第十七章
人生を大きく変える瞬間はいつだって突然でその選択や決定をする権限はこちらにないことがあまりに多い。朝、何となく嫌な予感がしたらいいほうで、どれだけ覚悟してもしていなくても、その瞬間は一瞬にして訪れる。
諦めとも呆れともとれるこの考えは、王子がその生涯のうちに身につけたものだった。
パチンと、ハサミの音がする。
国王が管理する気持ちの良い青空の下、王子はいつものように庭園の手入れをしていた。
白く輝く邸宅を背景に、花々が競うように己を咲かせている。屋敷を囲う柵のように自由に伸びた植物たちは、外から見ても十分に美しい。だが中の光景を見たら、貴婦人たちは嫉妬に狂うことも忘れて見惚れてしまうことだろう。
なにしろ花の王子と讃えられる美貌を、花々が取り囲んでいるのだから。陽の光に輝き風になびく金髪、知的に光り最高級の宝石にも勝る翠緑の瞳、先までバランスの良い手足。それらは木々に守られて覗き見るとこは叶わない。だからこそ人々の関心を誘うことに、王子は未だに気がついていなかった。
ひょっとしたら、美しいことにも気がついていないかもしれなかった。白いブラウスに黒いスラックスは、彼が自分を着飾ることに熱心ではないことを示している。
「どの子がいいだろうか」
室内に迎え入れる花を、王子は考える。
外の方が向いている子を中へ入れるのに抵抗はあるが、仕方がなかった。
少し迷って選んだ花を手に取り、小道を辿って屋敷に戻る。使用人を雇っていない屋敷の廊下は、ただ静かに王子の靴音を響かせた。
クレヴァスは、ある時を境に使用人を雇うのをやめた。来客は滅多になく、もてなすくらいは自分だけでもできた。王族として育てられたとはいえ、王宮で育ったわけではない。
身の回りの事は、自分で出来るのだ。
ふと、胸騒ぎがして外を見た。
ステンドグラスを一部にはめ込んだ窓は、柔らかな陽射しを屋内に届けている。
「気のせい?」
わざと明るく呟くと、そのまままっすぐ進んでいく。途中まで編み込み、それらをさらに1本の三つ編みにした髪が王子の背中で楽しげに揺れる。王族の証であるこの髪を、王子は腰ほどまで伸ばすのが習慣になっていた。
花を持ち地下室へと続く階段を下ると、ひとりでにランプがついた。満足に魔法の使えない王子のために、アスカが贈ったものだ。この屋敷の半分近い調度品は、アスカが王子の婚礼祝いに送り付けたものといっても過言ではない。
細く柔らかな光が漏れる扉を前に、クレヴァスは1度深い深呼吸をした。瞳を閉じて、全身の空気を入れ替えるように深くゆっくりと。
仕上げは笑顔。
老若男女問わず従わせてしまいそうなとろける笑みをつくって扉を開く。
「おはようスワン!今日はすごくいい天気だよ。鐘が鳴らなかったから、きっと明日も晴れだ。君が前に好きって言ってた黄色の薔薇をつんできたんだ。どうかな?」
吸った息を一度に吐き出すかのように話すと棚の上の花瓶に花をいけた。万が一にも傷つけたりしないように、棘を切り落としておいた。王子が自ら品種改良をした、一年中咲く薔薇。細くて軽い花瓶の中で、静かに匂いを漏らしていた。
「スワン?」
毎朝、今日は違うんじゃないかと思う。
目覚めもいいし、天気もいい。
こんななんでもないような日々に、サプライズって起こるんじゃないかと。
君が僕の瞳を見て、笑ってくれるんじないかと。びっくりした?って、いたずらっぽく笑うんじゃないかと。
毎日そう、思ってる。
「スワン?」
振り返るのに、勇気がいった。
ただ少し首を回せばいいだけなのに、全身の力を込める必要があった。
薄暗い地下室にそぐわないピンクのヴェールで作られた天蓋式のベッド。そこにぼんやりと、王子の妻であり、隣国プネウマの王妹のエルフ、スワンが座している。
