表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

第三章

「リリィ、学校に行けるなら行きたいか?」

そんな質問をスワッチからされたのは、食堂で笑った日から数日たったころ、

レディさんとおやつを食べていた時だった。

日常に変化が起きるのは、いつも突然だ。

「といっても、実際に会ってみて許可が出てからなんだけ…」

「行きたい!」

食い込むようにして言った私の様子に目を丸くしている。

「あ、行きたいです」

「じゃあ行こうか」

まるで幼い子を見るような、微笑みを浮かべながらスワッチが言った。

(えっ、もう?)

内心驚きながらも、おとなしく用意をした。

せっかくだから、買ってもらったもふもふのショルダーバックをかけて行こうか。

そう思って部屋に戻ろうとした私をスワッチが引き留める。

「あ、リリィちょっとそこで待ってて」

「はい?」

なんだろう。

少しの不安と期待を抱えて廊下で待機した。

おじ様と会話をしているような声だけが聞こえてくる。

「何を話してるんだろう」

ふと、訓練で習った聴力を上げる方法を思い出した。

教えてもらった通り、耳に意識を集中させ、声がこちらに来るようなイメージをする。

「…す」

「…て?」

「…ですよ」

「…ろ」

思ったようにいかないな。

イライラして顔を上げるとスカイさんが立っていた。

「うわぁ」

びっくりした。

心臓が体から逃げ出しそうな勢いで、鼓動を刻んでいる。

「今から出かける時のルールを説明します」

いつもの感情が表に出ない顔で告げる。

「は、はい」

一生懸命平静を装って、なんとか答えた。

「スノー、手伝ってもらえますか?」

いつの間にか廊下に出てきていたスノーさんに声を掛ける。

「俺?」

「そう、あなた」

こくりと頷く。

「何すればいい?」

困り顔ではあるが、頼みを聞いてくれるらしい。

「離れから箱をとってきてください」

君も見たことある、あの箱です。とスノーさんに伝える。

スカイさんが人に頼みごとをしているのはあまり見ない。

珍しい光景を、最近はよく見るなー。

なんて考えていたら、すぐにスノーさんが戻ってきた。

えっ、離れってそんな距離じゃないよね。

「おまたせ」

手には一抱えほどの箱を手にしていた。

「ありがとう」

お礼を言ったスカイさんが箱のふたを開け、何やら取り出し始める。

「綺麗」

取り出したものを見て、おもわず呟いた。

深紅の布地に、金色の糸で刺繍がしてある見事なマントだった。

フードにはウサギの耳がついていて、大人っぽさと子供っぽさの調和が取れている。

「出かけるときはこれを着てください」

「これを、私が着てもいいの?」

一目で上等とわかるものだ。

私なんかが着たら勿体ない。

「ええ、お嬢様のために作ったものですから」

「そっ、僕たちが力を合わせて作ったの」

廊下からやってきたスワッチがスカイさんの肩に腕を乗せながら言った。

「みんなで?」

「刺繍はレディが、材料は僕が、魔力を込めるのは師匠が、加護をつけるのはスカイが、

そしてデザインはスノーが考えた」

(スノーさんが?)

そう思ってそちらを見ると、ぶすっとした表情をされた。

一瞬でも、仲良くなれると思ったのに。

「着てみて着てみて」

促されるまま、袖を通せばふんわりと体を包み込まれ、着心地は最高だった。

「うわぁ、素敵」

袖を持って一回転してみると、ふわっと裾が広がりさらに気にいった。

「よくお似合いですよ」

「うん、可愛いね」

口々に褒めてくれる。

「…」

スノーさんは無言のまま、ゆっくりと頬の傷を撫でている。

まいっか。ゆっくり仲良くなろう。

そう思いながらまたくるくると回ってみる。

「うぇ」

ぐるぐる回りすぎてめまいがした。

ぐらっと倒れそうになった身体を、大きくて力強い腕が支えてくれる。

「おじ様!」

上を見れば笑顔のおじ様と目が合った。

「よく似合ってるじゃないか」

「おじ様も、すっごく素敵」

普段はもっと、くたっとした派手な柄のシャツとか半ズボンみたいなやつなのに、

今日は髪の色にあわせた上等なスーツを着ていて、スタイルの良さが際立っている。

眼帯もシックな感じで、髪型も整えられている。男前だ。

「本当か?」

「うん、きちんとした大人みたい」

思ったことを正直に言うと、嬉しそうな顔がそのまま凍りついた。

「ふ、普段はどう思ってたんだ?」

「いつもおうちにいて、たまに遊んでくれて、ものを買ってくれるくまさん」

「くまさん!?」

がくりと膝を折って床に手をつく。

まさかくまさん扱いだとは思っていなかった。

とりあえず親しくなろうと友達のように接したのがいけなかったのだろうか。

それとも最近王宮に出入りしていて構ってあげられなかったのがいけなかったのだろうか。

うん、触れ合い方を見直そう。

アスカはそう決意した。

にしても結構ショックを受けたのに、リリィは平然とした顔をしている。

「リリィ」

「なぁに、おじ様」

こてんと首を傾げてなにをしてるんだというような表情だ。

「…いや、いい。何でもない」

「んぐふっ」

力なく首を振った時、変な声がした。

さっと立ち上がり、声の主を見るとスワッチがスノーとスカイに口を抑えられているところだった。

「おい」

「ぶふっ」

二人(四人?)の間に冷たい空気が走る。

「ねぇ、ルールを説明してくれないの?」

その声で一気に緊張が爆ぜた。

「ええ、もちろん説明します」

「そうだな」

慌ててみんながリリィのほうへ向き直る。

「ぷは」

スカイとスノーの手が外れて、スワッチが息を吐いた。

大分顔が引き締まり、笑いは収まったようだ。

「外出は一人でしないこと、出るときはマントとこのブローチをつけること」

そう言って渡されたのは、これまたとっても素敵な花をかたどった銀のブローチだった。

「これももらっていいの?」

「ああ、忘れずにつけておきなさい」

陽の光に当てると、はめこまれた白い宝石がきらりと光った。

マントにつけてもおかしくなく、互いを高めあうかのようだった。

「うわぁー」

「気にいった?」

尋ねるスワッチに言葉を返すのももったいなく、こくこくと頷いた。

「はは、じゃあ行きましょうか」

さりげない動作でフードをかぶせると玄関に向かって歩き始めた。

「では、レディさん家のことをよろしくお願いしますね」

スカイさんが胸に手を当ててお辞儀をする。

「任せてください。お嬢様、とてもお似合いですよ。楽しんでいらしてきてください」

手を振るレディさんに両手でふりかえして、屋敷から出た。


門をくぐるとそこは別世界だった。

最近スカイさんに借りた小説にそんな表現があったけど、まさにそんな感じだった。

カラフルで多様な形をしたお店が道をふさぐように建てられ、

人々が大声で売り買いしている。

見たことないもの、かぎなれない匂い。あらゆる情報に押しつぶされそうだ。

「…だろ」

「え?」

「すごい世界だろ」

スワッチがそう言って笑う。

その笑顔を見て、口から息を吐いた。

「うん」

自分でも気がつかないうちに緊張していたらしい。

「今は何も買いませんからね」

声のしたほうを振り向くとおじ様がおもちゃを抱えていた。

「えっ、駄目?」

「学校に何を持ち込むつもりですか」

すねた様子のおじ様にスカイさんがぴしゃりという。

「だってこれもあれも面白そうだし、リリィも喜ぶかと…」

「今一番喜んでるのはあなたです」

そう言っておもちゃを店に返すとスタスタ歩いていってしまう。

「じゃあ手土産として…」

「誰がほしがるんですかそんなもの。まさか学校長に渡す気じゃないですよね」

なおも追いすがるオジサマに対して振り向きながら答えた。

「うう」

「まあ、師匠のセンスよりスカイが選んだお菓子のほうが喜ばれると思いますよ」

スワッチがさらっと傷をえぐっていく。

「ううう」

スワッチー、とおじ様が抱きつきに行って頭をわしづかみにする。

「ちょっと何するんですか」

頭を振り回されたスワッチが唇をとがらせて文句を言う。

「裏切り者。お前なんかぼさぼさの頭で行ってしまえ。で笑われてしまえ」

「大人げないですよー」

「うるさい。お前が言うな」

ワーワー騒ぐ大人二人を見ながら、リリィはスノーさんのことを気にしていた。

(なんでついてきたんだろう)

