98話「調和神」
ふと気づけば。私はエヴォスの世界に立っていた。
左手も両足も一瞬で元通りだ。
「ん? 神樹の枝か?」
右手には先ほど失われたはずの神樹の枝があった。
『急ぎじゃったのでのう。杖の意匠が思いつかなかったのじゃ。悪いが、それで我慢してくれんか』
どこからともなく、フィンディの声が聞こえた。
「いや、私が振るうのに、これほど相応しい杖はない」
由来が妻からの贈り物だ。なんの文句も無い。今度は私専用の杖として作られたわけだから、名前はバーツの杖というところだろうか。
「ローブの色も変わっているな」
ローブの色は白。模様などがフィンディの着ているものと同じになっていた。
『ふ、夫婦神じゃからな。同じにしといたのじゃ』
顔は見えなくても照れた表情が見える話し方だった。何にせよ、ありがたい。
『今のお主は調和神バーツじゃ。そこのふざけた邪神を倒して、とっとと戻ってくるのじゃ!』
フィンディの声が私の後押しをする。
私は前を向く、そこに倒すべき敵がいる。
目の前では邪神エヴォスが拘束を解いて、私を見据えていた。
その瞳は、怒りに燃えている。
「ふざけた奴らだ! あとちょっとだったのに! あとちょっとだったのに! クソッ、生まれたての神に何ができる! ボクの予定がちょっと遅くなっただけだよ!!」
言いながら、エヴォスが手を振る。攻撃魔法だ。先ほどまでの私なら、防御するしか無かった攻撃。
しかし、今の私なら、それがどのような攻撃かよくわかる。
基本は魔術と同じだ。ただ、その密度と魔力量と質が桁違いなだけ。
神となっても、私の得意技は変わらない。魔力の操作である。
「見えているぞ!」
杖を振り、自分の魔力をぶつけて、エヴォスの魔法を全て消し飛ばした。
「な……ここはボクの世界だぞ……お前はそんな真似できなくしたはずだ!」
そう、ここはエヴォスの世界。私は好き勝手できないようにされていた。
しかし、神となった私なら、それをどうこうするのは難しいことじゃない。
「簡単だ。力技で強引に押し通っただけだ」
私の発言に。エヴォスは驚愕した。
「な、なんで。生まれたての神が、ボクの世界にそんなことができるんだ」
「わからないのか? ――信仰だ。神は祈りで力を増す」
神となった私には、元いたの世界からの祈りが届き、力となっている。
今この瞬間も祈りは届き、集中すればその一つ一つを聞き取ることが出来る。
――――魔王なのに祈るくらいしか出来ないのが情けないわね。バーツさん、みんな待ってるわよ。ちゃんと帰ってきてよね。
――――バーツ様……ヨセフィーナは……ヨセフィーナ達は、必ずまた会えると信じています。だから、お待ちしています。いつまでも、いつまでも……。
――――バーツ様。フィンディ様との結婚式など、やり残したことが多すぎますぞ。戻ってくるまでに、我らが万事整えておきますのでご安心を!!
魔王サイカ、ヨセフィーナ、クルッポ、そして魔王軍の者達の祈りが私に届き、力となる。数は二千少々と多くは無いが、とても強い祈りの力だ。
「……そうか、魔王軍か。しかし、殆ど全滅して大した数ではないはず。底が見えたよ!」
エヴォスが私に腕を振るう。今度は世界そのものを使った攻撃だ。問答無用で、私を世界の異物として排除する攻撃。空間全体が私を押しつぶしにかかってくる。
精霊のままではどうしようもなかったろう。
しかし、今はそうでもない。
私は杖の一降りで、再びエヴォスの攻撃を消し飛ばした。
「な…………っ。馬鹿な……っ」
「私に力を与えてくれるのは、魔王軍だけではない」
エヴォスは色々な世界で好き勝手に暴れる、信者のいない邪神だ。おかげで神としての格は高くないが、生まれたての神が戦うには流石に骨の折れる相手ではある。……普通なら。
私に祈ってくれるのは、魔王軍だけではない。
――――バーツ。悪いな。色々と押しつけちまって。平和な世界で、待ってるぜ。
――――バーツ様。別の神様に加護を貰った僕が祈るのも不思議ですけれど。でも、信じてますから!
