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第九章

「いけない、こんな時間」

右手には瓶サイダー、左手には天竺竿(細長い円柱型の飴で柔らかく非常に甘い)、

腕にはずらりと玩具の景品をかけたライノが、口の中のものを飲み込むと慌てたように

言った。

「どうしたの?」

ライノからのおこぼれと、飲んだフルーツティーでお腹がいっぱいのリリィが尋ねた。

友人たちに勧められて身につけている狐の耳と尻尾のセットが可愛らしい。

恥ずかしがっていたことも忘れて、なんならつけていることも忘れてそのままになっている。

「パレードが始まっちゃう」

グッとサイダーを飲み干すと、口元を強引に拭って勇ましく言った。

「パレード」

「師団の皆さんとか、王族・来賓の方々を最終日は見ることができる練り歩きのことだよ」

いまいちよく把握していないリリィにかわって、マッカランが補足した。

「そう、なんといっても目玉は建国の儀だよ」

今度は天竺竿をかじりながらライノが言う。

「建国の儀って言うのは、この国ができるきっかけとなった契りを再確認する儀式のことで、国を支える三柱が行うんだけど、それがまたすごくかっこいいんだよね」

また入った補足によってリリィもなんとなくワクワクしてきた。

「へぇー楽しそう」

「ここからそんなに遠くないから間に合うかも」

ライノに手を引かれながら、人込みの中を進んでいく。

いくつかの細い道を進んでいくと、開けた道へと出た。

ブワリと熱気を感じそうなほどに、民衆が集まり道をふさぐように進んでいた。

「ねぇ、人増えてない?」

やや押しつぶされそうになりながら、前方のライノへ問いかけると彼女はニヤリと笑った。

「そりゃそうよ。今日の一大メインイベントなんだから」

「一大メインイベント」

さっきから同じ言葉ばかり繰り返している気がする。

ぼんやりとそんなことを考えていると、誰のかわからない足に靴を踏まれる。

「痛いっ」

硬い地面の上では衝撃の逃げようもなく、ダイレクトに負荷が足へとかかってしまった。

「どした、大丈夫?」

ライノが思わず足を止めると、「止まってんじゃねぇ」と後方から怒鳴り声がした。

「ごめんなさいー!」

大声で返事をしたライノが、ひょいとリリィを持ち上げた。

「ひゃ」

「ごめん、ちょっと我慢してて」

しばらく歩いていると、少しずつだが確実に、人の流れが穏やかになってくる。

どうやらあの地点が集合場所となって、人が密集していただけのようだ。

道も広がり、歩きやすくなっている。

人の流れが特に緩やかなところを見つけると、ライノはそちらの方へ向かっていった。

「よいしょ」

掛け声に見合わぬ軽やかな動作でリリィを降ろすと気づかわしげに表情を窺った。

「まだ痛む?」

「うーん、大丈夫そ」

何度か足の指を曲げたり伸ばしたりしているうちに痛みは和らいだ。

「ごめんね、ありがとう」

「こっちこそごめんね」

へへへ、と照れていると遅れて二人も合流した。

「どうしたの」

「何かあったんですか」

マッカランとブレイムが交互に尋ねた。

「リリィが足を踏まれちゃって」

「見せて」

驚くほど慎重に靴を脱がせると、マッカランが足の様子を見た。

両手で優しく扱われているのが自分の足だなんて、とリリィは赤面する。

なんだかドキドキしてしまった。

「あー、うん骨は無事なはずだよ」

少し席を外していたブレイムが戻ってきたかと思うと、マッカランに何かを手渡した。

「ありがとう」

小枝のようなものを笑顔で受け取る。

ついているのはムチムチとした子供の手のような葉っぱだ。

小ぶりながらも鼻が通りそうな強烈なにおいがする。

「あ」

何の抵抗もなくマッカランがその葉をちぎる。

途端に辺りに同じ匂いが広がっていった。

「うぇ」

ライノが耐えかねたように小さくうめく。

「マッカラン手に匂いがついちゃうからそんなことしなくていいよ」

「大丈夫だよ。あと少しだから」