兄コクウと同じ水晶のようなブルーの瞳は、壁とも天井ともつかない宙ぶらりんなところを見つめていた。腰まで伸びる星空のような銀の髪、天に向かってピンと伸びた耳、小さなつくりの鼻と口、その薄い唇から零れる笑みと白い歯は自国の民に愛されてきた。可憐な容姿とは裏腹に、兄譲りの武芸の才を持ち、弓矢に関しては将軍と張り合えるほどと評される腕前があった。
初めて会った時、触れたら壊れてしまいそうだと思ったことを、王子は生涯内緒にするつもりでいた。そんなことを言ったら、彼女はきっと怒るから。
完全なる一目惚れだった。
この世にこんなにも美しく、煌めいている人がいるのだと驚いた。光っているように見えたのは、彼女の周りに多くの精霊たちがいる
からだと知っても熱が覚めることは全くなかった。政略結婚の側面はもちろんあったが、お互いの意思を十分に確認されたものだ。
義理の兄にあたるコクウなんかは、1サーアの間にどれだけ聞くのだろうと思うくらい尋ねていた。妹を溺愛していた彼は、この屋敷を立てるために1から材料を運び、そのために軍隊をつかい、危うく軍事問題になるところだった。
常に輝いていた瞳は今、何も見てはいない。
スワンの心は愛娘を失った時に壊れてしまった。ただの壁、日差し、音。それら全てに思い出を見いだして泣き叫ぶだけ泣き叫んで、悲しみにくれるだけくれて、ある日プツンと切れたように反応しなくなった。一過性のものだと、克服したら元に戻ると言った医師は既に屋敷に来なくなっていた。王子にできるのは刺激を与えないようにしながら見守ることのみ。新たに地下室をつくり、最低限生活できるように環境を整え、毎朝挨拶をする。
そんな生活がもう800年になる。
16歳で婚姻をあげ、21歳の時に娘を失った。
夫婦の幸せな時間はたったそれだけだった。
800年前に、人間、鳥族、蛇族、狼族、一部の王族を中心とした大反乱が起きた。その際にかけられた呪いにより、国民はみな短命になった。獣の姿に変身することができなくなり魔法が使えなくなり、牛の一族は獣の姿から戻れなくなったことによって食料へとその地位を落とした。国神シグリットの加護に守られた者と僅かの強者は逃れたものの、背負った代償は大きかった。ゆえに現在その当時を知っているものはほとんどおらず、また話そうとするものもいないのだ。1人の怒りによって、ふたつの種族が滅ぼされた時のことを。
運命の日。クレヴァスは屋敷の外にいた。
妻と子供に動かないようにと厳しく伝え、外にいたのだ。外に、いたのだ。
どうしてあの時守ってあげられなかったのだろう。どうしてそうなることを予測できなかったのだろう。どうして、娘のシャインは、まだ4歳のあの子は、安全なところからでてしまったのだろう。どうしてとめられなかったのだろう。止められたら、止められていたら
失うことなどなかったのに。妻の光を奪うことはなかったのに。
気が緩むとそんな後悔達が頭をのぞかせる。
シャインは、長く生きられないかもしれないと言われていた。エルフと獣人の間に生まれた子供は、その生命力や魔力に幼い身体が耐えきれないから。シャインは父親譲りの獅子の耳に、母親譲りのブルーの瞳をしていて、
全身はなんと真っ白の毛をした神子だった。
顔のパーツは両親の一部をそっくり受け継いで、親の欲目を抜いてもとてつもなく愛らしい子供だった。母親と同じく精霊に好かれていたから、あの子の周りはキラキラと輝いていた。神力が他の人よりも多かったのも、その一端ではないかと医師は言った。
屋敷の中心でみんなに愛されたあの子は、あの日生涯で味わったことの無い苦痛を経験したことだろう。
「っ!」
