十四章
なにか争うような声がした気がして、リリィは目を覚ました。審判から解放され緊張が解けたのか、帰ってすぐ眠ってしまったのだ。
「ダガー様、困ります。今は誰もお通しすることは出来ません」
「なんだと?」
不機嫌そうな男の声と、かすかに震えたレディの声がした。柔らかいラグの上に足をおろし、服のシワを整えてから部屋を出る。
「睨んでもいけません。アスカ様の言いつけですから」
廊下の角から覗くと、気丈に訴えるレディを冷たく見下ろしているダガーはが見えた。審判で見たままの、明るい茶色スーツを着て、赤みがかった髪をかきあげた格好だ。
均整の取れた肉体と整った男らしい容貌だけを見れば良いのだが、何しろ全身から滲み出る性格の悪さ・傲慢さがそれらの取り柄を打ち消している。
「うっ」
「!」
ダガーはレディの小さな頭を鷲掴みにすると
なんの躊躇もなく宙につりあげた。
「醜い、卑しい半人の分際で、俺に説教だと?笑わせてくれるなよ」
凶暴さをコントロールしやすいよう半人の姿をとるよう言われている彼だが、獣人である己を誇りに思い、それ以外の種族は虫けらほどの価値もないと考えていた。プライドを激しく傷つけられたダガーの怒りが、真っ直ぐにレディをつらぬく。
「やめて」
思わず飛び出したリリィと、レディの視線が合う。
「出てきてはなりません」
ふん、となんの興味もなさそうにその身体を軽々と放り投げる。
「レディさん!」
玄関の扉にあたって転がる彼女に駆け寄ると、弱々しく瞳を開けた。
「お逃げ下さい」
「逃げるのはお前じゃないのか?」
ダガーは楽しそうに笑った。
それはもう無邪気な笑顔だった。
心底、このやり取りが楽しいというような、そんな顔だった。この状況でなければ見惚れたいほどだった。
「信じられない」
こんなに歪んだ人は初めてだ。
体の中が火であぶられているような怒りに満ちていく。さっきまで怖かったのが嘘みたいだ。すくっと立つと、真正面から対峙する。
思いっきり睨みつけると、ダガーは口の端を吊り上げた。
「やる気か、小娘が」
濃度の高い魔力が、リリィの周囲を覆い始める。遠くから見れば、その周りだけカゲロウのようだった。
「ダガー様」
一触即発の危機に駆けつけたのは、離れにいたスカイだった。走ってきたのか、わすがに方が上下する。
「久しぶりだな、スカイ」
「お久しぶりです。こちらにはなんの御用でしょうか」
サッと自分の背にリリィを隠しながら、スカイが問うた。
「親愛なるアスカ様が養子をとったというから、顔を見に来たんだよ」
さっき審判の間で会ったはずなのに、それには触れずに続けた。
「まさか、オッドアイの小娘がここにいるとはな」
リリィを後ろに隠したまま、スカイがにこやかに答えた。
「驚かせてしまい申し訳ありません」
その瞳が、気遣わしげにレディを見る。
「どこから来たんだ」
「商人から引き取ったと伺いました」
「そうか」
納得したように頷くダガーの様子に、スカイはこっそりと詰めていた息を吐いた。
「お忙しいでしょうから今日はもう帰られた方がよろしいのでは?」
「主人でもないのに客人を帰すのか?