すっかり葉をむしってしまうと、ちぎった葉をリリィの足に乗せた。

ポケットから取り出したハンカチで押さえるようにしながら巻いていく。

「ねぇハンカチに匂いが移っちゃうよ」

「うん、これでよし。半サーアもしないうちにすっかり治るはずだよ」

笑顔で抗議をスルーすると、治療を終了させた。

「ありがとう。でも…」

「じゃあ行こう!」

ライノが宣言すると、ほかの二人も立ち上がる。

「立てる?」

そっと体重をかけてみても、足は痛まなかった。

「うん大丈夫。ありがとうライノ」

「ん、行こう」

再び手をつなぎ、人込みに合流した。

さきほどよりも心にゆとりが出て、祭りの飾りを見回すことができた。

「綺麗だね」

「うん」

半ば放心したようにライノが呟く。

光が透ける色とりどりの布が通路を挟んでかけられ、あちらこちらに紙で作られた提灯が飾られている。木々はこの世のすべてを祝福するように咲き誇り、美しい見た目と鳴き声を持つ鳥たちが目と耳を楽しませた。人々の多様で多色な衣装も飾りのように祭りを彩っている。

「出店が少なくなってる」

「一人でも多くの人が見物できるようにという配慮だよ」

いつのまにか背後に追いついていたマッカランが説明した。

今日は特にお世話になりっぱなしだ。

「そうなんだ」

「国王や団長に会える機会なんてそうそうないですからね。

それも含めてこの列の中で立ち止まることは禁止されてるんです」

ブレイムが珍しく長文をしゃべっている。

その事実にしばし驚いていると、またいつものようにつんと澄ました表情になおった。

「時間に間に合ったみたいでよかったー」

「パレードを見終わったら解散しようか」

親子みたいな会話に思わず笑ってしまうと、二人が不思議そうにこちらを見た。

「「どうしたの?」」

「いや、すっごく楽しいなと思っただけ」

面食らったように瞬きをしたかと思うと、花が咲くような笑顔を返された。

「よかった」

「喜んでもらえてうれしいよ」

「なんか照れる」

赤くなった頬をに手をやり、冷ましているといきなりプハーというような楽器音がした。

「始まるっ!」

瞳を輝かせ、ライノがリリィの手を強く引いた。

「右側によって」

ライノの声に従うように、二人もそばに来た。

人々の歩みが急に遅くなり、リリィは危うくライノにぶつかりそうになる。

「わ、ごめん」

「いいよいいよー。みんな見たいから歩くのゆっくりになるのはいつもだからね」

そんなにすごいの?と聞くために開いた口はそのままふさがらなかった。

パレードの先頭が、目の前を歩いていく。

彫りの深く白い顔に、青い瞳、高い鼻、薄い唇が完璧なバランスで配置され、輝くばかりの

銀色の髪が風にたなびいている。彼の地位を知らずとも、指導者だと分かる容姿だ。

おろした髪につけられた小ぶりな花飾りと首飾りは上品でいて、華やかだった。

人はみなあの美しい男に命じられれば喜んで命も投げ出すのではないかとリリィは思った。

「あ」

堂々とした様子で歩いていた、純白のパンツにつつまれた男の長い足が止まる。

リリィたちがいる方とは逆に目線をやると、軽く首を傾けた。

零れた髪からのぞく耳を見て、リリィは彼がエルフであることを知った。

「「「きゃあああああああああああああ」」」

その歓声でウインクをしたことが分かった。

「ふふ」

茶目っ気たっぷりに笑うと、再びパレードの先頭を引っ張っていく。

後ろに続くのは、帽子に飾りをつけた兵士の一団だ。

本当は彼らが先頭を歩く予定だったので、やや困惑した表情を隠せていない。

「次来るよ。次っ」

興奮した様子でライノがバッグを引っ張るので、次が将軍なんだなとこれまた知識ゼロのリリィは思う。

ザッザッザッザッザッザッ

長靴が地面を踏むような音が聞こえてくる。

空気は期待に震えているのに、誰一人として声を発しない。

さきほどまで歓声を上げていた女性たちもハンカチを握りしめて静かにしていた。

(恐れているわけではなさそうだけど、どういう状況だろう)