屋敷に行った日から今日まで、レディさんと誰かが一緒に留守番してたのに変だな。

ちらりと目をやると、じゃれる二人を柔らかい笑みをたたえながら見ていた。

私にもあんな風に笑ってくれたらいいのに。

どうしてこの世界の人は人間を嫌うのだろう。

力が劣るから?貧相だから?短命だから?なんで、どうして?

商人のおじさんと暮らしてた時に知らなかった世界があるように、

私の知らない何かがあるのかしら。

なら、教えてくれないのはどうして?

多くの疑問が頭の中を駆け巡る。

「リリィ、どうしたの?」

かけられた声によって浮上すると、スワッチが顔をのぞき込んでいた。

「なんでもないよ。ちょっと緊張してるだけ」

そう言ってごまかしてみるものの、心配そうな表情は変わらない。

こういうところ、感がいいというか鋭いんだよな。

「やっぱり嫌なら日を改めることもできるぞ」

「大丈夫よ、おじ様。みんなついててくれるんでしょ」

「「「もちろん」」」

頼もしい返事だ。

「それなら私も頑張れる」

これは本心だった。

「よし、リリィ。おじ様と手をつないでいくか」

隣に立ったおじ様がそう提案する。

「いや遠慮します」

両手を相手に向けて素早く断る。

わりとしっかりめにお断りしたい。

「なんでよ。初めてあった時そうして帰ったじゃん」

「いやー、その時と今ではちょっと…」

「いいじゃん」

かぶせるように言って手をつながれてしまう。

「あ」

ニヒヒと笑った顔をみると、まあいいかと思えてしまうのが不思議だ。

「しょうがないなぁ」

「やったね」

子供のように笑うアスカをみて、

ほかのメンバーはだからくまさん扱いなのだと思うのであった。


「うわぁ、すごい建物」

「でしょ?」

スワッチにうなずいて返事をしながら、しばし建物を見つめていた。

広大な敷地に、森や川が広がっている。

高い塀に囲まれいても閉塞感がないのはきっとこの見事な建物のおかげだろう。

遠目で見ると長方形にしか見えないのに、近寄ると宮殿のような荘厳さと

精緻な彫刻が見る人の心をつかんで離さない。

真新しくないのも、調和が取れていた。

「綺麗な色、ミルク色っていったらいいのかな。空色の屋根とピッタリ。

ああ、違うな。もっといい表現があるはずなんだけど」

言葉にできないというのはもどかしい。

立派な門も、植えられている花々も引き立て役にしかならない。

夏なのに爽やかな風が吹き、新鮮な緑のにおいがした。

「気に入っていただけたようで何よりです」

スカイさんが柔らかく微笑んだ。

わー、今みたいに笑ったら女性が百人は落ちちゃう。

「いつからある建物なの?」

「1300年近く前かな」

スカイさんの代わりにおじ様が答える。

「せんっ!」

とてつもなく昔の話だ。

「にしては綺麗過ぎない?」

「それは…」

「どうしてだと思いますか?」

何か言おうとしたおじ様を遮って、スカイさんが尋ねてきた。

「うーん」

腕組みをして考えてみる。

こうすると大人になったみたいで、頭が回る気がするのだ。

考えながら学校について想像してみる。

これだけ広ければ、外で遊ぶのはもちろん、教室も広いだろうから大縄ができるかも。

リリィは飛ぶことが大好きだった。

ほおっておけば一人でも何時間でも続けられた。

屋敷みたいにトレーニング室や図書室もあるだろう。

そう言えば、前読んだ本に保存の魔術について書かれていた。

「魔法がかかってるのかな?」

「あっ、惜しいです」

なぜかスカイさんのほうが悔しそうに顔をゆがめる。

「リリィ、屋敷はどんなことができたっけ?」

スノーさんと会話をしていたスワッチがこっちに来てヒントをくれた。

「えっと、廊下が動いたり、ドアの施錠・開閉をしてくれたり、壁紙を変えてくれたりー」

かな?と上を見上げると笑顔の三人と目が合った。

「そうですね」

「ならそれはなんでできるのかな?」

そのヒントに気を取られていたため、「ほかにもできることあるけど…」という

おじ様の呟きは気に止めなかった。

「レディさんはおじ様の魔力がこもってるからだって言ってたよ」

「そうそう私のおかげ…」

「正しくは違いますね」

またもおじ様の言葉を遮り、スカイさんが答えた。

「そこは嘘でも、はいそうですって言えないもんかね」

じろりとスカイさんの顔を見るおじ様の顔は面白かった。

「お嬢様に嘘をお伝えするわけにはいきませんので」

しれっと答える。

「何をー」

「ふふっ」

二人のやり取りは決して平和といえないのに、いつも笑えてしまう。

肩の力がすっと取れた。

そこで初めて緊張していたことに気がつく。

リリィの姿を見ながら、こっそりと三人は目配せしあった。

実は、この会話は計画されたものだったのだ。

緊張するであろうリリィのために、いかに役に立つか、そして面白いか

(あくまでもリリィにとって)を基準に練られた。

「正解は、魔岩でできているからです」

「魔岩って存在するんだ」

図鑑ではもう存在しないものと説明されていた。

かろうじて魔岩のかけらである魔石が残るばかりだと記載してあり、一度見てみたいと

思っていたのに。まさか住んでいたとは。

「大体700年よりも前に作られた建物では一般的な材料でした」

確かに、頑丈で、専門の道具を使えば加工がしやすく、イメージしながら、少し魔力を

与えるだけで効果をキープしてくれる魔岩はうってつけだろう。

「じゃあどうして?」

何がでしょう、とスカイさんが不思議そうにこちらを見る。

「使えなくなったのはどうして?急になくなるような保有量じゃないでしょう?」

図鑑にはなくなった原因は書いていなかった。

家を立てるような材料が急になくなったりするだろうか。

ほかに良い材料があるわけでもない。

人口が爆発的に増加したわけでもない。

むしろその年は人が大勢死んだとレディさんが何かの時に言っていた。

「あ、えっとですね、それは…」

どうにも歯切れが悪い。

ん?と顔を覗いてみても困ったような表情をするばかりだ。

「将軍、そろそろ時間じゃないですか?」

さっきまで淡い桃色の花を見ていたスノーさんがおじ様に尋ねる。

「そうだな、もう行こうか」

まだまだ聞きたいことはあったけど約束を破ることはしてはいけない。

それに、校舎内の方が興味をひいた。

「うん」

大人しく頷きついていく。

私はいい子でなければならないから。

