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通常の「召還獣召還」の儀式では起こらない爆風から、エルルーカと黒うさぎを結界で守りながら、指導者マクシムは魔法陣を注視する。
通常の儀式では、発動から召還まで然程タイムラグが無く、かかって30秒程度。
しかしこの魔法陣の発動からすでに10分ほどが経ち、その間も魔法陣から爆風が止め処なく吹き荒れている。
この召還がどうなるのか。何が召還されてくるのか。
全く予想もつかない事態にマクシムは、焦燥と不安に虐まれるが、なんとしても、この小さな王女は守りきらなければならない。
それが指導者としての自分の責任だと不安を払い、いつ何が起こっても良い様に、さらに結界に魔力を注ぎ込んだ。
「「…――っ来る」」
指導者と弟子の少女は、強い魔力が急激な勢いで近づいて来るのを感じ、最大の出力で結界を張る。
びゅうびゅうと鳴る風の音と、ギシギシと建物が軋む音が更に強くなる。
ドゴォ―――――ンという共に、強すぎる白い光が魔法陣から発生し、二人は反射的に目を閉じた。
やがて風の音が止み、恐る恐るそぉっと目を開けた二人の目に映ったのは、抉られた石造りの床に倒れた、一人の男の姿だった。
「人間?」
「っわかりません。エルルーカ様は下がっててください。」
エルルーカの言葉にハッと我に返ったマクシムは、黒うさぎをエルルーカへ預けると、結界を解除した。
エルルーカを背後へ庇いながら、ゆっくりとその男へ近づく。
どうやら気を失っているらしいその男は、見たことのない生地の異国風の服を着ており、年頃はマクシムと同年代に見えた。
何よりマクシムが驚いたのが、その髪の色。
この国では数人しかいないとされる、黒髪。
魔術師エルズの象徴とされる黒髪を持っていたのだ。
「…死んでいるの?」
マクシムの背後からそっと顔だけを出して様子を伺っていたエルルーカは、微動だにしないその男を見ると、心配した様にマクシムに問う。
マクシムはその男の傍らにしゃがみ、首に手をあてると、少し弱いが手に脈を感じる。
「いえ、生きているようです。」
見たところは人間だが、魔力の強さに人ならざる者の可能性も捨てきれない。
マクシムは見えたことはないが、エルズの長が言うことには、上位魔族は人間に擬態していることもあるという。
注意深くその男を観察すると、右肩にどうやら怪我をしているようだった。
肩の部分に小さな穴の開いた黒い上着を捲ると、白いシャツに赤い血が滲んでいる。
「人間のようですね。血が赤い。」
「魔族の血は青いのよね?」
「そうです。いくら上位魔族といえど、血の色までは擬態できないでしょう。」
弟子であるエルルーカも同じく、上位魔族の線も捨てきれていないようであったが、赤い血の色を見て不安が払拭された。
差し当たって、危険を回避出来たのは良いが、様々な疑問が浮かぶ。
「とりあえず、死んでないならこの人治療しなくちゃ。」
エルルーカは黒うさぎを自身の白いローブの胸ポケットへ入れると、男の白いシャツのボタンをゆっくりはずし、シャツの合わせを開こうとしたが、襟の下に周っている赤い帯状の布がつかえて開けない。
「なにこれ?拘束具?」
「布製ですから拘束具とは思えませんが・・・装飾でしょうか?」
「どうなってるのこれ?外れないわっ」
エルルーカぐいぐいと引っ張っるが、赤い帯は外れない。
マクシムが横から手を出し、帯の結び目の所を緩めると、するりと外れた。
白いシャツを開くと、今度は灰色で袖のない下着と思われる服。
マクシムは腰から鞘に入った小さいナイフを取り出すと、灰色の服を切り裂いた。
「矢傷にしては小さい…何かが突き刺さった様な傷ですね。」
「でも傷の周りが少し焼けてるわよね。こんな傷口は見たことないわ。」
エルルーカは魔法士として、時には怪我人や病人の治療を行うこともあるが、見たことのない傷口に治癒魔法を使うのを戸惑う。
「エルルーカ様、通常の裂傷でない場合、まずは「可視」を行い傷の状態を確認してから治癒魔法をかけるのです。」
「うぅぅ~人体の「可視」は苦手なのよね~気持ち悪いし。」
「何事も経験ですよ、ほら早くっ」
マクシムに言われ、渋々「可視」を作動させ男の傷口へ指をあてると、エルルーカの視界は赤に覆われ、筋や骨が見える始めた。
少し深く覗くと、肩甲骨に、先が尖った指先大の異物が刺さっていた。
「何かある。摘出するわ。」
魔力を込め、ゆっくり指先を傷口から少し離すと、傷口から血にまみれた金色の物体が出てきた。
エルルーカは指でその物体をつまむと、まじまじと観察する。
