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第六章

それから一週間ほどたった朝。

「準備はいい?」

「うーん、ダメかも」

その言葉に全員がこけた。

「ダメなの?」

黒いスーツに身を包んだアスカが言った。

スカイもスワッチもスノーも同じ服を身につけている。

複雑な模様のネクタイピンまで一緒だ。

「だって知ってる人もいないんでしょ」

リリィが着ているのは学園の制服だ。

落ち着いた赤茶色のブレザーと赤色と桃色の混ざったプリーツスカート、

栗色のローファーに、首には春帯彩のブローチが白いリボンで結ばれている。

綺麗な卵型の輪郭に合わせて、細く編んだ三つ編みを垂らしている姿は

どこかのお嬢様か、妖精さんにみえるほど可愛らしかった。

「行きたくないなら無理に行かなくてもいいんじゃない?」

「そこはお嬢様の自由ですし」

「せっかくなら行って来いよ」

三者が自由に意見を言い始める。

スカイとスワッチは自主性に任せ、スノーさんは行けという。

「この日のために準備してきたんだから行けよ」

「仲良くなれなかったらどうすればいい?」

「そしたら学園を変わるなり、クラスメイトをぶっ飛ばすなりすればいいな。

そうじゃないか?」

冗談なのか、本気なのかわからない。

ここで初めてスノーさんとまともに会話をしていることに気が付いた。

それだけ自分が緊張しているということなのだろう。

手は微かにふるえているし、顔もほてっている。

「リリィはどうしたいの?」

おじ様の紅い瞳が私のことを真っすぐにつらぬく。

「行きたい」

口から突いて出たその言葉に、自分が一番驚いた。

四人とも笑顔でこちらをみる。

「じゃあ行くか」

「うん」

今度は素直に体が言うことを聞いた。

スムーズに右足が出ると、左足もついてくる。

「いってらっしゃいませ。お土産話、楽しみにしていますね」

「いってきます、レディさん」

天女のように微笑むレディさんとハイタッチをして、玄関の戸を開いた。

以前通った道を同じように、今度は制服を着て歩いていく。

靴が前と違うから、カツンカツンと高い音がする。

黒スーツの男四人に囲まれていると、自分がすごく大切な存在のように錯覚してしまいそうだった。

空は澄み渡り、心地よい風が吹き、人々は楽し気に歌を歌う。

露店に並べられたマルスの実を一つ手に取り、おじ様が買った。

赤く、艶があり、爽やかな酸味と甘みが人気の丸い果物だ。

ただ齧っているだけなのになんだかどきどきするほどかっこよかった。

「…食べる?」

「あ、うん」

見つめていた趣旨をごまかすために頷く。

「ダメですよ、制服が汚れたらどうするんです」

「大丈夫だろ」

「悪目立ちしますよ」

いつもの夫婦喧嘩が始まる。

この喧嘩は大体、スカイがあきらめるか、おじさまが言い負かされるかで決着する。

勝率はおじ様のほうが高かった。

なぜなら呆れるまで主張し続けるから。

ギャーギャーと喧嘩する二人からスワッチがマルスの実を取り上げる。

“収納”から取り出したナイフで切り分け、一口サイズにしたものを口元に持ってきた。

「はい、あーん」

なんの抵抗もなく口にしてから、ここは外であったことに気が付き赤面した。

「美味しい?」

「うん」

噛むと甘みと酸味のバランスがとれた果汁が口いっぱいに広がる。

鼻から抜けていく香りも惜しいほど素晴らしい出来栄えだった。

「おいスワッチ」

「何です?遅刻しますよ」

進んでいくその背に慌ててついていく。

「今はほら、ここのやり取りだったじゃない」

おじ様がスカイと自身の間に指を往復させる。

「いえ、別にこれでよかったと思います」

「スカイ?」

裏切られたような表情をしたおじ様を見て、スノーさんが笑った。

「スノー?」

「ぐっ、いいから行きましょう」

こぶしを口に当てて笑いを我慢しようとしたが、失敗したようだ。

こらえきれなかった笑みが口の端に張り付いている。

「いや行くけどさ、もちろん行くけれども」

スノーさんとスワッチに背中を押されながらおじさまが呟く。

なんだかんだやっていると、クリーム色の校舎とこげ茶色の門が見えてきた。

圧倒的な存在感の中に優しさがある。

そんな素敵な校舎が私の学び舎となるのだ。

リリィは胸が高鳴るのを感じた。

咲いている花々は、淡いものから濃いものに、木々の緑も深くなっていた。

少し間が空いただけでも、学園の森は様相をすっかり変えてしまっている。

まるで魔法みたい。

「ようこそ、いえおはようリリィ」

「おはようございます、学園長先生」

相変わらず仙人のように眉毛と髭が真っ白だ。

心なしか以前会った時よりも、顔色が良いように見えた。

「準備はいいかね」

「ばっちりです」

自信ありげに頷いて見せると、学園長が目を細めた。

「ではよろしくお願いします」

四人が長身を折って礼をする。

「はい」

「じゃあねリリィ」

手を振られると、急に一人になることが現実味を帯びてきた。

商人のおじさんと別れてからは、ずっと誰かと共にいた。

一人になるのは久しぶりだ。

自身の中に湧き上がった感情に戸惑う。

なぜ寂しいと思うのだろう。

リリィはずっと一人で生きてきたはずなのに。

「リリィ?」

「あ、またね」

思考の海に沈んでいたリリィは慌てて手を振った。

心のなかに芽生え始めた感情を押し込めて。


モノトーンの執務室に可愛らしい声が響く。

「将軍、お手紙です」

「ありがとう」

アナグマの神子から郵便物を受け取り、机の端に置いた。

手袋をはめたまま、恐ろしいほどの器用さで封を開けていく。

他の師団からの報告、地方の犯罪集計、武器の購入許可願い…

次々と目を通し、判を押したり、サインをしたりしていく。

シャッシャッと気持ちの良い音を立てて、紺色の万年筆がすべる。

「…どうした」

「へ?」

いつもなら郵便物を渡した後、すぐに持ち場に戻っていくはずだ。

「局で嫌な仕事でもあるのか」

そう言うと引き出しから棒つき飴を取り出し、手渡す。

「うわぁ、そうかの実ミルク味だ」

そうかの実は先端に向かって細くなる形をしている赤い果物だ。

甘酸っぱく、香りが良いため幅広い人気を誇る。

ベア王国ではことに赤い果物が好まれる。

部屋の窓からのぞく光にお菓子のフィルムをかざすと、嬉しそうに抱きしめた。

「よくミルク味なんて手に入れましたね」

「人からもらったんだ」

他の人は滅多に見られない笑顔を見せる。

「頑張っておいで」

「あの、そうじゃないんです」

飴をぎゅっと握りしめながら、おずおずと切り出した。

「何が?」

「怒らないですか?」

「ものによるな」

その言葉を聞くと困ったように眉を寄せる。

「少なくとも飴はとりあげないから」

うーんと考えるようにした後、よしと頷いて口を開いた。

「郵便物の中に恋文が入ってたんです」

「恋文?」

「えっと確か…」

がさがさと郵便物をかき分け、目当ての書類を探す。

「あっ、これです」

“光り輝くあなたへ”

