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幻想の病

<約束>

作者: c.monkey
掲載日:2025/08/28

 今日も今日とて降り注ぐ心地のいい陽気、爽やかなそよ風、そしてそしてここにいらっしゃるのは、記念すべき今日、何と守矢神社の敷居を遂に跨いでくださった愛しの優さん!

「もう本っ当に嬉しいです! これからは正式なうちの信者さんとして、これまで以上に大切に、厳格に、優さんを守っていきますからね!」

「他の人ほど、信仰心があるわけじゃないんだけど……」

 すべすべの手を握りしめ感極まってそれを大きく振ると、何だか罰が悪そうにした優さんはそう口の中で何事かを呟きながら目を伏せてしまった。でも、それにしたって、これまでに何度も何度も根気強く入信を勧めてきた甲斐がありました。その結果、宗教がせめぎ合うこの幻想郷の中でこうして優さんをうちに迎えることができたんだから!

「さあっ、それじゃあ優さん。これからのお話をしましょう。中へどうぞ!」

「えっ……いいの? でも、神社の中って神聖な場所なんじゃ……」   

 もちろん、誰彼構わず呼びこむわけではありません。ですが、これは必要なことですし、諏訪子様と神奈子様にも既に許可はいただいていますから!

 躊躇った様子の優さんの手を取ると裏から社務所に入り、こうしてこの日私はようやくその内側へと優さんを招くことに成功した。廊下を進み障子を開いて茶の間に彼を案内すると、恐々として肩を竦め正座していた優さんの前に逸る気持ちを抑え、まずは熱々の緑茶を用意する。

 この日のために内輪な生活感が出過ぎないよう部屋の掃除も気をつけてきたんです、他所の方を招いたのは初めてですが、きっと引かれない程度の仕上がりにはなっていることでしょう。少しどきどきしながら障子をぴっちりと閉めきった部屋の中、しかしどこからともなくお二人の視線を感じる……お声には出されておらずとも、優さんの動向を注視なさっているのだ。やがて窄められた唇が湯気立つ水面を啜ったのを確認してから、密かに深呼吸をした私は努めて明るく話を切り出した。

「うちにいるにあたって、優さんには色々と守っていただきたいルールがあるんです。難しいのはおいおいとして……まず一つとしては、守矢神社以外の信仰の場には出向かないこと」

 ぴっ、と立てた人差し指に、どうにも周囲が気になる様子で視線を走らせながらも、優さんは無事こくりと頷いてくださった。信仰が分散すると最悪の場合は改宗を招きますし、とにかくよろしくないことですからね、これは納得のご理解をいただけるかと。

「そしてこちらが本題、もう一つは……守矢神社に足繁く通うこと! です」

 これは少し私情も入っていますが……なるべく頻度が高い方がいいですね。あと、そうでなくても外で私を見かけた時にはぜひ声をかけてください。まあ、信仰対象である以前に元より友達なわけですから! そんなこと、わざわざ口にしなくても分かっているとは思いますけどね。

「早苗……早苗、お茶菓子あるよ。取りにおいで」

 説明の途中、ぽそぽそとした囁き声にどちらともなく優さんと一緒に障子の隙間へと視線をやると、手招きをした諏訪子様はそう仰ってからすぐにひゅっと姿を消してしまった。もう、心配性なところがあるんですから……息づきながら優さんに断りを入れると、席を立ってもう一度台所へと向かう。

 せっかく一緒にお茶ができるチャンス……とはいえ、これからはいつでもお誘いを入れられるのですから、今日に詰め込まなくていいような気もするんですけど……。しつこい女だと思われるのも嫌だし……。

 里で買ってきたお饅頭をお盆に乗せて部屋に戻ると、退室の際には閉めたはずの障子がいつの間にか開いていた。中には優さん一人だけ……怪しい。誰か来ましたね? 不思議そうな顔をしていた優さんは、私を見るなり小首を傾げて意外そうに呟かれた。

「早苗って……妹? いたの?」

 ……余計なことは口出ししないでって、後で言っておかないと。



─────────────────────



 それから、優さんは言った通り守矢神社へとマメに顔を出してくださるようになった。本当は毎日来てほしいくらいだけど……人里に出向いた時はご挨拶もしているし、博麗神社や妙蓮寺など他の場所には目移りしていないようなので良しとしましょう。

 概ね快適で、概ね満足の生活です。でも、ある日少し気になることができてしまって……。

「寺子屋に行きましたよね? たまたま、入っていく姿を見かけたんですが……」

 お団子を頬張る優さんの隣に寄りながらそう唇を尖らせると、大きな黒い瞳をぱちぱちと隠してお茶を啜った優さんはやっぱり頷いた。里のお団子は確かに美味しいですけど、これは由々しき事態です。またどうして寺子屋に?

「どうして、って……お手伝いに行ったんだよ。慧音先生一人だと仕事の量も多いし……」

「駄目です!」

 つい大きな声を出して立ち上がってしまったせいか通りにいる人たちの視線を集めてしまい、はっとしていそいそと座り直すと動揺を隠すようにお団子を一つ口に入れながら優さんを諭した。

 今この生活において必要最低限の関係は認めます、認めますが……寺子屋はその内ではありません。ありませんよね? 何か困ったことがあるならうちに来てくださればそれで事足りますし、わざわざ寺子屋に通う必要はありませんよね?