――――お二人なら、きっとやり遂げて帰ってくると信じてるですぅ。
グランク国王ダイテツ、勇者ルーン、ラナリー。魔王軍以外にも私に祈りを捧げてくれる者がいる。
そして、それとは別に、魔王軍よりも沢山の祈りが、私の元には届いていた。
ピット族だ。2万を超えるピット族の祈りが、私の力となっている。
私にはわかる。世界中に散ったピット族が、携帯サイズの私の神像を持ち歩き。隙あらば祈りを捧げてくれているのが。
そして、ピット族からピット族へと神像は手渡され、拡散していき、今この時も、私への祈りの数は増えている。
ピット族は純粋に、そして強く願う――『私達をお守りください」と。
数百年前に気まぐれに手助けしただけの私を、世代を超えて信仰してくれているのだ。
これだけの事を誰がやったか、言うまでも無い。
ピルン。私の大切な友人。
共に行くことができなくなって尚、彼は私を助けるべく動き続けているのだ。
――――バーツ様。フィンディ様。お早いお帰りをお待ちしております。
彼の祈りは、私達が失敗することなど微塵も考慮していない、強く純粋なものだった。
神として、友人として、応えないわけにはいかない。
「悲しいものだな。信じる者のいない神とは」
立ち尽くすエヴォスを前にして、私は言い放つ。神としての目で見ると、エヴォスは非常に薄っぺらく見えた。
私は杖を振って、エヴォスの世界全体に叩き付けた。
空間が割れ、白い霞がかかった風景が一変する。
青空だ。床はそのままに、この世界に空が現れた。
私がこの世界の権限を奪ったのだ。
「な、強引に権限を奪っただと! なんでそんなことが……そうか、フィラルディアか!」
「正解だ。邪神よ」
杖を振り、衝撃波を放つ。
「ぐがぁ……っ!」
ここは自分の世界であるという優位性を失ったエヴォスは、私の攻撃をまともに食らって吹き飛び、床を滑っていった。
ゆっくりと歩き、エヴォスに近づく。
「今の私は、フィンディと義両親から力を分け与えられている。お前は絶対に勝てない」
信仰以外の私の力の源。最大の助力。それは我が妻とその両親からの力の貸与だ。
ありがたいことに、三人の神がその強大の力の一部を貸してくれていた。
「いくぞ……っ!」
杖を掲げると、エヴォスの顔が恐怖に歪んだ。
「ひっ…………!」
恐慌状態に陥ったエヴォスは、目の前に魔法で扉を生み出した。逃げる気だ。
「そうはいかん!」
杖を振り。扉を消し飛ばす。ついでに魔法でエヴォスを拘束する。
まだ私の話は終わっていない。
「ボ、ボクをどうする気だ! 言っておくが、神は死なないぞ。ここで殺しても神樹から再生する!」
それは本当だ。神は神樹の一部であり、死なない生命だ。肉体を失っても、長い時間をかけて神樹の中で再生する。
神になった私には直感的にそれが事実であると理解できた。
「もちろん知っている。……それよりも一つ、気づいたことがある。――お前、歪んでいるだろう?」
「な、なんの話だ」
「義父達が言っていた。昔のお前は邪神というほどでもなかったと。長いこと信仰もなく過ごすうちに性質が歪んだようだな」
神になって戦っている間に、私はエヴォスの魔力から違和感を感じた。
元々鋭い魔力に対する感覚が、教えてくれるのだ『こいつ、おかしくなってるぞ』と。
「な、ならどうするっていうんだ!」
「お前の魔力に干渉し、正常な状態に整調する。もっとまともな神にしてやる」
そう言うと、エヴォスの顔が引きつった。
「や、やめろ! そんなことをしたらボクはボクでなくなってしまう! 別人になっちゃうんだぞ!」
「いいことじゃないか。世界に災いをもたらす邪神より余程いい」
言いながら、私は動けないエヴォスの前で杖を構えた。
「やめろやめろやめろやめて! わかった、ボクが悪かった!」
「整調ついでに私とフィンディには逆らえないようにしてやる。そうだな、従属神というやつがいいな」
「お願いだ! それだけはやめてくれ!」
「断る」
懇願するエヴォスに対して、容赦なく杖を突き刺した。
杖は水面に入るかのように、エヴォスの胸に吸い込まれた。
「や、やめてぇぇ…………」
力なく言うエヴォスを無視して、私は奴の体内の魔力の流れを読み取る。
淀んだ部分を取り除き、ついでに神としての性質まで調節するべく干渉を開始する。
「覚悟しろ。それなりに痛いと思うぞ」
「あっ……やっ……」
面倒なので返事を待たず、一気に作業を開始した。
「ぬほおおおおおおおおおおおお!! お、おっほおおおおおお!! のほおおおおおおおおおおおおお!!!!」
こうして邪神エヴォスは色々と大切なものを失った。
私の調和神としての初仕事としては上出来だろう。
明日、夜に二話ほど更新して完結となります。