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異世界は選択の連続である[Re:]  作者: 八白
第一部五章 海洋国アーウェン
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3/再び、ワンテール島 -9 明日、晴れたら

「──あ、そうだ!」


 十歳のナナイロが、俺の腹に軽くパンチを見舞う。


「ぐほっ!」


 意外と重い。


「ひどいぞ! 説明全部おれに押しつけて!」


「……お、ちゃんと爪切ったんだな」


「誤魔化すなー!」


「悪い悪い。元の時代に帰るタイミング、俺たちには決められなくてさ」


「むうー……」


 ナナイロが口を尖らせる。

 そして、尋ねた。


「それで、今度はいつまでいられるんだ?」


「──…………」


 わからない。

 ただ、間違いなく言えることがある。


「……前回より、ずっと短いはずだ」


「え!」


 ナナイロが泣きそうな顔をする。


「そんなあ……」


 寂しさと同時に喜びも湧き上がる。

 ナナイロは、心の底から俺たちのことを慕ってくれているのだ。

 現在のナナイロを見れば、わかる。

 彼女は、六十年前にほんの僅かのあいだ邂逅しただけの俺たちのことを、驚くほど正確に覚えているのだから。


「──あと、そちらの方はどなたさんなんですか?」


 パタネアが、現在のナナイロの様子を窺う。


「ああ、もうすこし待っててくれ。起きたら自己紹介すると思うからさ」


「はあ……」


 そんな会話を交わしていると、背中のナナイロが身じろぎをした。

 目覚めそうだ。

 俺は、彼女を揺するようにして覚醒を促すと、そっと話し掛けた。


「──ほら、起きろ。二人に会えたぞ」


「ん、……う……」


 痩せたナナイロの体をゆっくりと降ろしていくと、彼女は石畳の上にしっかりと立った。

 そして、目を開ける。


「ああ──……」


 ナナイロが、呟くようにその名を呼んだ。


「パタ、姉……」


 パタネアが、口にした。

 その名を。



「──ナナイロ?」



 十歳のナナイロが、心外だと言いたげに口を開く。


「お、おいパタ姉! おれが、こんなしわくちゃなわけないだろ!」


「で、でも……!」


 現在のナナイロが、ゆっくりと微笑む。


「……ありがとう、気付いてくれて。おれは、六十年後のナナイロ。ナナイロ=ゼンネンブルクだ」


「六十年後の、おれ……?」


「ああ」


 現在のナナイロが、十歳のナナイロに親指を立ててみせる。


「──世界、救ってきたぜ!」


「マジで!」


 十歳のナナイロの目が、爛々と輝く。


「ど、どーやって!? 知りたいぞ!」


「そいつは人生のネタバレだな。お前自身が、ゆっくり、ゆっくり、六十年かけて楽しみな」


「ちぇー」


「でも、言っとくことはあるぞ」


「なになに?」


 現在のナナイロが、指を一本立てる。


「まず、一つ。お前が開発しようとしてる開孔術は、火法系統の究極形だ。勘違いしがちだけど、無系統魔術じゃない。それはしっかり覚えとけ」


「かいこーじゅつは、火法系統……」


「よしよし。じゃあ、二つ目だ」


「おう!」


 二本目の指が立てられる。


「お前は町へ行けなくなるけど、魔獣除けは回収しちゃ駄目だ。これから六十年間、あの遺跡でアホみたいに魔獣が生産され続ける。魔獣除けがないと、島の人たちが危ない」


「げ!」


「パタ姉。不便になるけど、こいつの面倒頼むな」


「う、うん。わかった」


 ナナイロが三本目の指を立てたあと、懐に手を入れた。


「三つ目。手出しな」


「?」


 現在のナナイロが、十歳のナナイロの手に、丸薬の入った小袋を乗せる。


「ナナイロ、それは……!」


「カタナ兄。これは、ナナイロ(おれたち)に必要なことなんだ」