取り出された黒い封筒には美しい書体でそうかかれていた。

「ほう、人の恋路を覗こうとしたわけか」

「いや、その怒らないって…」

両手を胸の前でふってうろたえる。

「分かった。怒らないから秘密にしてくれ」

人差し指を口に当て、目を合わせる。

神子の顔がキラキラと輝いた。

「分かりました!」

「叱られる前に帰りなさい」

「はい、失礼いたします」

ぺこりとお辞儀をすると、ちぎれんばかりに手を振りながら、宮殿内にある

郵便局へと帰っていく。

扉が閉じた途端、将軍の雰囲気が一変する。

優しそうな笑みは消え、いつもの冷え冷えとした冬のような空気を取り戻した。

視線は手の中の封筒に注がれている。

家族の敵かと思う程、忌々し気な視線だ。

一つため息をつくと、シーリングスタンプを外して中身を取り出した。

中の便箋が踊るように動くと、蛇の形をとる。

「ご機嫌麗しゅう」

無駄に良い声で、歌うように紙が話し出す。

「黙れ燃やすぞ」

「おお怖い」

愉快そうに笑い、体を震わせるようにする。

「要件は?」

「もうすっかりご存じのはずです」

すっかりのところを強調して蛇が話すと将軍が渋面をつくる。

「仲間にはならないと言ったはずだ」

「ほほほ、ご冗談を」

「おい」

凄みのある声で恫喝する。

「本当は殺したくて、壊したくてたまらないでしょう?」

「違う」

「なぜ伴侶を殺した王族に尽くすのです!あなたほどの人物ならば

滅ぼすことなど造作もないでしょうに」

将軍の顔ぎりぎりまで近寄り、縦長い瞳をしっかりと合わせた。

「失礼」

その後興奮したことを恥じるかのように、とぐろを巻きなおす。

「我々はぜひとも仲間になっていただきたい」

「それなら頭の正体を教えてもらわなくては」

「それは私にはどうしようも…」

「お前を通じてみているのだろう?」

今度は将軍がグイっと近寄った。

蛇が慌てて後ろにのけぞる。

「何をなさるのですか」

「お前の主に教えてやろうと思ってな」

一つ短くため息をつくと、しっかりと瞳を合わせた。

金色の瞳が無言の圧を放つ。

「私の伴侶を殺したのはお前たちだろう?」

「っ」

蛇が何か反論しようとした時、執務室のドアが開いた。

叫ぶ間もなく蛇が燃やされ、部屋の状態が元通りになる。

「どうした」

何事もなかったかのように将軍が尋ねた。

「スィン、スィア」

呼びかけられた獣人二人が気まずそうに顔を見合わせる。

アカギツネの双子である彼らは、見た目といい、性格といい瓜二つだった。

チョッキの色が黄色でややおっとりしている雰囲気なのがスィン、

チョッキの色が水色でややきりっとした雰囲気なのがスィアだ。

最も将軍以外に見分けられるものはいないが。

「先日の襲撃の件ですが」

話始めたのはスィンだ。

「遺留品から証拠が発見されました」

残りをスィアが引き取る。

「何?」

「彼が呪術を使用した痕跡が腕輪から発見されたのです」

呪術は魔法よりも使用者が多いことに加え、術に危険なものが多いため

呪術を操るものは、銀製の装飾品を腕につけることになっている。

人によって腕輪だったり、指輪だったりと様々だが

呪術を使うと、それから1日たつまで黒く変色したままもどらない。

「確かに銀色のままだったはずなのだが」

顎に手を当て、考え込んだ様子の将軍にスィアが書類を渡した。

「こちら報告書です」

「ありがとう」

1枚1枚確認する音が静かな執務室に響く。

「これだけか?」

読み終わった書類を机でそろえながら、将軍が尋ねる。

「部署から受け取った報告書はこれだけです」

スィンが答えると、スィアが口を開いた。

「何か気になる点でも?」

「…」

長い沈黙の後、「いや何でもない」と呟くように言った。

「ご苦労様、戻っていいよ」

「はい」「失礼します」

揃ってお辞儀をして退出していく背を、将軍は意味ありげに見つめると席を立った。

執務室をでて廊下を通り、門をくぐって城外へと出る。

頭の中はいくつかの疑問で占められている。

あの男は確実に呪術を使っていなかったはず、痕跡をつけた方法は何だ、誰だ。

死体からめぼしい成果が上がらなかったのと関係はあるのか。

そして実行犯の男たちの狙いは何だ。

主様は、やはりあの人なのだろうか。

ぐるぐると渦巻く疑問に対して仮説を立てていきながら、薄暗い路地へと入っていく。

ネクロポリスはなぜ私を仲間にしようとする。

僅かに検出される魔術からは、術者の居場所までは特定できないにしても、

リスクが高すぎる。将軍である自分のところへ郵便物を出せる人物は限られるからだ。

王宮に勤める多くはない使用人たちを思い浮かべながら、彼らの弱みを一人ずつ思い出していく。

「っ!」

背後に鋭い視線をやるも、そこには誰もいない。

予想よりも、動きが速いようだ。

「出てこい」

相手も罠だと知っているのか、姿を隠すのをやめ壁や、屋根から続々と姿を現した。

