、それよりも色のひどいことが二人の食欲を見事に減退させていた。茶色の汁に浸った種々の食材は見事にその特色を殺されているようにみえ、

中途半端に溶けたチーズが、あまりよくない感じにまとわりつき、それは見た目にひどい作用を引き起こしていた。

「でも、ご飯は美味しいよ」

「それは、レシピ通りに炊飯器に調味料を突っ込むだけですからね」

「そんなに謙遜しなくてもいいじゃないか」

「……それもそうですね」

 一瞬の思案ののち、二木はそう返した。


 食事を終え、高島が食器を食洗機に入れる。全てを食洗機に任せればいいというわけではなく、どうしても食洗機では無理な汚れは事前に落とさなければならない。それの担当は彼というのが、同じく二人の間の暗黙の了解だった。

 そうして、食後には高島の仕事の愚痴や、世間話などをする。酒もない、それは酷く無味乾燥な内容ばかりであったが、二木にとっては、それだけが唯一もたらされる外部の情報であった。あるいは、二人で対戦ゲームに打ち込む。どちらも負けず嫌いで、デッドヒートした際は、翌日以降に勝負が持ち越されることもあった。それらは彼女にとって、あるいは彼にとっての『代わり映えしない日常』の一コマだった。

 やがて、時間になると翌日の仕事に向けて、高島は日付が変わる前に部屋をさる。

 警察が来る気配はない。雛は会話をするうちに、高島という人間がいかに用心深く、慎重な人間であるかを察していた。もうこの部屋にきて一ヶ月になる。莫大な時間の流れが、少女の心を諦めへと染めていた。



**  後悔はなく

 いろんな記憶があった。最近の記憶は比較的長い間見ていられる。昔の記憶は、グズグズですぐに崩れる。あるいは穴あきで、印象的な部分のみ鮮明になっていたり、だ。

生まれてから、今に至る全てを見たとは思えない。それでも、これが走馬灯であり、この走馬灯の終わりをはっきりと理解できるのは、今俺が立っている前に見慣れた扉があったからだ。巨大なコンクリートの箱。それへと続く、電子ロックされた扉。ここまで一切そんな感触はなかったはずだが、気がつけば俺の右手にはカードキーが握られていた。この扉を開ければ、本当に走馬灯は終わる。カードキーをあてがい、少し、躊躇する。

 一次元の世界で点と線の区別がつかないように、光の世界に住む少女には、俺の存在など僅かばかりも認識されていないだろうと断言できた。

 それは少女があまりに無防備だったことに加え、俺は計画を慎重に実行していた、だからこの誘拐計画が誰かに感づかれるということはない、とそう思っていた。俺は失念していたのだ。二次元の世界で線と面の区別がつかないということを。世界には俺には知覚できないほどの闇が存在していたということを。 誘拐計画は、見事に失敗した。いや、実行することすら叶わなかった、というのが正確なところだ。

 走馬灯は見終わった、俺はこの部屋の中で一人ゆっくりと死ぬ。俺を狙った理由などわからない。ただ、俺が死ぬということだけが一つの真実だった。

 カードキーを静かに下ろし、解錠の音とともに、白い光の溢れる部屋の中へと入っていった。



*  感想を聞かせて?

「ねぇ、結愛?」

 ベッドに座り込み、私が短編小説を読み終えるのをテレビでニュースを確認していた結愛に声をかける。

「はい、なんでしょう、なんでしょう雛ちゃん」

 くるくるーっと自室の回転椅子で回りながら彼女は返事をした。

「なんで私が誘拐監禁されるお話の感想を本人に求めているの」

 彼女が書き、私に感想を求めた短編は、私が誘拐され、地下室に監禁されるお話だった。

「恥ずかしながら雛ちゃんしか友達がいないわけで。モデルにするのも雛ちゃんぐらいしかいなくってね」

「それにさ、私こんな堂々と誘拐犯にもの言えないよ。図々しすぎない?」

「えー、そうかな。いっつも先生と話すときこんな感じだよ。ズバズバっと」

「いや、先生と誘拐犯は違うでしょ」

「それもそうかー」

 彼女はどこか気の抜ける返事を返した。

 くるくると回り続ける結愛がこちらに向き直った。

「実際どうだった? お話の中とはいえ誘拐されてみた感想は」

「私これ最後まで閉じ込められたまんま?」

「うん」

「現実感ないって、そんな感想かなぁ」

「想像力が足りないよ」

 突然、結愛の声から温度が消えた。

「想像して見て。自分の知らない人が街中でずっと雛ちゃんを探しているの。来る日も来る日も。見つかるまで『本日、三葉市の〇〇会社に勤務している男性が』ずっと。見つかったらね、少し後ろ『地下の完全防音の部屋で死亡』をついて行くんだ。バレないように。家と学校がわかるまで少しずつ、根気よく続けるの。家が『会社に無断での欠勤が一週間続いた』わかったら次は一週間の行動パターンを探るの。雛ちゃんは確か金曜日に塾に行っていたよね。夜遅くに帰って来ると言っていたけど、あの人気のない道を使うことはやめたほうがいいよ。確かに近道『警察は事件性がないかどうかを調べていく方針』なのかもしれないけど。後はね、薬を染み込ませてもいいし、後頭部を殴ってもいい。車に連れ込んで、専用の地下監禁部屋にさえ連れて行けばもうバレないの」

 結愛が見ていたニュースは、彼女の言葉の後ろで滑り続ける。畳み掛ける結愛のトーンが、その内容のリアルさが、私におぞましい程の鳥肌をもたらしている。

「雛ちゃんはね、可愛いんだから、もっと気をつけないとね!」

 数瞬前の様子が嘘のようにケロッといつもの調子に戻った。いつの間にか、ついていたはずのテレビは消されていた。


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