経験則から、恐怖の感情出ないことは感じ取れた。

真剣に前方に目を凝らすライノに話しかけるわけにもいかず、心の中では叫びながら、

リリィもならって静かにしていた。

ふと空気が変わったように感じて顔をあげると団体が入場してくるところだった。

彼らが、空気を支配している。

揃いの紺色をした制服に身を包み、一糸乱れぬ様子で行進している隊員たちの顔には、誇りとやる気がうかがえる。獣人と半人が同じくらいの割合で構成されているその師団は、親衛隊の役割を務めている第一師団だ。

「ウィクトーリアだ!」

誰かが叫ぶと、一斉に歓声が上がった。

「うぉぉぉぉぉぉ」

地面が揺れたかと思う程の大歓声だ。

ある者は手をたたき、ある者は足を鳴らし、ある者は口笛を吹くことで歓迎の意を表す。

「将軍だ」

その声でやっとリリィは先頭を歩く人物に気が付いた。

居合わせた誰よりも背が高く、胸板も厚いクロヒョウの獣人だった。

精悍な顔つきで、見えているのに見えていないような、不思議な空気をまとっている。

隊員達と揃いの軍服を着ているが、同じ生地でできた軍帽をかぶっているところと、

金色のチェーンを胸につけているところが異なっていた。

体の左側だけにつけられた純白のマントも他の隊員とは違う。

何よりも印象的だったのは、その瞳だ。

宝石のような、月のような、透き通った金色をしていた。

「わ」

将軍を一目見ようと、行進の速度が速まった。

後ろから押しのけるように来た女性に、半ば突き飛ばされる形でしりもちをつく。

人の壁に隠されるように、阻まれるように道のはじへと追いやられる。

怒りは感じなかった。

ただ将軍を見たいとそれだけを思った。

強く、けれど優しそうで、厳しそうで、親切そうな将軍を見たいと思った。

懐かしいような、どこか知っているような、不思議な感覚がしていた。

また、人の歩みが遅くなる。

どうやら将軍は通過してしまったようだ。

肩を落としていると、「どこー」とライノの焦ったような声がした。

「あ、ここだよー」

慌てて返事をして立ち上がる。

「痛っ」

擦り向けた手を見て、リリィは呻いた。

今の今まで気が付かなかった。

「よかった、迷子になっちゃったかと思った」

「ごめん」

二人も合流して、会話をしながら歩いていく。

「将軍見れてよかったね、ライノ」

「本当、マッカランたちも見れた?」

「うん。やっぱり、オーラが違うね」

「かっこよかったです」

四人とも興奮していて、瞳を輝かせていた。

「最初、先頭を歩いてた人も綺麗な人だったね」

リリィが言うと、残る三人も同意した。

「私もあんな風な銀髪だったらな」

「ライノのほうが、黒がつよいよね。彼のほうは白銀って感じだった」

「私はライノの髪の毛、好きだけどな」

まとめられた髪に触れるとくすぐったそうに身をよじった。

「またそんなこと言ってー」

それが照れ隠しであることに気が付けたのは、髪からのぞく灰色の耳が薄く染まっていたからだ。

「あと少しで、会場に着く…」

後ろの二人に声をかけようとしたライノが、そこで言葉を途切れさせた。

ゆっくりと一つ瞬きをする。

吹いた風が、銀色の髪と睫毛を揺らした。

「走って!」

小声で告げると、いきなり走り出した。

「え?」

「静かに!」

状況が飲み込めないリリィの腕を、ちぎれそうなほど強い力で引っ張りながら進んでいく。

足の速さには自信があったが、その自信が霧散してしまいそうな勢いだ。

しばらく大通りを走り、目についた路地に入ると、木箱の陰にリリィを押し込む。

「何?」

「しっ」

戸惑っている間に、マッカランとブレイムも合流する。

二人に習って陰に隠れ、じっとしていた。

団体を見物する集団や、子供を探す親、祭りを楽しむ旅人などを見送っていると、

ライノが一つため息をついた。

「行ってくれたみたいだね」

「マッカランどういうこと?」

答えてくれなさそうなライノに業を煮やして、リリィはマッカランに尋ねた。

んー、と一つ考えるようなそぶりをした後、再び口を開く。

「簡単に言うと、強盗かな」

「!」

ゴウトウ、となじみのない単語が頭の中に浮かぶ。

「祭りの時って、そういう輩が出るんだよ。大概はスリとか小さい罪を犯す人達なんだけど、稀に集団になったり、どさくさに紛れて人殺しを請け負ったりする危険な人も出るんだ」

