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葵さん

 翌日、明おじさんのマンションに行った。ただし私はある覚悟をしていた。

 ゴミ袋。腐った何か。バナナの皮にすべる。

  そんな悲惨な未来を想像していたのに――

「……え。きれい……?」

 廊下には物一つ落ちていない。

  床はちゃんと見えていて、なんならフローリングがちゃんと光ってる。

  キッチンも片付いていて、シンクに洗い物がない。

  ゴミ箱にはちゃんと分別されたゴミ袋が収まっている。

「叔父さん……これは……どういうこと?」

「ん? なにが?」

「いや、もっとこう……生活破綻者感が……」

「なんか今、すごく失礼なこと言われた気がするんだけど」

 私はふと思い出して、トイレとシャワーも見てみた。

  やっぱり清潔。むしろウチより整理されてる。

「ねえ、叔父さん。……ひょっとして、お掃除は外注してるの?」

「いや。ほら、俺の職業、プログラマー、っていったじゃん。正確にはここで企画から制作販売までしてるんだ。だからさ」

「へー。すごいのね。見直したわ」

 どんなもんだい!ドヤ顔をしたので、私の中の叔父さん株がまた上がった。

「やっぱり、そんな格好でも、ちゃんとした大人なのね」

「そんな格好って・・・」

「とっても見直したわ」

 でも、それにしても綺麗すぎる。

 というか。

 私はリビングに入ると強烈な違和感を感じた。なんだろう。というか何もないのだ。

「ねえ、叔父さん。本当にここに住んでるの?」

「そうだぜ」

「なんで何もないの?」

「ん?何が必要なの?」

「テーブルとか、椅子とか、ソファーとか、あっそうだ。テレビとか」

「ん?それって必要?」

「ご飯とか、どこで食べてるの?」嫌な予感がしてきた。

「ご飯?ああ、冷蔵庫に入ってる」

「見せなさい」

 台所にいくと、一度も使ったことがないようなほど、ピカピカのシンクがそこにはあった。

 作りつけの食器棚にはコップが2つ入ってるほかは、食器は何も入っていない。

 代わりにウオーターサーバーがおいてあるのが、唯一の家具といえば家具的なものだった。

 冷蔵庫を開けるとずらりとモンスターが並んでいる。野菜室を開けるとモンスターが入っていた。冷凍庫には、、、モンスターが凍っていた。

 私は、冷蔵庫をそっと閉じた。

 キッチンの引き出しを開けると、一番上の段にはブロック状の栄養食品がきちんと並んでぎっちり入っていた。家ではスプーンとか入れるところだ。下の引き出しを開けると、ブロック状の栄養食品がきちんと並んでぎっちり入っていた。私の家では、ラップなどが入っているところだ。もう、下を見る気力がない。


 玄関でガチャガチャっと鍵が開く音がした。

「ヤフー。明、生きてる?」

 とスーツを着た男性が入ってきた。一瞬芸能人かと思うほおど綺麗でスタイル抜群で、そこだけ後光が射しているようなイケメンお兄さんが入ってきた。

「……っと、誰、この小さいの?」

 私はむすっと顔を上げた。

「“この小さいの”は、この生活能力ゼロ人間の姪です」

 男の人は、一瞬ぽかんとして――すぐに吹き出した。

「ははっ、今日来るって言ってた子ね。うん、納得した」

「叔父さん?」

「ああ。彼は水瀬葵。この会社?の社長?」とイケメンの顔色を伺って、自分が間違ってないことを伺っている。

「あんた、まだ自分の状況を把握してないのね。いいわ。私が説明してあげる。法人じゃなくて個人事業だけど、ちゃんと税務署に開業届は出してあるよ。屋号もTiny Coreとして登録済み。事業主は明よ。社長さんは明。私は従業員よ」

 叔父さんはどうだ、という顔をしている。

「個人事業なのね」

「そう。でも今の調子で収入が増加しちゃうと、税金がえぐいのよ。本当はそろそろ会社にしちゃうのがいいんだけどね」

「そう、そう」

「明、あんたは何にも分かってないでしょ」

「あんまり難しいこと言わないでくれ。頭が痛くなる」

 私の中で、叔父さんの株がナイアガラの滝のように落ちていく。

「ひょっとして、ここの掃除とかも」

「もちろん私がやってるわ。明って、プログラミング以外、なーーーんにもできないの」

「いや。俺だっていろんなこと、ちゃんとできるぞ」

「あと基本的に食べないの。彼」

 あ、華麗にスルーした。

「あとね、お風呂も入れてあげないと、ずっとそのままなの」

「・・・・」

「あの。ひょっとして、間違ってたらごめんなさい。ひょっとしてお二人は、その」

 葵さんは叔父さんの手を取り、ぎゅっと握ると

「パートナーよ」

 こんな理不尽なことがあるのだろうか。この絶世のイケメンが、ボロボロで生活力ゼロのポンコツ叔父さんのパートナーなんて。イケメンは希少なのに、こんな無駄遣いが許されるんだろうか。なぜか社会の不条理を強く感じた。

「どうして・・・そんな・・もったいない!」

「ありがとう。結月ちゃんだっけ、いい子ね。この家、全部みて回った?」

「まだ寝室と明さんのお部屋はまだです」

「そう。じゃあ、びっくりするわよ。明の部屋、というか私たちの作業場。見せてあげる」

 扉が開く。

  「じゃあ、びっくりするわよ」と言ったその瞬間、

  私は確かに“別世界”に足を踏み入れていた。

 10畳ほどの広さだろうか。

  だけど普通の10畳じゃない。

 まず目に飛び込んできたのは、モニターに囲まれた謎の“椅子”たち。

  いや、椅子……なのか?

