無限の生を得た者は
「ソロモン?ソロモン!」
ソロモン――古代イスラエル王国第三王子でその名前はヘブライ語で『平和な人』や『平和に満ちた』などの意味を持つ名前。
一体誰のことを指しているのだろうか。
そう思い、白衣を翻しながら振り返れば、真っ赤なドレスに見を包んだ女の子が、長い髪を揺らしながら廊下を駆けていた。
「あら、ねぇアナタ!」
「……私、ですか?」
ふわり、と深い紫色の巻き毛を揺らす女の子。
私の足元までやって来て大きな目に私を映した。
この病院に配属になったばかりで、まだ患者の顔も医者や他の看護師の顔も覚えてない。
と言うよりは、会っていないから覚えられない、が正解だったりする。
だが目の前の女の子は、私の困惑など知らずに頷いて「ソロモン、知らない?」と問う。
ペットの名前だろうか。
それにしては仰々しい気もする。
人の名前だろうか。
それはそれで良いものなのか首を傾げてしまう。
「……アナタ、もしかして新しいセンセイ?」
こてん、と女の子も私と同じ方向に首を傾けた。
私がやるのとでは違う、女の子らしい可愛さのあるものだ。
子供って可愛いなぁ、と頭の片隅で考えながらも「先生って言うか、看護師かな」と答える。
だがしかし「ふぅん?」とあまり理解していないような反応。
そして直ぐに「じゃあ、ソロモン、分からない?」と小首を傾げて再度問掛けられる。
当然誰か分からない私は頷く。
「ソロモンって言うのは……」
「ヴァイオレット!!」
スパァンッ、と勢い良く扉が開く音。
驚いて肩を跳ねさせれば、目の前の女の子は可愛らしい顔を大きく歪めて、私の背後に視線を向けた。
何だ?と思いながら私も振り返る。
そこにいたのは白衣を身にまとった病院長だった。
正直医者と言っていいのか分からない風貌だ。
黒髪に自前で多色のメッシュを入れているところは、医者と言うよりもどこかのバンドマン。
目も赤と青のオッドアイだ。
「お前は!余計なことを言うな!」
グイッ、と女の子を引き寄せる病院長。
すると女の子の方は思い切り舌を出して「ソロモンのばぁか!」と叫ぶ。
まるで子供の喧嘩だ。
何があったのかは知らないが、私の目の前でやるのを止めて欲しい。
だが、ふと疑問が湧いて「ソロモン?」と、女の子の探していた名前を口にする。
そうしたら二人の動きが完全に止まって、二人分の視線が私に刺さった。
私は女の子を見て、病院長を見る。
女の子はにっこりと可愛らしく笑って、病院長は苦々しい顔をしていた。
「ねぇ、アナタの名前は?」
パシッ、と乾いた音を立てて、病院長の手を払い落とした女の子は、再度私の目の前にやって来る。
くりくりとした金色の目は猫のようだ。
「美命。美しい命って書くの」と説明するも、私と女の子では出身国が違うために理解は出来ないだろう。
それでも女の子はやはり可愛らしく笑い「いい名前」と言った。
その言葉が何となく大人びて聞こえて、私は変な違和感のようなものを一瞬だけ感じる。
後ろでは何故か病院長がソワソワしていた。
「アタシは、ヴァイオレット」
よろしくね、と差し出された白くて小さな手。
私も手を出して握手をすれば、ひんやりとしていて滑らかな子供肌の感触。
若いなぁ、なんて思っていると「504号室に入院してるから、遊びに来てね!」と無邪気に言われる。
驚いて、するり、と女の子――ヴァイオレットちゃんの手を離してしまった。
こんな子も奇病?
一瞬表情を繕うことを忘れて、眉間にシワを寄せてしまう。
ここは奇病患者病棟。
奇病を患う患者のみがいる、隔離された病院。
患者だけじゃなく、医者や看護師にも奇病を患っている人達がいると、後ろに立つ病院長が言っていた。
見た目で分かる奇病もあるが、見た目で分からない見た目に変化のない奇病も存在する。
それを発見している病院長もある意味凄いが、この子は一体どんな奇病なんだろうか。
「ソイツ、実は二百歳超えてるからな」
ツンッ、と刺すように飛んで来た声に振り返れば、そこには病院長。
気だるそうに白衣のポケットに手を突っ込んで、私達を見ていた。
だが医者としてあるまじき態度よりも、私は病院長が吐き出した言葉の方が今は重要だ。
どういう、なんて言葉を出すよりも早くに、頬を風が撫でた。
そうして次に来たのは衝撃音。
次は呻き声。
目の前で巻き起こるバイオレンスな状態に、私は数回目を瞬いてから、動き出す。
「ちょ、ヴァイオレットさん!」
大きく揺れる高そうな生地のドレス。
赤が少し目に痛くなってきたけれど、振り返った先の彼女の笑顔の方が目に痛い。
更に言うと、この状況が目にも頭にも痛い。
点滅するような赤に、看護師のくせに眩暈がした。
言い訳をするならば、看護師だけれど、私は現場検証をする警察でもなければ、解体趣味などを持っている危ない医療関係者じゃないのだ。
だから、このスプラッタな状況に免疫があるわけじゃないということ。
「女の子に対して、年齢の話はマナー違反よね?」
「え、あ、はい」
見た目からは考えられない威圧感があったせいで、口元が引き攣って返事も途切れ途切れになる。
可愛らしいその顔に、同じく可愛らしい笑顔を乗せるヴァイオレットさんは「後、ヴァイオレットちゃんって呼んでね?」と、見た目年齢相応にはしゃいだ声を出す。
勿論私は、それに関して拒否を示すことが出来るわけでもなく、緩く小さく頷いた。
年の功、なんて言葉を思い出したけれど、口に出せるわけもなくて、取り敢えず小さく病院長に向かって、手を合わせておく。
私のすぐ横で笑うヴァイオレットちゃんは、猫のような金色の瞳を細めて笑っていた。