いや、淡々と話すことじゃないでしょう。

「なんで強盗だってわかったの?」

これにはライノが答えた。

「あー、三角の棟の時に一瞬目が合った人がいたんだけど、その人がずっとついてきてたんだよね。人の流れに紛れ込んでもついてきてたから、これはまずいなと思って」

「うっそー、全然気が付かなかった」

緊迫した状況に似合わない間抜けな声を発したと同時に、とんでもないことに気が付く。

「それ、もしかしなくても私のせいだよね」

「…」

沈黙が肯定を示していた。

そっとマントのポケットを上から抑える。

硬貨のはいった桃色の巾着がしまわれていることを確認し、憂鬱な気分になった。

「ね、誰かに連絡取れたりしない?それか、隙をついて逃げるとか」

どちらの提案にも、誰も首肯しなかった。

「僕は連絡取れる手段を持ってないし、隙をついて逃げるのは現実的じゃない気がするな」

「私も連絡はとれるかわからないし、あの人に仲間がいないとも限らない気がする」

うーん、と三人で眉間にしわを寄せていてもしょうがない。

二人がどれだけ頼りになっても、子供でしかないのだ。

「そうだ、ブレイムはどう思う?」

ライノの声に反応して、二人も背後の暗闇に視線をやる。

ブレイムだけが沈黙を保っていた。

「…ブレイム?」

肩に手をやると、とさりと倒れる音がした。

青白い顔をしたブレイムが地面に横たわっている。

「どうしたんだ、ブレイム!」

マッカランが慌てて駆け寄り、体を起こす。

「はぁはぁはぁはぁ」

せわしなく胸が上下し、息が苦しそうだ。

目をきつく閉じ、小さな手は服の上から胸辺りをつかんでいる。

「どしたの」

「何が起きたの」

口々に心配する二人に、マッカランが無理やり作った笑顔を見せた。

「大丈夫だよ。持病の発作だから」

走ったのがよくなかったのかも、と呟き、安心させるように背を撫でた。

「ポーチに入ってる薬をとってくれるかな、色付きの薬包紙に包んであるから」

「分かった」

ライノが頷くと、ブレイムのベルトに手をかけた。

革でできたポーチを取り外し、中身をあらためる。

「…ない」

「「え?」」

絶望に満ちた表情で、ライノが告げる。

「何にも入ってないよ」


それより少し前のこと、アスカは建国祭に参加していた。

「王はここへ」

神官長のディバイン(羊の獣人)が厳かに言うと、式典用の衣装に身を包んだ

国王シャルルが現れた。

「国守はここへ」

今度は反対の階段から、アスカが現れる。

同じそろいの衣装で、今日は獣人の姿だった。

赤みがかった琥珀色の毛に、凛々しい顔立ち、優しげでいて力強さも感じる赤色の瞳は

見る者を魅了した。そして何よりも人目を引くのは、眼帯の外された瞳だ。

年で一番初めに降った雪のような、湖に浮かぶ白鳥のような、この世で最も純粋な白色をした瞳だった。ある者は畏怖し、あるものは崇拝するような、そんな色だった。

「ドロワはここへ」

民衆を割って、将軍が現れた。

言葉を発せずとも、人々が譲って道ができる。

将軍だけが、そろいの衣装を着ていなかった。

パレードの時に着ていた軍服ではなく、スカートの中にズボンをはいているような不思議な衣装だ。プリーストと呼ばれるその服は、将軍特有の雰囲気とよく合っていた。

首元には、天秤にのせられた剣とペンが刺しゅうされていた。

「ここに宣言する!」

ザッと一斉に民衆が膝をつき、肩に手を当てる姿勢をとった。

それを確認してから、ディバインが再び口を開く。

「王に問う。お前は約束をたがわなかったと誓えるか」

「はい、国王の名のもとに誓います」

恭しく頭を下げた国王シャルルは凛とした声で宣言した。

「国守に問う。お前は約束をたがわなかったと誓えるか」

「ええ、国守の名のもとに誓いましょう」

背筋を伸ばして頭を下げたアスカが、地に響くような低音で宣言した。

「最後にドロワに問う。この二人は約束をたがわなかったと誓えるか」

一拍空けて、将軍が口を開いた。

「番人の名において、この二人が約束を守り通したことを誓おう」

「ここに宣言する!ベア王国は今後も繫栄していくことだろう」

うぉぉぉぉぉと観衆が立ち上がり、拳をあげた。

「ベア王国、万歳!万歳!万歳!」

ここからが、本当の宴の始まり。

出店はさらに華やかになり、次の武闘祭が始まる。

参加する団員たちが、続々と会場に集まってくれば、会場はもっと賑やかになる。

その中には、滅多に公の場に姿を見せない団長たちもいる。

第六師団チェイスのフィアも、そのうちの一人だった。

小さな顔の半分を占めそうな黄土色の瞳、赤茶色の斑点模様の耳と尾、

全体的に子供っぽい印象の顔に、不釣り合いなほど抜群なスタイル。

ただ瞳だけが、ぎらぎらと冷たい雰囲気を醸し出している。

「だるいな」

祭りに似つかわしくない不機嫌な声音は、目の前の恋人と思わしき者たちを見つめながら

発せられた。肩に手をまわし、腰に手をまわし、仲睦まじげに歩いていた二人は、

慌てて距離をとる。

「あ、悪いね。気にしなくていいよ」

(別に羨ましいとかは思ってないし)