紫色の布で口元を多い、全身を覆う黒い服を着ている賊が十人以上いた。

「目的は?」

普段ならわかっているはずのことを質問する奴が苦手な将軍だが、自分の予想が絶対では

ないため尋ねざるを得ない。

「貴様の命だ」

ひと際大きな体躯をもつ人物がそういうと、合図としたように一斉に動いた。

どうやらもう一つの選択肢のほうだったらしい、と薄く笑って将軍が前を向く。

鞘に納めたままの長剣を手にすると、纏う空気が一変する。

辺りが夜になったかのような、暗く寒く静かな空気が場を支配した。

「死ね!」

真正面から襲い掛かってきた男を一閃で叩きのめすと、造作もない様子で次の男へとかかる。剣で受け止めたかと思うと払いのけ、払いのけたと思うと剣で受け止める。

ゆっくりと歩いているようにしか見えないのに、手にもつ剣は恐ろしいほどの速さだ。

一部の隙もない完璧な剣技に数で有利なはずの男たちが焦りを見せた。

「ついてこいっ」

リーダー格の男が叫び跳躍すると、残っていた三名がついていく。

皆剣を握りしめ、決死の覚悟を決めているようだ。

「仲間を犠牲にするつもりですか」

ゆっくりと首を回し、呆れたように将軍が言う。

「黙れー」

地面に落下するスピードを利用して鋭い一突きを繰り出した。

「簡単に挑発に乗っているようでは、刺客としては未熟なようですね」

二人の剣がぶつかり、ガキンっという音がする。

必死の形相の男に向かって、将軍が呟く。

「だから隙が出る」

素早く剣を引くと、何の遠慮もなく思いっきりわき腹を剣で殴打した。

「ぐはっ」

転がった男を足でわきに寄せると、次々と落下してくる刺客を出迎えた。

「跳ぶタイミング、降りる速さ、剣を振り下ろすタイミング」

一言一言いうたびに、地面に刺客が転がっていく。

「それらがずれていては一斉攻撃の意味がありません。気持ちの差までそろえなくては」

まるで生徒に教えるような穏やかな口調で言うと振り返る。

そこには頭や腹、胸をおさえた刺客たちが地面で呻いていた。

「全くだらしがない。黒幕を吐いてもらうのでしばらくそこで大人しくしていてください」

服についたほこりを払い、連絡のため魔法を発動させると地面の男が笑った。

「馬鹿め」

「!」

狭い路地に、溢れんばかりの光が広がる。

とっさに目をつむり、巻き上がる風に耐えた。

油断した、と言うには将軍が気の毒だ。

男がペンダントをかけていることには気が付いていても、それが新型の魔道具だと

気が付くことは容易ではない。

しかもそれが自身の魔力にのみ反応するとは夢にも思わないはずだ。

砂埃の舞う路地で、将軍は目を凝らした。

先ほどまではなかった禍々しい空気を感じたからだ。

「これは…一体?」

冷静沈着、頭脳明晰、才学非凡とうたわれる将軍でも戸惑う現象が起きた。

倒れていた刺客たちはぴんぴんした状態で立ち上がり、さらに刺客が十名ほど増えている。

そして何よりも、さきほどまではいなかった不思議な生き物が現れているのだ。

最も近しい動物は、狼かもしれない。

耳は小さく、ぎょろりとした黒い瞳に大きく裂けた口からのぞく鋭い牙、長い手足には

はちきれそうな筋肉と、ナイフでさえも切ってしまいそうな爪がついている。

全体は茶色の薄い毛におおわれ、首は短く尾は長かった。気色の悪い生き物である。

「あいつが標的だ。行け!」

男が指示を出した次の瞬間に駆け出し、将軍の眼前まで到達している。

「!」

間一髪で避けるも、鋭い爪が将軍の袖をひっかいた。

外れたボタンが、からんと寂しげな音を立てる。

「ぎゃらっろう」

気味の悪い鳴き声をあげながら、将軍の後を追随する。

一旦壁面へと逃れると、地面でがちがちと見せつけるように牙を鳴らして

嬉しそうにしている。

(どうしたものか)

魔法を使えば、またあの装置が作動するかもしれない。

これ以上この訳の分からない生き物が増えるのは避けたかった。

路地から転移することも可能だが、奴らの標的が自分である以上は意味がないような気もした。珍しく逡巡していると、生き物が壁面まで跳躍してきた。

「っと」

瞬時に隣の建物の屋根へと移動して、思考を続ける。

とりあえず、この生き物を何とかしてみよう。

ある程度の調査を行った後、なるべく捕獲、無理なら殺害。

動こうとしない刺客たちにも疑問は残るが、そこまでの余裕はない。

剣をしまって弓を呼び出し、矢をつがえるとすぐさま放った。

「ぐぇっらろう」

脚にかすめたのか、苦しげな声をあげた。

「だが傷はつかないのか」

次の矢をつがえて、先ほどと同じように放つ。

「ぎゃらっろう」

今度は完全に避けた。

そのままの姿勢を維持しながら、壁面を駆け上ってくる。

動じる様子も見せずに、今度は三本の矢をつがえる。

「ぐぇっらろう」

一本が生き物の前足を貫いた。

長すぎる舌を出したまま、地面へと落下していく。

「んぎゃらぎゃう」

どしんという音がしたあと、そう鳴くと、静かになった。

(死んだのか?)