怪我の原因はこれだと思われるが、これが何なのかさっぱりわからない。
「エルルーカ様、先に治癒魔法をかけないと失血死しますよ。」
「わかっているわよっ」
集中力が散漫な弟子を注意し、目下やるべきことを促すと、魔力量に事欠かないエルルーカは瞬く間に傷を塞いだのであった。
瀬野が肩に鈍い痛みを感じ目を覚ますと、見覚えのない天井が目に入った。
瞬時に寝ぼけた頭が警戒モードに変わり、音を立てずに周囲を伺う。
馴染みのないレンガ調の壁を良く見ると、チープなレンガシートではなく、本物のレンガでできた壁。
床の全面に敷かれた赤い絨毯は、ペルシャ絨毯のようなデザイン。
部屋の中央には、アンティーク物に違いない木製のテーブルセットがあり、ベッドサイドのテーブルには電球ではなく蝋燭のランプが。
宛ら、暇つぶしに見ていた世界旅行記の中世ヨーロッパの貴賓室のようである。
(ここはどこだ?…そうだ、加納政務調査会長の警護中に撃たれて……)
室内に人が居ないことを確認すると、瀬野はわずかに痛む右肩を庇いながらベッドを降りると、珍しい半円形をした小さな窓に近づいた。
観音開きのその窓はサッシも無い木製で扉を外側へ押すと、ギギギッと音をたてながら開いた。
まず目に入ったのは、赤茶色のレンガ造りの町並み。
その町のすべてがレンガ屋根で統一されており、唯一教会と思われる建物の尖った屋根だけが青緑色だった。
現在地との高低差から、ここはずいぶんと標高の高い位置だということがわかる。
遠くの山々は2月にしては緑深く茂っており、雪もない。
町のはずれには大きな河があり、遠目で良くわからないが船らしき物体もあった。
視線を手前に移すと、自身のいるこの建物へと続いている石畳の道があり、そこを走っているのは車ではなく――…。
「……馬車?」
貴族でも乗っていそうな、二頭引きの深緑色の馬車を御する御者は、金髪の外国人。
外を眺めても混乱が深まるばかりで、一向に現在地が掴めない。
日本ではありえない風景に、外国に拉致されたのかと疑うも、なんだか時代設定が古い。
(……海外の時代村かなんかか?観光地…ならありえなくもない…のか?)
海外旅行に興味がない故に、外国の観光地に疎い瀬野は、外の景色から現在地を特定するのを諦めた。
次に瀬野が気にしたのは自身の格好である。
今、瀬野が着ているのはいつもの制服のような黒スーツではなく、前合わせの甚平のような簡素な濃紺の服。
手触りは麻の生地に似ていた。
185cmと日本人の中では長身の部類の瀬野だがズボン丈も丁度良い。
が、如何せん寝巻きのままではなんとも落ち着かず、何か着るものはないかと部屋の隅にある仏壇のようなクローゼットを開けてみた。
中には、ハンガーにかかった詰襟の白シャツと、瀬野の着ていたスラックスがかけてあった。
ご丁寧にクリーニングにでも出したのだろうか、アイロンがけをしてあるようで、皺一つない。
その衣服を横へずらすと、棚の上に瀬野の商売道具といえるSPの必須装備品が置いてあった。
警察手帳・特殊警棒・無線機・手錠・ガンホルダー、そして……SIG SAUER P230(シグ・ザウエル)。
瀬野の愛用している、スイス製の自動拳銃だ。
瀬野は銃を手に取り、グリップ部分に格納されているマガジンキャッチを引き出すと、弾数を確認する。
8発の銃弾はすべて格納されており、使用されていないことに一先ず安心した。
白シャツを拝借し、スラックスと共に身に着ける。
嬉しいことに、自身の靴下と黒い皮靴、ベルトも見つかった。
装備品を全て見につけると、銃は肩の傷へ障るのでガンホルダーではなくスラックスのポケットへしまった。
ジャケットがない為武器を隠す事が出来ないのは色々な意味で好ましくはないが、このような状況下の中、非武装でいるよりはマシだろうと自身を納得させた。
粗方身づくろいがおわり、髪を手櫛で整えていると、コンコンと木のドアを叩く音がした。
「……はい。」
瀬野の返事が聞こえたのか、開いたドアから瀬野と同年代位の年頃の長い黒髪の男と、長い灰髪の老人が入ってきた。
(ダンブル○ア……)
瀬野の視線は後から入ってきた老人に釘付けだった。
なぜならば、先週末の土曜ロードショーで見た、魔法少年の冒険の物語に出てくる魔法学校の校長先生にそっくりだったのである。
長いあご髭を真ん中で結わえてある所までそっくりだ。
「*************。****** *******?」
黒髪の男が自分に向かって何かを話しているが、瀬野には理解できない言語で話している。
何となくロシア語の様にも感じるが、残念ながらロシア語は習得していない。
「……Can you speak English?]