学校の中は艶のある美しい木材と白い石材でできていて、

独特な厳かさと寛容さをたたえていた。教室は子供が三十人入ればいっぱいになりそうな大きさだったが、廊下は大人が四人は通れるほど広めに取られていた。

リリィを何よりも驚かせたのは、壁に使われている石材が触る強さによって

硬さを変化させることだった。撫でる時は硬く、殴ると柔らかくなった。

「リリィ、そんなに壁をいじめないでくれ」

「だって不思議なんだもの」

どうして硬度が変わるのか、気になって仕方がなかった。

何度も叩いたり、なでたりするリリィをアスカは柔らかいまなざしで見つめている。

「これも魔石なのかしら」

ブツブツ、ブツブツそんなことばかりつぶやき続ける。

年に合わぬ子だな。

もう何度目かわからない感想を抱く。

もとより、人間は成長が早いと聞くが、それとは違う早熟さをアスカは感じていた。

年齢はまだ六歳か七歳だというのに。

幼い、子供らしい期間を、持てなかったのだろうか。

こんなとき、人間を知らない自分を、彼女に尋ねられない自分が嫌になる。

「ごめんなさい、時間があるんですよね」

暗い表情をしている理由を勘違いしたのか、リリィが慌てて壁から離れた。

「別にとがめてるわけじゃないよ。子供が好奇心や探求心のままに行動するのを

怒るような学校ならこっちから断るから。ただ…」

胸中を吐露するのはためらわれた。

「ただ緊張していただけだ」

安心させるように頷いた。

「おじ様も緊張するのね」

表情も変えずにさらりと言いのけた。

…何だか私に対するあたりが強いような気がする。

「そらするさ」

あいまいに笑って誤魔化した。

「行こうか」

三人の気づかわしげな視線を感じながら学園長室に入った。


内装は教室よりもわずかに派手で、死んだ赤色のカーペットがみっちりとひかれていたが

学園長の部屋としてはきわめて質素だった。壁を圧迫するように本棚が埋まり

落ち着いたアンティークの調度品が、椅子に座る彼の人柄をよく表していた。

「お久しぶりです」

にこやかに挨拶をした。

「お久しぶりです。アスカ様」

書類からゆっくりと眼鏡をかけた顔を挙げたのは、仙人かと間違えるほど口周りと眉毛の白い、たれ耳のおじいちゃんウサギだった。

「学園長は、おかわりなかったですか?」

「まあ、この年になるとやることは変わりませんよ。起きて、働いて、寝るだけ

ただそれだけです」

あきらめた様子でも、飽きた様子でもなく淡々と語った。

どっこいしょと聞こえそうな動きで椅子から降りると、狭いですがと席を勧めた。

「そちらも昔からお変わりなく、といいたいところですが、何やら変化があったようで」

アスカ達の後ろを探るように、ゆっくりと視線をめぐらせながら座る。

スカイにマントを脱ぐよう促され、手に持って進み出ると

驚いたように、糸のようだった目を見開いた。

「おや、まあ」

そこまで言ったところで、何かを断ち切るように口を閉じ、そして目を閉じた。

しばらくそのままの姿勢で、何か考えるように、迷うようにかすかに首を振る。

「少し、少し大人だけで話しましょう」

ゆっくりと目を開くと、つかれた様子で言った。

「っ学園長!」

座りかけていたアスカが抗議するように言う。

「シャインはいるか」

その声に答えるように扉が開いた。

現れたのは黒い耳が生え、作業着を身につけたがっしりとした体型の若い男性だった。

スカイと同じ黒目黒髪で、日に焼けた肌に白い歯が眩しい。

きりっとした眉毛をしているが、口元は柔らかく微笑んでいるようで優しそうだ。

「どうされましたか」

尋ねる声は低く、大きな体の割に穏やかな口調だった。

「お前のほかに、今日は誰が来ている?」

「えー、アロニア、マキの二人ですね。アロニアは客人との予定が入っています」

顎に手をやりながら答えた。

「マキを呼んで、お前はあのお嬢さんの相手をしてあげなさい」

ここで初めて、こちらを見た。

スカイ、スノー、スワッチ、アスカときて、最後にリリィをみる。

ピコピコと黒く短い尻尾を動かした以外はほほ笑みを崩さず、黙って見つめている。

「学園長、僕がここに残って、マキに校内の案内をさせましょう。

体格と年齢が近いほうが親しみやすいのではないでしょうか」

学園長のほうへ話しながら近づいていく。

「そうか、お前が言うならそうしよう」

「はい」

サイドテーブルに置いてあったティーセットを使って、テキパキとお茶を入れていく。

間を置かず、部屋の中は豊かな紅茶の香りで満たされた。

甘く、でもスッキリとした良い香りだった。

「美味いな」

一口飲んでアスカが呟いた。

「ありがとうございます。畑で採れた葉から作りました」

執務机の奥にある窓からは、緑豊かな森と畑が一望できる。

木々たちは強い日差しに負けぬ、生き生きとした様子で枝を伸ばし、

畑の植物たちは争うように葉をつけ、果実を実らせていた。

「おいしい!」

アスカに倣って口に含んだリリィが笑顔になる。

屋敷で飲むのとはまた違う、荒々しいのにまとまっている味がした。

葉だけでなく、淹れ方も上手なのだろう。

一緒に出された焼き菓子もこれまたおいしかった。

「ジャムも生地も畑のものを使ってるんです。係の生徒と私たちで育てたものなので

安心して召し上がってください」

スカイが手袋を外して一つ口に入れ、驚いたように目を開く。

「…、美味しいですね」

「ありがとうございます」

学園長にお茶のおかわりをついだあと、シャインがお辞儀をした。

ポットを置いて、学園長の隣に座る。

「さて、そろそろ本題に入りましょうか」

三杯目の紅茶を飲み終わった学園長が言う。

考えていたよりも、固い人じゃないのかもとリリィは思った。

「シャイン、マキを呼んできてくれ」

「かしこまりました」

容器をお盆に片付けて、一度礼をしてから立ち上がる。

そのまま部屋を出ていくと、すぐに扉が開いた。

「お待たせいたしました。マキ、挨拶を」

勧められて前に出たのは小柄なミーアキャットの半人だった。

オーバーオールを着ているからか、幼く見える。

大きな瞳と長いしっぽが特徴的で、人口の1%にも満たない希少種だ。

リリィが商店にいた時も高値で取引されていた。

集団で暮らす習性のせいで見つかりやすく、一時は絶滅も危惧された。

王家の保護政策と密輸取締によって人口を回復させ始めている。

「マ、マキです。よろしくお願いします!」