屋根から見下ろすと、ぴくぴくと震えている。

「悪い予感がするな」

今のうちにとどめを刺すべきか、刺客を処理すべきか。

将軍は後者を選んだ。

「わっ」

完全に生き物に注意が向いていた刺客たちを倒すのは簡単だった。

走りざまに剣を出し、頭や胸、首などの急所を的確に狙っていく。

「安心しろ、殺しはしない」

先ほども戦った刺客たちは一瞬のうちにのびていく。

将軍は倒れた奴同士を戦いながら縄で縛り、地面へ立てかける。

追加された刺客たちは、布ではなく仮面で顔を覆っていた。

「皆わかったな、学習した将軍の動きを読んで戦え」

「「「御意」」」

こちらにもリーダーがいるようで、他の者たちが首を下げて返事をした。

どこか気持ち悪く感じるほど統率の取れた動きだ。

「はぁっ!」

振り下ろされる剣も比較にならないほど重く、鋭かった。

将軍は形勢不利と判断し、もう一つの長剣を呼び出す。

なかなかの重量がある剣を片手で振り回せるのは、さすがとしか言いようがない。

将軍の中で、ギアが一つ上がった。

壁を伝って走ると、タンとけって路地へと降りる。

そこから立っていた場所へと駆け戻る途中で三人を吹き飛ばす。すぐさま振り返り、

頭上へと振り下ろされていた剣を跳ね返すと横なぎに払い、返す剣で次の敵をのした。

まさしく鬼神のような戦いぶりである。

恐ろしいのはこれがまだ実力の三分の一にも満たないということだ。

大胆かつ繊細に、計算しつくされているのに予想のできない動きで、相手を翻弄し圧倒させる。

(何かがおかしい)

手に伝わる骨と肉の感触を感じながら将軍は違和感の正体を探っていた。

あまりに弱すぎる。

それに本気で命を狙ってきているようには思えないのだ。

「考え事か!」

リーダーと思わしき男が剣を振り下ろす。

両足を開き、僅かに腰の重心を下げることで衝撃を受け止め、すぐに跳ね返す。

「!」

体をよじって隣の男の攻撃をよけ、戻る勢いで背後へと跳躍した。

やはりおかしい。

黙って攻撃すればいいものを、なぜわざわざ声をかけた?