 逸らそうとする彼の視線を追いかけそう詰め寄ると、しばしばと目を瞬かせた優さんは何か困ったような顔をして私を嗜めてきました。「ただのお手伝いだよ?」って……怪しい。まさか、寺子屋にいる“誰か”を目当てにしているんですか?

「ルールを追加します」

 不服だった。優さんは既にうちの傘下に入ったのに、どうして必要以上の寄り道を許さなければならないの? 貴方はもう守矢神社の管下にあるんです。その自覚をしっかりと持っていただかないと。

「人間関係は私が許可したものだけに止めてください。まずは────」

 ────それからというもの、私は何かにつけて彼の言動が気にかかるようになった。それは例えば、麗らかな春の陽気が心地いいある日のこと。里から少し離れた田園地帯にいたところを見かけた方がいるとか? 優さんには特に用のない場所のはずですが……気になります、ルールを追加しますね。

 またある時。普段は柔らかな無地の生地が多いのに……この服、優さんの趣味とは少し違いますよね。問いただすと観念したように俯いた優さんは答えてくださいました。いただいた? 誰にですか。……そうですか、ルールを追加します。

 入信から暫く経って、何だか疲弊したような落ち込んだような顔をしていた貴方に。最近、どんなものを食べているんですか? 不規則な生活はしていませんか? 心配です、ルールを追加しますね────。

 信仰を捧げてくださる方には神徳を与える。それは現人神として当然のことです。私は優さんの生活がよりよく快適で不純物なきものとなっていくよう、それはそれは注意深くそして心から貴方のためを想って行動していました。全てはそのためだった。────それなのに。

「信仰を、辞めたい?」

 茜色の空の下、俯いた彼の表情は髪の影に隠れて窺いしれない。私が職務を終えるまで待ってくれていた優さんは、他の参拝客の方がお帰りになり手伝ってくださった掃除も終わって、後は社務所に帰るだけとなった今。消えそうな呟きで私にそう打ち明けてきた。

 吹き荒んだ強風に山が鳴き、大きく膨らんだ髪の奥に佇んだ優さんの姿が何だか滲む。まるで胸にぽっかりと大きな穴が空いてしまったようだった。これまで喜んで積み上げてきたものを、その土台から崩されてしまった子供のような気持ちになった。

「どうして……?」

 私はこんなに、こんなに頑張ってきたのに? やっと優さんを手に入れたのに。やっと貴方に近付けたのに。なのに今度は貴方の方から、私のことを突き放すなんて。

 林の陰に蛙の鳴き声がこだまする。肩を竦め長らく黙り込んでいた貴方は、やがて噛みしめていた唇を薄く開くと肺から息を絞り出すようにして喘いだ。強く力の込められ作られた拳が服に皺を寄せる。途切れ途切れの吐息は、まるで陸で息をする魚のようだった。

「もう、疲れちゃったんだ。確かに早苗は……ここの神社の神様は僕を守ってくれるかもしれない。でも……僕一人じゃ何もできなくなる。それが、しんどくて……」

「そんな……でも、それって幸せなことでしょう? 私も、神奈子様も、諏訪子様も、大切な優さんの生活を見守って────」

「違うよ」

 力強い否定の言葉に喉が詰まり、踏み出しかけた足が射止められた。それは、彼から突きつけられた初めての明確な拒絶でした。萎んだ胸の奥が締めつけられ息もできなくなる。沸き上がった感情の波が、目元から熱い雫になって溢れ出してくる。

「これは……監視、だよ。自由がない……僕には、守矢神社のやり方は……ちょっと、合わなかったみたい。……ごめんね」

 そう言って頭を下げた優さんは、本殿にも会釈をするとそのままとぼとぼと鳥居に向かおうとする。どうして……どうしてわざわざこの場所でそんなことを言ったんですか? ケジメをつけるためですか? お二人にもお断りを入れるためですか?

「わたしが」

 ────私が、“こんなこと”で諦めるとでも思いましたか?

 空間を裂いて風が吹く。びくりと肩を震わせた優さんは、何を感じたのか勢いよくこちらを振り向くと息を呑んだようだった。目を見開いているのは私が我慢をやめたからでしょうか、それとも、私以外の人影が見えているから、かな。

 色眼鏡が取れたのか、それともつけまいとしていたそれ越しに貴方を見ているのか。酷く怯えたその表情に胸が高鳴る。喉から漏れた自分の声は驚くほど流暢で、高圧的だった。

「もう遅いんですよ。今さら。貴方は私たちの胎に入ったというのに。自分の意思で逃げられる期間は、貴方が私の手を取ったあの日からもう終わっています」

 一歩踏みしめる度靴の裏が擦れてざりざりと音を立てる。色の悪い唇を震わせた優さんの足は一歩も動きません。動けません。まさに、蛇に睨まれた蛙、ですね?

