「07」リターン・ポイント
学校の制服であるセーラー服に着替え終わった因幡六花は、結局使うことのなかったデザートイーグルを東に返して、水筒から緑茶を飲んだ。
「苦い....」
「緑茶だからな」
東はそう言いながらも運転を続ける。
窓の景色を見る限りは、家に戻っているわけではないらしいが、いったいどこに行く気なのだろうか。俺はそう思い、東に尋ねた。
「これからどこへ向かう気だ?」
「近くの定食屋で昼飯食って、事後報告を終わらせにいく。それが終わったら、俺の実家に一週間泊まって、その翌朝に帰る」
予想外のセリフに、目を伏せた。
「俺、明日学校なんだが?」
「インフルエンザで欠席していることにしてるから、二週間くらいは大丈夫だろう」
インフルエンザは時期外れだ!
俺は心の中で突っ込みを入れて、ため息をついた。
「それに、お前も早くあの世界に帰りたいんだろ?手伝ってやるから、それくらい我慢しろ」
「──!?」
何でこいつ、そんなこと知ってるんだ?一度も話したことはなかったのに。
しばらくすると、とある定食屋についた。
「カツ丼二つ」
「あいよ」
東が店主に声をかけて、二つ空いている席に座った。
「なんで、俺のこと知ってたんだ?」
車の中でずっと考えていたが、答えはでなかった。
「時が来れば教えてやる」
彼はそう言って、話をそらした。
「うまいか?」
カツ丼を半分まで平らげた頃、東は何となくという風に話を振った。
「病院のやつよりは。向こうにいた頃の方が美味しかった」
正直、あそこの料理は味気ない感じがしてあまり好きではなかった。アレルギーの検査なんかもしていたしな。
「人界の女王、だもんな?」
「それも、時が来れば教えてくれるのか?」
訝しむような目で彼を見ながら、一緒についてきた味噌汁を飲んだ。
「まあな」
彼の丼鉢には、既に一粒も米は残っていなかった。既に完食していたようだ。
「慌てるなよ。急いで食って、喉でも詰まらせたら困る」
「──んく。心配無用、俺は子供じゃない」
味噌汁を飲み干して、残りを平らげる。
「まだ身も心もガキじゃねぇか」
「何か言った?」
「いや、何も──店主、勘定。釣り銭は次来たときの代金にでも回してくれ」
彼は席を立つと、五百円玉を店主のじいさんに投げた。
「あいよ。あ、そうだ東。ジズの嬢ちゃんが実家に帰ってたらこれ渡しておいてくれ」
料金をキャッチすると、店主は東に長い棒状の包みを渡した。
「これは?」
「焔陽炎の試作14号だ。今回のは結構自信あると伝えてくれ」
「了解。また来る」
そう言って、俺たちは車に戻った。
「さっきのって何?」
「........」
あの長い包み、焔陽炎というネーミング、試作14号。推測するに、刀か?いや、それにしては長すぎる。もし仮に大太刀だったとしても、あの長さは異状だろう。
彼は少し考えるそぶりを見せると、頭をガリガリと掻いて、こう答えた。
「妹の主武装だよ。薙刀だけど、普通の薙刀とは違うな。それ以上は企業秘密だ。もう聞くなよ?」
薙刀か。道理で長かったわけだ。
車は海岸沿いを暫く北に走ると、途中で山の中に入っていった。
「そういえば、どうして一週間もお前の実家に泊らにゃならんのだ?」
さっきの海岸からマンションまでは行きだけで三時間位はかかるが、一日で行き来できないわけではない。それに、今進んでいるところは、その場所とは全くの逆方向だ。
「言ったろうが。協力してやるって」
どういうことだ?協力の意味は理解できるが、どうやってあの世界に──。
しばらくすると、かなり広い駐車場に出た。
彼はそこに車を止めると、外に出るように促した。
もう既に日は暮れて、夕陽に染まったオレンジ色の空が見えていた。夜まであと30分といったところか。
「ここからは獣道を歩く。絶対にはぐれるなよ」
彼はそう言って手を差し出した。
意外と弾力性のある手に驚きながらも、俺は彼と手を繋いで、暫くは舗装されたアスファルトの道を歩く。
暫くすると、獣道と舗装道路の境目がなくなっていき、完全に自然の道になった。
この頃にはもう既に日は落ち、夜の闇に半ば視界を遮られていた。
街灯もない夜の山道に明かりを照らすものは一切無く、彼の手に持つ懐中電灯のみが、唯一の光源となって足元を照らしていた。
(思ったより遅くなったな....)
