表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/18

第十一章

「フランマ」

「…母上」

大好きな母が、私に微笑みかけていた。

瞬間、それが夢だと分かる。

幼い時から何度も描いてきた夢。

夢の中でも見る夢。

母は、いつも化け物でも見るかのような目つきで私を見た。

一族と違う瞳の色のせいなのか、何年たっても大きくならない体のせいなのか、

子供が持つには恐ろしい膨大な魔力量のせいなのか。

それは、今となってはもうわからないけれど。

私は何年たっても背が伸びなかった。

ただそれは肉体の成長が遅いというだけで、中身は歳月とともに成長していった。

私は誰のことも傷つけようとは思ったことがなかった。

ただ純粋に母に愛されたかった。

その点においてずっと私は子供のままだった。

地下室に閉じ込められた時も、食事を抜かれた時も、鞭でたたかれた時も。

それらがすべて母の意思であるとは思っていなかった。

母が本気で、私を殺そうとしているなんて想像もしていなかった。

私が生まれてから一度も抱き上げてはくれなかったのに、弟を抱きしめているのを見た時鈍い私はようやく気が付いたのだ。

母は、私のことが嫌いなのだと。

そして、決してその愛情が私に向くことはないのだということに。

心のどこかが、壊れる音がした。

それは決して決壊や爆発というものではなく、例えるならダムに小さな穴が開いて

そこから静かに、そして確実に水が漏れていくのに似ていた。

次第に、私は笑わない子どもになった。

師匠に会わなければ、私は手の付けられない怪物になっていただろう。

肉体だけでなく精神の整え方も、私は教えてもらった。

心が最も厄介な部位だから。

どれだけ癒えたと思っても、いきなりかさぶたがはがれてシクシクと血が流れだす。

気が付かぬ間にゆがんで、正すことが難しくなる。

今でも、不意に恐ろしいと思う。

一度だけ、幼少期以来の激情が走ったことがある。

もう775年前の話。

愛のない、政略結婚だったはずなのに。

東の国で起こった反乱に、旅行中の私たちは巻き込まれた。

王子クレヴァスが、当時は東の長を務めていた時代だ。

東の国には、領地を囲うように三重の門がある。

一つ目の門は早々に破られ、二つ目の門に住民と反乱軍が殺到した。

「なぜ門を開けないのですか!」

私はそう言って詰め寄った。

二つ目の門を開き、住民を助けることが重要だと考えたから。

「三つ目の門が破られたら王都に侵入されてしまいます。それはできません」

クレヴァスは悲痛な面持ちでそう答える。

彼にとっては東の国で反乱を食い止めることが重要だった。

「私も力になります。今なら、まだ住民の方が多い」

「ですが」

「あなたは住民を見殺しにする気なのですか。あの門のむこうにいる、助けを求めている

無辜の民を見捨てるおつもりなのですか!」

「っ」

美しい瞳が、迷いに揺れる。

だがその一瞬も、将軍にとっては待てるものではない。

門を開けるなら反乱軍が形成を整える前、対処できる人数のうちに行わなければならない。

「東の長!」

バンッと門がはじけとぶ音がした。

火薬のにおいと、硝煙がなだれ込んでくる。

「皆殺しにしろー!」

リーダーらしきクマの獣人が叫ぶと、そろいの鉢巻をした反乱軍が答えるように叫んだ。

「「うぉぉぉぉぉぉぉ」」

手にした剣や、薙刀で手当たり次第に殺戮を始める。

逃げる住民の悲鳴と、応戦する兵士の声を聞いても将軍はそこから動かなかった。

視線は、ある一点に集中している。

血と煙にまみれた、薄桃色の帽子。

大きなリボンのついたそれは、旅の初めに買ってあげたものだ。

「もう、恥ずかしいですよ」

似合うと伝えた将軍に、彼女は照れて答えた。

一歩、そして一歩と近づいていく。

「やぁぁ」

無意識のうちに切り伏せながら、歩を進めた。

脚は鉛が入ったように重かったが、それでも止まることはしない。

「ああ」

手に取れば、やはり間違いなく彼女の帽子だった。

「エトワール」

少し先に倒れていた妻を抱き起すと、流れ出た血がズボンを濡らした。

ややあって、それが彼女の血だということに気が付く。

「しっかりしろエトワール」

「…あなた」