連絡を受けて駆けつけたクレヴァスは、己の正気を疑った。床の上に寝かされているものが、自分の娘だとは到底信じられなかった。
こんな終わり方を受け入れろという方がおかしかった。
ただ敷布の上に付いた血痕から、それが元々生命のあるものだったことはわかった。そしてそれが二度と生き返ったりしないことも。
僅かに残った白毛と瞳で、あぁきっと私の娘なんだろうと、ぼんやりとそう思った。
いや今だからそう思うだけで、その時はよく把握していなかったようにも思える。
だからこそ、私は選択を誤った。
娘を布に包んで屋敷に帰った時、妻に鉢あってしまった。
「それは何?」
期待と恐れが混じった声で尋ねた妻に、私は咄嗟に気の利いた返しができなかった。
妻には、一瞬でそれが何かわかってしまったらしい。エルフの俊敏性をいかして包みを奪うと、そっと丁寧に開いた。
娘だったものに対面した妻は、声が出なかった。しばしの静寂の後に上がったのは、屋敷を突き破るような悲鳴だった。
「なに?あれは誰なの?何なの?ねぇ違うでしょ?ねぇ答えて!あれは何?何なの?」
誰よりもよく答えを知っているだろう彼女はそう言って質問攻めにした。俯くだけの私を見て、あぁと小さく漏らし、また包みに目を向けた。
干からびたような、溶けたような、どロリとした灰色がかった物体に、白い毛が混じったような姿だった。それならまだ良かった。
自分たちの娘だと認めなくて済んだから。
でもその瞳が、母親譲りの透き通ったブルーの瞳だけがシャインだった。その小さな身体に受けた苦痛を表すように苦しげに歪み、今にも泣き出してしまいそうな瞳は、紛れもなく娘のものだった。
「……すまない。すまなかった」
短いと言われていた命でも、もっと有意義な時間を過ごせただろう。そんな目をするほど辛い思いをさせずに済んだだろう。私が、私が外に出たりしなければ、見守ってあげられたかもしれないのに。
妻はしばし放心したのち、夫であるクレヴァスを責めた。どうしてあの日一緒に居てくれなかったのかと、警備を厳重にしてくれなかったのかと泣いた。次に母親である自分を責めた。食事の用意をしている間目を離した自分を、遠くまで探しに行かなかった自分を責めた。その次は使用人を疑った。屋敷のセキュリティは、内部のものの記録が残らない。
娘を外部に引渡し、何食わぬ顔で戻ってきても、バレはしないのだ。妻の目には全員が怪しく写った。
スワンは日光を嫌がるようになり、子供の声を探すようになり、精霊と話すのをやめてしまった。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。
反応しなくなってしまった。
食事を初めとする一切の生命を維持する活動さえしようとしなくなった。これには兄であるコクウも対処が分からないと言って嘆いた。屋敷から離れることだけは拒絶するのでそのままクレヴァスと二人だけで暮らすことになった。僅かに口にする果汁と、魔力、精霊達の加護によって、スワンは生きている。
あの反乱があった日、世継ぎが死んだことでクレヴァスは再び王子になった。そして現在の国王シャルルが生まれたことにより再び王子の座を追われ東の長となり、こうしてまた王子になっている。元来王の後を追ってその座につこうと思っていた訳では無いから、どちらにしたって良かったわけだけれど。
つかみかけた幸福は、その手から滑り落ちている。
再び庭園に出た王子は、娘の祭壇に使う花を選んでいた。死体の残らないはずの王国で、シャインの亡骸は呪いのように消えなかった。それでも祭壇は建てた。祭壇を作る時、王子は亡くなった月よりも早くに用意することにしている。自分が死んだ事実を故人に突きつけるのは酷だから。彼女を思う気持ちが屋敷に残っているときに帰ってきてくれるのが1番いい。そう思っている。