屋敷は歓迎してくれているぞ」
事実、屋敷は抵抗していなかった。
否、出来なかったのだろう。
通常の防護モードではダガーほどの実力者を追い出すことは出来ないのだ。
「勝手に押し入ろうとするような方は、客人ではございません」
内心の焦りを隠しながら、スカイは答える。
自分と同じシェンの名を名乗れることに浮かれた主人は、早速手続きと王族貴族への説明に行ってしまった。
「アスカ様からは誰もいれるなと申し付けられております」
その時、ダガーの厚い手が勢いよくスカイの頬をぶった。物凄い音の後、細身の体が壁にたたきつけられる。
「スカイさん!」
「どいつもこいつも偉そうに」
ギリギリと歯を鳴らしながら呟くと、呻きながら起き上がろうとしていたスカイの側頭部を踏みつけた。
「あぁっ」
苦しそうな声を上げるスカイに構わず、ダガーは底の高い靴にかける力を上げる。
端正な顔は苦痛に歪み、白い頬に一筋の血が流れた。
「そんなに奴が偉いのか?あ、どうなんだ」
「もうやめて!」
固まっていたリリィはダガーに駆け寄ると、小さな体で一生懸命に押す。
「なんだ?」
痛くも痒くもないダガーは鼻で笑うと、リリィに尋ねた。
「離れて、私の大切な人から離れてよ」
まるで駄々のような訴え方だったが、本人はいたって真剣だった。
「嫌だと言ったら?」
「撃つ」
即答したリリィの目には幼子とは思えないような殺気が宿っていた。
「ほう」
オレンジがかった目を細めると、ゆっくりと口角を持ち上げる。
「ではやってみろ。お前の能力がいかほどのものか知りたかったところだ」
「は?」
なぜか近づいてくるダガーに困惑したリリィは思わず一歩引いた。
「何言ってるの?」
「そのままだ。お前は俺ののここに、魔法弾をぶち込めばいい」
ここ、と言ってダガーは己の心臓あたりを拳で叩いた。狂気とも言える冷静さだ。
またゆっくりとこちらに近づいてくるのに、リリィは見ていることしか出来なかった。
恐れてしまっているのだ。
そばにいるレディやスカイを傷つけること。
そして心の底が分からない、ダガーのことを。
「!」
ハッとした時には、もう目の前だった。
咄嗟に魔法弾を放とうとしたリリィの腕を容易く捻りあげると、冷たい床へと押し倒した。リリィの側面に座るようにして、片手で動きを制御する。
「っ!離して!」
「捕まえた」
そう言って伸ばされた手が、リリィの頭に触れることは無かった。
屋敷が唸り声のような声を上げ、ダガーを廊下の端まで吹き飛ばしたからである。
重圧の消えたリリィが起き上がると、屋敷は守るようにダガーを家具で拘束する。
樹でできた大きなタンスは二人の間に立ちはだかり、飛んできたナイフが服を床に縫いとめる。皿たちは警戒するかのように旋回し、床は盛り上がって起伏を複雑にした。
この屋敷に指示を出せるのは、魔力提供をし且つ屋敷が認めたものだけである。
アスカか、または、、、
「スワッチ!」
駆け寄ったリリィをしっかりと抱きとめると、スワッチはいたずらっ子のようにウインクした。
「ただいま、なんだか賑やかいね」
片手で抱き上げると、倒れている2人に目をやる。
「これは、彼がやったの?」
いつもと変わらないニコニコの笑顔。
でもその裏になにか冷たいものを含んでいるようだった。瞳の奥に、怒りが見える。
「そう、そうなの。急にワッて来て、レディさんもスカイさんも、グリグリって」
「大丈夫だよ」
堰が切れたように話すリリィを優しく止めると、丁寧な手つきでおろした。
「全部、僕が解決するから。よく頑張ったね、偉かった」
そう言って頭を撫でる。
「違うの、私なんにも出来なくて。いっぱい特訓してもらったのに、見てることしか出来なくて。見てただけでなんにも、なんにも…」
悔しさで滲む涙は、小さな頬を伝って床へと落ちていく。こんなときに臆病で、ちっぽけな、何にもできない自分が嫌になる。
荒々しく手の甲で涙を拭き、大きなため息を吐いた。それでも、胸中の思いが簡単に消えることは無い。
「怖かったね」
「うん」
「つらかったね」
「うん」
「頑張ったね」
「ううん」
頑固なリリィの態度に、スワッチは思わず笑みをこぼした。護衛として使っていたロンロンはまだ点検中で、警護が甘くなっていたのはこちらの落ち度だった。
「ぶちのめしてやるから、大丈夫」
もう一度だけやさしくなでると、スワッチは悠然と立ち上がり、育ちの良さをうかがわせる足取りで進んだ。
全ての元凶を懲らしめるために。
無詠魔法によって、リリィと自分の世界の時間差をいじる。本当は転移の方が楽なのだが、それでは残される彼女が不安がるだろう。倒れている2人に起きられると面倒だから治癒魔法をかけないという冷徹さと、どこかチグハグな印象を受ける対応だった。
「子供には、さすがに見せられないからね」
いつも首に巻いている金のネックレスを外すと、スワッチは将軍の姿になった。外したものをそのまま胸に着け、N字に垂らす。
つかつかと近寄ったかと思うと、次の瞬間蹴り飛ばした。
「ガハッ」
骨の砕ける音と感覚が、全身の器官から伝えられてきた。向こうがこちらを視界に捉える前に、ザッとこちらから入りに行く。