青年らしい、少し高めの声で一生懸命挨拶した。

どこか痛めそうな勢いでお辞儀をする。

「よろしくー」

壁にもたれながらスワッチがこたえた。

隣には仏頂面のスノーが立っている。

「二人とも、座らないの?」

学園長の部屋は机の周りに四つ、小ぶりなソファーが置いてある珍しい配置だ。

ただでさえミチミチな部屋をさらに窮屈にさせている。

つまりおじ様とスカイさんが座っている向かいに、ソファーが一つ余っている。

「いや、いいよ」

「俺は用事があるから」

ですよね?と、なぜかシャインの後ろを探るように見る。

「はい、お待たせして申し訳ございません」

返事をしたのは黒く艶やかな毛並みを持つ猫の獣人だった。

賢そうな顔つきで、紺色のバインダーを胸に抱えている。

ゆっくりと扉を閉めると、カツカツとヒールを鳴らしながらこちらへやって来た。

「学園長、打ち合わせに行ってまいります」

「ああ、大丈夫だと思うがしっかりな」

「はい。ではスノーさん行きましょう」

「ええ」

スーツ姿の二人が隣に並ぶと実に絵になっていた。

頭一つ分、スノーの背が高いが、彼女のきりっとした美貌がそれを感じさせず

猫特有のしなやかなさと美しさを二人とも存分に披露していた。

「将軍行ってきます」

扉を開きながらアスカに声を掛ける。

「いってらっしゃい、頑張ってな」

穏やかにスノーに微笑みかける様子はまるで父親のようだった。

「はい」

つられたようにふわりと笑って、アロニアとともに部屋を退出した。

扉が閉まるとすぐにシャインが口を開いた。

「マキ、お嬢さんに校内を案内して差し上げて」

「あ、はいっ!わかりました」

部屋の隅でワタワタしていたマキがさらにワタワタしながら返事をした。

てってってと聞こえそうな歩き方でこちらに来る。

「お名前は何ですか?」

こてんと首を傾げてこちらを見る。

なんだろう。この気持ちは。

手のかかる(いないけど)を見ているような、歩き始めた仔馬(これまたいないけど)を見ているような、不思議な気分だ。

「?」

さらに角度を深めてこちらを見る。

あ。

「わかった!可愛いんだぁ」

「へ?」

元から大きい瞳をさらに広げて停止する。

「こら、失礼だろ」

軽く腕をたたいてたしなめられる。

「だっておじ様…」

「リリィ」

振り返ろうとしてリリィは思わず動きを止めた。

珍しく厳しい声音で、鋭い眼差しをしている。

強い威圧感を感じ、急に自分が小さくなったような、そんな感覚にとらわれた。

まるでおじ様が二倍三倍になったようだ。

紅い瞳にそれ以上の意味ができたようで、少し、怖かった。

「師匠?」

らしくもなく外で、リリィの前で威圧を放つ主にスワッチが声をかける。

途端に重苦しい空気が霧散し、呼吸がしやすくなった。

「リリィ、悪かった」

いつもの雰囲気に戻ったおじ様が頭を下げる。

「いや、」

何と答えるべきか分からなくて口ごもった。

間違えばまたさっきみたいになるのだろうか。

それは嫌だ。あれは主様に似ている。

「私こそごめんなさい」

瞳を伏せて、しょんぼりとして見せる。

これが今一番よく効く反省の仕方だと知っているからだ。

「うん」

少しの間沈黙が広がる。非常に気まずい。

「仲直りですね!」

いい感じに空気の読めないマキが拍手をした。

「そうだね、仲直りだ」

いつもの笑みを浮かべておじ様が笑う。

それを聞いてリリィはほっ、とひそかに息を吐いた。

「やれやれ」

誰にともつかず、学園長が呟いた。

「マキ、案内をして差し上げなさい」

「はい、学園長!」

勢い良く返事をし、またこちらに向き直る。

「先ほどは失礼いたしました。リリィと申します。本日はお世話になります」

さっきの非礼への謝罪と質問に対する答えを混ぜた発言だ。

ぺこりと頭を下げると、大げさなほど手を振って恐縮する。

「いえいえいえいえ、こちらこそよろしくお願いします」

床に顔がつきそうなほど深くお辞儀を返された。

そのまま二人でペコペコしていると「いつまでやってるつもりですか」と学園長に咎められた。時計を見れば部屋に入ってから半サーア(三十分)近くが経っていた。

「それじゃあ、責任を持ってご息女を案内してきますね」

「娘のこと、よろしく頼みますね」

さらっと自分のことを娘と言い切ったおじ様に驚いた。

何だか照れくさくなって、挨拶もそこそこに部屋をついて出た。


「じゃあ僕も用事があるので。スカイ、師匠のこと頼んだよ」

それだけ言ってスワッチが部屋を出ていくと途端に会話が途絶えた。

窓から景色を眺めつつ、スカイは会話の切り口を考えていた。

広々とした敷地は学校のある日ならば、子供たちが自由に駆け回っていることだろう。

あの背の高い木なんかは、喜んで登っていきそうだ。

自分にはそんな開けた子供時代はなかったけれど、お嬢様には経験していただきたい。

「この学校の生徒に、なれるでしょうか」

独り言のように発せられた言葉にその場にいた全員が反応した。

「彼女について知らないことには、何とも」

嫌みではなく、淡々とした様子で言った。

「何を知りたいですか?」

主人が少し緊張しながら尋ねる。

「人となりはもう少し見て判断することにして、、、」

「家族になった経緯や彼女について、全て教えていただきいです」

「わかりました」

シャインの疑問に答えるべく、主人が口を開いた。


「でここが調理室です」

リリィは既に飽き始めていた。

はりきって校内を案内してくれるのは有り難いが、広いし、多いし、疲れたしで

集中力は散漫だった。五階から始まり三階まできた。

今はもう早く終わらないかなーとか、ご飯何かなーとかしか考えていない。

「楽しいですね」

「あははは」

満面の笑顔に愛想笑いを返して、リリィはこっそり足をさすった。

今日の服装はフォーマルな感じで、紺のワンピースに白いジャケットを合わせ、

黒いローヒールの靴をはいている。

レースで作った花の髪飾りがリリィのお気に入りだった。

でも、なれない靴なので足が痛いのだ。

ふくらはぎはカチカチだし、かかとはヒリヒリしている。

そして何より退屈だった。

(魔法を使ったらダメかな)

せめて足の痛みだけでも何とかできないだろうか。

治癒魔法を人にかけるのは難しく、また危険性が高いためまだできないが

自己治癒力を高めるのなら少しできる。

(いやダメだな)

