閑話 其の壱
[使用人たちの呟き(1)]
※時間軸は少し戻りまして、第3話より前の話になります。
【ポーの独り言】
私の名前は、ポルネス・ウェルス。貴族の生まれですが、前当主様と奥様のお二人とは幼馴染みでして、セネルガ家にお仕えすることを決めましたの。
セネルガ家にお仕えして、四四年。
月日が経つのは速いもので、あの利かん坊だったアドォン坊ちゃまが、今では立派に当主様になられて……。いまだに頑固なのは治りませんが。あら、私ったら。こんなこと言っちゃいけないわ、今はお仕えする旦那様ですものね。
あぁでも、前当主様と奥様がお亡くなりになられてからの、セネルガ家は本当に寂しいものでしたわ。旦那様はあんな性格だから、華やかなことに興味など持たれないし、奥様もお体の弱い方でしたから、常にベッドに臥せっておられたから。
ですが、アルヴィ坊ちゃまがお生まれになってから、お屋敷の雰囲気はがらりと変わりましたの。なんだか、お屋敷自体が喜んでいるみたいに感じましたわ。
お体の弱い奥様は、ご自分の命と引き換えに、坊ちゃまを産みました。もちろん旦那様は必死に止めましたわ。ですが、奥様も旦那様に負けないぐらいの頑固者でしたので……。
我が子を抱くことなく、お亡くなりになられた奥様。どれ程悔しかったことでしょう。私は、奥様の分も、坊ちゃまに愛を注ぐことを誓いました。
坊ちゃまはとても愛らしいお方です。本当にあの旦那様の子どもかと、疑ってしまうほど。
ハニーブラウンのさらさらキューティクルの髪。長い睫毛に縁取られた、大きな真ん丸の目。見方によっては黒にも見える、紫の潤んだ瞳は、今にもこぼれ落ちそうで。スッと通った鼻筋に、ぷっくりとした形の良い小さな唇。透明度のたかい色白の肌に、可愛らしいほっぺた。
可愛らしすぎて、衝動に駆られて抱き締めてしまわないようにするのに、必死でございます。
そんな坊ちゃまのお世話係になれて、私、光栄ですわ。
ですが、心配なことがいくつか……。
坊ちゃまは、感情表現が苦手のようなんです。基本的に無表情で、泣いたところを一度も見たことがないんです。笑ったところも、片手で数えられる程度。旦那様が笑わないのも、原因かも知れませんわ。
一応喜怒哀楽はあるんですけど、それが表情に出ないんですの。
セネルガ家にお仕えしているものは皆、坊ちゃまには笑顔で接することを徹底しているのですが……やはり、母親の愛情が必要なのでしょうか。こんなにも、自分の無力さを恨んだことはありませんわ。
いつか、坊ちゃまが感情豊かになることを、願っています。
それから、これはあまり深刻な話じゃないんだけれど。
坊ちゃまは、人の名前を覚えるのが苦手なようなんですの。私のことも、愛称は覚えてくださっているけれど、本名はご存じないわ。スティルなんて、愛称すら覚えてもらってませんのよ。
それから、旦那様には決して言えないんですが、どうやら旦那様のお名前もご存じないようで……。普段は「とーさま」と、あの可愛らしいお声で呼んでいらっしゃるから、きっと、"とーさま"としか認識されてないんだわ。
ふふっ、今のところ私が一番ね。あ、でも最近下っ端兵士と仲がよろしいみたいね。……新参者に坊ちゃまは渡しませんわよ。
まぁ今は苦手でも、まだ四才ですし。だんだんと覚えられるようになるはずですわ。ええ、きっと。
それから、あれですわ。何て言いますの? えーっと、方向音痴、かしら。でも坊ちゃまの場合はなにか違う気が……。
まぁきっと私の気のせいだの思うので、これはいいわ。
あとは……あれね。旦那様ね。
坊ちゃま、たまに鋭い目付きで旦那様の頭を見ていますの。正確に言えば、薄くなり始めたてっぺんを。
薄くなり始めたとはいっても、旦那様はまだ二十代。いくら少々老け顔とはいえ、まだまだお若いですし、然程心配する必要はないような気もしますが。(まぁ髪の色素が薄く、加えて一本一本が細いため、将来が不安ではありますが。)
ですが坊ちゃまにはそうは見えないようでして。滅多に感情の表れない坊ちゃまが、旦那様の頭を見るときだけ、険しいお顔をしてらっしゃるの。そのお顔も、素晴らしく愛らしくて、思わず見惚れてしまいましたわ。
ですが、その目付きがとても真剣で、いつかきっと、なにかしらの行動を起こされるんじゃないかと、ハラハラしてますの。
旦那様、覚悟してくださいませ。私は、温かく見守っております。
【スティルの独り言】
私、スティナロス・レイルでございます。セネルガ家にお仕えして早三五年。いまだに坊ちゃまから、名前どころか愛称すら覚えてもらえておりません。いつの日か、あの可愛らしいお口から、私の愛称が紡がれるのを夢見ております。
坊ちゃまは、とても不思議なお方です。四才にしては落ち着いていらっしゃいますし。旦那様の影響もあるのかもしれませんが。
基本的に無表情で、無口な坊ちゃま。だからと言って、冷たい雰囲気でもなく、なんだか安心できるのです。なぜだか、どんな時でも、坊ちゃまの側にいると、ホッとできるのです。
精霊について尋ねられたときは、本当にびっくりいたしました。現在では、精霊を見ることができるのは魔導師様だけですし、最近では、精霊はお伽噺の生き物だと思っている人間が、多いくらいです。
それに、セネルガ家では、精霊の話題は一切出てきません。旦那様がその話題を好まないからです。そう言えば、歴代の当主様も皆、精霊の話題はタブーだったような……。
まぁ、原因は分かりませんが、"精霊"という言葉を耳にすることのないこのお屋敷で、どうして坊ちゃまは精霊を知っていたのか。しかも、精霊と話すことはできるのかと、尋ねられるとは思いもしませんでした。
なぜだかこの時、あぁこの方は偉大になるお方だ、と唐突に思いました。
ですが私、一つ心配なことがあるんです。
どうやら坊ちゃまは方向感覚が面白いほど、狂っていらっしゃるようで……。ポーは、方向音痴とは何かが違う気がする、と言っていましたが、迷子なのには変わりありません。
あれは坊ちゃまがおいくつの時でしたか……。旦那様に会いに行くと、お一人でお部屋を飛び出したっきり、お姿が見えなくなったのです。結局、使用人総出で捜索して、ようやく見つかったのは五時間後。しかも、発見された場所は、お屋敷の屋根の上。
どうすれば、お屋敷を歩いていて、屋根の上に出るのかはいまだに分かりませんが、当の本人も、ただ歩いていたらここに出たと。
やっぱり坊ちゃま、偉大になるお方です。
それから私、最近は楽しみがあるんです。それは、坊ちゃまが旦那様を盗み見ている時の目付きです。
見ている場所は、確実に旦那様の後頭部。詳しく言えば、薄くなられている場所です。それを見ているときの坊ちゃまの目が、とても鋭く、怪しく光るのです。
いつか絶対に坊ちゃまは行動を起こすと、私確信しております。願わくは、その現場を見たい!
それが最近の楽しみでございます。ですから旦那様、何かあったとき私は、見守ることをここにお誓い申し上げます。