「06」海の蜂2
作戦はこうだ。
俺が前に出て、イソギンチャクの気を引く。その間に、東が銃で攻撃。効果が見られない場合は、一度撤退して、装備を整え直して、再出撃。
とはいっても、二人だけでこの怪物に勝てる確率は極めて低いと思われる。
「援軍は?」
「今は別の場所を当たっている。こっちに来るのは時間的に不可能だ」
車の中で、再度作戦を考え直す。
「華望は?あいつの彼岸花なら、効果はあると思うが」
「可能性はあるが、かなり低い。そもそも、界災にあれが通じた試しがなかったからな。期待しない方がいい」
(そうか....)
「作戦は、これでいいだろう」
彼はそう言って、車から出た。
海辺の砂浜に、巨大なイソギンチャクが見えた。全長十メートル位か?
口盤から何百何千と生える触手の先端には、確かに目玉のようなものがついている。
胴体には、変な模様がのたうち回っていて、それはまるで、蛾の羽を連想させた。
思い出した。
「東、俺はこいつを知っている。ジャガマユギンチャクっていう幻想生物だ」
「ジャガマユギンチャク?」
「そうだ。こいつの触手には、たしか繊維質のものを溶かす毒があったはず。ただ、唯一炭素だけには反応しないらしい。あと、あの目玉は目玉じゃなくて、口だ。あの触手の一番真ん中には大きな口があって、たしか小さい方の口から毒を分泌させる。胴体はpH5強の酸性の粘膜があったはずだ」
因みに、その毒は常温では透明だが、塩分に反応して白くなる。粘性が少々強く、確かテンブでは糊の材料として使われていたとヒエロから聞いたな。
やっぱり授業は受けてタメになるな。ほぼ毎回カンニングしてる俺が言うことではないかもしれないが。
東はそれを聞いて、ニヤリと笑った。
「なるほど、それはいい情報をもらった。じゃ、作戦はこのまま続ける。くれぐれも毒と粘液には気を付けろよ、イナバ?」
「何をする気だ?」
聞くものの、彼は答えるそぶりは見せずに、砂浜へと降りていった。
俺が車から出ると、イソギンチャクの目(触手先端の口)が、こちらを向いた。
(気づくのはやっ?!)
俺は車から急いで離れ、東とは真逆の、イソギンチャクの後ろへと回り込む。
いや、まああれには前後左右の概念はないわけだが。そこは気にしていたら負けだろう。
「──」
何やらクチャクチャ、いや、くちゅくちゅというか、なんとも形容しがたい音を立てて、こちらに触手を伸ばす。
その勢い、約秒速10メートル弱。
「うわっ?!」
気持ち悪い。正直本当に気持ち悪い。触れることすら嫌だ。
しばらくの間、俺はそれをステップを使って避け続けた。
しかし、足場が悪い。さらさらしすぎるこの砂のせいか、俺は足を滑らせて転んだ。
(まだこの体では戦闘による負荷が大きすぎるのだろうか)
少し息が荒くなってきている。
その一瞬の隙を、奴は見逃さなかった。
「──」
バシュンとか、おおむねそんな感じの音をたてて、奴が毒をはいた。
(避けきれない!)
せめて顔面と胴体だけは保護しようと、咄嗟に腕を使ってガードする。
じゅっという肉の焼けるような音がして、飛び散った毒の数滴が、水着に触れた。
この水着にも一応炭素は含まれているわけだが、炭素単体ではないためか、水着が溶けだしていく。
(化合物は対象外か)
なら、禿げる心配はないな。髪は炭素でできているわけだから。
(それよりも、こいつ....!)
衣服を強制的に消し去るとか。とんだ変態野郎だな。
一方その頃東は、持ち合わせの銃が一切通用しないことを悟り、懐から試験管を取り出していた。
(水酸化ナトリウムなら、あれを中和できるかもしれん)
そう考えた彼は、その試験管の蓋を開けて、奴の胴体に振りかけた。
そして、振りかけたところへ銃弾を放つ。みごと、それは通用した。
(にしても、量が少ない。一旦引き返すか?いや、鉛玉だから駄目なんだ。爆弾を使おう)
「イナバ、引き返すぞ!」
呼び掛けるが、返事がない。そう思った瞬間、彼女が居た場所から、爆炎が起こった。
(何があった?!)
東は猛り狂う触手を避けながら、イナバの方へと向かった。
(怖くて試さなかったが、今なら試せる!)
俺がそう思って取った行動は、魔法だった。
「Explosion!」
(爆発せよ!)
攻撃に使う魔法は、病院など施設を破壊する恐れがあったからな。おいそれとは使えなかったが、問題なく発動した。
俺に飛び付こうとしていた触手が弾け、奴の毒が周囲に拡散する。
爆風の振動を地面に受け流しながら、逆にその勢いを流用して、一気に飛躍する。
神気道の基本技のひとつである、天変地異と呼ばれるものだ。衝撃を体の振動を使って地面に流し、それを逆に地面へ作用させることで、そのエネルギーの反作用によって飛躍する、もしくは、その衝撃を振動を使って掌から放出して攻撃する業だ。
正直使えるかどうかは半信半疑だったが、案外うまくいったものだと俺は思った。
俺は爆熱を受けて負傷した体を、回復魔法を使って修復した。
この世界では、魔力とは強制力としての意味しか持たないため、言い換えれば、魔力が尽きることなく無限に放てるということだ。
「イナバ!無事か!」
空中に舞う俺の姿を見て、東が声をかける。
「問題ない!」
俺は、そのまま奴の口の中へと飛び込んでいく。
「Explosion!」
(爆発せよ!)
再び魔法を放って、俺はイソギンチャクに止めを指した。
前言撤回。怪物は俺だった。
黒煙を上げて、プスプスと音を立てるイソギンチャクだったものの中から、俺は出てきた。
着ていたもののほとんどの部分が、先の毒のせいでほぼ無いに等しい状態になっていた。
「魔女....だったのか?」
出てきた俺の姿を見て、彼はそういった。
俺の体は、魔法のお陰でぴんぴんしている。傷ひとつなければ、状態異常を起こしているということもない。
ただまあ、着ていた水着は無くなってしまい、今やほとんど裸同然の状態だが、仕方がないだろう。あんな爆発に巻き込まれて、あれが消し飛ばない方がおかしいのだ。
以前のように衣服も修復できればよかったのだが、あいにくレレムだったころはそんなことはしていなかったためなのか使えなかった。
それにしても、魔女はないだろう。
この世界では、一般的には魔法は無いものとして扱われており、それを使う者は皆処刑されてしまういわゆる魔女狩りとかいうのが、中世のヨーロッパでは流行ったらしいが、実をいうとあれは、思うに恐怖だったのだろうな。
身を守るための何か。
俺なら、消すのではなく学ぶ方向にいくのだけれど、昔の人は愚かなことをしたよ、ほんと。
「違う。俺は悪魔とは契約してないし、これは単なる手品だ」
「....そうか」
適当にそう誤魔化すと、彼は納得のいかない顔をして、車へと戻っていった。