外出する前に、みんなに言われたのだ。

『外や自分たちの前以外で魔法を使ってはいけない』

屋敷に引き取られる前からも言われていたことなのに、また念を押された。

私が魔力のコントロールができないからだといっていたけれど、それ以上の何かを感じた。

そういう、ふとした時に感じる”何か”がリリィを悩ませていた。

教えてくれないのはなぜかな。

「行きますよー」

「はーい!」

半分キレながら返事をし、一生懸命足を進めた。


「彼女を受け入れることはできないでしょう」

説明後、シャインがそう言い放った。

「どうして」

「身元不明で、魔力をもった人間を受け入れることなど難しいでしょう。

まだ六歳か七歳だとはいえ危険です」

場合によっては、学校の取り潰しだってあるかもしれない。

口の中で呟くように続ける。

「…学園長は、学園長は、どのようにお考えですか」

ゆっくりと目を向けて、感情を抑えた声で尋ねる。

「私もそう思います」

「っつ」

耐えかねた様子で目を背ける主人が気の毒だった。

「百パーセントダメでしょうか」

思わず懇願するような声が出た。

それを聞いた学園長がため息をつく。

「勘違いしないで頂きたいのですが、私たちには他にも守るべき生徒がいます。

誰もが傷ついた経験を持ち、他所では受け入れてもらえない子たちです。

その子たちがまた傷つくようなリスクを避ける義務が、私たちにはあるのです」

細い瞳から眼光が放たれたように見えた。

真摯で、相当の覚悟をもっている、そういう人の瞳だった。

ぐっと何も言えなくなってしまう。

「ただ」

続く言葉に、思わず伏せていた顔を上げる。

「ただ彼女にも学校に通う権利があります」

「それは、その、つまり」

言葉が胸につまってでてこない。

期待と裏切られることへの不安が次の言葉をせき止めていた。

「一週間だけ猶予を与えましょう。その期間内に相応しくないと、

こちらが判断すれば入学はお断りさせていただきます」

主人の横顔が喜びに満ち溢れている。

身体から漏れ出た魔力が部屋中を明るく照らし、目が痛いほどだった。

「ありがとうございます」

学園長の手を握ってぶんぶんと振り回す。

「許可すると、今決定したわけじゃないですからね」

うっとうしそうに目を細めながら、学園長が念を押した。

「分かっています。猶予をもらえただけでも嬉しくて、ありがたくて」

まるで恋する乙女のように笑う。

ふと窓に映った自分の顔を見て、同じだと思った。

人の幸せに共感できることが嬉しかった。

それで私も笑っていたら、ますますあきれたような表情をされて、さらに笑ってしまった。

「では情報共有をしましょう。彼女が入学するにあたって、何に気をつけ、何を教え

何が必要なのか、明らかにしましょう」

黙っていたシャインがにこやかに口を開く。

さっきまでの表情が芝居だったかのように軽やかな口調だ。

「いいのか?」

「もちろんです。さっきお会いしただけでもアスカ様から大切にされている、賢い良い子

だとわかりましたから」

見かけによらず、裏表が激しいタイプだったりするのだろうか。

「あ、まさか。スカイさんまで騙されてたんですか」

よくわからなかったので、主人のほうを見ると、向こうも眉を寄せてこちらを見ていた。

「テストですよ、テスト」

嫌みのない笑顔を見ていると次第に状況が掴めた。

「我々の態度を見ていたということですか?」

「そうですね。あと学園長が悩んでいたのでその後押しも含めて」

さらりと言いのけるところが恐ろしい。

「なんと」

目を見開いた学園長の発言に同意したい。

とんでもない役者だ。

「入学に必要な物の一覧です」

「ありがとうございます」

困惑している間にもシャインはテキパキとリストを渡してくる。

どれも見やすくわかりやすくて、役所に見習ってほしいくらいだった。

「説明は以上になります。質問やご要望はありますか?」

「あー、こちらからは一点だけかな」

意見を聞くようにこちらに視線をよこす。

すべてお任せします、という意味を込めて頷いた。

「歴史については時期を見て説明したいから、知らせないでほしい」

「それは…」

「善処しますが、教頭しだいですかな」

腕を組む様子を見て、教頭メントゥの顔が浮かんだ。

ふわっとした毛並みとモコっとした見た目だけ見れば可愛いが性格はこの世の終わり

くらいに悪い。せっかくパッチリした瞳をしているのに、目を細めて悪口をいう。

羊界の嫌われ者だ。でも仕事はできる。

「そこをなんとかお願いします」

「まあ子供のためなら、いうことも聞いてくれるでしょう」

ポンと膝を打って、立ち上がる。

机の引き出しから一枚の書類を取り出し机に置いた。

「我々と本人の署名をして、校舎が認めたら入学が叶います」

学園長が紙の上に手を置くと、紙がほわっと光る。

手を置いたところに、学園長の名が浮かび上がって、紙の中に入っていく。

次に主人が手をかざし、同じように署名した。

シャインが書類を確認する。

「あとは本人が同意して、サインをしたら…」

ガチャリと扉が開いた。

「これどこに置けばいいですかー?」

両手で箱をもったマキが尋ねる。

「マキ、リリィさんはどうした?」

シャインが押し殺した声で聞く。

「?」

小首をかしげてこちらを見る。

「君が校内を案内するために連れていった女の子はどうしたのかと聞いてるんだ」

「あっ」

落ちた箱から、陶器が割れるような音がした。

「ああああああああ!」

今度は箱のほうを見て慌てだす。

箱の中身を確認して、ため息をついたと思うと、こちらを見てあわあわする。

「落ち着きなさい、みっともない」

「うちの娘をどこにやった!」

年長者二人に言われて、困惑したような表情を見せた。

「わかりません」

なさけなく眉が下がる。

「わからないだと?」

「まあまあ落ち着いて」

興奮する主人とマキの間に入り、仲裁を試みる。

「君も、深呼吸して」

スーハーと言われた通りに実践する姿を見ながら、次の言葉を考えた。

「お嬢さまを最後に見たのはどこ?」

「えーと、えーと」

目をパチパチさせながら、必死になって思い出そうとしている。

質問が悪かったかもしれない。

「あの荷物を受け取ったのはどこ?」

今度は正解のようだった。

曇った空に光がさすように、表情が明るくなる。

「あっ、二階の宅配用エレベーターです。

不足している分の食器が運ばれてたので持って来ようと思って…」

段々と視線を下に向けていく。

そこには無残な姿になった食器たちがあった。

「マキ、君の給料から引いておくよ」

「ごめんなさい、シャインさん」

シュンとうなだれる。

「いや、その必要はない」

「!」

期待に満ちた様子で主人を見つめた。潤んだ瞳が何かを訴えているようだ。

「スカイ、食器を並べるのを手伝ってくれ」

「はい」

カチャカチャと音を立てながら二人で並べていく。

どういうつもりなんだろう。

横顔を盗み見ながら考えていると、主人が小声で話し始めた。

「なんか可哀想だろ。リリィの案内はしてくれたんだし」

「はぁ」

「なんだ」

自分は何をする気なのかが疑問なだけなのだが、どうやら勘違いしているらしい。

「特に何も言ってないですよ?」

「ったく」

そうこうしているうちに、すべての食器を並べ終えた。

「さてと」

ググっと背を伸ばして、あくびをする。

「始めるぞ」

皿の表面を撫でるように手を動かすと、宙に持ち上げる動作をした。

並べた食器たちが引っ張られたように浮き上がる。

それぞれの破片たちが、元の位置へと戻っていく。

すぐに割れ目がわからなくなり、きれいに重ねられていった。

「ふぅ」

(この人かっこつけてるな)