 そう告げ、十歳のナナイロへと向き直る。


「これは、お薬だ。お前は、七十歳になった頃、大きな病気をする。そのときに飲め」


「なくしそう……」


「これ、命に関わるからな。今は一粒しかないけど、未来のお前なら、成分を解析して量産できる。でも、最初の一粒がなければ終わりだぞ。絶対なくさないようにな」


「……わかった」


「最後に」


「まだあんのか……」


 現在のナナイロが、過去のナナイロの頭を帽子の上から撫でる。


「パタ姉の言うことを、よーく聞くこと。いい子にするんだぞ」


「お前はいい子にしてたのか?」


「──…………」


 現在のナナイロが、軽く視線を逸らす。


「……そりゃもう」


「ヘンな間があったぞ!」


「まったく、我ながらヘンに聡い──」


 そこまで言ったときだった。


「──ごホッ!」


 ナナイロの肺の奥から、咳が押し出される。


「けほッ! げほッ! ──がぼッ!」


 ごぽり。

 ナナイロの口から、黒い粘液が溢れ出した。


「……時間、か」


「だっ! だだだ、だ、大丈夫か! さっきのお薬飲むか!」


 十歳のナナイロに、現在のナナイロが、首を横に振ってみせる。


「無駄だ。おれの内臓は、もう、粘液に変わっているだろうな」


「ナナイロ……」


 パタネアが、現在のナナイロの肩に触れる。


 そして、

 彼女を、

 抱き締めた。


「……汚れる、……けほッ、ぞ。パタ姉……」


「汚くなんてないよ……」


「──…………」


 パタネアが、石垣に背を預けて座り込む。

 そして、ナナイロを膝枕した。

 優しく、優しく、その白く染め上げられた髪の毛を撫でる。


「……楽しかった?」


「ああ……」


「よかった。ナナイロが魔獣なんだって聞いて、すごく心配してたから」


「……そんなの、平気だったさ。それより」


 ナナイロが目を閉じる。

 つらそうに。


「パタ姉が死んだときのほうが、悲しかった」


「……そっか」


「でも、こうしてまた会えるってわかってたから、寂しくはなかったよ……」


 いつしか、ナナイロの咳は止まっていた。

 だが、足のほうから、素肌が黒い粘液へと変わって行くのが見えてしまった。


 俺たちは泣いていた。

 それが、あまりに幸せな別れだったから。


「ねえ、ナナイロ」


「……なんだ、パタ姉……」


「明日、遊びに行こうか」


「──……!」


 ナナイロは、驚いたような表情を浮かべ、言った。


「……そうだ、な。行こう。誰かに船を出してもらって、海の向こうへ」


「うん。ワンダラスト・テイルのみんなも、一緒に」


「ああ、いいな……」


 ナナイロの腕を包んでいた服が、べさりと平たくなった。


「冒険、……したかった、な……」


「うん」


「おれが、放浪していたのは、……きっと」


「うん」


「カタナ兄たちと、旅がしたかったから、……なんだろう、な……」


「──っ」


 最期まで見守ろうと思っていた。

 でも、耐えきれなかった。


「ナナイロ……ッ!」


 無理だってわかってる。

 でも、口から溢れて止まらなかった。


「旅に、出よう。世界中を巡ろう。ずっと、ずーっと一緒に行こう。どこまでも、世界の果てまでだって……!」


 ヤーエルヘルが、鼻を啜りながら言った。


「そう、……でし。一緒に行きましょう。ずっと、ずっと! だから、死なないで。死なないで、くだし……!」


 プルが、目を赤く染めながら叫ぶ。


「な、……ナナイロにだって、行ったことない場所、あるはず、だから……!」


 ヘレジナが目を擦る。


「お前は……ッ! ワンダラスト・テイルの、五人目の仲間だろう! どうしてここで終わる! どうして一緒に来ない! どうして! ……どうして、死んでしまう……」


 マナナが、止まらない涙を拭こうともせずに言った。