半袖の傭兵服を身に着けた彼女には意中の相手がいる。

半ズボンからすんなりと伸びた脚を組み替えて、紫煙を吐いた。

フィアはヤマネコの半人だった。

しなやかな肉体を活かして、縄と銃を巧みに操る彼女は半人ながら団長を務めるほどの

実力を持つ。冷徹、冷酷、女傑と呼ばれる彼女でも、年頃の乙女らしい悩みはある。

「ちっ」

吸っていた煙草をケースにしまい、持たれていた壁から背中を離した。

「これはこれはフィアお嬢さん、本日もお美しいこと」

鼻の下をだらしなく伸ばし、みっともない腹をつきだした西の王がこちらにやってくる。

いつみても悪趣味な服装と、鼻が曲がりそうな香水の匂いが不愉快で仕方がない。

「…どうも」

立ち去ろうとしたフィアの腕を、汗と脂肪まみれの手がつかむ。

「何ですか」

もはや棘を隠そうともしない声音にひるむことなく西の王が口を開いた。

「武闘祭に出るとはいえ、こんな色気のない恰好ではいけませんねー」

顔から胸、そして尻や足へと遠慮のない視線が投げかけられる。

「っ」

腕を振り払ってキッと睨みつける。

掴まれていた部分をこれ見よがしに拭いて、腰の銃に手をかけた。

「あいにくあなたのような男のためにしている格好ではないからな」

「よろしいのかな、そんなことをして」

かりにも相手は西の王。

暴力はおろか、非礼をするわけにもいかない。

ギリリと歯ぎしりをして、いったん銃から手を離した。

「そんなに睨んでは、せっかくの美貌がもったいないですぞ」

んまと胃の内容物を全て地に返しそうなほど気持ちの悪い笑みを浮かべている。

「何を!」

本当に、ぶち殺してやろうか。

「この短さならスカートでもいい。首はもう少し開けてー」

一歩ずつ近づいてくる西の王から、ゆっくりと距離をとる。

殴れないなら逃げればいいのだ。

「私と今日はデートをしよう。なに、悪いようには…ブフッ」

肉の塊が壁の方へと飛んで行った。

サッと飛んで距離をとると、見知った相手の顔を見る。

「なにをやってるフレイム!」

大きく肩で息をしているのは第六師団副団長のフレイムだ。

頭一つ分ほど背が高く、体も一回りはたくましい。

フィアとは違う長ズボンをはいて、がっしりとした拳を握りしめている。

「団長ご無事ですか!」

「何をやってる、この大バカ者!」

駆け寄ってきたフレイムの頬を力いっぱい平手打ちすると、馬乗りになった。

「団長?」

「西の王に手を出していいと思ってるのか?」

どうなんだ!と厳しく叱責すると、フレイムは面食らったかのように瞬きをした。

「私が何のために我慢していたと思ってるんだ!」

今でも虫唾が走る。

それほどの無礼を何のために我慢していたと…。

「一体、これは何事ですか」

ひんやりと冷たい、落ち着いた声が通りに響いた。

「…将軍」

普段づかいの紺色の軍服に着替えた将軍が、そこに凛と立っていた。

西の王が無様に寝ころび、フィアがフレイムに馬乗りになっているのを見てもその金色の瞳に動揺は見られない。

「何事ですか」

ただ、問うだけだ。

「あ、あいつが急に殴ってきたんだ」

よろよろと立ち上がった西の王が、フレイムを指さして叫ぶ。

勝ち誇ったような笑みを見て、フィアは頭に血が上った。

「西の王に第六師団副団長が暴行を働いたということですね」

「それは」

バッとフィアがフレイムの口をふさいだ。

「何か反論でも?」

じっと見つめられると、フレイムは何も言えない。

ただでさえ、それは事実なのだ。