指を鳴らせば終わるような作業を、時間をかけて直す必要がない。

「うわぁ、ありがとうございます!」

そうと知らないマキが大喜びする。

「じゃ、リリィを探しに行くぞ」

「はい、行きましょう」

返事をして、いつもの通りついていこうとした。が

「いや、スカイはここに。シャインついてきてくれ」

「あ、はい。承知いたしました」

困惑しながらもシャインがおとなしく入口へと向かう。

入れ替わりに主人がこちらへ来る。

「また粗相しないように見張っておいてくれ」

耳打ちされた言葉にうなずいて見せた。

「お気を付けください」

「ああ」

そうして二人が出ていくのを見送った。


「さてどうしたものか」

おいていかれたリリィは思案する。

ラッキーと思うべきか、嘆くべきか。

「ま、いっか」

適当に歩いてみよう。のんびりと歩くことにした。

美しい木目の床や教室の備品、壁の手触りを楽しみながら進んでいく。

校舎内には不思議なエネルギーが満ちているようだった。

子供がいないのに活気がある様な、生きているような感じがする。

「ここに通いたいな」

商人のおじさんと過ごしているときも、屋敷で守られているときも幸せだったけど

ここには私の人生を変える何かがあるような予感があった。

「ん?」

窓から見える中庭に知っている後ろ姿があった。

陽の光がこげ茶色の髪の毛をを柔らかく照らしている。

頭の周りを蝶が飛びまわり、どこか幻想的な風景を醸し出していた。

どことなく寂しそうに見える。

いつもは大きく見えるその背中が、一回り小さいような気がした。

「あ」

今なら驚かせられるかも。

辺りを探って見つけた扉から外に出た。

この学校は扉まで好みだった。塗装がやや剥げてはいるがおしゃれな作りをしている。

自分のアイデアと学校の素敵さに満足しながら、忍び足で、音を立てないように

階段を降りて、慎重に近づいていく。

あと十歩。

済んでのところで、小枝を回避する。

危ないところだった。

あと五歩。

葉や枝が揺れる音にビクビクする。

大丈夫気づかれてない。言い聞かせながら進んでいく。

あと、一歩。

「何してんの」

「ギャッ」

急に振り返られ、バランスを崩して転倒した。

「ハハハハ、草だらけだ。可哀想なリリィ」

頬に手をあて、余裕たっぷりな表情だ。

「笑ってみてないで手伝ってよ、スワッチ」

水路に落ちた私を見て笑ってる場合ではない。一大事だ。

せっかくの洋服が土と草だらけになった。

腹立ち紛れに落ちてた草を投げつける。

「しょうがないなぁ」

はい、と差し出された手につかまって水路から脱出する。

「乾いててよかった」

ふくについた草やら種やらを取り除きながら、胸をなでおろした。

「周囲の状況くらい把握しておくべきだね」

「ニヤニヤ笑うんじゃないよ」

あー、もう、恥ずかしいし、悔しい。

こいつも突き落としてやろうかしら。

ジタバタする私を見て、スワッチは笑みを深める。

「そんな靴で、格好で、草むらで音を消して歩けるわけないでしょう」

言われればその通りだった。

しかし認めるのもしゃくなのでそっぽを向く。

「悪いやつめ」

こちらに向かって手を伸ばす。

不味い。

「あ、ちょっとこしゅぐるのは反則」

警戒して亀のように首をひっこめた。

私は結構なくすぐったがりなのだ。

「違うよ、おいで」

そのままひょいと持ち上げられ、膝の上に座らされる。

「まだ汚れてるのに」

「いいのいいの」

抵抗する私にニコニコしながらそう言う。

って地面に直に座ってたんだこの人。

黒くなったスーツと、背の低くなった草を見て知る。

「ほらいい天気でいい眺めだろう」

辺りに低木が生えているから、外からは見えにくいけど、中からの視界は開けていた。

赤、黄、白、青、ピンクと色とりどりな花と、香り高き風と、小川のせせらぎ。

確かにいい。

「スワッチはなにしてたの?てっきりみんなと一緒かと思ってた」

「あそこに用があったんだよ」

指さすほうに目を向けると、小高くなっているところがあった。

「あれは?」

「歴代の学園長の墓だよ」

「遺体が残るの?」

獣人も半人も、死んだら世界に帰る。つまり何も残らないのだ。

「いや、あそこには名前が彫られていくだけだよ」

どこか憂いを帯びた表情で語るスワッチは、やはりどこかいつもと違っていた。

「会いたいの?」

ばっと驚いたようにこちらを見た。

目を何度か瞬かせる。

「そう見える?」

「うん」

正直にうなずけばスワッチがふっと笑った。

「どうだろう。たくさん怒られたし、厳しかったし、怖かったけどな」

ゆっくりと揺れる体に身を任せつつ、共に空を見上げた。

どこまでも雲のない空が広がるばかりだ。

どれくらい、そうしていただろうか。

「戻ろうか」

スワッチがぽつりと言った。

「いいの?」

「うん、花も供えたし」

もう一度視線をやると、確かに白い月下美人が置かれていた。

「分かった、行こう」

手をつないで校舎へと戻る。

「そう言えばマキはどうしたんだ」

扉を開けながらスワッチが尋ねる。

「ああ、おいてかれた」

「なるほどねー」

扉を閉めて、階段に向かう。

「って、はぁ?」

いきなり振り返ったかと思うと素っ頓狂な声を出した。

「何平気な顔してサラッと言っちゃってるの?」

「だって」

事実なんだからしょうがないじゃない。

「あー、選択ミスったかも。何してるのわが母校」

糸が切れた人形みたいに壁にもたれかかる。

「スワッチ、ここの学校出身なの?」

「じゃなきゃ誰が校長の墓参りなんかするのよ」

ふてくされた表情のまま答える。

「確かに」

言われてみればそうだ。

「リリィって定期的に阿呆だよね」

「なっ」

自分では賢いほうだと思うのだが?

