Extra Stage サクランゴールド
ついに魔王の間にたどり着いた。とうとう全てに決着を付ける時がきたのだ。
今、私の前には豪奢でどでかい扉が立ちはだかっている。この向こうに、人々を苦しめる統括者、魔王その人がいるのだ。
ちなみに私の姿は元に戻っている。ここへたどり着くなり身長が雨後の竹の子みたいにむくむく伸びたのだ。今回は短く済んで良かった。
安堵の息を漏らした私とは対照的に、ガストさんは名残惜しげに立ち去っていった。ここまでありがとう。
今回は最終決戦、気合いを上げるために、ここで転身しておくことにしよう。
「錯乱転身!」
一人で叫ぶのはちょっと虚しい。気分を出すためにじゃじゃーんと呟いて、金色のクッキーを取り出した。ちなみに金色なのは包装だけで、ペリペリと紙を剥いた中から出てきたのは、普通のバタークッキーだったりする。でも基本のこのクッキーは私の大好物だ。
「一騎当千、サクランゴールド!」
『ゴールド?』
『うん。イレギュラーなカラーは大体中盤頃に現れて、特異な技を持ってたりするんだよ。子供たちにも大人気』
『はあ、なるほど』
黄金に輝くスーツに身を包み、私は圧迫感のある扉を見上げた。サクランゴールドの実力は折り紙付き、魔王になんて負けるはずがない。誰呼ぼうかな。
緊張にごくりと息をのみ、覚悟を決めて私は扉を押し開いた。
広い空間に、壮麗な彫刻が施された柱が並んでいる。広間の最奥には、遠近法がばっちりきいたサイズで、誰かが座って待っているようだった。
逃げ出したい心地を抑えながら一歩一歩近づいていく。奥で待つ人影の輪郭が、ちょっとずつ確かになってくる。
あれ、もしかして。嫌な予感を覚えながらもそんなはずはないと懸命に否定して、恐る恐る歩を進める。
そして相手をはっきり視認すると、私はくるりと踵を返して走り去る準備をした。誰だって、前回の流れからしたら王太子を思い浮かべるじゃないか、こんなの詐欺だ。
「何逃げようとしてんの、お前」
「お、おにいさま」
怯えた声が出た。
そう。無駄に大きくて豪華な椅子に、足を組んで偉そうにふんぞり返っていたのは――世界最恐の魔王、蒼兄ちゃんだった。
たぶらかされた近所のおばさまたちにも好青年だ目の保養だと大好評のお顔が、こちらを皮肉るような笑みを形作っている。
とても勝てる気がしない。ショックで転身も解けてしまった。
けれど私の肩には世界の平和がかかっている。
勇気を総動員してから、決死の覚悟で蒼兄ちゃんに向き直った。
「で、出たな、魔王!」
蒼兄ちゃんは心底呆れはてたように、はぁとため息をついた。
「お前――バカ?」
そんな冷静に指摘しないでほしい。
「ちゃんと付き合ってよ蒼兄ちゃん」
そして潔く倒されてよ。
「いつまで遊んでる気だ。頭の弱いことばっかやってないでさっさと帰るぞ」
「え、やだやだ」
つかつかと歩み寄ってきた蒼兄ちゃんに腕を掴まれ、私は足を踏ん張って抵抗した。
するとなんてことだろうか。聞き分けのない妹に業を煮やしたのか、蒼兄ちゃんはデコピンをかましてきた。
「あいたっ!」
暴力反対!
「ほら、帰ったらケーキ奢ってやるから」
こ、これが魔王お得意の精神攻撃か。目尻に涙をにじませ、じんじんと痛む額に手を当てながら、私の心は千々に乱れた。鞭を振るって痛い思いをさせたあとに、アメで懐柔してくるとは。態度に落差がある分効果は何倍にも膨れあがる。なんて卑怯な。
このままでは正義の味方業を放り出して、甘美なケーキの世界に突入してしまう。
「ほらほら、どうする」
ああ、悪魔の囁きが。
「早く決めないと買ってやらないぞ」
「そんな……! うう」
どうしたらいいんだろう。
でも、負けてしまうわけには……
「――アステル!」
やぶれかぶれにヘルプミーと私は叫んだ。ゴールドの髪に深く青い目、美貌にどこか余裕のある雰囲気を纏わせて、アステルは現れた。転身が解けたとはいえ、呼んでみるもんだ。
と思ったら、突然ぐいと身体をどけられた。おとと。
「初めまして、桜の兄です。妹がお世話になっている方ですか?」
蒼兄ちゃんがやけに愛想よく微笑む。
「ご丁寧にどうも。はい、とてもよくお世話させていただいています」
アステルは、見覚えのあるにっこり笑顔になっている。
え、どうしちゃったの二人とも。
見かけだけ友好的な双方はお互いに何をどう感じたのか、剣呑に顔を突き合わせている。
身長差は顔半分程度というところか。普段から鍛えている分体つきでもアステルの方が勝っているんだけれど、それでも充分背も高く尊大な態度とプライドを持つ蒼兄ちゃんは、対峙者を見上げながら全く怯むところがない。
「それは大変ご迷惑をおかけしました。これ以上お邪魔しないよう、よく言い聞かせておきます。このまま連れて帰りますんで、お礼はまた後ほど」
「いえいえとんでもない。これからも引き続き、ずっとお世話させていただこうと思っておりますからお気になさらず。桜はこのまま当方にお預けください。責任はしっかり持ちます、ご安心を」
「ご冗談を、これ以上ご負担をおかけするなんて、とてもとても――なあ桜」と蒼兄ちゃんが脅しつけるような目線をこちらに向ける。
「負担に思ったことなど一度もありません――ねえ桜?」とアステルは威圧感がひしひしと押し寄せてくる笑顔で振り返る。
「え? あ、う」
どちらを選択してもまずいような気がする。
窮地に追いやられた私は、じりじりと後退した。なんでこの二人って、容赦なく人を追い詰めるのが得意なんだろう。実は似たもの同士なんだろうか。
それでも保護者どもは手を緩めない。
「俺と帰るよな」
「帰りませんよね」
「ううう」
蒼兄ちゃんか。アステルか。
あちこちに視線を飛ばし、脂汗を垂らしながら迷いに迷った結果――脳の許容量が臨界突破した。
もう知らん。破れかぶれになった私は胸元のペンダントを握りしめた。どうなとなれ。
「スター!」
ふわりと現れた、全てを受け入れてくれそうな紺碧の髪と目に、私は突進していった。ああ、やっぱりこういう時はこの人の傍が一番安心できる。
頭上から、しがみつく私を受け止めてくれたスターの声が降ってくる。
「ではまあ、痛み分けということで」
「逃げた」
「逃げましたね……」
そうして私は、無事この場から連れ出してもらった。
ヒーローという仕事は過酷だと、しみじみ感じた一連の出来事だった。
『……』
『怖いから黙んないで、アステル!』