動揺している私をおかしそうな目で見て、彼女はかすかに口角を上げた。

「悪かった。一人にしたりして」

泊まる予定だった宿が火事になったので、ほかの宿を探しに離れてしまったのだ。

今思えば、それも反乱の兆しだったのかもしれない。

「…いいんです」

「大丈夫だ。今から治療するから」

かざした手を、なぜか彼女はゆっくりとどけてしまった。

「どうした?」

「もういいんです」

見て、と差し出された両手は先端から透明になり始めていた。

魂が、散り始めている。

「あなたは、もっと役に立てるはずです」

「私に、お前を見捨てろというのか」

「こうなってしまっては、手の施しようが、ないでしょう?」

無理に笑おうとしたのか、唇がいびつな形に動かされた。

何度か瞬きをした後、力を振りしぼるようにもう一度口を開く。

「最期に、あなたの顔をみられて…」

「最期なんて言わないでくれ」

「…私はとても幸せでした」

今度こそ笑うことに成功すると、彼女の体は完全に消えた。

ばらばらになった魂が、輝きながら天空へと昇っていく。

それらすべてを、将軍は茫然と眺めていた。

「エトワール?エトワール!」

それから後のことは、あまり覚えていない。

反乱は無事に鎮圧されたこと、そして自分の働きもあったことは後から聞かされた。

自分でも驚くほどに、憔悴していた。

二度と思い出したくない記憶だ。

ふと、誰かが私を呼ぶ声がした。

誰でもいい。

この夢から助けてさえくれるのならば。

「…ンマ、フランマ」

目を開けば、眩いばかりの陽光が差し込んできた。

どうやら、自室のベッドで寝ているようだ。

少しずつ、思い出す。

確か私は路地で倒れたはずだ。

「起きたか?」

声のしたほうへ顔を動かせば、師匠であるアスカ・シェン・シグリットが立っていた。

黒と白のモノトーンの部屋の中で、そこだけが色を得たように輝いている。

「悲しい夢でも見たのか」

師匠のジェスチャーにしたがって手を動かせば、頬が濡れていた。

「泣いていたんですね」

手渡してくれた水差しを受け取ろうと起き上がると、ひどいめまいがした。

全身、健康なところがないのではないかと思う程にだるい。

「魔渇期だろう。無理するな」

「すみません、ありがとうございます」

大戦でかけられた呪い。

800年前におきた第二大反乱の影響で、王国には魔法を扱える者がほとんどいなくなった。わずかに残る使用者も、周期的に魔渇期に襲われる。

将軍の場合は十年に一度、魔力を使用すると激しい頭痛に見舞われる。

全身を動かすことが困難になり、魔力の数値もゼロに近づくほど激減する。

その期間は、職務どころではない。

控えめなノックのあと、妻のモワノーが顔を出した。

「お話し中ごめんなさい。子供たちがどうしても様子を見るって聞かなくて」

困った様子で眉を寄せた彼女の後ろから長男のユニオ、長女のアルエット、次男のカナールが飛び出してきた。

「お父様もう平気なの?」

「どこか痛いの?」

「ご要望があれば何でも言ってください」

この子たちは、私の性質を受け継いでいない。

普通の獣人、代々伝わる灰色がかった黒い瞳と艶やかな毛並みを持って生まれてきた。

「ありがとう、あと一週間ほど休めばすっかり良くなるさ」

「「良かった」」

子供というのは不思議で、いくつになっても可愛い。

ベッドの周りで無邪気に喜ぶ彼らを見ると、王家に対するものとは違った守らねばならないという意識が強くなる。

「じゃあ私はこれで失礼するよ」

「ありがとうございました」

屋敷を出ていく師匠を見送り、将軍は再び休息をとった。



「学園に行っただと!」

「ご学友の様子が気になるとおっしゃって」

「それを止めるのがお前の仕事じゃないのか」

ぷつんとスカイの中で何かが切れる音がした。

「昨日戻ってこなかったのはどっちですか!」

ものすごい剣幕に、アスカが押し黙る。

「こっちは行方不明のお嬢様を探し出して、スノーを治療して、大事にならないように

各機関に根回しして、事件の調査をして、寝てないんですよ!」

獣人の姿の彼は、歯をむき出しにして怒鳴った。

「じゃあ何です。あなたは何をしたって言うんですか。自分の娘をほったらかして

彼に付き添っている場合ですか?それでもお嬢様の父親だって言うんですか?