 不遜です。不敬ですよ。貴方は私たちを舐めています。自由……自由、ですって? そんなもの────初めから、私たちに“与えられるもの”なのに。

「あーあ、だから言ったじゃない。さっさと手足を捥いで閉じ込めておけって」

「何を言う。むしろ“早苗を見守ろう”と言い出したのはそっちでしょう」

 背後から諏訪子様と神奈子様のお声が聞こえてくる。ごめんなさい。やっぱり間違っていたのは私の方だったみたいです。少しずつ囲んでいけばいいって、その方が優さんも受け入れやすいかもって、身を引き気味だった私の方がいけませんでした。

「もっとぐいぐい行くべきだったんですね」

「え……?」

「不慣れなものでして。何せ、男性にアピールをするのは初めてのことだったんです」

 もっと、欲しいものにはすぐに食らいつくような貪欲さで。あの日掴んだ貴方の手を、そのまま離さずにいればよかった。

 歩み寄りそっと握りしめた優さんの手は細くて、小さくて、汗ばんではいたけどすべすべでした。白くてふっくりとした頬に女の子みたいな唇……筋張った首に華奢な腰回り。うーん、私より小柄なのが少し気になるんですよね。優さんの負担があまり大きいのも不安になりますし……。

 ────ま、それはおいおいとして。とりあえず今は“我が家”に帰りましょう。遠慮はいりません、優さんもこれから一緒に暮らすんですからっ。

「えっ、やっ……早苗! 早苗っ、待って! そんなっ……」

 私の手を離そうと躍起になる優さんですが……いいんですか? 逃げたところで“悪いこと”が起きてしまうのは必至ですよ。そんな優さんのためもあって、耳障りな砂利の音を引き摺った私たちはガラリと音を立てて茜色の空を閉め出した。

 事務所兼自宅になっている社務所は、自慢じゃありませんが広くて快適です! 一人増えたところで窮屈にはなりません、服や食器や布団の準備だって既に終えていますから。

 社務所に入るなり、神奈子様と諏訪子様も歓迎して優さんを茶の間に連れていってくださいました。今日は風がよく吹いていたからお体が冷えているかもしれない。すぐに湯を沸かし、急須と人数分の湯呑みを手にしていつになく賑やかな茶の間へと足を踏み入れる。

「いやあ〜もうさぁ、私としてはいつうちに来てくれるのかって気が気じゃなかったんだよね。実のところさ。あのまま心折れた早苗が帰してやってなんかいたら、末代まで祟るところだったよ」

「その場合の末代は今代までになっていたような気がするけどね。でも、今回ばかりは同意だわ。全く冷や冷やさせてくれる……」

 両側から神様に責められ、何だか忙しなく肩を上下させていた優さんはやがて俯くと縋るような目で私を見上げてきた。その潤んだ瞳に得も言われぬ胸の高鳴りを感じ唇を噛むと、お茶を置きながら機嫌よくお二人を嗜める。もう、あまり優さんを怖がらせないであげてください、これからはご一緒するんですから。

「……ま、それもそうだ。ちゃんと旦那の肩を持ってやって、早苗は偉いねぇ。本当に良い娘に育った」

「……えっ? 旦……」

「早苗ももうそんな歳なんて……。優、分かっているとは思うが、早苗が貴方を支えるように、貴方もまた早苗を支えるのが義務です。与えられた役割に甘んじず積極的に向き合うように」

「え? え?」

 戸惑ったように諏訪子様と神奈子様の顔を見比べる優さん。その瞳ににっこりと笑いかけて、私たちは初めて家族全員で食卓を囲みました。湯呑みも、お茶碗も、お椀も、どれもそれぞれ四つずつ。

 やがて食事を終えて台所に来てくださった優さんから食器を受け取り、鼻歌を口ずさみながら流水でお皿を洗う。何だか辺りをきょろきょろ気にしている様子だった優さんは、おずりとしながら隣に並ぶと小さな声で囁いてきました。

「ねぇ、早苗……一つ……聞いてもいい?」

「はい? もちろんです。どうかしましたか、優さん」

 垂れた前髪を手の甲で退け、どこか不安そうな表情をした貴方に向き直る。こうして間近に見ると、睫毛も長くてお肌も綺麗で、きっと優さんとの間にできた子供は可愛いらしいのでしょうね。……むずりとして唇を結ぶ、とそれと同時に、優さんはその愛らしいお口から優しげな言霊を放った。

「僕たちって……友達、なんだよね?」

 まさか、予想だにもしなかった言葉に驚き視界を大きくしてしまいながら、私は思わず笑った。どんなことを言われるのかと思ったら……これまで、私たちが友達じゃない時なんてありましたか?

 水気を取り食器を重ねる。優さんがほっとしたように肩を下ろす姿を視界の隅に感じながら、手を拭いた私は貴方の目を真っ直ぐに見据えながら微笑んだ。これから幾度となく触れることになるその心。貴方のすべてはもう私たちの手のひらの上です。それは、“友達”なんて言葉では到底表せない。

「でも、これからは“夫婦”って呼んでください。まあ、この先他の人に話す機会はないと思いますけど」

 ……あれ? どうしたんですか、優さん────。

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