「いえ、その通りです。将軍」

首を垂れたのを確認し、再び口を開いた。

「では、事情を確認するので当事者は来てください」

有無を言わさぬ力強い宣言に、フィアはフレイムを解放した。

「ただし暴力をふるったのは事実ですから、第六師団は武闘祭出場禁止とします」

にやぁと西の王が笑う。

「あなたもですよ、西の王。事情を確認次第、御身の安全のために領地に送り返します」

「なんだとっ!私が毎年どれだけこの日を楽しみにしているかわかっているのかっ」

顔を真っ赤にさせて訴える西の王に、知りませんとにべもなく答えて将軍が連れていく。

その無様なさまを見ると少しだけ溜飲がさがった。

「でも…」

団員達には残念な通告をしなければならない。

主に奴隷を捕まえたりする業務を担う第六師団は、花形ではないし目立つわけでもない。

どちらかというと残忍といった心無い言葉をかけられることの方が多い。

そのため、年に一度の晴れ舞台を団員一同心待ちにしていた。

ほかならぬフィアも。

師団のため、劣ってみられる半人のため、そして何より意中の人のために

戦う気満々だったというのに。

「申し訳ございません、団長。なんと、お詫び申し上げればよいのやら」

副団長のフレイムが、耳と尾をしょんぼりと垂れさせていった。

獣人らしく恵まれた体格を、できるだけ小さくさせて立っている。

「…あいつはもう行ったのか」

「へ?」

「もう行ったかと聞いている」

遥か後方につれていかれた西の王をみやり、フレイムが頷いた。

「はい行きました」

「あははは、見たかあの顔」

悲しみは心の奥底に押し込めて、フィアはあえて笑顔を浮かべた。

「お怒りだったのでは?」

状況についていけない様子のフレイムが戸惑いの視線を向けた。

「まさか、ありがとうフレイム。あいつはお前に感謝すべきだ。

わたしだったら、あいつの手首をへし折ってやるところだった」

「はぁ」

励ますようにバンバンと背中をたたくと、励ますように言った。

「祭りから追い出されるわけではない。ほかの師団がいない分我々が警備を担おう」

な?と首を傾けるとフレイムが涙ぐみながら将軍のあとを追っていく。

その背を少しだけ眺めて、第六師団の集合地へと向かった。

威厳に満ちた顔か、悲壮感漂う顔か、それとも笑顔か。

団員たちに見せる顔を迷っていると、彼らが先に駆け寄ってきた。

「隊長大丈夫ですか!」

もう話が通っているのだろうか。

「ああ、だが」

「お怪我は」

「ない、だが」

「副隊長がぶん殴ってやったとか」

「そうだが」

「そんな奴死んで当然ですよ。俺らだったら…」

「ああ、もう人の話を聞け!」

寄ってくる団員たちを手で押しのけて、よく通る声で一括した。

「武闘祭には出られないことになった」

団員たちが、そろって二三度瞬きをし、それから口を開いた。

「だから何です?」

「は?」

悲しくないのか。

悔しくはないのか。

なぜ自分たちまで、と思わないのか。

考えは、一つも言葉にならず、ただフィアの胸の中をぐるぐると旋回した。

「だって団長より大事なことは、この師団にありませんから」

「…お前たち」

まずいな。

らしくもなく、泣いてしまいそうだった。

目の奥が、顔が熱い、なにより胸がたまらなく熱かった。

照れを隠すために一度うつむくと、第六師団団長にふさわしい顔つきをした。

「行くぞ、大会で見せられなかった我々の実力を見せるべき時だ」