まるで、自分たちに注目を集めたいようだ。

まさか…

予感が確信に変わるとき、背後から禍々しい雰囲気を感じて振り返った。

流していた血が全身を霧のように覆い、晴れたかと思うとさらに強靭な肉体へと変化している。体が一回り大きくなり、額が割れて目が三つになった。

「ぎゃらっろう」

経験からすれば、その声は“攻撃”または“ご機嫌”の合図だ。

「背後がお粗末だぞ」

四人ほどまで減っていた刺客たちも一斉に襲い掛かる。

前からは謎の生き物、後ろからは刺客たち。

逃げ場は上空にしかないが、魔法が使えない分こちらが不利だ。

「はっ」

鋭く活を入れると、将軍は刺客たちのほうへと向かった。

手加減無用と見たか、左手の剣をしまい、右手に持つ剣の鞘を外して投げつける。

露わになった刀身が、鈍い光を放ちながら刺客たちのほうへと吸い込まれていく。

それは、一瞬の出来事だった。

彼らが瞬きをして、次に瞳を開けたとき、既に彼らの上半身と下半身は一つの身では

なくなっていた。

断末魔をあげる暇すら与えられず、彼らはこと切れた。

瞬時に左手にも剣を出すと、同じように鞘を外し、生き物のほうへと投げつける。

軽く耳を倒しただけで避けると、速度を落とさずに将軍の胸元へと飛び込んできた。

ガキン。

クロスさせた剣で頭を押さえ、進撃を防ぐ。

振り回される鋭い爪が将軍の耳や頬をかすめ、赤い線を引いた。

獣化してしまえば完全に将軍の勝利となるが、なるべくその手は使いたくない。

グッと腕を引き、バランスを崩したところで、長剣を背中に突き立てた。

「ぐぇっらろう」

引き抜くと背中から血が噴き出し、生き物は苦し気に背をよじらせた。

「んぎゃらぎゃう」

血の霧が立ち込め、また肉が再生し、体が大きくなる。

痛みが残っているであろうタイミングでもう一度、今度は太ももに剣を刺す。

「ぐぇっらろう」

引き抜いた剣で、次は前足に、その次はわき腹に、次々とめった刺しにしていく。

「んぎゃらぎゃう」

そのたびに再生し、体を大きくしていった生物は路地の幅近くへと巨大化した。

「ぎゃらっろう」

「楽し気なところ悪いが、その幅で身動きがとれるのか」

将軍の言葉通り、前進か後退かしかできないようでヨタヨタと動いた。

「ぎゅぎゅるう?」

剣を一振りして血を振り払うと、両手に構えた。

瞳には何の感情も浮かんでおらず、ただ冷え冷えとした表情のみ浮かべている。

「さようなら」

空に向かって高く飛び上がり、魔力を感じる胴の中央めがけて剣を突き刺す。

「ぎぃぎぃぎぃぎゃー」

激しく身を揺すろうとする生物を地面に縫い留めるように剣で押さえ、さらに深く刺した。

「あぎゃあああああ!」

大地を震わすような叫び声の後、がくりと頭を垂れて動かなくなる。

「はぁ」

脈を確認し、生命活動が停止しているのを確かめた後、深いため息をついた。

返り血で濡れた全身がひどく重く、だるかった。

へばりつく上着を脱ぎ、シャツだけの姿になるとゆっくりと歩いていく。

縛り上げた刺客たちのもとへと行くと、ペンダントを確かめた。

見たことのない魔術紋だ。

記憶の中に叩き込んだ後、慎重に首から外した。

「っ」

熱を帯びたペンダントを投げ捨てると、見覚えのある光が射した。

咄嗟に手で目を庇う。

「!」

再び目を開くと、刺客や生き物の姿が跡形もなくなっていた。

自分の身についた返り血と、傷のついた服。

それだけがあの激闘を示す証拠だった。

「今日はやたらと驚かされる」

かるく首を振り、魔法で全身を綺麗にすると、将軍は王宮への道を戻っていった。


「ただいま」

「おかえり、どうだった?」

リビングのソファーで本を読んでいたスワッチが尋ねると、リリィは静かに首を振った。

そのまま部屋へと直行する。

「?」

スワッチが目で説明を求めると、迎えに行ってきたスカイも首を振った。

「ちょっと君は子供じゃないんだから、ちゃんと説明して」

手を引っ張られるままに、ソファーに座る。

「虐められたわけではないんだよね」

「ええ」

ためらうように何度か瞬きをしてから、ゆっくりと口を開いた。

「それ以前の問題というか」

「というと?」

「仲間として認められてないというか、遠巻きにされているというか」

「ほう」

二人そろって考え込む様子を見せる。

「そういえば師匠は?娘の大事に家にいないなんて」

アスカの部屋まで歩いていくと、扉を開けた。

主のいない部屋はいつにもまして広く見え、がらんとしていた。

茶色を基調とした調度品が、見た目に反して整頓して置いてある。

「いねえや」

バシッと扉を閉めると、またスカイのほうへやってきた。

「ちょっと学園長に連絡してくる」

「それは、やめた方が…」

「別に文句を言おうってんじゃないよ。ただ聞きたいことがあるだけ」

内心の怒りを抑え、スワッチは笑顔で言った。

自身でもなぜかわからないのに、スカイに見せるわけにはいかなかった。

与えられている部屋へと入り、学園長の水晶に呼び出しをかける。

ハンモックやおもちゃなどの子供らしい用品もあれば、大人びた深い味わいの黒い

執務机や落ち着いた壁紙が貼られているなど、どこか釣り合いの取れていない部屋だった。

待っている間に、スワッチは部屋に置いてある古いぬいぐるみを抱き上げた。

元々はホワイトタイガーだったけれど、ぼんやりとした灰色になってしまった。

「ふふふ」

すりすりと頬を擦り付けスワッチがほほ笑んだ。

特殊な材料から出来ているため、時を経てもなお柔らかな手触りだ。