娘を大切にするのが父親の仕事じゃないんですか!」

「それは…」

反論は許さないとばかりに詰めよれば、ガクリとうなだれる。

「悪かった」

「それは私に言う言葉ではありません。お嬢様に言ってください。

昨日どれだけ心細くて寂しかったか」

言葉にはしないけれど、その小さな背中が主人を必要としていた。

言われなければ気が付かないなんて。

この人は一体どれだけ、人の愛に触れてこなかったのだろう。

「童でもわかることでしたよ」

ベア王国では、自分の名前が決まったものを大人と認め、それまでの期間の子供のことを童と呼ぶ。本来の名前が決まるまでは、神殿がつけた仮名を使うことが通例だ。

名前が決まる瞬間は、なんとも表現が難しい。

ピタリと己にはまる感覚と、周囲が一瞬明るくなる感覚がする。

代々伝わる能力などは、たいてい名が決まった後に発現する場合が多い。

「助かった、ありがとうスカイ」

「お役に立てて光栄です」

まだすねた様子のスカイは、ぽそりと付け足す。

「今日のお迎えは主人がいってくださいね」

「…はい」

背中を丸めるその姿は、とても国王と同列の人物とは思えないほどしょげていた。

「ちょうど時間ですよ。行ってきてください」

「はい」

大人しく指示に従う主人の様子にあやうく緩みかけた頬をひきしめスカイは言った。

「ほらはやく」

「はい」

アスカは急かされるままに、学園の前まで転移した。

昨日のお祭り騒ぎが嘘だったかのように、街は日常を取り戻している。

「お」

ちょうど校門からリリィがでてくるところだった。

アスカはそちらに向かって駆け寄った。

「おーい」

呼びかけて、ふとニンゲンの耳は自分たちほどよくないことを思い出す。

(もう少し近づいてから呼びかけるか)