英語なら通じるかと、英語で話しかけてみることにする。
「*****、***************?*******、****?」
……英語はダメなようである。
黒髪の男は、身振り手振りのジェスチャーで何かを伝えようとしている様だが、残念ながら瀬野には伝わらない。
「Können Sie Deutsch sprechen?」
顔立ち的にヨーロッパ系だと目星を付け、瀬野は挨拶程度しか知らないドイツ語にチャレンジしてみた。
(……ドイツ語で返事されてもたぶん理解できんがな。)
これでダメなら後はかなり怪しい中国語くらいしか打つ手がない。
「*****、************** **********。」
「**。******** *********、*********** **********。」
「******************、****** ***、**********?」
「***。***********。」
ドイツ語も通じなかったのか、相変わらず理解できない言葉で話していた二人だが、突如、灰髪の老人が右手で瀬野を指差した。
老人が険しい顔で瀬野を指差すこと数秒。
瀬野は攻撃される可能性を考え身構えたが、急に激しい眩暈を感じ、たまらず膝をつくようにして前方へ倒れこんだ。
(…っ何だ?何が起こった?)
痛みは感じないが、脳内をかき混ぜられるような感覚に目を開けていられなくなる。
為す術もなく、ひたすらに治まるのを待っていると、徐々に眩暈が弱まり、ぶれていた視界が徐々に戻り始める。
ゆっくりと顔を上げると、二人が心配そうな顔で瀬野を見ていた。
「大丈夫ですか?」
黒髪の男が瀬野に手を差し出しながら声をかける。
瀬野はその手を借りずに、少しふらつきながらもなんとか立ち上がった。
「ええ、大丈夫で……す…?」
先ほどまで全く聞き取れなかったはずの彼の言語が……理解できている。
急に日本語を話し出した事にも驚いたのだが、瀬野が違和感を感じた大きな原因は、読唇術を使えるわけでもない瀬野にも分かるくらい、口の動きと聞こえる日本語が違うのだ。まるで日本語吹き替え版の洋画を見ているような……違和感。
瀬野の困惑を汲み取ったのか、黒髪の男はひとつ頷くと説明を始めた。
「あなたと意思疎通ができるよう魔術をかけさせていただきました。許可もなく申し訳ございません。言葉が通じないことにはあなたも不安でしょうから」
「……魔術?」
「ええ、あなたの国にはこの様な術式はないのですか?ご自分でされない様でしたので、あなたの様な莫大な魔力保持者に大変失礼とは思いましたが、私どもでかけさせていただきました。」
「……魔力?」
「ええ、その魔力量はすばらしいですね!あなたの国にはあなたの様な魔術師が他にもいらっしゃるんですか?ちなみにお国はどちらで?」
瀬野の困惑に気付かず、興奮したようにグングン近づいてくる男に、若干のけぞりながら答える。
「くに……日本、ですが」
「ニホン?聞いたことがないですねぇ…。長はご存知ですか?」
黒髪の男は背後にいた老人を振り返り、問う。
老人は長いあご髭を撫でながら、思案顔で瀬野を見ると、言った。
「…………お主、もしや異界人ではなかろうかの?」
す、進まん…・・・。