今は膝までほどの大きさしかないが、幼いころはこれを引きずり回して歩いていた。

「はい、はーい」

スワッチの目の前に光が集まって透明なガラスのように見える。

そこに学園長が映っていた。

「あれ、もしかして聞こえてらっしゃらない?」

真っ白の眉を下げ、何か調節するような仕草をする。

「…ああ聞こえてますよ学園長」

しばし、ぼおっとしていたスワッチは慌てて返事をすると、微笑を浮かべた。

「急な連絡、お詫びいたします」

「いえいえとんでもない」

本当に気にしていなさそうな学園長の様子にスカイは胸をなでおろした。

「ありがとうございます」

ここでぬいぐるみを抱えたままだったことに気が付き、椅子に座りながらさりげなく

床へと置いた。ぬいぐるみはどこか不満そうだ。

「それで何か御用ですか」

「ああー」

一度唇をなめてから、再び口を開いた。

「リリィは学校でどんな様子でした?」

「どうもこうも」

困惑したような表情を浮かべた学園長に、スワッチは畳みかけた。

「何でもいいんです。ただ興味があるっていうだけなので」

「うーん」

恐らくシャインが淹れたであろう紅茶を飲みながら思案顔をする。

「こうポツンと座ってましたな」

何が愉快なのか知らないが、にへらと笑う。

まったくもって不愉快だ。

「つまり学園長は生徒が孤立しているのをにやつきながら、ただ眺めていたと?」

僅かに怒気をはらんだ声に、学園長が笑みを引っ込める。

カップを机に置き、姿勢を正して灰色のジャケットの前襟を合わせた。

「いや、なにそちらも覚悟の上でしょう。それに私は学園長ですから

生徒同士の問題にまで首を突っ込んだりしませんよ」

「…」

スワッチの咎めるような視線から逃れるように、また座りなおす。

「今日は担任の先生がお休みで、教頭が授業を行ったからよくなかったのかもしれません」

「…」

二人の間に気まずい雰囲気が流れる。

「あっ、明日はあの三人が来るからきっと大丈夫ですよ」

「あの三人とは?」

やっと言葉を発したことに、あからさまに安心しながら口を開く。

「まあ明日になればわかりますよ」

「そうですか」

頷きながらも、スワッチの頭の中にはクラス名簿が浮かんでいる。

あの子だろうか、この子だろうか…

リリィのクラスは比較的おとなしいが、傷を抱えている子が多いはずだ。

他人の、しかも人間にやさしくできる子がどれほどいるだろう。

「そういえばアスカ様はまだいらっしゃいませんか?」

「と言いますと?」

「いえ、体験入学の期間は毎日学園までお越しいただいて、報告と書類にサインを

してもらわなければならないのですが、まだいらっしゃらなくて」

ふと窓から外を見ると薄暗くなり始めている。

まったく、困った人だ。

忘れているのか、忙しいのか。

「すみません、向かわせます」

スワッチが頭を下げると、学園長が両手を振った。

「もしお忙しそうなら、第二保護者のスワッチさんでも構いませんよ」

「分かりました。ありがとうございます」

「はい、失礼いたします」

フゥンと目の前の光が消え、スワッチは背もたれに体を預けた。

くるりと一回転するころには真面目な表情ではなく、いつもの愉快で気楽な

スワッチそのものの顔つきになっていた。

「よしっ」

ワイシャツの上にベストを着て、ジャケットを手に取って扉を開く。

「うわっ」「きゃっ」

扉の目の前をちょうどレディが通るところだった。

「ごめん、気が付かなかった。大丈夫?」

「はい、申し訳ございません」

恐縮して謝るレディに慌てて頭をあげるよう言う。

「どこか行くの?なんか急いでそうだけど」

見ると普段身につけているメイド服の上から外出用の上着を羽織って、木の皮で編んだ

手提げかばんを持っている。彼女には珍しいことに、まとめられた髪の毛から一房

栗色の髪が落ちていた。

「ああ、ええ、はい。その父が急病だという知らせが来て」

蒼白な顔で語られた訳は考えていたより大事だった。

「それは大変だ。早く行ってさしあげて」

「はい、ありがとうございます」

頭を下げた後、玄関の方へ行きかけて、こちらを向く。

「申し訳ありません。食事の用意が途中でして…」

「そんなのいいから、早く行ってきて」

真面目なことはいいことだが、この場合は些末なことだ。

「はい、ありがとうございます」

「あ、ごめんちょっと待って」

素早く部屋に戻ると、次の瞬間にはまた扉の前にいた。

「これ使って」

レディが不思議そうに自分に向かって投げられた手の中の物体を見る。

小さな立方体をした黒い機械のようだ。

「転移装置、試作品だから一回しか使えないけど機能は確かだから。

行きたいところを想像して、真ん中の膨らんでるところを押せばいい」

「大変助かります」

「いってらっしゃい」

レディの姿が消えたことを確認してから、屋敷の離れに転移する。

「スカイ」

「うわっ」

どうやら書庫の整理をしていたらしいスカイが、派手に抱えていた本達を取り落とした。

バサバサとページを見せびらかしながら本達が落下する。

「ごめん」

「貴重な書物なのにー…」

謝罪の言葉など聞こえていないかのように慌てて拾い上げ、傷の有無を確かめ始める。

「ごめんって」

「屋敷の中で転移を使うなんて」

キッとにらまれ返す言葉はない。

「だからごめんって」

「はぁ」

北の国の冬よりも冷たいため息を吐いてから、いいですよと呟いた。

「それで何の用ですか」

また本を書庫にしまいなおしながらスカイが尋ねる。