「ちょっともう少し言い方とかあるで…」

「おっ、迎えが来たよ」

頭の向こうを見るスワッチの視線を追って振り返っても、そこには誰もいない。

顔を戻すと、目が合った。

「よいしょ」

そういいながら立ち上がる姿を見て、お互い草まみれだったことを思い出す。

「ちょっと服汚れたまんまじゃん」

校舎内が汚れてしまう。

「大丈夫大丈夫」

「何が、どこが大丈夫なのよ。ヘラヘラ笑ってる場合じゃないのに」

もー、と怒る私を見ても、笑顔を引っ込めない。

不思議なくらい、いつも笑顔だ。

「仕方ない、一旦また外に出ましょ」

「必要ないよ、ほら」

その瞬間、服から土と草が消えた。

湿った感じもせず、においもせず、朝着た時と変わらぬ清潔で

着心地のいい状態に戻ったのだ。

「魔法って便利だな」

「上手に扱えばね」

思わず呟いた言葉にスワッチが言葉を返した。

「じゃあ上手に扱えるように、これからも教えてね」

「はい、かしこまりましたお嬢様」

珍しく丁寧な口調と動作で、お辞儀をした。

その動きがあまりにも美しく、様になっていてリリィは内心驚く。

どこか良いところのお坊ちゃまなのかしら。

それなら楽観的というか、のほほんとしたところにも納得がいく。

「リリィー」

おじ様の声が聞こえた。

声のした方を見ると、おじ様とシャインさんが手を振っている。

「おじ様―」

あらん限りの力を使って、大きな声で呼びかけた。

スワッチと一緒にそちらに向かう。

時間で考えれば一サーア(一時間)ほどしか経っていないのに、久しぶりに会った気がした。

「ここにいたのか」

私の肩に手を置いて、存在を確かめるようにしながら言う。

「私もいますよ」

顔の横で手をひらひらさせてスワッチが存在をアピールする。

「用事は済んだのか」

すこし眉を寄せ、気づかわしげにおじ様が尋ねる。

「ええ、そちらは?」

「道中説明しましょう。あまり遅くなると学園長が心配します」

シャインが歩き出したのに続いて移動を始めた。

学園長室は一階にあるので、移動に時間はそうかからない。

シャインが要約しながら、適切な表現を選んで説明していく。

「じゃあこの学校に通えるってこと?」

期待に満ちた瞳を見て、アスカは少し、罪の意識を感じた。

「一応一週間お試し期間があるけどね」

なんとか笑顔で言い切った。

私は彼女に、伝えていないことが多すぎる。

なぜその一週間が必要なのか、そしてもっと重要な、“ある秘密”を隠している。

それなのに、一丁前に親を気取ってる自分に嫌気がさす。

もう一歩踏み込んだ関係にならなければならないのに、それが怖い。

話してしまったら、二度と超えられない壁ができるのではないかと思って

口を開く勇気が、私には起こらなかった。

「師匠」

スワッチが小声で呼び、遠慮がちに背中に触れる。

「どうかしましたか?」

「何でもない、平気だ」

そう答えたが、心配そうな表情は消えない。

やめてくれ。

自分には、こんな、心配をしてもらえるような資格はない。

その親切さが今の私には辛かった。

「平気だって」

少し苛立った口調になった。

「、、、そうですか」

悪い。

声には出さず、口の中で呟いた。


「せっかくだから買い物もしていきましょうよ」

スノーの提案に、全員が賛同した。

「すぐには用意できないものもありますからね。注文は済ませておきたいです」

リストを眺めていたスカイが顔を上げる。

「じゃあそうするか!」

「「おー」」

スワッチとリリィが拳を突き上げた。

「あ、でもうちの商会で用意できるものがほとんどです」

盛り上がった空気にスカイが水を差す。

「どれ見せてみろ」

リストを受け取り、上から順に確認していく。

記憶の中の取扱品目と照合してみると、確かに全て該当している。

「言うとおりだな」

ええ、とスカイが頷く。

「おじ様ちゃんと働いてたんだ」

後ろから聞こえてきた言葉に二人で固まる。

「も、もちろん。ねっ?」

「えええ、もちろん。二人でね、こう仲良く、協力して」

「うんうん」

急にワタワタし始めた二人を見てリリィは不審に思った。

おじ様はスカイさんに何か目配せしてるし、スカイさんも目が泳いでいる。

両者ともあまり屋敷から出ているところを見ないし、おじ様に至っては部屋にいるところは見ても、働いているそぶりなど全く見たことがない。

どうやって暮らしているのか不思議に思っていたくらいだ。

「商売で稼いでるの知らなかったから。もしかして何かおかしなこと言った?」

純粋に、疑問に思ったように尋ねる。

「いや、別に」

「当然疑問に思うことですから」

やけに素早く答える。

何か隠しているな。リリィの感はそう告げていた。

「ねぇ…」

核心をつこうとしたところで、いつの間にかどこかへ行っていたスワッチが

両手に荷物を抱えて、さらに何か紙を握りしめて走り寄ってきた。

「これ見てーー!」

綺麗に整えられた石畳の上を予想以上の速さで駆け抜ける。

近づいてくるにつれ、油と香辛料の匂いが漂ってきた。

口の中に唾がわき、グ~とお腹がなる。

「何ですか、落ち着きのない」

まるで母親のような口調でスカイさんが言う。

ちなみみにリリィに母親の記憶はないので、あくまで想像に過ぎない。

少し冷たくて、ぶっきらぼうだけど、慈愛に満ちているのが母なのだろうと見当をつけているだけだ。

「建国祭の前夜祭、明日やるんだって」

みんなで行かない?と、この世の幸福をすべて集めたような笑顔でいう。

「行きませんよ」

「ああ、行かないな」

「人混みはあまり好きじゃない」

三人から却下され、ガクリと肩を落とす。

「じゃあ後夜祭に…」

「駄目だといってるだろう!」

おじ様が突然声を荒げた。

スワッチが驚いたように目を見開く。

「祭りには行かない」

呼吸を落ち着かせながら、今度は静かに言い切る。

「どうしてです?」

珍しく食い下がって尋ねる。

「どうしてでもだ」

そう告げると愛想なく、背中を向けて歩き出す。

「師匠」

なおも追いすがるように呼びかけると、見たことがないほど恐ろしい表情でふりかえった。

「スワッチ、いい加減にしないか!」

ビクッと肩を震わせ、リリィは思わずスノーの腕を掴んだ。

無自覚だったが、スノーもリリィの肩に手を回した。

そのまま寄り添うようにくっつく。

「いい加減にするとは、何のことです」

眉に軽く力を入れ、小首をかしげる。

「本当にわからないのか?」

低く、よく響く声で尋ねても、スワッチの表情は変わらない。

本当にわからないのか、とぼけているのかリリィには分からなかった。

リリィはただ震えていることしかできない。

「お二人とも、やめてください」

そう言うスカイさんの声は震えていた。

スカイさんから見ても、この状況は異常なようだ。

スワッチはこちらを向き、おじ様はスワッチを睨んだ。

「僕は別に悪いことしてないよ。ただ師匠がひ」

言葉の途中で、スワッチの姿が消えた。

最初からそこにいなかったように、跡形もなくだ。

「スワッチー、スワッチ!」

呼んでも、叫んでみても、返事はない。

「っ、将軍!」

スノーさんの呼ぶ声で、おじ様がいないことに気がつく。

「おじ様―、スワッチー」

二人の名前を呼んでも、いつもの笑顔を見ることも、返事を聞くこともできない。

二人とも、消えてしまった。

「どうしよう」

「大丈夫ですよ」

頭を抱えてうずくまったリリィに優しくスカイさんが言った。

上を見上げると、ぼやけた視界にその姿が映った。

「大丈夫です」

もう一度、安心させるように言う。

「本当?」

スカイは力強くうなずいてみせてから、また口を開いた。

「お嬢様は初めて見るかもしれませんが、あれは転移をしただけですから

二人とも無事なはずです」

「良かったー」

安心したように溜め息をつくお嬢様を見て、スカイは安心する。

同時にこのような事態にした二人を恨んだ。

(一体どういうつもりだろうか)

今は姿の見えない、アスカとスワッチの胸中を想像するしか、今できることはなかった。


ひゅんと微かな音が聞こえたと思うと、書斎に二人の大人が現れた。

姿勢を崩すことのない、見本のような転移の仕方だ。

「同意なき転移は触法行為ですよ」

服の乱れを直しながら、普段より三音ほど低い声でスワッチが言った。

「スワッチ、お前どういうつもりだ?」

飾られた壺が、カタカタとなるくらいよく響く声だった。

拳は固く握られ、震えている。

「どういうつもりとは、どういう意味です?」

「お前はさっきからそればかりだな。いい加減にしてくれないか、イライラする」

髪をかきあげ、溜め息をつく。

反対にスワッチは肩をすくめた。

「では逆にお尋ねしますが」

闇夜に浮かぶ満月のように、怪しく金色の瞳が光った。

「師匠はどうする気なんです?リリィのこと」

「どうするもこうするも、娘として育てるに決まって…」

「ではどうしてあのような提案を受け入れたのです?

