STAGE5 サクラングリーン
私は今、魔王を倒すための旅に出ている。空は晴れ晴れと青く、吹き渡る風が気ままに草を揺らす。踏み固められた土の道が蛇行する平原にはチョウチョがひらひら飛びかっていて、のどかそのものといったところだ。
こんな平和な光景を見ていると、この世界が脅威に晒されているなんてとても信じられない。けれど残念なことに、それは厳然たる事実なわけで……
ここまで過酷な旅をくぐり抜けてきた私の身体に刻み込まれた、数々の傷跡が迫り来る崩壊を物語っている。転んで擦りむいた膝小僧はズキズキするし、たき火でうっかり火傷した指はヒリヒリする。
しかし、そんな試練に心折れることなく私はここまで来た。
魔王の腹心が住むと噂されている、森まであと少しというところだ。
「よくぞ参った、サクランジャーよ!」
「なに!?」
私は凛々しく応答の声を上げた。
まさかと思った。まだ、魔王の腹心の住処までたどり着いていないはずなのに!
愕然と顔を上げる。ノリがいいのか、高笑いと共に現れたのは。
「こんにちは、桜殿」
「ガストさん!」
『どうしていきなり設定が変わっているんですか』
『こっちの世界の人も出した方がいいかと思って』
『どんどんいい加減になってきますわね。ガスト様が腹心なのでしたら、魔王は当然――』
目の前には、魔王の一の配下が悠然と佇んでいた。柔らかなオレンジの髪と見目の良い顔は親しみやすそうに緩められているのに、桃色をした目の底は強者が持つ自信に溢れている。一見無造作に立っているだけなのだけれど、はいちょっとごめんなさいよとでも言って横を通りぬけることは、とてもできそうにない。腰に吊した剣で瞬時に切り刻まれてしまうだろう。
「そこ通してくださいよ、ガストさん」
私は不満の顔を作って一応頼んでみた。
「すみませんね、桜殿のおねだりならなんでも聞いてあげたいんですが、これもお役目ってことで」
ガストさんに退く気はないようだ。ああ、どうして私たちがこんな風にいがみ合わなければならないのだろう。無情な世の中が悲しい。
視線を落として嘆きつつ、仕方がないと呟いた。
「これも悲しい運命なんですね」
緑色のクッキーを取り出す。ヒーローの証として、さる魔女から授けられたものだ。
「錯乱転身!」
クッキーをぱくりと口に放り込む。抹茶のほのかな苦みが大人の味っぽい。
「変則流動、サクラングリーン!」
忽然と出現したサクラングリーンを目にして、ガストさんが短く口笛を吹いた。
「楽しそうですねぇ桜殿」
バカ言ってもらっちゃ困る。私は悲哀に苦しんでいるのだ。
グリーンは形にとらわれない攻撃がウリ。私は胸の花模様に手を当てて叫んだ。
「お待たせ、イヴ、来て!」
萌葱色の大きな目と三つ編みの髪が可愛らしい子供は、人目があるのに珍しくフードを被っていなかった。肩に留まった梔色の鳥が笛のような声で鳴く。
「桜……やっと呼んでくれた……」
「うん、遅くなってごめんね」
抱きついてくるイヴをぎゅっと抱きしめ返した。こうやって喜びを露わにしてもらえたら、こちらもすごく嬉しくなる。指を甘噛みしてくる梔子の頬をくすぐってあげると、うっとりしていた。なごむなぁ。
イヴがくりくりした目を笑みの形に細め、溌剌と見上げてくる。
「あんなの放っといてどこか遊びにいこう……」
「え……いや、そういうわけにも」
さすがに放置プレイはガストさんが可哀想だろう。
イヴは不服そうに唇を尖らせていた。それでも私が今度付き合うからと約束すると、渋りながらも「分かった」と頷いてくれた。
「じゃあイヴ」
私たちのやり取りを微笑ましそうに眺めていたガストさんを、まっすぐ指さす。後でおばさんに、相手に失礼だから止めなさいと叱られるかもしれない。
「魔王の腹心を蔓でぐるぐる巻きにしばりあげちゃって。でも生気吸っちゃダメだよ」
「そんなことするより、手っ取り早い方法がある……」
「――へ?」
おもむろにイヴが、ローブの袂から何かを取り出す。
「げっ!」
品のない声を出してしまった。まだ持っていたのか。
満面の笑みをたたえる魔術師の手には、あの忌まわしい物体――アクアマリンの石で装飾された、銀色の小箱があった。
焦る私が逃げる間もなく、イヴは魔道具の蓋を開けてこちらに向けた。
視線がたちまち低くなる。拍子に転身は解けてしまったらしい。
唖然としていると、あれ、なんか影が?
「嬢ちゃん!」
歓喜の声が聞こえたと思ったら、後ろから伸びてきた手にひょいと身体を抱え上げられた。年頃の娘に気安く触れないでほしいと文句をつけたつもりなのに、私の口からは幼児のうがぁという呻き声しか出てこない。
「久しぶりだなー嬢ちゃん。ああ、なんでこんなに可愛いんだ」
かわいいかわいいと猫なで声で繰り返しながら、ガストさんが愛しげに頬をすりつけてくる。ぶにりという自分の下ぶくれた頬がひしゃげた感触と、痛い痛い、剃り残しのヒゲがちくちくするってば。ちょっと変質チックで危機感を覚えるんだけど、変な趣味に目覚めてないだろうな、ガストさん。
とはいえこの調子なら、イヴが目論む通り何でも言うことを聞いてもらえそうだ。
つたなく「あーあー」とか言いながら、進行方向を指さしてみる。三回目ともなると、ミニウィンナーのような指も見慣れてくるもんだ。
「そーかそーか」
ガストさんは目尻をこれでもかと垂らしてから、抱っこしている私の頭を好々爺のように撫でまくった。
「嬢ちゃんは魔王の所へ行きたいのかー可愛いなー。よーしよしよし、誰よりも優しい俺が連れてってあげるからな」
あやすように揺らされ、私は躊躇いのない足取りのガストさんに抱えられたまま、道案内されることになったのだった。
見送ってくれるイヴに手を振ると、ちょっと寂しそうにされてしまった。今度ぜったい遊ぼうね。
『あれ、アステルなんか不機嫌そうじゃない?』
『……少し、ガストと話し合った方が良さそうだと』
『なんで!?』