彼は心の中で愚痴を飛ばしながらも、目的の場所まで歩く。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
彼の後ろで、息を荒げる因幡六花の声が聞こえてきた。
「すまん。体力が....もう....ほとんど....残ってない」
俺は、繋がれた彼の手を強く握って、体力の限界を伝えた。
すると、彼は唐突にしゃがみこんで、背中を俺につきだした。
「──ほら、のれ」
「....まさか、おんぶか?」
「別に肩車でもいいんだぞ?」
まさかのおんぶと来ましたか。
恥ずかしくて出来るわけがないだろう、そんなの。
「いい」
「歩けないなら足手まといだ。いいから選べ」
彼はそう言って二択を要求する。いや、この場合は完全に前者を選ばせる気満々だろう。
選ぶ余地はあっても、実際は一択しかない。
俺は諦めて、彼の背中におぶさった。
「軽いな。体重いくらだ?」
「覚えてない。っつーか、お前の腕力なら力士背負っても悠々と軽いとか言うだろ」
彼は適当に俺を鷲掴みして投げ飛ばすだけでも、あれほどの威力が出せるのだ。本気を出せば、あのイソギンチャクですら悠々と持ち上げるだろう。
「ふっ。それはさすがにどうかと思うが....。イナバ、しっかり捕まってろ。ここから先は走って行くから」
彼はそう言うと、二、三回軽く跳ぶと、重心を前に押し出した。瞬間、空間が歪むような錯覚がして、二、三秒すると、そことは全く違う風景の場所にいた。
「....は?」
まって、今何が起きた?
俺の脳は、しばらくの間思考を停止していた。
やっとフリーズから戻ってきた思考回路で、俺はさっきの現象がなんなのかを考察する。
重心を前に押し出す感じは縮地と同じだった。けど、あれは縮地とは決定的に何かが違った。
なんなんだ、あれは。
「東、少し酔った」
俺は彼の背中から降りると、東に付き添われて茂みの奥へ行き、盛大に吐いた。
「──で、さっきのあれは何だったんだ?縮地とは違った感じだったが....」
吐ききった胃袋の中の消化しきれていないカツ丼を茂みの奥に埋葬し、俺は彼に質問した。
「縮地は歩行術なのに対して、これは走法だな。北欧の局地の、さらに奥深くに住む少数民族が、雪山で狩をするときに使う走り方で、確か名前はヘンリーだったか」
彼はそう言うと、ポケットからティッシュを取り出して俺の口許を拭った。
(聞いたことがない....いや、それもそうか)
元々、俺のこの意識は、この世界のものじゃないし、記憶もない。
知らないのも当然か。
「因みに、どれくらい走ったんだ?」
「ざっと二、三百メートルほどだな」
わーお、障害物競走で秒速百メートルのタイム出しやがったぞこいつ。ただ者じゃねぇな。
(しかも、あの頃の俺より足速いじゃねえか)
俺はそんな敗北感を覚えながら、茂みから出た。
「あ、きょーま!」
「ジズ、帰ってたのか」
すると、奥にあったかなり大きい(空中庭園の俺の屋敷より何倍も大きい)和風の屋敷(っていうかもはや城)から、白髪赤目の幼女が出てきた。
白髪と言っても白髪ではなく、玄関の篝火の光を受けて、若干銀色っぽくも見える。
肌は白いが、白城さんのそれとはまた違い、どちらかと言えば白人種と黄色人種の肌の色を、足して二で割ったかんじだ。
年は夕夏と同じくらいかな。
「なになに?きょーまはまたちがうおんなのこつれてきてるけど、こんどはどんなひと?」
「酷い言い様だな。ほら、定食屋の店主から預かってきたぞ。今回のは自信作らしい」
「わーい、ありがとー!」
俺を置いて進んでいく話に、若干追い付けない様子でいた俺は、どうすべきか迷っていた。
「あ、東?」
呼び掛けるものの、彼らはどうやら二人だけの世界に飛んでいるらしく、俺の声は聞こえていなかった。
「東はジズとはいつもそんな感じだから、気にしないでいいよ」
後ろから近づいてくる気配に気がつくと、それは俺にそうなだめかけるように言った。
「なんで霧葉がここに?」
そう、近づいてきたのは小鳥遊霧葉だった。
「仕事でね。ジズと界災の対処に行ってたんだよ」
「ふぅん」
正直面白くない答えだった。
「自分で聞いておいてそれはないよ!」
霧葉はそう言って俺の両肩を抱いた。
「またキスしてほしい?」
「止めてください。それだけはマジ勘弁してください」
本当に、あれは地獄だった。
彼女のその言葉を聞いて背筋が凍りそうになりながらも、俺は彼女の体を突き離した。
「何故に敬語?!」
少しがっかりした風に落ち込む霧葉だった。
(自業自得....で、言葉はあってるよな?)
そうして、俺は東京間の実家に泊まることになったのだった。




