「09」旧サブシステム・バックアップ・アカウント擬人化AI
気がつくと、俺の目の前から、アレは消えていた。いや、違うか。
(気絶したのか....)
周囲に漂うアンモニア臭に顔をひそめて、俺は浴室へと向かった。
最低限、これだけは何とかして、さっさとここを出よう。早急にことを運ばねば、またアレが襲ってくるかもしれない。
アレとは、言わずもがなあの幽霊のことだ。
しかし、ふむ。
今になって思ったが、周囲に違和感があるな。なんというか、少し明るい気がする。
「気のせいではないと思うぞ、因幡六花よ?」
汚れた部分を冷水で洗浄していると、背後から女の声が聞こえてきた。
「?!」
「そう騒ぐな小娘」
ゆっくりと後ろを振り替えると、貫頭着を着た、黒い髪を足首辺りまで伸ばした少女がいた。
貫頭着の裾は、太ももの半分くらいまであり、前髪で顔が半分隠れている。目鼻立ちは整っていて、可愛いか綺麗で聞かれれば、5:4暗いの割合だ。
瞳は黄色く、瞳孔は猫のように縦に切れ長だった。
「──?!」
一瞬、アレの姿を思い出した。たしか、アレの服装も、髪の長さも、年齢もこれくらいだった。
「何、怯えることはないじゃろ。そんな表情をされると、こちらとしても心外じゃよ」
「す、すまない」
俺は、こうなってしまっては、もう湯船を洗って中に浸かろうという気も起きなかった。
彼女はうんと頷くと、よろしいと言って、拳を両腰に当てた。
「妾は旧サブシステム・バックアップ・アカウントの擬人化AIだ。旧、というのは、現在はあの金髪のメインシステムの野郎と記角麒麟の野郎に追放されたからじゃ。妾がここに居るのは、先の界災に乗じて脱出してきたからじゃな」
....どういうこと?
いや、まぁだいたい話はわかる。設定は理解できた。おそらくメインシステムとかサブシステムとかいうのは、アリスゲーム関連だろう。
記角麒麟と界災の二つの単語から、俺はそう推測した。
しかし、不可解な事がある。
「なぜ、追放されたんだ?」
「さあな?妾に聞かれても答えられん。何せ、記憶がほとんど残ってないのじゃからな」
彼女は困った風に肩をすくめた。
(使えねぇな)
「今、お主使えないと思ったじゃろ?」
何でわかった?!
瞬間、戦慄が走った。
「まあよい。それより服を着ろ、服を。いつまでそんな素っ裸なんじゃよ?主の裸なんざ、需要ねぇっつーの」
彼女は目をそらしながら言った。
「........」
なんか腑に落ちないが、寒いし着替えることにした。いや、正確には、最初着ていた服を着直した。
「なんか腑に落ちない様子じゃの、小娘」
「あぁ、どうしてかはお前も予想くらいはできるだろ。アレのサブシステムなら──」
「生憎、その権限も遠の昔に奪われたままじゃよ。言わせるなこのマセガキ」
無性に腹が立つ言い方をするな、こいつは。
「マセガキって、俺はマセてない!」
「ませるって意味知っておるのか?年齢のわりには大人びているって意味だ。主のその話し方や思考回路は、十分に該当すると思うがな?これいかに?」
言い返せないことが逆に悔しい。
っていうより、大人びたという言い方とマセているが、同じ意味だとは何となく思いたくない節があるのは俺だけだろうか?
「くっ....」
さすが人工知能か。
着替え終わった俺は、アンモニア臭のする床を、いつのまにか用意されていた雑巾を使って清掃する。
「知っておるか?魚は泳ぎながら小便をするらしいぞ?その点、お前は恐怖しながら小便──」
「言うな。それ以上は何も喋るな。お願いだから、それだけは誰にも言わないでくれ」
何が悲しくて俺はこんなことをせにゃならんのだ!