それだけで主導権はこちらになるものだ。
「クッ、あなたは、」
「さっき会ったばかりですよ」
「将軍が、はぁ、どうしてここに?」
蹴られた脇腹を抱えるように寝転がりながらダガーは聞いた。この男は、痛みに弱い。
人に与えるくせに、己は耐性がないのだ。
そんなところが、常から気に食わない。
かといってそれをなにかの評価基準に採用したり、態度に表したことは1度もないのだが。
ただ将軍は、誰かを殴る時はその倍殴られる覚悟を持っている。 それだけの話だ。
「団長規則第8条」
「はい?」
「ダガー・シェン。答えなさい」
少し迷うように、ダガーは答えた。
「半数を超える団員から要請があった場合、団長は協議無しに解雇される?」
「それは第7条」
たとえそれが団員が脅されて行ったものだとしてもなんであろうと解雇する規則。濡れ衣だったとしても、そんなことも制御出来ない者を団長にはしておけない。
「団長に重大な過失があった場合、団長を束ねる長である将軍に処分の全権が委ねられる。この場合君は、なんの罪もない国民をいたぶったというのが重大な過失だ」
「いや…」
「それなら君は論理的に説明できるのか」
「それはっ」
「どうなんだ?」
力無く首を振るのを見て、スワッチは一つため息をついた。舌打ちよりも恐ろしい、お前には失望したという合図。
「分かった。自宅で処分を待て」
「ちょっと待ってくれよ将軍!」
呻きながら起き上がったダガーのことを、金の瞳が蔑むように見下げる。ダガーが初めて実力で完膚なきまでに叩きのめされた時と同じ眼差し。覚えず、臓器の裏側が冷えた。
ひゅっと喉がなる。
「なにか反論でもあるのですか」
「確かに2人に手をあげはしたけど、そんなに重篤な怪我は負わせていな…」
「だからいいと、許されると、貴方は本気でそう言っているのですか」
その声音に、下手を打ったことはダガーにもすぐにわかった。自宅謹慎ののちの罰則も重いが、将軍は処分を少し考える気でいた。言い換えれば情状酌量の余地がわずかに残されていたということだ。しかしダガーは自らそれを断ってしまった。
震える手が床にあたってカチャカチャと音を立てる。
「いや、違っ」
「ダガー・シェン」
「ヒッ」
鬼神の形相。
そうとしか表現出来なかった。
容赦なく敵を葬る冷酷さと、降伏した兵に対する優しい温情。二律背反なはずの二つの要素が共存する彼の、完全な裏側。彼は今、初めて将軍が戦神、国境の守護者であることを理解した。
黄金の瞳は妖しい光を放ち、見るものの呼吸さえも止めてしまいそうだ。禍々しいほどの力が、ねっとりとダガーを取り囲む。
「は」
空気が重い。息をする度に、何かが入り込んでくるようだった。
「団長規則第1条」
答えろというメッセージに、選択の余地はない。
「えっと…」
ダガーが忙しなく瞬きをする間、将軍は静かに彼を眺めていた。
「団長はその、責務の行使のために、あらゆる、王国のあらゆる規則をも無視することができる」
「責務とは?」
間髪入れずにはさまれる質問に、ダガーは答えることが出来なかった。己に都合の良い部分しか、覚えていなかったから。
「答えろダガー、その責務とはなんだ」
「王家を守る…」
「違う」
「あっ、国家の安寧のため…」
「違う」
深く刻まれる眉間のシワは、ダガーに残された時間が少ないことを物語っている。
「答えろ、責務は何のためにある?」
「何のため…」
そんなものは考えたことも無い。
とは口が裂けても言えない。
言ったら最後、口だけではなく身まで裂けてしまうことになる。
笑顔でも、そんなことが出来てしまう男の前なのだ。
「国民を守るため」
「え?」
「国民を守ること。それが責務だ。
建国者がジグリットと交わした約束の全てがそれを根幹としている」
お前はそれを怠った。
そう言外に言われているようだった。
「処分は団長職の解雇およびそれに伴う特権の停止、細かい処分はおって知らせる」
「待っ…」
右手をやや乱暴に振ると、ダガーの姿が消えた。相手の同意を得ない転移は、負担をかける上に危険なため法で禁じられている。
唯一の例外は罪人と緊急の場合のみである。
今頃ダガーは屋敷で激しい魔力酔いに襲われることだろう。
念の為、近くにいた師団に監視を頼むと将軍はひと伸びした。しなやかな筋肉が制服の下で滑らかに動くのがみてとれる。
「リリィー、終わったよ」
時間の操作を止めると、いつもの明るい調子で声をかけた。怖がらせないように、満面の笑みを付け足すのも忘れず。
「…」
「どうかした?」
時間操作のおかげで、リリィには蹴っ飛ばしたことや詰問したことはバレていないはずだった。ならば、何が気にかかるというのだろう。
「リリィ?何かあった?」
心配する振りをしながら、状況を把握する言葉。スワッチは、たまにそんな自分が嫌になる。計算などなしに心配してみたい。
「言ってごらん」
さらに近づいていくと、リリィは少しだけ後ずさりした。その瞳は訝しむように細められている。
「スワッチって、将軍だったの?」
「ん?」
「あ、違うか。将軍がスワッチなのか」
あれ?どっちだ?