「あ、そうそう。僕ちょっと出かけてくるんだけど、レディさん急用ででかけるみたい

だから食事の用意しちゃってくれる?」

「分かりました」

きっちりと本をそろえ、満足げだ。

「どこまで出掛けるのか聞いても?」

「師匠が呼び出しに出ないから、連れ戻してくる」

「宮殿まで行くんですか」

僅かに目を見開き驚いた様子だ。

「うん」

ジャケットを羽織り、髪を手櫛で整える。

部屋に置いてあった鏡で全身をチェックし抜かりがないことを確かめた。

「どんな用で?」

「なんか学園長が師匠のサインが必要だって言ってたから」

スカイが腰に手を当て、天井に視線をやった。

「あれは君にでもできるやつでは…」

「ダメだよ」

顔は笑顔だが、声に含まれた迫力にスカイは押し黙った。

「あれは“保護者”が書かないと、それは僕じゃない」

「…それもそうですね」

「行ってくるね。せっかくだからリリィと一緒に作ったら」

「提案に乗りましょう」

まもなく姿がみえなくなったスワッチを見送り、スカイは部屋を出た。

その足で中庭を横切り、本邸へ入る。

ユニコーンの描かれた扉の前へ立つと一つ深呼吸をしてからノックをする。

「すみません、今入ってもよろしいでしょうか」

「…どうぞ」

失礼いたします、と言ってから静かに扉を開く。

明かりのついていない部屋に少女がポツンと座っていた。

ベッドも、椅子も、ソファーもあるのに、床の上で膝を抱えて座っていた。

服は着替えていたが、持っているものの中で一番質素な白色の飾り気のないワンピース姿だ。かすかに涙の匂いがする。

「お嬢様がよろしければ一緒に夕食を作りませんか」

「夕食を?」

顔をあげてくれたことに安心しながら、話を続ける。

「はい、レディさんが急用で外出されたので準備が必要です。

こう見えても料理は得意なのでよろしければ一緒にどうかと思いまして」

一気に言おうと思ったのに語尾が尻すぼみになってしまった。

自分で言っておきながらあれだが、図々しいかなとかうまく教えられるかなとか

使用人と料理なんて楽しくないよなとか不安になってきたのだ。

「スカイさんと料理?」

「…はい」

お互いが黙ったので部屋には静寂が訪れる。

今日は風も静かで、庭に住まう精霊たちも大人しかった。

部屋に広がる沈黙に耐えられずにスカイはまた口を開いた。

「あのすみません、やっぱり…」

「楽しそう」

「え?」

聞こえてきた単語に理解が追い付かず、間抜けな声になった。

「やりたい」

「あ、はい。じゃあやりましょうか」

「うん!」

遥かに元気になった様子にスカイは頬を緩めた。

と同時に子供ってやっぱり自分にはよくわからないとも思う。

連れだってキッチンに向かうと、つかう予定であっただろう野菜たちが陳列してあった。

「このままでは量が多いですね」

「そう?」

「私とお嬢様、スノーが食べるだけですので」

一瞬悲し気な顔をしたように見えたその顔は、瞬きしていた間になおっていた。

「スワッチは?」

「主を連れ戻しに行きました。二人ともご飯までには帰れそうにないそうです」

「そっか」

スワッチのことを先に聞くあたりに、秘められた感情があるのだが、生来人間関係に

鈍いたちなのでスカイはそれと気づかない。

「倉庫に必要なものを取りに行くついでに、返しましょうか」

「屋敷にお願いしないんだ」

予想外の発言にまたしても動きが止まる。

「屋敷に、お願い?」

「うん、スワッチとかおじ様はそうしてるし、レディさんもキッチンにいるときに

よく助けてもらってるから」

「ああー」

なんと返答したものだろう。

「権限がないからですかね」

「権限」

思いついた言葉の中で最も適当だった。

「はい。スワッチと主は屋敷に対して権限があるのでいろいろなお願いができます。

レディさんの場合は屋敷が自発的に助けてあげてます」

「美人だからかな」

リリィの発言に思わず笑ってしまう。

「ふ、はは。そうかもしれませんね」

浮かんだ涙を拭いて、食材を手に取る。

それに倣って、リリィも食材を手に取った。

二人分の足音が廊下に響く。

無事食糧庫で交換した後、再びキッチンにもどってきた。

「さて、作りますか」

「はい、先生」

なんだかくすぐったいその呼び名に答えながら調理を始める。

今あるのはキャロル(オレンジ色の細長い野菜)、オピー(緑、赤、黄色がある苦味の強い野菜)、ニンオ(半透明の球体をした野菜)、そしてお肉とハーブ。

「お嬢様はお肉にハーブを擦りこませてください」

「はーい」

顔以上もあるブロック肉に小さく白い手がハーブを擦り込んでいく。

その間にスカイは手早く野菜たちを食べやすい大きさにカットする。

「お上手ですね」

「そうですか?」

「はい」

そんな他愛ないやり取りをしながら作業を進める。

切った野菜を半分に分け、片方はスープに入れる。

並べてある壺から調味料を必要な分だけ計り、鍋に入れると火にかけた。

お肉も足元にある薪オーブンに入れる。

沸いたお湯から湯気が立ち、上品な香りがキッチンに漂い始める。

「うん、いい感じです」

小皿にとって味見をしたスカイが頷いた。

「スカイも石で火をつけるんだね」

「ええ、それがどうかしましたか」

今日はやたらと質問が多いような気がする。

「レディさんもそうしてたから、不思議な感じがする」

「よく観察されてますね」

へへと笑った後、ふと何かを思い出したような表情になった。

口が半開きになるのが癖なようだ。

「でもスワッチは使ってなかったな」

ん?

