ロケット花火
高校3年生の行人は、最後の夏休みに友だちの春也と太成と3人で「しまなみ海道」へサイクリングに出かけた。
その旅先で、3人は花火をしながら、それぞれの進路を語った。
日が暮れるにつれ、心地よい風が吹いてきた。遠くの方から、蜩の鳴く声が聞こえていた。
今朝の天気予報では、「今日は猛暑日」と言われていたが、陽が翳ると、浜風とともに涼しさを感じた。
行人は、浜辺に沿うように走る車道を、自転車で進んでいた。
「おーい、行人! ちょっと遅いんとちゃうか。早よ行こうや」
自転車で前を行く春也が、振り向きながら話しかけてきた。
「お前らなぁ。子どもみたいに、張り切りすぎやぞ」
行人がそう返すと、同じく前を自転車で進んでいた太成が、話に入ってきた。
「そんなこと言うて、ほんまは行人もワクワクしてるんちゃうか? 花火」
春也と太成が、ニヤッとしてこちらを向いている。
子どもとちゃうんやぞ。あいつら、張り切りや。
行人はそう思いながら、自転車のペダルを力いっぱいに踏み込んだ。
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「今年の夏休み、皆でどこか行かへん?」
そう言い出したのは、春也だった。急な提案だったが、行人も太成も賛成した。
しまなみ海道へ行こう。行き先は、すぐに決まった。1度、行ってみたかった所だった。
しまなみ海道は、広島県の尾道から向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島の6島を橋で結んだ道のことで、サイクリングで渡ることができる。
2泊3日で行こう。どの日にしよう。どこの旅館に泊まろう。旅行の計画を立てるのは楽しかった。日程は、8月の初旬にした。
旅行当日、電車にロードバイクを輪行させて、尾道へ向かった。尾道に着いてから、3人でロードバイクを進めた。初めての景色、初めての体験、全てが新鮮だった。1日めは尾道、向島、因島と渡り、そこで1泊した。
そして2日め。生口島、大三島と渡り、尾道から見て5島めに位置する伯方島に来ていた。
島の南東部にある旅館「サラサヤ旅館」に着いたのは午後5時過ぎだった。優しい女将さんが出してくれた晩ごはんを食べた後、3人は近くの沖浦ビーチへ向かっていた。
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沖浦ビーチまでは、自転車で10分ほどの場所だった。途中のコンビニで、花火セットを買った。
浜辺に着くと、辺りは暗くなっていた。3人は、電灯のある場所にロードバイクを止め、砂浜を歩いた。足ざわりが、心地よかった。
小さい岩場を見つけた。そこで、春也は持っていた花火セットから、中身を取り出した。
「手持ち花火に噴出花火。おお、ロケット花火もあるやん」
「まずは、手持ち花火やろ。あっ、俺、これにするわ」
そう言いながら、太成は手持ち花火を1本取り出した。春也はいいね、と言いながら、さっそく火種の蝋燭に、ライターで火をつけている。
行人は、そんな2人を見ながら、自分も何の花火にしようか考えていることに気がついた。
何だ、自分もまだ子どもじゃないか。そんなことを思った。
太成が、持っている花火に火をつけた。花火は、初めは静かに光っていたが、次第に激しく輝きだした。
「すごいな。花火、やっぱ面白いな」
鮮やかに光る花火を見て、太成が言った。
「じゃあ俺は、この噴出花火にしよう」
春也はそう言うと、筒状の花火を手に取った。
その花火はまだ早いやろ、と言う太成を宥めながら、春也は少し離れた場所へ噴出花火を置いた。そして、ゆっくりと導火線に火をつけた。
小さい火花がちりちりと上がり、やがて、シャーーという音と共に、大きな光となった。
春也は走って、こっちの方へ戻ってきた。行人、太成、春也の3人は並んで、噴き上がる花火を眺めた。
「綺麗やな……」
暗闇の中に現れた煌光が、行人、春也、太成のそれぞれ顔を鮮やかに照らした。
皆、笑っていた。
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「高校生活も、あと半年か……」
春也が、砂浜に座り、夜の海を眺めながら言った。
「そうやな」
太成は、春也の隣りに座り、砂浜を指でなぞっていた。
「行人。卒業してからは、どうすんねん」
不意にそう聞かれた行人は、しばらく黙ってから応えた。
「⋯⋯俺は、進学する。4年制の大学に」
「そうなんか。何で進学するん?」
「それは……。それは、色々と勉強したいことがあるからや」
行人は、嘘をついた。本当のところ、特にしたいことが無かった。高校を卒業し、いきなり働くのが不安だった。だから、ただ何となく、働かなくてよい進学を選んだ。進学の費用は、親が出してくれる。