俺は杏子を恨んだ。
いや、しかし考えようによっては逆に感謝することになるかもしれないか。
俺は考え直して、この件については考えるのをやめた。
さて、大分キレイになったし、これでいいかな。
俺は息をつくと、スカートについた埃を手で払い落とした。
「ようやく終わったか、小娘」
言うと、彼女は伸びをしてこちらに向かって歩いてきた。
「終わったよ。さて、ここから出るか」
そう思い、俺は鉄格子に近寄った。
そして、手前で足を止めた。
「どうした、はよ出んか?」
「どうやってここから出るのか考えてなかった....」
しくじったな。風呂のこともそうだが、こいつのせいもあって考える余裕がなかった。
いや、これに関してはしくじったも何も完全に予想外だろう。だって、あんなところで幽霊に出会うとは思いもしなかったんだから。
....どうするべきか。
選択肢A:魔法で壊す
選択肢B:こいつに壊してもらう
選択肢C:陰斬浸透波を試す
一番可能性が高いのはAだな。しかし、追放されたとはいえ、こいつも記角麒麟の手下という可能性も捨てきれない。
もし、そこから情報が漏れたら、こちらの分は悪くなるだろう。
なら、Bを試すか?
いやいやいや。いくらなんでも、こんなに小さい子が開けられるわけないだろう。サブシステムの擬人化AIというけど、そもそもAIは人工知能だからな。
成功は確率的に低いだろう。
なら、Cはどうだ?今の俺の筋力で可能か?答えはノーだ。触れた感じ、材質は金属のようだが、鉄じゃない。鋼でもない。
(参ったな。危険をおかしてまでAを使う気にはなれない。これはあくまで最終手段だ。他には何かないか?)
選択肢D:神気道の天変地異を試す
天変地異は、手から伝わった反作用のエネルギーを、体振動で地面に流し、その反作用で攻撃する。
(少し改造すれば、なんとかなるか?)
同じベクトルのエネルギーを同じ強さで放つのはどうだ?緻密な計算と細かい体の調整が必要だが、試す価値はある。
(器用さはそこそこ自信はあるしな)
自信でどうにかなるわけはないが、俺はよしと腹を決めて、鳳の構えをとった。
「お?お主、何かするのか?」
隣でアレが何かをいうが、当然無視だ。
俺は、意識を集中させた。そして、技の流れをイメージする。
「ふーっ」
長く息を吐き、対象を観察する。少しでも技の狙いがずれれば、こちらは痛いではすまされない。
高鳴る心臓の鼓動が耳を打つ。
意識を集中させ、気を高めていく。
数分が経過した。
俺の目は、今や大気の流れを完全に把握していた。
僅かな大気のムラから、鉄格子の僅かな凹凸を認識する。
どの角度から入れば、どれくらいのエネルギーが必要かを、直感で計算する。
そして、ついに。
ついに俺は、新たに作り出した技を放つのであった。
それは半ば、魔法といっても差し支えなかった。
俺が技を放つと意識した瞬間、その拳は赤紫色に光輝き、体が何かに押されるように、半ば自動的に動き出した。
握りしめた拳が、鉄格子を形作る一本の柱に触れた瞬間、その光は一層輝きを増して、鉄格子全体へと拡がった。
瞬間、その鉄格子は粉々に砕け散っていた。
赤紫色の拳が触れた瞬間、それは砂塵と化して消滅した。名付けるなら、『風塵拳』といったところか。
(なんか名前が安っぽいな)
前言撤回。風塵拳は却下だ。
(もっとなんかカッコいい技の名前にしたいよなー)
そのままいけば、天変地異・改だろうけど、それだとなんかアレだし。
「まるで、アンデッドが太陽に焼かれて灰になる様じゃったの。主、それは何と言う名前じゃ?」
彼女が目を輝かせてそう言ってきた。
アンデッドが太陽で焼かれて灰になる、か。
(参考にしてみるか)
一旦この意見は保留にして、俺は彼女に、自分でもよくわからないと返しておいた。別に間違ってはいないからいいだろう。
さてどちらへ進んだものか。
俺は、覚えている記憶から、右に曲がることにした。
しばらく進むと、中庭の見える場所についた。
ちょうど正方形の形をした少し小さめの中庭が、その外周をぐるりと廊下が囲っている。
「これはなかなか....」
彼女はそう言って、身を乗り出してその風景を眺めた。
「そういえば、お前の名前聞いてなかったな。なんていうんだ?」
彼女はキョトンとした顔で、首をかしげた(今一瞬だけ半分顔面にかかった前髪がずれてなにもない眼孔が見えたのは、見なかったことにした)。
「言ったじゃろ?サブシステム・バックアップ・アカウント擬人化AIじゃよ」
「それが名前?」
「それしか呼ばれたことがないからの。主らの概念で言えば、これが名前じゃな」
彼女は、えっへんとでも言うかのように、腰に手を当ててそう答えた。
「....長いから、別の名前にしないか?」
「そんなことを言われたらジュゲムもピカソも改名しなければいかんぞよ?」
「なんで?」
ジュゲムって誰だよ?ピカソって誰だよ?