「スワッチがキッチンに立つことなんてありましたか?」

湧いた疑問を口にすると途端に慌てだす。

「あ、うん。そのレディさんの手伝いで?」

なぜ語尾が上がるんだ。

「もう少し詳しく…」

「火打石を使わなくても火ってつけられるのかな」

遮られるように聞かれた質問はスカイの興味を引くのに十分だった。

「点けられますよ」

「商人のおじさんのとこにいたときに、一回だけそういう商品をみたことがあるんだけど

ここのキッチンはそういうタイプじゃないし、点け方も違ってた」

「スワッチは魔法で点けたんですよ。商品は魔石を用いた魔術じゃないでしょうか」

しゃがんでストーブの薪を調整する。

表面の色がうっすらと変わり始めていたので、ひっくりかえして追加のハーブを乗せた。

「!」

立ち上がろうと振り返れば、リリィの顔面がすぐ目の前にある。

「…何でしょう」

「魔法と魔術って何が違うの?」

どうやら今度はリリィの興味を引いたようだ。

「そうですね。細かい定義をすべて無視して単純明快にお答えするとしたら

魔法はなんの準備もいりません。ただイメージをするだけで事がなされます」

最適な回答を探すために、一度考える。

「魔術は魔法陣をかき、呪文をとなえることで希望をかなえます」

持ち歩いている手帳に説明をサラサラと書き、リリィに見せる。

魔法→イメージで行う、魔力量が必要

魔術→魔法陣・呪文が必要、魔石から補充することも可

「この魔石から補充って言うのは?」

「例えば陣の中心に魔石を置けば、魔力のない人でも知識でできるということです」

じゃあさ、と話し始めたリリィのほうへスカイが顔を向ける。

「どうしてみんな魔法や魔術を使わないの?魔石が足りないから?」

本当に聡い子だ。教えがいがある。

「順に解決しましょう。魔法、魔術の順につかわない人がいる説明をします」

「はい」

すっかり本調子で好奇心溢れるリリィの姿に目を細めながら、説明を始める。

「まず魔法の話ですが、単純に魔法を使えるほどの魔力量と練度を有した人物がいないのです。国内だと主とスワッチ、あとは二人ほどではありませんが大臣たち、貴族の一部、

まれに市井の人にもいますね」

耳に届いた言葉と事実に一瞬理解が遅れる。

「…あの二人ってそんなにすごいの?」

「はい、一応」

スカイだって偶にそういう姿を見なければ信じないだろう。

「へぇー」

苦笑しながら話を進める。

「魔術は最初に話した通り、知識が必要になります。かなりの時間と労力、そして才能が

なければ身につかないので志す人が少ないのかもしれません。それに…」

「それに?」

ひたと瞳を合わせながらスカイが言う。

「魔術でさえも使える希望がない人のほうが多いですから」

「使える希望がない?」

なんだか言葉遊びみたい。

リリィは考えてみるものの、手掛かりが少なすぎて早々に断念する。

「どういうこと?」

「この国は四種類の人たちに分けられると考えればいいんです」

先ほど使ったページのとなりに何やら書き込んでいく。

1→魔法が自由に使える 主、スワッチ、それにお嬢様

2→魔法がちょっとだけ使える 大臣、貴族、市井の人の一部 

3→魔力が少ないまたは魔力を使える体 少しの人

4→魔力を使えない体      大多数

「使えないってどういうこと?」

下から見上げてくる愛らしい顔がはてなで一杯という表情をしている。

「それはまだ研究中です。一つ言えるのは魔力が体を通らないからという理由でしょうか。

昔の人は市民も、貴族も王族も使えたらしいので」

顎に手を当てながら答え、言った瞬間しまったと思う。

好奇心の塊に手足がついたようなお嬢様なら次はきっとこう尋ねるだろう。

じゃあどうして使えなくなったの?と。

「じゃあ…」

来る。

次に聞かれる質問に緊張しているとリリィが次なる疑問を口にした。

「スノーさんやスカイさんは?」

「はい?」

「ここに書いてないけど、使えるの?レディさんは前に魔力がないって言ってたけど

それはどちらを指すのかな」

ほぉー、危なかった。

内心の緊張と安堵を悟られぬよう静かに息を吐き、胸をなでおろした。

「はい、スノーは少ないだけで魔力はあります。屋敷内でしたら主から魔力提供を受け自由に操ることまで可能です。レディさんは私と同じ魔力を使えぬ体です」

「スカイさんも?!」

「ええ」

何か驚く要素があっただろうか。

「じゃあその見た目はどうやって変えてるの!」

驚きすぎて怒ったような調子で問い詰められ、スカイは狼狽した。

「それについて正確に話すためには、またほかの説明が必要に…」

ここで言葉を切った自分をお嬢さまが不思議そうな目で見る。

「スカイさん?」

何かがおかしい。

いや、何かを忘れている。

何だ。何を忘れているんだ。

考えるために息を吸い込むと、簡単に答えが出た。

「焦げ臭い!」

がばっとオーブンを開くと、消えかけた薪の火と良い加減を通り過ぎた肉の塊が目に入る。

「ああー」

急いで肉を取り出すが、焦げてしまったものはどうしようもない。

せめてもの抵抗で表面を削ってみるが、明らかに身が硬そうだ。

「申し訳ございません。つい議論に火がついてしまって」

炭とかしたハーブを取り除きながら自覚のないダジャレをスカイが言う。

「ううん、私も気が付かなかった」

傍らにいるリリィもしょんぼりとしていた。

途中まであんなにうまく行っていたのに、自分がいろいろ聞いたせいで台無しだ。

「けじめとして私がこれ全部食べますので、お嬢様には何か他のものを用意します」

「そしたら俺の分は?」

スノーが二人の間に頭を挟む。

「「うわっ」」

大小二つの肩が震えた。

「ちょっと人が悪いですよ。急に出てくるなんて」

「わりぃわりぃ」

ちっとも悪びれない様子で頭をかいたスノーはせっかくの美男が台無しな格好だ。

上着もズボンもサイズがあっておらず、色も素材もいまいち。

原因不明の汚れがそこらじゅうに付いていて、レディが見たら怒りそうだ。

「食事にするんだろ。貸して」

スカイからナイフを取り上げると、肉の硬さなど気にも留めず切り分けていく。

「皿の用意でもしたら」

ぶっきらぼうに告げたスノーにスカイが笑いかける。

右の口端だけ上がる独特の笑い方だったが、この国の半数以上の女子が恋に落ちそうな

とろけるような笑みだった。

「ありがとう。お嬢様お願いできますか」

「あ、はーい」

思わず見とれてしまったリリィは慌てて返事をする。

棚を開き、縁にピンクの花が描かれたお皿のセットを机に並べていく。

そこへ鍋を持ったスカイが来て人数分スープを取り分けていった。

「食べようか」

それぞれの前に肉を乗せた皿を置いたスノーが言うと、全員が席に着く。

「それでは神の御加護に感謝をささげて」

「「「いただきます」」」

自分のお皿を見て、リリィはスノーがきれいな部分を二人に取り分けてくれたことに気が付く。ちらりとスノーの皿を見ると焦げた部分が目についた。

(優しいところあるじゃん)

「…なに?」

「いや何でも?」

口に運んだ牛肉は甘くまろやかでおいしかった。

ハーブの効果なのか、臭みがなく少し焦げた表面もいいアクセントになっている。

「そういえば明日の学校の送り迎えはスノーにお願いできますか?」

唐突に出た話題にリリィはスープでむせかけた。

「なんで俺?」

「なんでって、あなたが空いてるからです。私は商談の用事がありますし、主とスワッチは

いつ帰ってくるかわかりません。レディさんに頼むわけにもいかないでしょう?」

この二人を見ていると力関係がよくわかる。

「正気か?」

「ええ、至って」

「…わかった」

スカイの黒い瞳に圧されたようにスノーが頷いた。

別に送ってくれなくてもいいよ、と伝えようとしたがなかなか咳が収まらなかった。

「大丈夫ですか」

手渡された水を飲み干し、リリィは一息つく。

「はー」

苦しかった。胸がぎゅってなって死ぬかと思った。

「気をつけてくださいね」

「はい」

また大人しく食事を続けたリリィを心配そうな眼差しでスカイがみつめる。

「あの、お嫌だったら行かなくてもいいんですからね」

「?」

あいにく口にパンを入れたところだ。

もごもごと口を動かすリリィにスカイが続けて言う。

「無理強いしようっていうわけじゃないですから」

ごくんとパンを飲み込むと、できるだけの笑顔で答えた。

「…ありがとう、でも大丈夫だよ」

「そうですか」

カチャカチャとカトラリーの音が響くダイニングは冷えていく夜に比べて、暖かい時が

流れていた。



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