リリィは混乱した。
でもどちらから矢印が出ていても結果は同じだ。2人は一緒、同一人物なのだから。
そう思うと、思い当たる点がある。
何度も感じた将軍の既視感。
どこか懐かしいような気がしたのは、いつも過ごしている相手だからだ。
「……」
スワッチを見つめると、どこかバツが悪そうに視線をさ迷わせた。なにか言おうとした口が、なんの音も発しないまま閉じられる。
「ほんとに将軍なの?」
思わず手が伸びそうなつややかな黒い毛並に
夜空に煌々と輝く満月のような黄金の瞳。
恵まれた骨格に適切な筋肉がついたその人は確かに将軍に見える。でもスワッチならこのくらいの冗談でからかってきそうな気もする
うんうんと考えるリリィを前に、スワッチは種明かしをすることにした。本人とアスカ、そしてスカイしか知らない秘密を、彼女にも。
「そうだよ。スワッチと将軍のフランマ・コスティニアウヌス・アウグルは同一人物だ」
将軍の姿のままスワッチの声音と動作をして見せた。リリィの小さな口がパカりと開く。
「話せば長くなるけど、そういうことだよ」
慌てて口を塞いだリリィは、代わりのように目を開いた。
「もう僕の過去を知る人は生きてないからね。スワッチとしての生活と将軍としての生活を両立できたんだ」
生家の立場では、アスカと共に生きることが出来なかった。幼名のスワッチを名乗り、家柄を気にせずに生きるのは楽しかった。
愛されたい愛したい子供のスワッチと、冷静で残酷な大人のスワッチ。どちらの面が強く出るかという違いだけ。
「生まれてすぐの時から一緒に暮らしているスノーだって知らないんだよ」
「スノーはスワッチの子供の頃を知ってるの?」
「違うよ。スノーの子供の頃を僕が知ってるんだよ」
こんなくらいの時からね。
そう言ってスワッチは顔から首くらいまでの距離を両手で示した。
「可愛かったんだよ。今でも可愛いけど、湖の底みたいに綺麗な目をして、ふみゅって鳴くの。暴れん坊というか短気なところもあったけど、白くてふわふわだったなぁ」
ふと、かすかに抱いていた疑問が解消された音を聞く。食卓でスワッチがスノーを撫でた時、不審に思ったのだった。あれはその頃の名残のようなものだったのか。
「年齢順で行けば、僕、スノー、スカイになるかな」
年下であるスカイが知っているのは、ひとえに彼らが抱える背景が違うから。スカイは代々アスカに仕える一族の身。対してスノーは同居人に過ぎない。スノーの頬の傷はスワッチが過去につけたものだが、どれほど大切にしようとアスカを守ることと天秤にかけられることは無い。彼の考え方は、完全なるランクで分けられていた。
「スカイが一番下なの?」
「大体600歳だよ。スノーが800歳くらい」
「ヒャク、サイ」
「僕の年齢も知りたい?」
どこからどう見ても18歳から22歳くらいの見た目のスワッチがほほ笑む。
「遠慮しておきます!」
「あらぁ、遠慮しなくてもいいのに」
小悪魔のように笑うスワッチが1300歳を超えていることを知ったら、リリィはどんな反応を返すのだろうか。目を白黒させる幼女を見ながら、スワッチは意地の悪い笑みを見せた