「「「おおおおおおおおおお!」」」

頼もしい団員たちの声に紛れて、フィアはそっと目尻をぬぐった。


「薬がないって、どうしたらいいの!」

誰にあてられたわけでもない問いに、答えられるものはいなかった。

ライノとリリィは漠然とした不安に、マッカランは具体的な恐怖に襲われていたのだ。

苦し気なブレイムの吐息だけが、時の流れを教えてくれる。

「…半サーア」

んんっと、咳払いをしてもう一度マッカランが呟いた。

「発作が出たら半サーア以内に薬を飲まないといけない。じゃないと…」

不自然に途切れた言葉は、想像したくもない結果なのだろう。

普段は血色のいい頬も唇も、青ざめて乾いている。

「医者には見せられない?」

「無理だよ」

リリィの提案はライノに即座に否定される。

「建国祭の最終日はどんなお店も閉まっちゃうんだよ。薬師も医師も今日は休みなの」

「じゃあ、誰か頼れる人を連れてくるのは?」

この人混みの中、本当に治療できる人が見つかるのかはわからないけれど

沈黙が怖くてリリィは提案した。

「そうだ、ねぇライノ。君お父さんが近くにいるって言ってなかったかい?」

瞳にわずかな希望が湧いていた。

「無理よ」

対照的にライノは困ったように視線を泳がせた。

「そう言わずに探してみてくれないか。君の商会ならもしかして薬があるかもしれない」

「無理だって!」

ライノが癇癪を起こしたように怒鳴った。

リリィは反射的に耳を押さえてうずくまる。

「本当はお父さんにダメって言われたの。だから黙って出てきちゃって、

本当はお父さん来ないの!」

ごめんなさい。と続けられた言葉を理解するのにはしばしの時間が必要だった。

にぎやかで楽し気な祭りの喧騒とはちがい、不釣り合いなほど重たい沈黙が広がる。

それぞれが、それぞれにとれる最善の策を考えている。

ただブレイムの命を救うことを目標に。

けれどどれだけ考えても、六歳の頭脳ではよい策など思い浮かばなかった。

リリィの胸を、真っ黒な絶望が埋め尽くしていく。

助けを求めるように辺りを見回す。誰も助けてくれないと分かっていても、何かに

すがらなくてはやっていられなかった。

実はこの時、マッカランには一つだけ希望が残されていた。

諸刃の剣というには、あまりに危険なたった一つだけの手が彼にはあったのだ。

覚えず、服の上からお守りを押さえる。

その方法をとれば、ブレイムは助かるかもしれない。

しかし確実に、自分と家族は許されない。

場合によってはブレイムも助からないかもしれない。

命を天秤にかける二択は、マッカランにとってあまりに残酷で悩ましかった。

苦悩が、その幼く美しい顔に貼りついて沈鬱な表情にさせる。

見ているものの方が息苦しくなりそうな、そんな悲し気な顔だ。

「…一つだけ方法があるかもしれない」

マッカランと、ライノが顔を上げた。

おずおずと切り出したのはリリィだった。

リリィもまた、ブレイムの命を救うためにつらい決断をした。

約束を破るのだ。

短期間ならば、魔法で交信をとることができる。

「引かないでね」

「どうして」「なぜ?」という二人の声が重なった。

リリィはその問いに答えることなく、自身の中心に意識を向けた。

訓練に忠実に、内側にある魔力に触れようとする。

ところがうまくいかない。

普段なら喜び勇んであつまり、形作ってくれる魔力が反応しない。

すべて水蒸気になってしまったかのように、存在するのに触れられないのだ。

(落ち着いて、大丈夫)