 ひとつは3つのキーボードと8枚のモニターが取り囲む、まるでコクピットのような空間。

  もう一方も同じく、4枚のモニターをアームで自在に配置できる、フレーム付きのハイスペックな椅子が構えている。

 どちらも角度調整、足の可動、リクライニング、ひじ置きの回転、すべてが調整可能。

  “作業環境”というより、“没入装置”のようだった。

 コードが這い、静音ファンの音が微かに響いている。

  壁際にはNASと外付けGPUエンクロージャー。棚にはゲームパッケージ、開発資料、プロトタイプのコントローラー。

「うあ……」

 私の口から、妙な声が漏れた。

 近未来。SF。

  あるいは、アニメの世界でしか見たことのないような。

 なんか……すごいところにきてしまった気がする。これじゃあ、一回座って作業し始めたら、世界から隔絶されてしまうのがよく理解できる。

「どうTinyCore自慢の作業環境よ」

「すごいです・・・」

「ふふぅーん」と自慢げに叔父さんがニンマリしている。

 確かに、ここに座ったら、TVやソファは必要ないだろう。すでに異空間にいるのだから。小学3年生の私の物差しでは全く理解できない人種であることが分かった。

「床に、4年前の領収書が落ちています」

「……今、誰の声?」

 結月はポケットからスマホを取り出すと

  「……この子、リリア。AIなんだけど、ちょっと変な子」

「ご紹介ありがとうございます。私は“ちょっと変な子”ではなく、マスターの生活支援型AIです」

 葵が訝しげに椅子の下を覗き込み

「……あ、本当にある。しかも、税務処理済みってハンコがある……なんでこれが見えるの?」

「リリアはネットワークに住んでるんだって。だからこの部屋のカメラで見てたんじゃないかな」

「パパ?」

「うん。神崎康太。AIの研究してた人。リリアはパパの最終モデルだったみたい」

  葵は固まって

  「えっ……神崎康太って、“あの”?」

「あー……うん、そう。実は俺、その弟」

「神崎って、そうか、それで、うーん」目の前のダメ人間でゲーム制作の天才とAI研究の世界的権威である神崎康太がどうにも一致しないようだった。

「僕は学会で何回か先生の発表を聞いたことがあるけど、すごい迫力で、エネルギッシュでユーモアのある完璧超人だったけど・・・確かに言われてみると顔は、、、うーん」

 と納得できたような、納得したくないような葛藤をしている。

「うん?そういえば親戚の子が来る、としか聞いてなかったけど、、、今「AIの研究してた人」って言った?」

「はい。実は、父と母が一昨日交通事故でなくなりました」

「え、なんで、あんた。そんな重要なこと、明!あんた」

「ごめん」

「結月ちゃん。こっちにきなさい」

「え」

 私は葵さんの近くに行った。

 突然、ぎゅっと抱きしめられた。

「こんな小さな子が、ある日突然ご両親がなくなったなんて。どんなにショックだったんだろう。本当にごめんなさい。明がこんなで。ごめんなさい」ぎゅーっと抱きしめられた。

 パパやママ以外で、こんなに人の体温を感じたことはなかった。私はこの体温の温もりを感じていた。

「ごめんなさい。明に悪気はないのよ。彼の心はいつも彷徨っているの。迷子になって、でも必死に帰るところを探しているの。だから、どうしても人の心に気付けない時があるの。お願いだから許してあげて」

「かわいそうに。心細かったでしょ。でも大丈夫よ。私も明もいるわ」

 私は人の体温に包まれて、ここ数日冷たくなってしまった心が少しづつ暖かくなってきている感じがした。

 パパやママがいなくなっても、泣かなかった。

  いや、泣けなかったのかもしれない。

  誰かの胸に顔をうずめて、

  こんなにも温かくて柔らかい感触に触れたてゆっくり動き出してきた気がする。

  私の中の「泣き方」を、葵さんの腕が思い出させてくれた。

 私の目から涙が溢れてきた。

「私も、もちろん明も、結月ちゃんの味方よ。大丈夫よ。大丈夫だからね」ぎゅーっとされると、瞳から涙がボロボロと溢れてきた。

「いいのよ。涙、流しなさい。今まで、心が凍っちゃってたんだね。びっくりしたよね。怖かったよね。寂しかったよね。もう、大丈夫だからね」

「大丈夫。私たちがいるわ。大丈夫」

「マスター、泣いていいんです。今は、そういう時間です」

 私はワンワンと声を出して泣いて、葵さんを抱きしめた。


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