私でも、スカイでも、スノーでもなくほかでもないあなたが、保護者であるあなたがっ」

剣幕に押されて、アスカが押し黙った。

話は学園長室での調印にさかのぼる。

「ではお嬢さんここに手を乗せて」

シャインが説明をしていく。

「本当にこの学校に入学したいのなら…」

「もちろん、入りたい!」

あ、と遮ってしまったことに気がついたリリィが赤面する。

「ふふ、大丈夫ですよ」

周りの大人たちに笑われて、ますます熟れたトマトのように赤くなった。

「手を乗せて」

シャインが手を取り、紙の上に置く。

「気持ちを込めて、そう上手です」

ほの白く光ったかと思うと、無事に名前が記入された。

「わっ」

全ての欄が埋まった書類がリリィの前を勢いよく横切って宙に浮いた。

そのままフルフルと細かく震えながら、輝きを増していく。

「あとは校舎が認めれば、入学手続きは終了になります」

祈るように全員が見つめる。

まぶしくて目が開けられないほどになった時、スッと天井に吸い込まれていった。

コロンと床に何かが落ちる。

「何これ」

幼い少女の手に収まるほど小さな石だった。

雪のような透き通る白とリリィの瞳に似た紫と若々しく生命力にあふれた緑が混ざった

見事な石だった。内側からほのかに光っているような輝きを持っている。

「入学を許可されると学校から贈られる魔石です。使い終わったらペンダントにして

制服と一緒に身につけるのが慣習…」

シャインの言葉が途切れる。

頭上を見上げると信じられないといった顔をして手の中を見つめている。

「こんなことって…」

学園長のほうへ顔をやった。

「ああ、わしも驚いとる」

細い目を開いた。

何かおかしな点でもあったのだろうか。

もしかして入学できないのだろうか。

リリィは不安に思いはじめる。

おじ様を見ると、ぱちりと目が合った。

「何か問題でもあったのです?」

「いえ、問題というか」

その、とシャインが返答を濁らせる。

「混合色は珍しいのです」

学園長が代わりに答えた。

「珍しい」

「ええ、二色ならまだ経験がありますが、三色は初めて見ました。

それに魔石の持つ魔力量が桁違いです」

思わず手の中にある綺麗な石を見つめる。

たしかに生きているような、魔力の波動を感じた。

「本来なら、制服を作るのに必要なくらいの魔力しか持っていないはずなのです」

訝しげな表情でこちらを見た。

なんだか悪いことをしたような気になる。

「これが何を意味するのかはわかりません。よくない兆候でなければよいのですが」

やれやれと首を横に降った。

「春帯彩みたいだね」

暗くなった空気を打ち破るように明るい声でスワッチが言った。

「春帯彩?」

「そういう翡翠があるんだよ」

こんな感じ、と天井に映し出した。

「そっくりだー」

リング状になっていたけれど、色味といい、質感といいよく似ていた。

「珍しいから縁起がよいといわれてるんだよ」

顔を見るとニコッと笑ってくれる。

それだけで、胸を押しつぶしそうになっていた不安が軽くなった。

「やはり先ほど話していた通りの処置をとったほうがよいのではないでしょうか」

シャインが遠慮がちに口を開いた。

「先ほど話していた処置とは、何です?」

アスカと目を合わせたスカイが尋ねる。

リリィも興味津々だ。

「学校生活がより快適なものになるように、私たちが考えたものです」

メモ書きですが、と紙片をアスカに渡した。

受け取ったアスカが読み始め、大人二人も背後からのぞき込む。

紙には教師・生徒への説明、魔力使用の禁止、コンタクトレンズの着用…といった項目が

並んでいる。

紙が見えない。

背伸びをしていたリリィは不満に思った。

「ねぇ見せてよ。私にもかかわることでしょ」

唇をとがらせて訴えるとおじ様が紙を下げてくれた。

これでやっと読める。

どれどれと紙に目をやったタイミングで、スワッチが紙を取り上げた。

「ちょっと」

「これは大人の秘密だから、ねっ?」

背中に紙を回し、ウインクする。

スワッチがそう言うとそんな気がしてくるから不思議だ。

「師匠は内容について思うところありましたか?」

くるりと体の向きを変え、アスカに尋ねる。

「いや、妥当な判断だと思ったが」

首の後ろを触りながら答えた。

シャインに紙を返し、こちらに来ていたスワッチが動きを止める。

「本当に?」

信じられないように、何だか懇願するように詰め寄る。

アスカがわずかに眉をひそめた。

「ああ、安心して過ごせるようにするには、妥当な処置だと思った」

「、、、そうですか」

諦めたようにふいと顔を背ける。

「戻りました」

そのタイミングでスノーとアロニアが部屋に戻ってきた。

直前の会話はそのままなかったことになり、おかしな空気も消え去った。

「じゃ、帰るか」

「ええ、そうしましょう」

にこやかに会話を交わす二人から、これから起こる喧嘩の前触れなど感じられなかった。


「私の何が問題だったと?」

苛立ったようにつま先でカーペットをいじりながら聞く。

「本当に、分からないと?」

詰問するというよりかは哀願するようにもう一度尋ねる。

「ああ」

そうアスカが言い切ったとたん、糸の切れた操り人形のようにスワッチがソファに腰を

おろした。うつむいたまま動こうとしない。

「いい加減話してくれないか」

向かいの椅子に座って足を組むアスカは、かなり我慢の限界だった。

落ち着きなく、体を揺らしている。

「…た」

スワッチがアスカでさえ聞き取れないようなボリュームとトーンで

ぽつりと何かを口にした。

「何だ?」

耳を口に寄せ、もう一度尋ねる。

するとスワッチががばっと顔を上げる。

「おい危ないじゃないか…」

「止めるべきでした!彼女は魔力を持った、オッドアイの少女なのだと、

人間の女の子なのだと、私の自慢の娘なのだと止めるべきでした」

文句を言いかけていたアスカが固まる。

視線はスワッチの顔で止まったまま、瞬きだけが生きていることを知らせている。

「それは」

「オッドアイだから何なのです?魔力を持っているから何なのです?

魔力持ちだからこそ、オッドアイだからこそリリィなのだと、どうして言ってやらなかったんです?」

先ほどの動作のまま何も返せないアスカを見て、スワッチは感情を抑え込もうとするように、はたまた馬鹿にしたように笑う。

「何か言ったらどうです」

僕を納得させてくださいよ、と師匠の肩をつかんで揺する。

「あなたはそんな人じゃなかったでしょう」

「…そんな風に思ってたなんて気づかなかった」

情けないほどかすれた声で、絞り出した答えはそれだった。

「はっ」

今度こそ馬鹿にしたようにスワッチが息を吐きだす。

「今大切なのは僕の気持ちじゃないでしょう」

教えを乞う生徒のように柔順な動作でアスカが顔を上げる。

「学校が始まったら、賢いあの子は違和感に、そして正体に気付くでしょう」

そのとき師匠はどう答える気です?

静かに問われたその問いにも、アスカは答えることができなかった。

「裏切られていたと知ったら、自分のルーツをゆがんだ大人から伝えられたら

どれだけ悲しいか想像できますか」

「!」

信頼していた大人に裏切られたとき、大人が思っているよりも子供は傷つく。

それは自身の経験からも知っていることだった。

「私は…、同じことをリリィにしようとしていたと?」

うつろな視線で呆然と呟く。

その姿を見て、スワッチは胸が痛んだ。

だが同時に、師匠の中で違う思いが育っていることにも気づいていた。

「それでも知られたくない、教えたくないという気持ちはどうしたらいいんだ」

独り言にも、質問にも聞こえる発言に応えるべく、スワッチは口を開いた。

「秘密があれば家族ではないんです。

その覚悟がないなら中途半端に関わらないでください」

あえて厳しい口調で告げる。

しゅんと項垂れた男の背中を押すために、一言付け加える。

「みんなが不幸になりますよ。師匠とリリィだけでなく周りの人まで。

今リリィはあなたを試しています、本当に家族になっても良いのかと試しているんです」

スワッチが口を閉じても、声が完全に部屋に吸い込まれても、アスカは黙っていた。

市場にいたときには晴れ渡っていた空が、今ではどんよりと曇っている。

「師匠が言わないなら、僕が言います」

「それはダメだ」

屋敷に戻ってから一番の反応で否定した。

「なら一か月以内に話してください」

「一か月?」

そんなに早いの?とでも言いたげな表情だ。

整った眉が下がり、悲しそうな瞳で見つめてくる。

「ええ、一か月以内に師匠が話せなければ僕から伝えます。

一か月程度ならまだごまかしが効きますから」

「…わかった」

しぶしぶといったようにアスカが了承した。

「約束ですよ」

片手をあげて手のひらを向ける。

アスカがそれに手を合わせ、互いに指を組んだ。

「はい、約束完了」

重ねた両手から、ほのかに光がともったのを確認してスワッチが言った。

ふふと笑うスワッチを見て、アスカはうまく転がされたことに気が付く。

「いや、お前にはかなわんな」

額を手でさすりながら、苦笑する。

いつの間にか、空からまた光がさしていた。

「ま、いいじゃないですか。早く三人のもとに帰りましょう」

「あっ」

今頃、怒りに任せて転移してきたことを思い出すアスカであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