STAGE2 サクランブルー
今日の晩ご飯はお刺身らしい。でも味をぴりりと引きしめてくれる名脇役、わさびがないということで、おばさんに頼まれた私は近所のスーパーへお使いに出ているところだ。さすがにコンビニには、すりおろす用の生わさびは置いていない。
お釣りで好きなお菓子を買っていいと言われている。プリンを一緒に購入した私は、ほくほく顔でスーパーを出た。
遠くの山に目をやると、太陽の裾が稜線に潜り込もうとしている。もうすぐ日が沈んじゃうんだな、と多感な乙女らしく感傷的な物思いに耽りながら、暮れなずむ町を歩いていく。
ヘッドライトを点けた車がぼつぼつと現れ始めている。車道を横目にガードレールの内側を歩いていると、前方に気になる人を見つけた。
いかにも町工場の社長さんという感じで、くたびれた作業用のジャンパーを身につけたおじさんが、悄然と目前のビルを見上げている。どうしてあんなにも、途方に暮れた様子なんだろう。私もその視線を辿っていった。
大企業なんだろうなと思わせる、大きくて瀟洒なビルだ。
「どうかしたんですか?」
気になった私はおじさんに声をかけた。困った人に自ら営業をかける、これもヒーローの重要な努めだ。
「実は……」
おじさんは一目見て私を頼りがいがあると見抜いたのか、事情を話し始めた。参ったなぁ、隠したくても隠しきれない存在感ってやつだろうか。小声の「お嬢ちゃんにこんなこと愚痴ってもしょうがないんだけどね」なんて前置きはきっと気のせいだ。
「おじさんは機械の部品を製造している小さな町工場の社長でね」
うん、いかにもそんな感じですよね。
「このご時世だ、注文がどんどん減ってしまって、従業員の給料を払うのもままならない。製品には絶対の自信があるんだ。注文さえ貰えたら、どこよりも確かに応えられるのに。ここと契約できたらどんなにいいだろうかと考えていたんだよ」
「大変なんですねぇ……」
私は腕を組みつつ、しんみりと相づちを打った。
「でも社長さん、だったらこんなところでぼやいてるだけじゃ始まりませんよ。ヒーローも商売も営業が大事。売り込まなきゃ」
「え、お、おい」
ぐずぐずと躊躇うおじさんの背中を押して、大きなビルの中へ入っていった。
広い受付に、綺麗なお姉さんが並んでいる。
「あの、すいません」
一番手前にいる親しみやすそうな人に、愛想笑いをしながら話しかけた。
「ここの一番偉い人に会わせていただけませんか」
「こ、こら、お嬢ちゃん、そんないきなり会えるわけないだろ」
焦った様子のおじさんに、後ろから引っ張られる。いやだって、まだ高校生の私が、どんな役職の人に頼んだらいいのかなんて知るわけないじゃない。
受付のお姉さんは一瞬目を丸くして、それから慈愛の微笑みを浮かべた。いかにもまともに相手をしていないという表情だ。
「申し訳ございません、お約束のない方にはお取り次ぎできかねます」
それから私の方にちょっと身を乗り出して、意外なことに砕けた口調で耳打ちしてくれた。
「今本社から会長がいらしていてね、一番偉い方はその人なんだけど、ごめんね、会わせてあげるのはちょっとムリ」
お姉さんはとどめとばかりに悩殺スマイルを決めると、次の瞬間にはもうすまし顔で元の姿勢に戻った。
私が若い女の子で、ある意味なんの害もなさそうだから、ここまで打ち明けてくれるんだろうな。
じゃあどうしようか、と考えを巡らせていると、別のお姉さんたちがある一点を見てひそひそ声で騒ぎ出した。
「ほら、あの人」
「会長秘書の……」
会長秘書だって?