長い脚であっという間に距離を詰めると、ニコニコと話しかける。

「おかえり、我が家のお嬢さん」

「…き」

うつむいたまま、ほとんど口も動かさずにしゃべった。

「何?」

「おじさまの嘘つき!」

上げた顔は、敵意に満ち溢れていた。

眉は寄り、瞳は潤み、顔中のパーツを全て正面に寄せるように睨みつける。

「え?」

戸惑うアスカをよそに、ずんずんと進んでいってしまう。

といっても子供の歩幅。

楽に追い付けてしまう。

「ちょっと待ってよ、何の話?」

「シラを切るの?」

心当たりのないアスカは、ただその語彙に感心するばかりだ。

「すごいな。そんな言葉どこで覚えて…」

「ふざけないで、ごまかさないで!」

その絶叫に、思わず肩を跳ね上げた。

通りを行き交う人々も、何事かとこちらに視線をやる。

射貫くように自分を見るリリィを見て、アスカは下手を打ったことだけは理解した。

彼はそういう感情の機微を察する能力が著しくかけていた。

「ごめん、そういうつもりじゃ」

「知ってたんでしょ、ニンゲンが奴隷にされる理由」

動揺がそのまま顔に出た。

反射的に、アスカは二人を屋敷に転移させる。

誰にでも話していい話ではない。

でもそれは、リリィには違う意味にとられてしまう。

「話す気ないんだ」

もう一度だけ強く睨むと、自室への扉を開く。

「おじ様なんて大嫌い」

ガチャンと扉が閉じられると、あとはただ静寂が広がるのみだった。

あほみたいに口を開いたアスカが、突っ立っているだけ。

「何してるんです?」

「…リリィが、リリィが秘密を知ってしまった」

いまさらながらに事態を飲み込めたアスカが呟くように言うと、スカイが目を見開いた。

「なぜ?いや、それは今どうでもよいことか」

顎に手をやり考え込むスカイと対照的に、アスカの頭は何も動いていなかった。

「何してるんです。追いかけてください」

「伝わるだろうか」

はぁとスカイがため息をつく。

「伝える努力をしてください。

たとえ伝わらなくても、努力をしなければ一生そのままですから」


「おじ様なんて大嫌い」

私はそう噛みつくように叫んだ。

そんなことを言う資格も、部屋に閉じこもる資格もないというのに。

出ていかなくては。

そう思って立ち上がるのに、すぐにぺたりと座り込んでしまう。

ドアに背を預け、膝に顔を当てる。

「嫌だ」

嬉しかった。

人として大切にしてもらえて、私にも家族ができたんだって。

ここにいていいんだってそう思えたのに。

私はスノーさんを傷つけて、世間を欺いている。

なのに一人になりたくない。

「みんなと、離れたくないよ」

両目から溢れる涙とともに、今日の出来事が思い出される。

学校に行ったら、さすがにブレイムはいなかったけれど将軍が助けてくれたという話を

聞けてほっとした。自分のせいで死んじゃったのではないかと気が気でなかった。

「そういうリリィこそ、大丈夫だったのかい?」

「祭りに忌み子が出たんだって」

マッカランとライノの問いに、リリィは首を傾げた。

「忌み子?」

昨日からお世話になりっぱなしのマッカランの説明が入る。

その昔、ベア王国ができる前は多くの種族が覇を争って戦いに明け暮れていた。

それを嘆いた獅子の一族が天に祈りをささげると、天界から虎の姿をした神が舞い降りる。

シグリットと呼ばれるその神は、獅子の一族に協力して争いを平定し複数の約束を取り付けた。

「一つ、全ての種を尊重する国をつくり、その王は獅子の一族が務めること。

一つ、獅子の一族には天候を操る力と金色の髪、緑の瞳を授けること

一つ、王には天の加護を授けること

一つ、獅子の一族に異変があった場合、シグリットを頼ること

シグリットは自分の娘を地上に遣わして、その一族を頼るように言ったんだ」

淀みなくそれらの条項を述べるマッカランは、やはり王族なのだとリリィは思う。

「まあ、ここまではあんまり関係ないんだけど」

こうしてベア王国が建国され、長い間平和に統治されていた。

ところが約3000年前、跡継ぎをめぐって内乱が起きた。

世継ぎの王子と、第二王子が対立したのだ。

アネスティという名の第二王子は、ニンゲンの母と獣人の父を持つ半人だった。

天候を操る能力を持つにもかかわらず、彼の瞳は金色ではなかった。

紫と黄緑のオッドアイだったのである。

二人をめぐって、大臣たちは二つに割れた。

天候を操る能力を優先させれば、アネスティの勝利。

金髪と緑の瞳を優先させれば、世継ぎの王子の勝利。

ついに緊張が限界に達し、アネスティは反乱を起こした。

この反乱で国民の半分が命を落とし、伝令を務めた鳥の一族は絶滅に追い込まれた。

結果は僅差で世継ぎの王子の勝利であった。

シグリットの一族が、彼の味方をしたのだ。

敗れたアネスティは、処刑される前に呪いをかけた。

「二度と、お前たちの間に獣の顔をした子供は生まれぬ。

二度と、お前たちは姿を変えることはできぬ。二度と、お前たちは天寿を全うできぬ」

その年から、獣人が生まれる確率は激減し、獣人から人間の姿まで変えられぬ者が増え、

寿命は著しく縮まった。

争いに勝ち、即位した王子は慈悲の心を持っていた。

アネスティを慰霊する祠を立て、人間や同じ特徴を持つ者を差別することの内容に

名を下した。

しかし、人の心はそう簡単に変えられない。

家族を失ったものが敵を恨まない方が難しいのだ。

小さい、けれど確かにある憎悪の炎は、静かに国民の間でくすぶり続けた。

それから2200年たった、800年前のこと。

再び大戦が起きた。

首謀者は、アネスティと同じ特徴を持つ人間。

彼は、アネスティの名を名乗った。

軍の中心となったのは迫害されやすい蛇族、狼族、そしてニンゲンだった。

彼らは彼らで、長年の不満がくすぶっていたのだ。

燃料を与えられた炎は一気に燃え上がった。

アネスティを名乗る人間は、昔の呪いを完成させようとした。

この呪いによって、王国の人々は魔法を自由に操ることができなくなった。

反乱軍の中心となった種族は、絶滅寸前まで追い込まれることになる。

「でもそれは、決して国民のせいじゃないんだ」

「どういうこと?」

かすかに震える声で、リリィは聞いた。

自分のルーツを知るだけでも、十分に恐ろしかった。

「その種族たちを絶滅寸前まで追い込んだのは、一人の男なんだ」

「一人の男?」

「リリィは国守様って知ってる?赤い瞳を持つ、虎の一族のお方。

ずっと向こうに行くと、森で囲まれた赤い屋根のお屋敷があるんだけど」

赤い瞳に、虎の一族、森で囲まれた屋敷?