何度も繰り返し言い聞かせ、試してみても結果は同じだった。

「…どうして、なんでこんな時に」

悔しさのあまり唇をかむリリィを二人が不思議そうに見つめた。

「どうかしたの?こう言っちゃあれだけど様子が変よ」

遠慮がちに言ったライノの声に反応して顔を上げた時、リリィの視界にあるものが

飛び込んだ。それは何物にも代えがたい、希望の光だった。

「ブレイムを助ける方法が分かった」

「それは本当かい?」

喜びにあふれたその笑顔は、せまい路地を明るく照らしてしまいそうなほど眩しかった。

「いつもと通りの様子が違ったから気が付かなかったけれど、私の家が近い」

行きの道を全力で走り抜ければ、刻限に間に合う。

帰りは大人の誰かが何とかしてくれるだろう。

リリィは自分の視野の狭さを呪った。

焦らずに、もっと早く気が付いていれば貴重な時間をこれほど無駄にすることもなかったのに。滅多に外に出なかったことに加えて、知らない道だったからてっきり遠くにいるのだと思ってしまっていた。

背伸びをすると、屋敷の赤い屋根とその周囲の木々がかろうじて見える。

方向さえわかれば迷う心配は少ないだろう。

「じゃあ行ってくる」

道が分かれば、もはやグズグズしている必要はない。

走るのに邪魔な狐の耳飾りを外して、赤いマントをブレイムにかけた。

暖かい季節とはいえ、夜が近づくこの時間は少し冷えてくる。

苦しそうに歪んでいた顔が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。

ゆっくりと一つ息を吸い、倍の時間をかけて吐くとリリィは駆け出した。

一歩一歩に注意を払い、筋力や体力を無駄にしないよう気を付けながら

全速力で駆け抜けていく。その背中は、残される二人にとって頼もしいものだった。

恐怖に冷えた手を握り、乱れそうになる呼吸を整え、リリィは走る。

道行く人に逆らって、出店の隙間を縫って、ただ屋敷につくことだけを思いながら

小さな体を目いっぱい使って。

目視で近いと思った距離は焦りのせいか、思いのほか遠く感じた。

徐々にサイクルが乱れて、わずかに速度が落ちていく。

それでもリリィは必死に走る。

その遅れた一秒が、ブレイムを殺すかもしれないのだ。

「うわぁ」

一瞬地面に落ちていた石に気をとられた隙に、目前に迫っていた人に気が付かなかった。

相手の体は硬く、走っていた勢いがそのままリリィに返ってきた。

吹っ飛ばされて、したたかに体を打つ。

擦りむいた手足から、わずかに血がにじむ。

その痛みよりも、この一秒を無駄にしたことに対して涙がでた。

「すまんかったね、お嬢さん」

ぶつかられた側の、初老の犬獣人が穏やかに謝った。

「こちらこそすみませんでした」

さし伸ばされた手を取るときに、腕輪が壊れてしまったことに気がついた。

輝いていた緑の宝石に、白い亀裂が入って滅茶苦茶に崩れている。

時間だけでなく、おじ様からの好意まで無駄にしてしまった。

「よいしょ、怪我はないかい」

腰をかがめた犬獣人とリリィの瞳があった。

一度瞬きをすると、辺りに絶叫が響く。

それは、彼の伴侶が上げたものだった。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

壊れた機械のように、大きな口を開けて狂ったように叫び続けている。

対照的に、犬獣人は静かにつぶやくだけだった。

「忌み子じゃ」

三歩後ずさり、今度は大きく口を開いた。

「誰か、誰かいないか!こいつを捕まえてくれ!」

訳も分からぬまま、リリィは駆け出した。

目が合う人々全員が、目を見開き、叫び、立ち止まる。

自分を狙う石から逃れながら、ただ屋敷を目指して走ってゆく。

こんな状況下でも、リリィはブレイムを助けるために力を尽くしていた。

和やかだった祭りの終わりを告げるかのようにオオカミの遠吠えが響く中、

一人の子供を狙って狩りが始まる。






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