一幕「異常気象」②
一人の少女の声がした。
いや、”独り”という表現の方がより適切かもしれない。
白っぽい髪に白っぽい瞳、白っぽい肌。
どこを見ても白っぽい彼女は、身に纏っているセーラー服によって儚さを増していた。
完全に一人だと油断していた僕は、彼女に話しかけられた途端に素っ頓狂な声を上げた。
「どうしたの?そんなに驚かなくてもいいじゃない。」
少し嘲るような笑顔をみせた彼女は落ち着いた調子で僕の方に歩み寄ってきた。
「それとも………何かやましいことでも考えていたのかしら。」
「別に…………………。」
僕は彼女に見惚れていた目を咄嗟に逸らした。
「ほら。やっぱり考えてたんでしょ。………えっち。」
「考えてない。」
「本当に~?……あ、じゃあもしかして今、私に見惚れていたの?」
「見惚れてない。」
「うそ。絶対に見惚れてた。」
「見惚れてない。珍しい髪と目の色だと思って見てただけだ。」
「ふふ。じゃあ、そういうことにしておいてあげる。」
「僕をからかってるのか。」
「ん~…そうとも言えるし、そうでないとも言えるね。」
「どっちだよ。」
「んーどっちでしょう。」
「やっぱりからかってるだろ……。」
彼女は見た目の印象とは違って意外にもハツラツとしていた。
「で、僕に何の用だ。」
「……………用って?」
「……え?」
「ん?」
「僕に用があって話しかけたんじゃないのか。」
「別に用は無いよ。こんな時間まで学校にいるなんてどうしたんだろうと思って。」
「それを言うならあんたも同じようなもんだろ。」
「”あんた”じゃないよ。」
「ん?」
「な・ま・え。私にもちゃんとした名前があるの。」
「じゃあ教えてくれよ。僕も”あんた”って無礼な呼び方をしたくはないんだ。」
「他人に尋ねるときはまず自分からじゃない?」
彼女はまた嘲るような笑みを見せた。
「はぁ………。霄だよ、僕の名前。」
僕は観念して名乗った。
「そら……………………いい名前だね。」
彼女は僕の瞳を見つめながら微笑んで言った。
「僕は名乗ったぞ。あんt……、君の名前は?」
「私の名前は……………………あ、そうだ。当ててみてよ。」
「はぁ?」
卑怯だ。僕には名乗らせたくせに。
「あー……………透子とか?」
「ぶっぶー残念。全然違うよ。君、名前のセンスないね~。」
「言ってろ。」
面倒くさい女だな。
僕はこういうタイプの女は苦手だ。
「ほらほら、早く当てないと帰れないよ。……それとも…………帰りたくない?」
彼女は急に萎れた声で誘惑染みたことを言ってきた。
くそッ。さっきから煽られてばっかりだ。
こうなったら……。
僕は席から立ちあがって彼女に迫った。
「僕はいつでも口を開かせることができるんだぞ。」
フン。どんな反応をするのかな。
「……あ、えっ……その……………急に近づかれると………。」
彼女は頬を紅潮させて上目遣いで言った。
おっと、まさかこんな反応をするとは。
てっきり張り合ってくると予想していたんだが……。
「そんな反応されると、なんか罪悪感が湧いてくるんだが………。」
「え?あ……何も、しないの………?」
「ああ。揶揄われたのにムカついたから、ちょっとやり返したくなっただけだ。」
「……そう…………。残念…。」
「残念?何がだ?」
「いえ、何でもないの。気にしないで。そんなことより、私の名前は分かったのかな。」
「分かんねえよ。いい加減、答えを教えてくれ。」
「んーそれじゃぁ………いいよ。私の名前、教えてあげる。」
「ああ、頼む。」
「私の名前は…………氷空。」
「ん?」
「そう。君と同じ名前。”こおりのそら”で、氷空。きっと君のそらは違うんだろうけど、名前の読みが同じだなんてちょっと嬉しくなるよね。」
「こおりのそら、か………。」
「ん?どうしたの?そんなに気になる?」
「いや、珍しいなと思って。」
「そうだね。でも、”こおり”だなんて、私にピッタリじゃない?」
「確かにな。」
「ところで、君の”そら”はどう書くの?」
「あー………。難しくてどう言えばいいのか…。紙に書いた方がいいな。ちょっと待ってくれ。」
「うん。」
僕はカバンからメモ帳とペンを取り出した。
「———こういう字なんだけど………。」
「へぇー…、確かに難しいね。今まで見たことないかも。」
「こんな字だから、人に名前を聞かれたときに説明するのが面倒で………。」
僕は半笑いしながら言った。
「よしっ、覚えた。」
「え、早くない?記憶力いいの?」
「いいか悪いかで言えば悪い方だと思うけど、君の名前だから覚えたいなって。」
僕は顔が赤くなる感じがして恥ずかしくなって目を逸らした。
「ふふっ。」
彼女も笑って目を逸らした。
しばらく二人とも話さない時間が過ぎた。
この気まずさを打ち破りたくて僕は口を開いた。
「そういえば今思ったけど、なんで氷空はこんな時間に一人でいたんだ?」
「あぁ………ちょっと私的な用事があってね。」
「用事?じゃあ僕はそろそろ帰ろうかな。僕がいたらお邪魔だろうから。」
そう言って僕はメモ帳とペンをカバンに仕舞い、教室を出ようとした、が…。
「待って。」
氷空に手をつかまれた。
「まだ何か用か?」