それは、そんなの。

沈黙を否定ととったのか、マッカランは優しく笑いかけた。

「お姿は知らない人の方が多いかもね」

違う。嫌という程知っている。

「事の発端は、その首謀者が国守様のお屋敷に攻め込んだことなんだけど」

屋敷に侵入した反乱軍は、彼の妻を人質に取った。

アスカは、その時鎮圧のために屋敷を出ていた。

二人は天の番であった。

魔力を多く持ったものが力を安定させることができる相手。

婚姻すると、魔力を持つ者が心臓に宿す核が二つにわかれ、相手に移る。

そうすることで二人は力と寿命を共にすることになる。

そんな運命の相手を、アスカは失った。

なぜか、アスカは生き残ってしまったのだ。

本来生死を共にするはずの天の番が、片方は死に、片方は生きている。

不安定な情勢の中、国民はそれを不吉ととらえる。

妻を失ったアスカを、民衆は責め立てた。

悲しみの癒えぬ間に攻撃を受けたアスカの心が壊れてしまったのも無理がないと言える。

伴侶を失った悲しみは大きかった。

その怒りは大地を割り、悲しみは国中を凍らせた。

建国以降初めての餓死者が出たのも、この年である。

反乱にかかわったものを皆殺しにしても、その痛みが消えることはない。

苦しみが癒えることはない。

己の半身を失ったのと同義なのだ。

アスカはもともとあった屋敷を取り壊すと、大規模な改造を行った。

思い出ののこる家に住んでいるのが辛く、そして何かしていないと完全におかしくなりそうだった。

涙が枯れることはないと、このときアスカは学んだ。

将軍職を現在の将軍フランマに譲ると、その後は式典以外で表舞台に立つことはなかった。

「ちょっと話過ぎちゃったかな」

「すごいよマッカラン。よくそんなに知って、いや覚えてるね」

ライノが目を輝かせて褒めると、マッカランは照れたように頭をなでた。

「一応教育は受けてるからね」

祭りの際に示した天候を操る能力によって、跡継ぎ候補に浮上していることは黙っていた。

マッカラン自身、まだ信じていないのだ。

「で、その忌み子を追って第六師団が出動して辺りは物々しい雰囲気だったらしいんだけど、リリィは大丈夫だった?同じニンゲンだからって意地悪されなかった?」

善意で聞かれているのだとはわかっていた。

でも、頭の中にある言葉を口が一つも音にしてくれなかった。

「えっと…」

ゴォーンと、このタイミングで始業のチャイムが鳴る。

今日は運のいいことに、一時間目から自由時間が入っていた。

「ごめん、私クラウンさんのとこ遊びに行くから」

不自然にならないように釈明すると、教室から駆け出した。

顔さえ見なければ、その姿は興奮して飛び出す子供そのものだった。

リリィの顔は、真っ青になっていた。

(どういうこと?)

今まで抱いてきた疑問に対する答えが一気に渡されて、リリィは混乱していた。

ニンゲンが迫害されるのは、大昔の大戦のせい?

そして私が追われたのは、忌み子だから?

訳が分からない。

そうなら、もしそうならばどうして誰も教えてくれなかったのだろう。

「うわぁ!」

誰かにぶつかって、リリィは派手に後ろに吹っ飛んだ。

幸い向かう先は壁だったため、優しく受け止められる。

校舎に礼を言って、ぶつかった相手を確かめたリリィは思わず顔をしかめた。

「教頭先生」

羊族のメントゥ。

なぜ教師になったのか不思議なレベルの子供嫌いだ。

「ごめんなさい、よく前を見ていなくて」

素直に謝ったリリィに返事をすることなく、上から睥睨している。

「あの?」

「君は、彼らを家族だと思っているのかな」

「は?」

一体、唐突に何のことだ?