「……ナナイロ。うちらは、あんたが大好きだ。別れたくない。無理だってわかってても。わかっててもさあ……ッ」


 バルマが、一歩前へ出て一礼した。


「我が同胞。お前と話しているときが、私の人生でいちばん楽しかったよ。これは別れではない。運命の銀の輪の中で、またいつか巡り会えると信じている」


 そして、十歳のナナイロが、現在のナナイロの顔を覗き込んだ。


「──なあ、おれ」


「ん……」


「おれの人生は、どうだった?」


 現在のナナイロが、穏やかに答えた。


「……見れば、わかるだろ」


 ナナイロの瞳には、俺たちが映っていた。


「──最高だったぜ」


「そっか……」


 ナナイロが苦しげに目を閉じる。


「……ご、めん。そろそろ、お別れ、みたい、……だ」


 ナナイロの首元までもが粘液へと変わっていく。


「おやす、……み。みんな」


「……ああ」


「……おや、すみ。……パタ姉……」


「……うん」


 パタネアが、大粒の涙を流しながら、気丈に頷いた。


「おやすみ、ナナイロ」


 島では、別れのときにはこう言うんだ。


「──また、明日」


 会えないことがわかっていても、言うのさ。


「また、……あした……」


 ナナイロが、最期に、満面の笑みを浮かべた。


 その表情が、本当に幸せそうで。


「……嗚呼。……あし、た、……晴れた、ら──」



 ──ぱしゃっ。



 ナナイロのすべてが、黒い粘液と化す。

 粘液の染み込んだ品の良い服が、パタネアの膝に掛かっていた。

 残されたものは、それだけだった。



 ナナイロ=ゼンネンブルクは、死んだのだ。



「う、……あ、ああああ、あああああああああああああああ……!」


 ずっと我慢していたのだろう。

 ナナイロの最期が穏やかであるようにと、口をつぐんでいたのだろう。

 ヤーエルヘルが、大声で泣き叫ぶ。


「ナナさんッ! ……ナナさん……ッ!」


 ヤーエルヘルがパタネアの元へ駆け寄り、かつてナナイロだった黒い粘液を両手ですくい取った。


「ナナ、……さん……」


「──…………」


 十歳のナナイロが、ヤーエルヘルの肩に手を乗せた。


「おれ、決めたよ」


「……──?」


 ヤーエルヘルが、ナナイロを振り返る。


「おれは、この〈ナナイロ〉になる」


「え──」


「だって、あんなにも満足そうでさ。こんなにもたくさんの人に惜しまれて。そして、自分の人生を、最高だって断言できた。そんなのさ」


 ナナイロが、大人びた表情で微笑んだ。


「……幸せ、過ぎるだろ」


「うん……」


 パタネアが、指先で涙を拭いながら、言う。


「ナナイロは、幸せになれるよ。きっと、最高の人生が待ってるよ」


「うん!」


 本当に、すごい子だ。

 自分の最期を見て、〈こうなりたい〉と願う人間が、この世に何人いるだろうか。


「あ──」


 ナナイロが亡くなったためか、込められた魔力マナが少なかったせいか、早くも俺たちの体が発光し始めた。


「……今度こそ、お別れだな」


 ナナイロが首を横に振る。


「違うぞ」


「島では、お別れのときは、みんなこう言うんですよ」


「ははっ、知ってるよ」


 俺は、右手を上げ、ナナイロとパタネアに告げた。


「また、明日」


「ま、……また、明日!」


「また明日、だ」


「……また明日、でし」


「ああ。……また、明日ね」


「また明日」


 バルマの挨拶が終わったとき、視界が明転を始めた。


「また明日、──です!」


「また明日なー!」


 パタネアとナナイロの最後の言葉が、一つの区切りのように感じられた。




 俺たちは、

 今度こそ、

 時を越えた冒険を終えたのだ。

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