今年の分は終わったけれど、また来年のものを決めておかなければいけない。心から冥福を祈るような、そんな花でなければ。
「屋敷の近くに10名ほどの第1師団」
目の前に表示されたメッセージを見て、王子は僅かに目を開いた。厳重に作り直した警備システムが作動することは滅多にない。
朝感じた胸騒ぎは、この事だったのだろうかと首を傾げる。このまま特に屋敷に用がなければ杞憂のまま終わるのだけれど。
天が願いを聞き届けてくれることなんて、滅多にない。首から下げている国神シグリットを象った虎の笛を握りしめ、その時を待つ。
瞳を閉じて風の音に耳を傾けると、カンカン、と門が叩かれる音がした。
「はい」
伸びやかな、男性にしては少し高い声。
支配者に多いよく通る声は、良くも悪くも目立ちやすかった。
「どうされましたか?」
黒い鉄でできた門を開くと、報告通り12名の揃いの紺の軍服をまとった第1師団が立っていた。みな天から紐でつられているかのように姿勢が良い。若いクマの半人が進み出て、ゆっくりと礼をした。
「突然の訪問というご無礼をお許しくださいクレヴァス様」
「どうぞ中へ」
「失礼いたします」
第1師団の団員達は庭園の中に足を踏み入れ、一瞬だけ辺りを見渡す。もっと見てほしそうな花々が無視されて悲しんでいるかもしれない。そんな変なことを王子は考えていた。
年齢も種族もバラバラなのに、不思議とおかしな気はしない。誇りと忠誠心が揃っているからだろうか。思考が滑るのは、嫌な予感がするからだろうか。
「クレヴァス様」
「なんです?」
「失礼いたします」
バサリと音を立てて背中から筒を取りだした彼は、そのまま筒を開いた。
なかから空中へと出てきたのは魔法を施した布。王家の紋章に光が走り、国王シャルルの姿が浮かび上がる。
「!」
「急ぎのためこのような手段をとったことを初めにお詫びいたします」
「いえ、とんでもございません。陛下」
最大の王国の国王なのにそう言って頭を下げるところが、強さであり弱さであり良さだった。録画されたもののようでクレヴァスの反応にはなんのアクションも返さない。
「今からあなたには、大切な役目を授けます」
ザッと片膝をつき、胸に手を当てる。
何も引いていない地面は少し痛かったが、体が自然と動いていた。そのまま顔を伏せ、次の言葉を待つ。
「クレヴァス・ラウール・ベア。王子の任を解き、西の長となることを命じます」
空気から、第1師団の面々が驚いていることがわかった。彼らも内容までは知らなかったのか。いや、だとしたらあの時点で私のことを王子ではなく名前で呼んだ理由がわからないような……
「つつしんで承ります、陛下」
王の後に控えていなくてもいい。
それは王子、西の長クレヴァスが長年望んでいたことだった。
「あなたになら、安心して西の国をまかせることが出来ます。よろしくお願いしますね」
柔らかに微笑む姿で、映像は途切れた。
もとの青空と、風でなびく草花の音や香りが戻ってくる。ほっと肩の力が抜けたのを見ると、知らぬ間に緊張していたらしい。温かな光の下で伸びをし、全身に力を巡らせる。
明日からは西の長なのだ。
北の国は資源に恵まれ、東の国は商いに恵まれ、南の国は人に恵まれ、西の国は芸に恵まれているといわれる。
西の国は神子が集う地域でもある。
故に長の責任は重大。
時によって長が王と呼ばれるのはそのためで
力量も人望も問われる。
「やれるだけやるしかない」
望んだことならば、なおさら。
西の国は歴史書が多いことでも有名だ。
個人的な趣味として行っている史実の解明や研究も捗るかもしれない。
妻や花々のことをどうするか考えながら、王子は第1師団を見送った。