私もぐるんとそちらへ顔を向けた。エレベータから一人の男性が降りてくる。お姉さま方が色めき立つのも頷ける、スーツ姿のかっこいい人だった。ちょっと癖毛な髪を社会人らしく清潔そうに整え、スタイルもいい大人の男の人という感じだ。
ここで諦めてはヒーローの名がすたる。私はその人に向かって突進していった。
「あの、すいません!」
「――何か?」
鉄壁の無表情に迎えられて、縮み上がりそうになってしまった。
「あ、あなた、駄目よ」
後ろから受付のお姉さんの慌てた声が追いかけてくる。それから本人にも追いつかれ、私はお姉さんに肩を抱かれた。
「申し訳ありません、神崎さん。この子が会長にお会いしたいと。止めたんですけど」
「会長に……」
神崎さんとやらはお姉さんに一瞥をくれて呟くと、再び私に視線を戻した。蔑むといったマイナスの意図はないものの、仕事に必要かそうでないかという、感情がこもっていない目は別の意味で恐ろしい。こちらはビジネスの世界になんて片足も突っ込んだことのない女子高生なんだから、受付のお姉さんみたいにもうちょっと表情を緩めて安心させてくれてもいいじゃないか。
非難を込め頑張って見返すけれど、無表情な秘書さんは、予想通りの言葉を吐いてくれた。
「アポを取ってからおいでください」
南極に住むアザラシだって、こんな冷たい思いはしていないに違いない。
「せめて話だけでも聞いて――」
「忙しいので失礼します」
私が訴えているのを無視するように言い置いて、神崎さんとやらは私の脇を通り過ぎようとした。
「ちょっと待ったぁ!」
義憤に駆られて私は叫んだ。
「困っている人を見捨てるなんて酷すぎる――錯乱転身!」
ちなみにブルーのクッキーは水色のアイシングで飾られているやつだ。ほのかなりんご味で歯触りがサクサクしている。
「冷静沈着、錯乱ブルー!」
『お待ちなさいな』
『今度はリディ? なんなのもう、いっつもいいところで』
『だってあなた、レッドなのでしょう? 今度はブルーだなんて。他の方はどうなさったんですの』
『他のって、サクランジャーは私一人なんだけど』
『……え?』
『多役戦隊って言ったでしょ』
『あ……そういう……』
『分かったらおとなしく聴いててよ』
クールなサクランブルーの登場に、周りの皆は驚愕しているようだった。でもそうやって心地よく注目を浴びていたのに、次の瞬間には冷や水をかけられた気分になってしまった。
目の前の秘書さんだけが、いまだにぴくりとも表情筋を動かさない。この人には感情というものがないのか。
くそう、今に見ていろ。何故か目的が神崎さんとやらの反応を引き出すことにシフトしてしまったことを自覚しつつ、胸の花模様に手を当てた。
冷静沈着でテーマカラーは青。
ここでスターを呼ぶと思ったあなた、期待を裏切って申し訳ない。私のお目当ては、それプラス冷徹でお腹真っ黒(偏見)な人。せっかくのエイプリルフールなんだから、この日だけの特別共演だ。
「たまには出てきてよ、ホープ!」
銀河を抱くように艶めいた漆黒に、無色透明のピアスがきらりと光る。神秘の目と髪を持つホープは、子供に似合わぬ不敵な微笑をたたえて登場した。
あれ、ちょっと目線が高い。疑問に思いつつ下の方に視線を移すと――ひぃ! ぐるるるる、と金色のライオンにガンつけられた。乗馬ならぬ乗獅子か。
本能に従ってじりじりと後ずさる。周りを見ると、秘書さん以外は蜘蛛の子散らし状態になっていた。そりゃそうだ。オフィスビルのロビーに有翼のライオンが鎮座しているなんて、異様極まりない。
「ちょっとホープ」
私は震えながらもどうにか声を出した。このままでは警察を呼ばれてしまう。
「鬱金どっかやってよ」
「あら、ご挨拶ね、こんなにかわいいのに」
そう思うのはホープだけだって!
い、いやそんなことよりも。私はそれでも頑固に無表情を貫く神崎さんとやらに少しだけ尊敬の念を覚えながら、目を向けた。
「この人のことなんとかして。なんか、二人同類みたいな匂いするから対策分かるでしょ」
「なんだか気になる言い方だけど」
ホープがあどけなく小首を傾げる。そんな仕草に騙されるもんか。
「あなたの甘ったれ根性は身に染みついて矯正しようがないのかしらね――まあいいわ。じゃあ、どっちがいい?」
「へ、どっちって?」
「どちらを喚ぶか、選ばせてあげる。会長の孫? それとも、お守りの子?」
「会長の孫」は次話へ。
「お守りの子」は次々話へお進みください。