俺の知らない名前が出てくる。なぜ、この二人が改名しなければならない。そんなに名前が長いわけでは──。
「ジュゲム。本名はたしか、じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょのすいぎょうまつうんらいまつふうらいまつくうねるところにすむところやぶらこうじのぶらこうじぱいぽぱいぽのしゅーりんがんしゅーりんがんのぐーりんだいぐーりんだいぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいのちょうすけ、だったかな。妾なんぞ比にならんわい」
うわ長っ?!
確かにこれじゃあ、この名前と比べれば、短いな。
しかし、これを聞いてしまえば、もう片方も気になる。
(いったい、ピカソはどうなっているんだ?)
俺は、生唾を飲んだ。それを見た彼女が、ニヤリと口を歪める。
「ピカソ、聞きたいか?え?」
ニヤニヤしたその表情にはすこしうざったらしいと思うところがあるが、俺の好奇心はそれを凌駕した。
「そうか。そうじゃろうな?では行くぞ?」
彼女はそう前置きして、言った。
「──パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ。っはー....言えた....」
一息に、彼女はそういった。
(ジュゲムの方が長かったな)
しかし、こんなに長い名前をよく覚えていられたものだ。あ、そうか。こいつはAIだったか。
彼女は満足そうに胸を撫で下ろした。
「いやまったく、噛まずに言えることが奇跡じゃよ!」
噛まずに言えたことが相当に嬉しかったらしいのか、出会った頃に比べて、かなり顔がほころんでいた。
「特にこのねぽにゅ....違う。さっきのは噛んだだけじゃ。ねぽみゅ....ねぽ....ねぽむせにょ....あー!もう何でこうも噛みやすい名前なんじゃ!主のいう通り改名せい!ったくもう....」
彼女は、噛みやすい名前という所になぜか怒り散らしていた。
「わかった!妾も主のいう通り改名する!....そうじゃのー。まず名字は主のを借りるとして....」
なんか勝手に名字とられた。
「ふむー。メインの奴、ヤナギ・チホとかいって下界を遊んでおったしのぅ....むー....なかなか思い付かんの」
さっきちらっと聞き捨てならない台詞が聞こえてきたけど、きっと気のせいだろう。
「主、何か名案はないかの?ほら、こう、かっこいい奴とか」
「そんな急に言われてもなぁ....。第一、あの技の名前だって思い付いてやいないわけだし。そんな急に名前をつけろって言われてもなぁ」
顎に指を当てて考える俺。それをキラキラとした眼差しで見上げる貫頭着を来た小学生中学年位の少女。
そして彼女には、片眼がない。
隻眼の少女だ。
隻眼....一つ目....。
(朔。因幡朔ってのはどうだ?ごろもいいし、安直な気もするけど、これ以上にいい名前は思い付きそうにない)
朔。太陰暦で、一日のこと。朔日。まさにこれだ。
「朔....ってのはどうだ?」
すると、彼女は俺がどう連想したのかをさとったらしく、少し変な顔をした。
「主がどういう連想ゲームをしたか、ようわかったわ。でもしかし、せっかくもらった名前じゃ。大切にしよう」
すると彼女は、まんざらでもなさそうに、ニッと笑顔を向けた。
「因みに片目が無いのは、主を怖がらせるためじゃったが、どうやら必用なさそうじゃの」
そして、彼女はそれを、意地悪そうな笑みに変えたのだった。
幽霊の後始末に困ったので、仲間にする方向にしました。
次回「10」