「私的な用事っていうのは、君についてのことなの。」
「僕について?」
「うん。…その………まずは私についてきてくれないかな?」
「お、おう…。」
僕は氷空に導かれて廊下を進み、階段を上り、気づけばいつの間にか屋上に続く扉の前にいた。
「なんで屋上?」
「それはこれから分かるよ。」
「?」
彼女が扉を開くと、少し湿気を帯びた生温かい風が僕の顔を撫でた。
「で、僕に用事って何なんだ?」
彼女は繋いでいた僕の手を離すと、フェンスに向かって歩きだした。
「…………今日は久しぶりに晴れて、ちょっと暑かったよね。」
「ん?ああ、そうだな。多少汗をかいたな。」
フェンスに向かって歩き続ける彼女は、哀愁を醸し出していた。
「まだ少しじめじめするけど、明日からはきっとカラッとした天気になるよね。」
「まあそうなってくれたら気分が落ち込まずに済むよな。」
フェンスに到達した彼女は、ゆっくりとフェンスに手をかけた。
「でも、もし明日からも異常気象が続くとしたら、君はどう思う?」
「んー…………僕は別にどうも思わないかな。異常気象が続いたところで僕にはどうすることもできない。」
彼女がくるりとこちらを振り返った。
「ねえ、霄くん。」
「なんだ?」
「君は今、とてもわくわくしているんじゃないかな?」
彼女は少し妖しげな雰囲気で言った。
まるで僕の心の中を見透かしているかのように。
「どうしてそう思うんだ?」
「ふふ。私には分かるよ。霄くんの考えてることなんて。」
「ん?今のどういう…………。」
その途端、僕の目の前を白いものが降りていった。
「ん?なんだ?」
空を見上げると今度は頬に冷たいものが触れた。
「これは………………………雪?」
「……当たり。」
「なんで…………雪が……もうすぐ6月だっていうのに…………。」
「霄くん。君は最近続いていた異常気象について考えていた。違う?」
「それは…そうだけど。」
「そして君は、近々その異常気象に関する出来事に立ち会うことを感じ取っていた。」
忘れようとしていたことをズバリ言い当てられて、僕は動揺した。
「図星だよね。」
「でも、単なる妄想の一部かもしれないだろう。」
「んー……一般人がそう思うのは当然だよね。でも……」
彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「君の直感は間違いじゃないよ。」
「どういうことだ…?」
彼女の発言に僕が困惑していると、雪が段々とその激しさを増してきた。
屋上には所々に積雪ができ、今が初夏ということを忘れさせようとしていた。
「この雪は一体……何なんだ?……君がやったのか……?」
「そうだよ。」
「なんで………いやそれより……………、どうやったんだ……?」
「教えてほしい?」
彼女は僕に近付くと、再び嘲るような笑みを見せた。
「う~ん……………。君になら教えてもいいかな………。うん、もう見せちゃったしね。」
彼女は僕の正面に立つと、後ろ手を組み、微笑を浮かべて言った。
「私、天気を操れるの。」
「…………………………………。」
僕は言葉に詰まった。
初めは僕の耳がノイズを拾ったかと思ったが、そうではないようだ。
”天気を操れる”
冷静になればなるほどおかしな日本語だと思えてくる。
天気は自然現象だ。小学生でもわかる。
だが彼女はそれを操れると言った。
だめだ。混乱して頭が回らない。
「天気を………操れる……………?」
「ええ。何を言っているかわからないと思うけど、実際に今雪が降っているのだから納得してほしい。」
無茶なことを。
「な…るほど………?」
「理解できた?」
「ごめん。無理。」
「……そうだよね。嘘だと思うよね。今降ってる雪もCGだと思うよね。」
彼女は悲しそうな顔をして俯いた。
「君になら、どんなことでも言えると思ったのに……。」
こういう反応をされると僕まで悲しそうになる。
「分かった分かった、理解するから。そんな顔をするな。」
僕は何とかしてその事実を飲み込もうとした。
「えーっと?5月に?雪が降る?それは君の………能力?で…………今僕に見せてくれた、っていうことでいいのか?」
「そう。」
「今まで誰にも言わなかったのか?」
「いいえ。一度、小学生の頃にクラスメイトに言ったことがあったけど…………そのせいでいじめにあったの。ただでさえこんな髪と目の色だっていうのに。」
「あー……その話は一旦置いておこう。なんだか長くなりそう。」
「あ、ごめん。」
「僕にその話をしてくれたのは、僕を信用してくれているってことでいいのか?」
「ええ。初めて君を見た時、私と同じオーラを感じ取ったの。だから、この人になら話してもいいって思えたの。」
なるほど。
だから放課後に僕が一人でいるところに話しかけてきたのか。
「よし、全部受け入れる。」
「本当に?」
「ああ。頼れるのは僕しかいないんだろ?」
そう言うと彼女は白い瞳に涙を浮かべて泣き出した。
「ありがとう……。本当に……………。」
きっと氷空は自分の能力のことで、想像以上の苦痛を強いられてきたんだ。いじめに遭っていたというし…。本当の氷空のことを分かってあげられるのは僕しかいない。何があっても僕は氷空の味方だ。