「春也。お前はどうすんねん、進路」
行人は、話を逸らすように、春也に聞き返した。
「俺か……。俺は、働くわ。家の仕事を継ぐねん」
行人は、春也の方を見た。初めて聞いた話だった。春也は、下の方を向いていた。行人と太成は、黙っていた。しばらくの間、沈黙が流れた。
「俺、ほんまは自動車の整備士になりたいんやけどな……。ほら、俺、車好きやん」
行人は、学校の休み時間に春也がよく自動車の雑誌を読んでいたことを思い出した。
「でも、この前親父に言われてもうてさ。『お前は家業の工場を継げ』って……」
「そうやったんか……」
行人は、それ以外の言葉が見つからなかった。春也が、そんな状況だったなんて、知らなかった。
「太成は、どうするねん」
行人は、太成の方を向いた。
「俺か。俺……、実は引っ越すねん」
「ほんまか! 聞いてないぞ」
行人と春也は、声を大きくした。
「すまん。言おう言おうと思ってたんだけど、なかなかタイミングが無くてな……」
「いつ決まったねん」
「そうや。いつ引っ越すねん」
「そう同時に色々と聞かんといてくれ」
太成はそう言うと、少しため息のようなものをしてから、静かに応えた。
「親に知らされたんは、1ヶ月ぐらい前や。仕事の都合で、仙台に行くことになったってな。家族全員でや」
太成は俯いていた。
「ほんま急で、嫌になるわ……」
3人は、黙っていた。夜空の下で、さざ波の音だけが響いていた。
「行人は良いよな。したいことがあって。そして、それが出来て」
春也は、こちらを見ずに、そう呟いた。
そんなことない、俺だって⋯⋯。行人は、心のなかでそう思った。しかし、その言葉を口には出せなかった。春也と太成の前では⋯⋯。
ふと行人は空を見上げた。夜空は透きとおり、見たことがないくらい星が綺麗だった。
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行人は布団に寝転がり、天井をぼんやり見つめていた。窓から、淡い陽の光が差し込んでいた。
「おい、行人。もう寝きたか?」
部屋の扉を開けるなり、春也がそう声をかけてきた。
「もう起きてる」
「なんやねん、早く言えよ。太成はもう出発の準備してるぞ」
「もう準備してるんか。わかった、俺も行くわ」
行人はそう応えた。春也は、表で待ってるぞと言いながら、部屋の扉を閉めた。
行人は荷物を詰め込んだリュックサックを手に持ち、部屋を出ようとした。扉の前で行人は振り返って、部屋を見回した。この部屋に3人で泊まったことも、大切な思い出になるのだろう。そんなことを思った。
3人は表に出た。東の空が、やんわりと紫色に染まっていた。出発するとき、サラサヤ旅館の女将さんに挨拶をした。女将さんは、良い旅を、と言ってくれた。
旅館を出て、次の目的地に向かう道中、昨夜のビーチの前を通りかかった。
「このビーチ、朝見ると、こんなに綺麗やったんやな」
そこには、昨夜には気が付かなかった、朝焼けで紫と橙に染まる空と砂浜が、目の前に広がっていた。
3人はロードバイクを止めて、ビーチの景色を見ていた。
「なぁ。もう1度、ちょっとだけ寄っていかへんか?」
春也が言った。行人と太成は、頷いた。
3人は、ビーチを歩いた。そして、昨夜花火をした、小さな岩場の所に再び来た。
皆で、朝焼けの空を眺めた。雲1つ無い空に、渡り鳥が3羽、悠々と舞っていた。3人は、少しの間、黙っていた。
「なぁ」
不意に、春也が話した。
「俺たち、これからも友だちやんな……?」
行人と太成は、顔を見合わせた。そして、笑った。
「あはははは」
「おい、笑うなよ! 結構、本気で聞いてんやぞ」
「そんなこと言うたって。お前が、急に変なこと言うからやろ」
「いいやろ、そんなこと聞いたって。で、どうやねん」
「当たり前やろ。俺たちは、ずっと友だちや……」
行人と太成は、春也の方を見て、そう応えた。
「そっか」
春也はそう呟いた。
ありがとうな⋯⋯。
「ほら、そろそろ行くぞ。ゴールの場所は、まだまだ先なんや」
春也が言った。
「ちょっと待てよ。ほらこれ、まだ1本残ってたんや」
太成はそう言うと、砂浜から何やら拾い上げた。そこには、ロケット花火が1本、握りしめられていた。昨夜、暗くて、使っていなかったことに気が付かなかったのだ。
「ロケット花火か。よし! 最後の1本、打ち上げようか」
春也が、リュックサックからライターを取り出した。そして、太成の持っているロケット花火の導火線に、火を近付けた。
導火線の先が白い煙を上げ、やがて火がついた。
「よし、行くぞ!」
ピューーー⋯⋯。
ロケット花火が、勢いよく舞い上がった。3人は、空を見上げた。
一筋の白い線が、蒼穹に染まりゆく空に、真っ直ぐ伸びていった。
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