「もう少し知ろうとする必要が、君にはある気がするよ」

「はぁ」

「答えを知りたいのなら図書館に行きなさい」

図書館は、学園の中で唯一禁止された場所だ。

そこに、行けというのだろうか。

「でも…」

「子供が学ぶことを禁止する親はいないよ」

思考を先読みしたかのような返答にリリィは驚く。

はたから見れば丸わかりな感情も、本人は隠せていると信じているものだ。

それだけ言うと、メントゥは去っていく。

いつものスーツを着て、背筋を伸ばして、気難しそうな表情を浮かべて歩いていく。

残されたリリィは、しばしの逡巡のうちに図書館にいくことにした。

「おじ様たちだって悪いことをしたんだもの。別に構わないわ」

学園の図書館は、普通の図書館とは少し変わった点がある。

机といすが収納式なのだ。

必要な人が、床から引き出して使う。

これは初代学園長の、本は椅子に座って読む必要はないという考えに基づいた設計らしい。

そんなことをマッカランから教えてもらったことがあった。

大小さまざまなジャンルに分類された本たちが、天井まで届く本棚にびっしりと並べられている。小さな子供でも届くよう、移動式のはしごも備わっていた。

「答えを知るには、図書館に行けってことは歴史の本を調べればいいのかな」

温かみのあるベージュのカーペットの上を歩きながら、目当ての本棚を探す。

本棚の一番上と、その中間に分類が書かれているので、その棚はすぐにみつかった。

ベア王国の華麗なる歴史、代々将軍について、暗黒の歴史、王家の約束など興味を

惹かれるタイトルの本ばかりだ。

リリィは少し迷った後で、「ニンゲンの歴史」という古ぼけた本を取り出した。

どうやらミシェル・センシェという人が書いた本らしい。

タイトルのみが書かれた、シンプルな表紙がリリィは気に入った。

机といすを引き出すと、さっそく読み始める。

内容のおおよそは、マッカランから聞いた話と同じものだった。

ただその本には、肖像画が載っていた。

処刑される寸前、こちらを睨みつけるように見るアネスティの姿だ。

自分と同じ、黄緑と紫色の瞳。

第二の反乱の時の首謀者も、同じ瞳をしている。

鏡を見ているような不気味さを覚えて、肩を抱いた。

「私は人間ってだけでなく、この目をしてるんだ」

急に怖くなった。

もし、クラスメイトにそれが知られたら?

今までなら、自分が嫌われる理由なんか知らなかった。

人間ってだけで奴隷にされるのは理不尽だと思っていた。

でも、この瞳なら?

みんなが嫌うのにも頷けてしまう。

今は茶色のこの瞳が、本来の色をしていたとき、みんなはどんな反応をするだろうか。

私は、本当に何にも罪がないのだろうか。

それから後の授業は、ほとんど上の空だった。

普段通りのおじ様を見た途端に、リリィの中の感情が爆ぜた。

だからといって、彼が悪いわけでもないのに。

「リリィ?今、話せそうかな」

「…」

沈黙を貫く扉の前で、アスカは小さくため息をついた。

「悪かった。知らなかったんだ」

一度視線を落としたアスカは、再び口を開く。

「いや嘘だ。本当は怖かったんだ。嫌われるのを、恐れてしまった」

自分が、激情に任せていくつかの種族を滅ぼしかけたこと。

リリィが自分のルーツを知ることで、憎まれるのがどうしようもなく怖かった。

こんな形で、秘密がばれるなんて想像もしていなかったのだ。

「リリィ、どうか許してほしい。己の保身のために、君を傷つけた」

「…わかってるよ!」

突然怒鳴られたアスカがびっくりしていると、扉越しに鼻をすする音が聞こえた。

「でもね。心が…」

グッと服の上から胸を押さえた。

「裏切られたって、傷ついたって、悲しかったって暴れるのをやめないの」

リリィだって、本当は謝りたかった。

大切な人の大切な人を同じ人間が奪ってしまったこと。

自分を守るために嘘をつかせてしまったこと。

そして何より、嫌いだなんて言ってしまったこと。

「リリィ、顔を見せてはくれないか」

そんなに、優しい声を出さないでほしい。

私に、優しくしないでほしい。

先ほど流した涙とは違う、暖かい涙があふれた。

勇気を出して少しだけ扉を開いてみれば、穏やかな色をした赤い瞳が見つめていた。

「おじ様」

「リリィ」

どちらからということもなく、二人は抱き合った。

今晩やっと、二人は本物の親子になったのだ。

「本当に悪かった」

「私こそごめんなさい」

「感動的なところ非常に申し訳ないのですが…」

スカイがわずかに眉を下げて話しかけた。

「お二人に出廷命令が下りました」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